その12
十二
「幻想郷の中であなたの正体に関する手がかりを見つけるのはもう難しいでしょう? どういう経緯で結界を超えて入ってきたかは分かったけれど、それ以前に関しては知りようがないものね」
『それは確かにその通りですね』
私は提案そのものよりも、紫さん自身がこの話をもってきた意味について考えていた。彼女の能力からしてみれば提案を実現するのは容易なことではあろうが、それは幻想郷を成立させているルールを揺るがすことにはならないのだろうか。
「このあいだの無縁塚での件があったから、わたしはあなたがここに来た経緯についてあらためて考えてみたの。そして出た結論はね……チビちゃんは、おそらく正面玄関から入ってきたんだろう、ということ」
『正面玄関?』
「ええ。あなたはそのお人形とともに無縁塚に入ってきたということらしいけれど、それは見かけ上のことだとわたしは思っているの。どうしてかというと、無縁塚のあたりは結界の『裏口』に当たるの。あれは博麗神社という『正面玄関』を設けたからこそできてしまった、対に当たるもう一方の端なのよ。そして、この二つは外側から見るとひとつの点の表と裏のようなもの。あそこが博麗神社から見てちょうど真西にあたる位置にあるのも偶然ではないの」
「じゃあ、チビは神社に入って来たのに、結界の作りの上ではすぐ裏に張り付いてる無縁塚に出てきたってこと?」
霊夢が問うと、紫さんは得たりという表情でうなずく。
「ええ。たぶん例の悪霊のたぐいの力が結界を不安定にしていた上に、人形という『境界を渡る橋』になるものだったからそちら側に引き込まれたんでしょう。最終的には人形と引き離されたチビちゃんの魂だけが玄関に戻ってきて、あなたの身体へとたどりついたわけ。そういう経路を辿っているからこそ、建物の結界も意味を成さなかったのよ」
「……それで、正面から入ってきたことがそんなに重要なの?」
「もちろんです」
紫さんは私に視線を戻す。
「正面から入ってきたというのは、外の世界の博麗神社からやって来たのと同じことだから。つまり、少なくとも以前のチビちゃんに関わる何者かは、その神社を目指してやって来たと考えられるわ」
『外の世界でそうした行動をとった人物を探せば、それが私の過去につながる者だというわけですね』
「その可能性は高いでしょう」
すると霊夢が憮然とした表情で言う。
「話はだいたい分かったけど、わたしたちが境界の外に出て、その後戻ってこられる保証があるわけ?」
紫さんは首をかしげる。
「保証って……外に出てまた戻るくらい別になんでもないことだけど」
「境界を自在に操ることのできるあんたにとってはね。でもわたしとチビは違う。わたしはたぶん外側からじゃ何もできないわ」
「……つまりわたしが結界の出入りに協力すること自体が胡散臭いと感じるのね?」
苦笑を浮かべる少女。
「たしかにそういう意味での客観的な保証はありませんねぇ」
「博麗大結界は個人の都合でいじっていいモノじゃないってあんた自身がよく言ってたじゃない。今回は例外だっていうの?」
「そうねぇ……」
考えこむような顔の紫さんに、私はあえて訊ねてみた。
『つまり私の正体を知ることのほうが、より優先されるということですか?』
一瞬、紫さんの瞳が見開かれる。その間に彼女の中でどのような演算処理が実行されたかは知りようもない。が、出力結果は予想通りだった。
「おっしゃる通りよ」
彼女は静かな笑顔で答えた。
「わたしもあなたの正体を知りたい。それも、できるだけ正確にね」
☆★
夕方近くになって、魔理沙とアリス、それに妹紅が相次いで神社にやってきた。妹紅は池での一件について、私に負担をかけてしまったと何度も謝ったが、状況を甘く見ていたのはむしろ私の方だったのであり、彼女に非はない。
『自分の力量というものを過大評価していたよ。すべての原因はそこにある』
「まあお前さんらしい考え方だが……親たちからも申し訳なかったと伝えて欲しいと言われたよ」
妹紅はお詫びとお礼を兼ねて里の人々からいろいろ預かってきたといって大量の食材を持ってきてくれた。霊夢と魔理沙はそれを料理するために台所に入り、茶の間にはアリスと妹紅が残った。アリスはいつものように私の身体の点検をしてくれたあと、レミィから借りたロケットについても彼女なりの所見を述べてくれた。
