V.杖について
「ん、ん~」
アダはゆっくりと目を覚ました。この屋敷の布団は寝心地が良すぎて、いつも寝すぎてしまう。〈ヴェヒターの結界〉に起こされるのは朝の日課となった。だが、今日は自分で起きた。なんだか、嫌な予感がしたのだ。
「……アダ様、起きられたのですね」
〈ヴェヒターの結界〉も、アダが自分で起きたことに驚いたようだ。
なんだが急いでいるように見える。
「なんかあったのか?」
「襲撃者です。アダ様は絶対にバルコニーや庭に出ないようにしてください」
それだけ言い残すと、〈ヴェヒターの結界〉は走っていった。
嫌な予感がすると思ったら、そういうことだったのか。
「……行っちまった」
とりあえず、アダは普段着に着替えて、食堂に降りた。時折、何かがぶつかるような音がする。
(アレクシア……だっけか、もチョー強いっつってたけど、ちょっと心配だな)
「まぁ、何とかするだろ、アイツなら」
早めに起きて、あまり腹は空いていなかったので、辞書を開いた。
「……んー、やっぱむずい」
いろんな言葉がある。〈光明の英雄〉は目標、と言っていたがアダにはまだ明確な目標がない。〈英雄〉になるために頑張るしかないのだ。
「はー、流石に腹減ったなぁ」
(料理はできなくはねぇし、やってみるか)
アダは食堂に向かった。
◇◆◇
「只今戻りました」
カチャリと扉が開く。そこには〈ヴェヒターの結界〉がいた。
白い肌や服には鮮赤色が飛び散り、服はいくつか破れている。血は全て返り血らしい。
「なんでそんな血だらけなんだよ!血が食料についたら終わりだろ!?馬鹿なのか!?」
「あぁ、すみません。あまり自分ではどうも思わないもので。……ところで、何かお作りになられていたのですか?」
〈ヴェヒターの結界〉は少し微笑んで「とてもいい匂いがしますが」と言った。
「あぁ。勝手に食材使ったけど」
「いえ、別にそれは構わないのですが、アダ様は料理ができたのですね。少し意外です」
「見様見真似でやるのは得意なんだよ。というか、いつまでそこにいるつもりだ!血の匂いが染みつくだろうが!早くふ――じゃなくて、湯浴み入ってこい、〈ヴェヒターの結界〉!」
「……すみません」
「出てきたら食えよ」
鍋をグルグルとかき混ぜつつ言った。顔を見なくていいようにするための言い訳だ。ちょっと照れくさいのである。
「……よろしいのですか?」
アダが〈ヴェヒターの結界〉を見上げると、とても驚いた顔をしていた。
基本的に無表情の〈ヴェヒターの結界〉もたまに感情が出てくる。
「……お前に食ってもらうためでもあるし」
(あー、顔が熱い)
きっと、鍋から出ている湯気のせいだ。アダは自分にそう思い込ませる。
「……ありがとう存じます、アダ様」
「早くしろよ……ルネティア。……え、とその、さ、冷めるしな!」
ルネティアは大きく目を見開いた後、小さく「ふふっ」と声を漏らす。
「なっ、なんだよ!」
「いえ、妹か弟がいることがあれば、こんな風だったのかもと思いまして」
扉が閉まる直前、ルネティアの寂しい表情が見えた。
「そんなこと、あるはずがないのにね」
◇◆◇
「只今戻りました」
帰ってきたルネティア。服は何着か同じものがあるらしく、いつも通りだが髪は濡れていた。青緑色の髪からポタリと雫が落ちる。
「お、お前、髪そんなに長かったのかぁ……!?」
「そんなにといわれましても」
ルネティアの髪は肩より短いと思っていた。
だが、本来はウルフカットで、他の胸のあたりまで伸びている髪を三つ編みにしていただけらしい。
「……髪の長さが変わると、雰囲気も変わるんだなぁ」
「そうですね。アダ様は髪、伸ばしますか?」
「いや、いい。邪魔だし」
「珍しいですね」
「そうなのか?」
ルネティアは「はい」と頷く。どうやら、貴族女性の髪の長さは重要らしい。髪が短いと、結婚の意思がないと思われるそうだ。だから、髪の長い女性の方が多いのだそうだ。
(別にどっちでもいいんだけど。っていうか、俺にはそんなの無縁だろうし)
「そういうお前は、結婚したい、とかあるのか」
「いえ、全く。どうでもいいと言いますか」
「ふーん」
(このまま、〈光明の英雄〉様みたいになったら、俺みたいな養子を見つけなきゃなんねぇのかなぁ)
「……ん、食べるぞ」
「アダ様も食べるのですか?」
「お前は俺を殺す気なのか」
「いえ、もうお食べになられていたと思っていましたので」
「一人よりかは、二人の方がいいだろ」
アダとルネティアは手を握って祈り、食事を始めた。
「……とても、美味しいです。いい匂いでしたので、予想はしていたのですが、想像以上でした」
「……それなら良かった、けど」
恥ずかしくなって、アダはルネティアから目を背けて食事を口に運ぶ。
「……」
しばらくすると、急にルネティアが窓の方を向いた。
「なん――うわっ!」
窓をすり抜け、何かがヒュンッと入って来た。高速でやってきたそれは、真っ直ぐルネティアを目がける。
そして、ルネティアの腕にとまった。
『やっほー、ルネティア、アダ』
それは確かに〈光明の英雄〉の声だった。だが、ここにいるはずがない。
よく見ると、ルネティアの腕にとまっているのは〈光明の英雄〉の魔石獣の犬だ。孤児院からここに来るときに一度だけ乗ったことがある。
『アダのことなんだけど、そろそろ杖の取得をさせようかと思ってねー。明日の陰二の刻から始めるから、貴族学院向かってね。よろしく~!』
そう言うと、魔石獣はぐるぐると形を変えて戻って行った。
「……急に言いすぎですよ」
ルネティアはブツブツと文句を言いつつ、「アレクシア」と自身の魔石獣を呼び出す。
室内だからだろうか。初めに見た時より随分小さい。アダの身長は軽く超えていたはずなのに、これでは抱えられるくらいだ。
「アンジェリーネ様に『かしこまりました。次からはもっと事前に言うか、予定を先の日に伸ばしてください』と」
『了解~!』
そう言うと、アレクシアは先程の魔石獣と同じように窓から飛んで行った。
「……魔石獣って便利なんだな」
「えぇ。元々は情報伝達の用途でつくられたものだそうですけど」
そう言って、ルネティアは最後の一口を口にする。
「さ、明日の説明でもしましょうか」
「……杖の取得って何だよ?」
「これです」
ルネティアがスッと手を前に出すと、瞬時に杖が手に乗る。
「成年貴族ならば、誰もが持っているものです。本来ならば貴族学院で入手するものなのですが、〈英雄〉の一族とロデス家は例外が認められているのですよ」
「へぇ」
「これを明日、入手していただきます。私も同行するので、問題はないかと」
(まぁ、ルネティアがいるなら安心だろ)
そうアダが思っていたのは、この日までである。




