II.〈英雄〉の屋敷
『ルネの言った通り、コレ屍体魔獣だぁ』
「うん。消滅には時間がかかりそう。放置でいい?」
『うん〜、いいと思うよぉ』
アダは目の前で繰り広げられる会話に、ついていけなかった。
使用人が着るような服とはまた違ったお着せを着ている〈ヴェヒターの結界〉ルネティア・ロード・ロデス。その魔石獣、アレクシア。
アダは十歳になるかならないかくらいの孤児だ。年は数えていないので、適当である。
ただ、平民のほとんどには持たざる魔力があっただけ。アダ、とはそういう人間なのだ。言うなれば、〈英雄譚〉の中で〈英雄〉に助けられた孤児の一人。目立たず、名前も出ず。ただ、助けられた孤児、という役――だったはずだ。なのに、〈光明の英雄〉に連れられて、アダは今ここにいる。
「おい! 俺をおいて会話すんなっ!」
いつまでも意味の分からない会話にしびれを切らし、アダは大声を上げた。
大声に驚きもせず、顔をこちらに向けた〈ヴェヒターの結界〉は「いたのですか」と言わんばかりに無表情を貫く。
『ルネ、もう最近は寒いし、中に入ろ?』
「魔石獣は温度差を感じないんじゃ?」
『アダちゃんがいるでしょうが。自分一人じゃないんだ。ちゃんと考えてあげなよ』
「……分かった。アダ様、お屋敷へ」
〈ヴェヒターの結界〉は玄関の横に移動してアダの方を向いて礼をする。
「ようこそいらっしゃいました、アダ様。〈英雄の一族〉ヴェヒター家が屋敷へ」
(……〈英雄の一族〉)
アダは〈光明の英雄〉に助けられた。今その人の屋敷にいることが信じ難い。とは言っても、屋敷の主はいないのだが。
〈ヴェヒターの結界〉がドアを開け、アダたちは中に入る。
『んじゃ、あたしは戻るよ。あんまりアダちゃんを困らせないであげてね、ルネ』
「善処する」
そのとき、魔石獣が光になって、それが〈ヴェヒターの結界〉に吸い込まれる。
(これも、貴族のヤツらが独占してるもんってことか?)
ちょいと昔に孤児の待遇がマシになって、神殿なるものができたが、そこに住めたのは光の魔力保持者だけだ。俺が持ってたのは火、風だけ。神殿に住める資格はない。昔と同じように孤児院に住んでいた。
平民、ましてや孤児なんかが貴族の技術を教えてもらえるわけがない。教えてもらったのは魔力を封じ込めることだけだった。
「アダ様」
「うぇっ!」
考えながら足を動かしていたので、急に立ち止まって振り返った〈ヴェヒターの結界〉にぶつかる。〈ヴェヒターの結界〉は驚きつつも、「汚い孤児が」と蔑むこともなく首を傾げる。
「湯浴みか、お食事、どちらからがよろしいでしょうか?準備する間は質問を受け付けます」
「あの、湯浴みってな――?」
――ぐぅううう
腹が盛大になり、〈ヴェヒターの結界〉は再び前を向いて歩き出した。
「では、先にお食事、ということで」
(なんか俺、すげぇ恥ずかしいじゃねぇか!)
顔が熱い。絶対に真っ赤になっているのがアダ自身でも分かった。
「では、最初の質問の答えですが」
「は? 最初の質問?」
「湯浴みとは、です。湯浴みとは風呂のことです。それくらいはご存じですか?」
「まぁ、それくらいなら」
風呂は高級だ。水を温めて、それを大きい容器に入れて、それに入る。その水を用意するのが大変だし、勿体無い。
アダは孤児院の先生の機嫌がいいときに、一度だけ入ったことがある。冬だったので、物凄く温かくてポカポカしたやつだ。
〈ヴェヒターの結界〉は特に振り返ったりはせず、淡々と歩みを進める。
「こちらです」
〈ヴェヒターの結界〉が扉を開け、中に入った。
台所とダイニングが隣にあって、孤児院と似た形式だ。豪華さや清潔さは全く違うけど。
「厨房と食堂です。食事を作るので、椅子に座っていてください」
〈ヴェヒターの結界〉が椅子を引いた。
(俺、貴族になった気分だ)
椅子は自分で引くものだ。こんなこと初めてである。ないことの方が多いだろう。
アダが椅子に座ると、〈ヴェヒターの結界〉は台所に移動する。
「食べられないものなどはございますか?」
「ない」
「左様ですか」
アダは即答した。
食べられないものなどあってたまるか。孤児院では食べられるものすら少量に限定されるのに、それを食べないなど言語道断だ。
〈ヴェヒターの結界〉が野菜を切りながら、器用に口を開く。
「質問をどうぞ」
「……〈光明の英雄〉様は、どんな人だ?」
「やはりそこからですか。〈光明の英雄〉様は表向きの〈英雄〉として人々を助けておられます。この屋敷に帰ってくることは、ほとんどありません。正式に〈英雄〉になられてからはこれで、四度目でしょうか」
「よ、四度目!?」
この屋敷にいれば、〈光明の英雄〉に会えるかと思っていたが、会える機会は少なそうだ。
「俺は、なんでここに連れてこられたんだ?」
「……そこからですか?」
〈ヴェヒターの結界〉が初めて感情をあらわにする。呆れ顔だ。
だが、知らないものは知らない。〈光明の英雄〉は魔族に襲われていた孤児院を救ってくださった。皆が、救ってくださった〈光明の英雄〉に集まっていたが、アダはその輪に入らなかった。でも、わざわざアダの方に歩いてきて、聞いた。
――君の世界はどんなものだ?