「けっこう手が込んでいるし、それにかなり昔に作られた物だわ。たぶんパチュリーが関わったものじゃないでしょうね。開けてみていい?」
『ああ』
アリスは丁寧な手つきでロケットの蓋を開け、それから眼を細めた。
「これは……ずいぶんと念の入った仕掛けね。魔法円に刻まれている呪文が読めないように隠蔽術式がかけれられているわ」
『そうか? 私には文字自体は見えたが』
「たぶん肉体を持たないチビさんには効かないのよ。ただ……そうね」
ロケットの中の水晶盤に指先をそっと触れる。
「……確かに触れている者の精神を穏やかにするような、そういう作用はあるみたいね。レミリアが言っていたという話には間違いはないわ。護符としての機能もあるようね。具体的にどの程度の防御力があるかまでは分からないけれど」
するとそばで見ていた妹紅が感心したように言う。
「それにしてもこれ自体が相当に高級な宝飾品という感じだな。外側に使われている宝石もかなり上物じゃないか?」
「そうね。古くて、しかも品質のいいものを使っているわ。そういう宝石は力を込めやすいし、それを元に組まれた術式は壊れにくい頑丈な作りになる。だから本来はこの手のものは封印用の魔法によく使われるんだけど……護符の構成にも適しているのは確かね。力を遮ったり、はね返したりする作用が基本だから」
「しかし、それほどの物を贈る理由として、酒の代わりになるからというのは少々こじつけっぽいな……」
妹紅は頬杖をつく。
「紅魔館の主がそこまでチビに肩入れすることを、周りはどう見てるか少し気になるところだ」
そこで私は試しに訊いてみた。
『妹紅自身はどう見てる?』
「そうだな。まあひとことで言えば、『怪しい』な」
『…………』「…………」
私とアリスは顔を見合わせる。
「これまでのチビとの関係を考えに入れたとしても、見返りなしにそこまでする理由があるとは思えない」
妹紅の目付きは真剣だった。
「それに、何か気に入った着想を得たら、自分自身が再び異変の源になることにためらいはないだろう。その材料としてチビが利用される可能性も無いわけではない」
と、引き戸がガタガタと鳴り、つま先で開きながら魔理沙が瓶と陶器類を抱えて入ってくる。
「そのときはそのときなんじゃないか?」
魔理沙はこたつ板の上に取皿と猪口を並べ、その中央に八卦炉を置いて発火させる。
『なんだ、聞いてたのか』
「妹紅の声は通るからな。ま、あんまり大人しくしてると溜まってくるものだってあるから、限界超えたら思う存分吐き出してもらうのがいいぜ」
「わたしもまったく構わないけど」
続いて鍋を持って入ってきた霊夢が、八卦炉の上に鍋を据える。
「向こうが仕掛けてきたら、それ相応のことはやらせてもらうわよ。その手のことに関してはお互いに遠慮しないのがわたしたちの決まりだから」
「それを聞いてすこし安心した」
妹紅は笑みを浮かべる。
「関係をもっても馴れ合いにはならないというわけだな」
二人は向かい合う形で座り、こたつの四方が埋まる。私は霊夢の膝の上に収まった。
「だが酒は飲むぜ。どんな奴とでも」
魔理沙はそれぞれの猪口に酒を注ぎ、最後に自分の前の猪口に手酌で注いだ。
「ま、とりあえずチビが今回の試練をくぐりぬけたことを祝して乾杯だ」
四人はそれぞれに口元で猪口を傾ける。
中身をいち早く飲み干した魔理沙が言う。
「しかし、レミリアの言うことにも一理はあるぜ。こういうときに酔えない奴がいるのはちょっと残念ではあるからな」
『だが今回はこれを使うのは遠慮しておくよ』
私は蓋を閉じたままのロケットを懐にしまう。
『今日はもうこれ以上何か問題を起こしたくはないからな』
「それに、本当の試練はまだこれからだしねぇ」
霊夢のぼやくような一言に、妹紅は片眉を上げる。
「というと?」
「帰ってきたとき紫がいてね……」
☆★
「霊夢、わたしを人質にしろ」
「人質?」
「そうだ。お前らだけで行くのは絶対に危ない。あのスキマ妖怪は、お前らをまるごと外の世界に放り出すぐらい平気でするぜ」
魔理沙は熱心に言う。
「わたしを連れていけば、その分帰って来れる可能性は高くなる。人が二人も消えたとなれば少なくとも怪しむやつは多くなる」
「それはそうでしょうけど……」
アリスは心配そうに言う。
「人数が多いとかえって面倒なことになるかもしれないわよ。途中ではぐれたりして」
「しかし、霊夢とチビだけで行くのは別の意味で危険ではあるな」
妹紅は猪口の底を見つめる。
「結界の外に出たら能力はどうなるんだ、霊夢?」
「それは紫に訊いたわ。基本的には外の世界の常識に沿う形になるって」
霊夢はこともなげに応える。
「当然、空を飛んだり弾幕を飛ばしたりはできない。神降ろしもたぶん難しいわね」
「チビも同じだな?」
妹紅が確かめるように訊く。
「能力どころか身動きもできないみたいね。人形が自分の意志で動くなんてことは外の世界じゃあり得ないことだし。ただ、わたしとチビの間で話をすることはできるでしょうって。それは傍から見た限りじゃ常識の範囲内だから」
「魔法が使えなくても、わたしにはいろいろと個人的技術があるぜ。優れた探索者としての能力もそのひとつだ」
魔理沙が言うと、アリスは苦笑する。
「それはむしろ侵入者としての能力じゃないの?」
「しかしまあ、同行する資格をもっているのは魔理沙ぐらいしかいないだろう」
と妹紅。
「普通の人間でなければ結界を越えられないだろうからな。同行者をつけるということについて、八雲紫がどう反応するか見てみるのもいいんじゃないか?」
そこでようやく私は口をはさむことができた。
『どうも外に行くこと自体はすでに前提になってるような気がするが……』
「だって、行くんでしょ?」
と霊夢。
『もちろん、手がかりが見つかる可能性がある以上は行きたい。だが、自分が知らない別世界に裸同然で飛び込むことになるんだぞ? そこらへんはちゃんと考えているのか?』
「全然考えてないわ。まったく知らないモノを相手にするのは、特別なことじゃないもの。吸血鬼も冥界の亡霊も月の住人も、会うまではまるで知らなかったし」
「そうだな、それは普通だぜ」
魔理沙はうなずく。
「知らないものはその場ですぐ知ってるものに変わるから、問題ないだろう」
酒を飲んで気が大きくなっている、ということでもないらしい。やはり彼女たちは普通の人間の物差しでは測れないものを持っているのだろう。
夜が更けて、寝間に人数分の布団が敷かれたあと、妹紅と魔理沙が先にやって来て寝支度をはじめた。妹紅は相当に酔ってしまったらしく、魔理沙に手伝ってもらいながら服を脱ぎ、寝床に入った。
私が柱の横でおとなしく待機していると、下着だけになった魔理沙がいきなり眼の前に現れた。あわてて視線を下に向けると、両手で抱き上げられる。
「チビ、お前……」
声が低くなる。
「フランに言われたこと、気にしてんじゃないだろうな」
『気にしてないが、意味を考えてはいる』
私は眼を閉じたまま答えた。
「わたしは自分の好きなようにやっているだけだぜ。それは是非とも覚えていてくれよ」
『……分かってるさ』
「それとな……」
息を深く吸い込む音が聞こえた。
「『好き』とかいう言葉を軽々しく使ってはいけないぜ。お姉さんからの忠告だ」
それから私の身体を元の場所に下ろすと軽い口調で「おやすみー」と言って布団に入っていった。
『おやすみ』
魔理沙の耳に私の声がどう聞こえているかはあえて考えないことにした。
やがて片付けを終えたらしいアリスと霊夢がやって来た。アリスは霊夢に白い寝間着を借りて着替え、霊夢も同じ寝間着をもう一着出した。
アリスは私のそばにやってきて、外の世界では霊夢や魔理沙に無茶をさせないようにね、と言った。
「たぶんあなたが不自由な分、頑張ろうとするだろうから……」
『かもしれないな。ただ、こちらの言うことを聞いてもらえるかどうかは分からない。子供たちの行動も抑えられないぐらいだからな』
「あら、昼間の件が尾を引いてるの? だいじょうぶよ、あの二人は」
アリスは優しく微笑むと、小声で付け加えた。
「その点は貴方は自信を持っていいはずよ」
おやすみを言い合ってアリスが床に就くと、着替えた霊夢がやって来て私を抱き上げた。いつもは枕の脇に横たえられるのだが、霊夢は私を胸に抱いたまま布団の中に入った。
「…………」『…………』
しばらく黙ったままだったが、私は眠くならなかった。霊夢が目覚めたままだったからだ。そのことはお互いに分かるため、私は待った。
やがて霊夢はぽつりと言った。
「わたしはわたしのために行くんだからね」
『そうか』
「……おやすみ」
『おやすみ、霊夢』
やがて穏やかな闇が、私たちを包んだ。
~その13に続く~