「全てご説明いたしましょう」
〈ヴェヒターの結界〉によると、アダは次代の〈英雄〉らしい。次の〈英雄〉になるための教育をして、その後に貴族学院に行く。
「はぁ!? 意味わかんねぇって!」
「説明いたしましたが? 説明不足でしょうか?」
「あぁ、そうだよ! なんで俺は次代の〈英雄〉になったんだよ!?」
〈ヴェヒターの結界〉はしばらく考えてから、口を開く。
「まだ貴女が次代の〈英雄〉と決まった訳ではありません。この後、正式にトイフェル様の立ち会いの元、貴女が〈英雄〉なのかを判断いたします。要するに、素質があるか否か、です」
「……〈英雄〉じゃなかった場合は?」
「私ならば、捨てるでしょうね。ですが、アンジェリーネ様は慈悲深いので、このまま使用人として働いていただきます。まぁ、そちらに適正がなければ、孤児院に戻すでしょうけど」
アダは血の気が引いた。
(せっかく、連れだして貰えたのに!もう、あんな場所には、戻りたくない!!)
今更そう願っても、結果がどう転ぶかなんて分からない。そう思い、そのことから目を逸らした。
「その、トイフェル……様ってのは誰だよ?」
「〈光明の英雄〉様とは対の立場にある〈孤影の英雄〉トイフェル・ヴェヒター様。血縁上は従弟、だったでしょうか」
〈ヴェヒターの結界〉が思い出すように言った。
しばらく無言になり、アダは次の質問を考えた。すると、〈ヴェヒターの結界〉が急に玄関の方を向き、呟く。
「……帰ってきましたね。アダ様、しばらくここで食べていてください」
そう言って、〈ヴェヒターの結界〉は机に食事を置いて早足で部屋を出ていった。
(……〈ヴェヒターの結界〉は気配とかなんかで分かんのか?)
帰ってきた、というがこの広い屋敷でどうやってそれを感知するのだろうか。
アダは考えることをやめ、パンを口に運ぶ。
(柔らけぇっ!)
パンというのはボサボサしていてところどころ青緑色になっているものだ。〈ヴェヒターの結界〉の髪色みたいな。
だが、これは淡い茶色で、とてもふわふわしている。
アダは感動して、ムッシャムッシャとパンを食べつくした。
しばらくして、ノックの音がした。
「失礼いたします、アダ様」
〈ヴェヒターの結界〉と共に男が部屋に入ってきた。
(……なんというか、本当に暗いヤツだな)
男は黒髪だ。一部は腰まで伸びているが、長さが揃っていない。
猫背のせいで、髪が前に垂れており、顔もろくに見えない。
だが、スラリとしていてやたらと身長が高い。猫背でもそう思うのだから、本来はもう少し高いのではないだろうか。
「トイフェル様、先程申し上げました、アダ様です。アダ様、こちらは〈孤影の英雄〉トイフェル・ヴェヒター様です」
「……アンジェリーネから聞いた。儀式を行う。準備をしておけ」
「かしこまりました、トイフェル様」
〈ヴェヒターの結界〉は綺麗に礼をし、〈孤影の英雄〉は部屋を出て行った。
「アダ様、まだ食事を食べていてください。私は準備をしますので」
「……分かった」
〈ヴェヒターの結界〉も部屋を出ていき、アダは一人で食事を再開した。少しだけ、寂しいと思ってしまう。そんな自分には驚いた。
(あんなクソみたいなヤツらですら、寂しいと思うのか)
アダは黙々と食事を食べ、完食した。しばらくすると、〈ヴェヒターの結界〉が戻ってくる。
「アダ様、準備が完了いたしました。いらしてください」
「あぁ」
アダは頷き、椅子を降りる。〈ヴェヒターの結界〉が何も残っていない皿を見て呟く。
「……全て、食べられたのですね」
「え? あ、あぁ。美味かった。あんな美味いもん、あるんだなぁ」
「それは光栄です」
〈ヴェヒターの結界〉は無表情ながらに、少し微笑んでいるような笑みを見せた。
そうして、歩き階段を登った先。この屋敷の三階だ。部屋は一つ。
(変な造り)
「来たか」
中に入ると、既に〈孤影の英雄〉がそこにはいた。
部屋は真っ暗だ。だが、真ん中にある円形の何かだけは、光っていた。
「アダ……だったか」
「あっ、えーと、はい」
「魔法陣の中心部に立て」
言われるがまま、円形の何か――否、魔法陣の真ん中に立つ。
「――、―――」
〈孤影の英雄〉が何かをブツブツと呟き始めた。
どんどん、魔法陣の光が強くなっていく。
(コレ、ホントに大丈夫なのかっ)
「――アダ」
〈孤影の英雄〉がそう呟いた瞬間、パァンと光が弾けた。
そのとき、〈ヴェヒターの結界〉がパチンと指を鳴らし、部屋に明かりが灯る。
コツコツとゆったり歩いてきた。
「おめでとう存じます。アダ様、貴女は正式に、次代の〈英雄〉となることが決定いたしました」




