第8話 5人兄弟の長女
凪山家の騒動から一夜明けた朝。台所からは三人分の湯気が立ちのぼっていた。アイはメイド姿で、手際よく味噌汁を作っている。その横で俺とのぞみは茶碗や湯呑を並べ、食卓の準備を進めていた。
箸を取り、ようやく三人揃って食事を始めようとした時――のぞみは指を組んだまま、ぱちりと目を開き、「あっ……」と何かに気づいたような声を出した。
「もう神様にお祈りしなくていいんだよね」
「そうだな。これからは自由だ。でも、この食べ物を育ててくれた人たちに感謝するのはいいと思う」
「そうね。アイに感謝しなさい」
そんなつもりで言ったわけではなかったが、料理を作ってくれたアイには素直に頭を下げ、礼を伝えた。
「はぁ……学校、やだなぁ」
のぞみが小さく呟やいた。
月曜日。週の始まりはいつだって憂鬱だ。寝起きには「もう死にた……」と口をつきそうになり、慌てて噤んだ。
そんな時は唯瀬さんのことを思い出し、自己愛を奮い立たせるようにしている。
「中学校、遠くなっちゃったし、転校する?」
「転校しようかな。どうせ友達いないし、心機一転ってことで……でも、この時期に転校しても友達できる気がしないよ」
「アイなら潜り込めない? のぞみが一人じゃかわいそう」
「私のことなら大丈夫だよ。慣れてるから。それにアイさんが中学生になったらすごい目立つよ」
「アイにはサトルを観測する任務があるもの。ダメよ」
転校するならゴールデンウイーク明けがちょうどいいだろう。手続きもあるし、確認しておこう。
やがて食事を終えたのぞみが「いってきまーす」と家を出ていった。俺も登校の準備を始めようとしたところで、アイに呼び止められる。
「スキャンさせてくれる?」
「ああ、いいよ。昨日いろいろあったしな」
向かい合い、少し屈んで額の高さを合わせる。妙に照れくさい。
「そういえば、セクハラ男の時は手をかざしてスキャンしてなかった?」
「額を合わせるなんて、あんな男とは絶対に嫌よ。でも深く繋がるには必要なの」
アイは顔を近づけ、額を合わせる。前回よりも長い時間がかかる。
やがて額を離すと、彼女は一歩踏み出し、ふわりと後ろ髪が頬を撫でた。気づけば彼女の腕に包まれていた。甘い香りが鼻先をくすぐり、肌に伝わる温もりに胸が高鳴る。
――これはスキャンなのか、それとも。
固まる俺を残し、アイはさっと離れて背を向けた。
頬が赤く見えたのは気のせいだろうか。問いかけようとした瞬間、彼女が先に口を開いた。
「これは愛ね。家族愛。探していた愛だけど、まだ足りない。だから、これからも頑張って」
「さっきの抱擁は……何だったんだ?」
振り向いたアイは、少し戸惑うように答える。
「未来では統合AIとリンクしていたから、人間の愛を忘れていた。でも、こっちに来てリンクが切れて、断片的に記憶を思い出すようになったの。最近、自分でもよくわからなくなっている時がある。どれが元々もっていた記憶や感情なのか。今の抱擁は……あなたの家族愛を感じて、堪らなく愛おしいと思ったから」
「べ、別にあなたのことが好きとか、そういうんじゃないんだからね!」
ツンデレ。未来でも流行は繰り返すらしい。急に可愛らしい一面を見せられ、戸惑う俺。
「また抱きしめてもらえるなら、愛を探すの頑張っちゃおうかな」
「何期待してるの。真面目にやりなさい。切るわよ」
サーベルに手をかける仕草に慌てて弁明し、ようやく落ち着いた。
今日は家を出るのが遅くなってしまった。
ここ一週間、部活の朝練のような時間に登校していたこともあり、昨日の出来事の疲れがまだ身体に残っている。
重い足は言うことを聞かず、歩みは自然と遅くなる。
最寄り駅へ向かう途中、ふと視線の先に見覚えのある金髪の女性が立っていた。
あの公園――アイが来た翌日にミレナに襲われた場所。そして彼女はその時、4人の子供を連れていた人物だ。今日は男の子1人だけを連れている。
立ち止まった俺に気づいたのか、彼女の方から声がかかった。
「この前、逃げるように言ってくれた人だよね。遊具が潰れたのを確かに見たんだけど、気になって戻ってきたら元に戻ってたんだよ。……何があったか知ってる?」
「実は潰れた遊具は並行世界のもので、この世界の遊具は無事だったらしいって隣の子が言ってました」
アイに聞いた通りに答えた。理解はできないだろうけど。
「何それ、意味わかんない」
驚きとともに、楽しげに笑っている。冗談だと思ったのだろう。
「その制服同じ高校なんだ。何年生?」
2年生と答えると、彼女も同じ学年の2組、つまり隣の組だということもわかった。
だがこの時間に登校していないのは気になる。
「今日はゆうちゃんがお腹痛いって保育園を休んだから、私が面倒みることになったんだよ。でも外で遊びたいって言うからここへ来たとこ」
彼女は公園で一人で遊ぶ男の子を見ながら言った。
「学校着いたらウチの担任に休むって伝えておいてもらえない? いつものことだから何も言わないよ。――名前言ってなかったね。私は大沢沙理。よろしく」
「俺は凪山サトル。こちらは同じクラスのアイ、休むって伝えておくよ」
「アイさんて双子だよね。ほんと似ててウケる」
見た目は金髪にピアス、ジャージ姿でヤンキー風だが、話してみるとそうでもない。
それに歳の離れた4人の弟妹の面倒をみて一緒に遊ぶ姿を見ているので、好印象を持っている。
電車は通勤ラッシュの時間帯。座ることもできず立ちっぱなしのまま目的の駅に着いた。
「アイ、ここから一瞬で学校まで飛べない?」
時間を跳躍する技術があるくらいだ。額に指を当てて行先を思い浮かべるだけで瞬時に移動できる技術があってもおかしくは無い。
「おんぶとお姫様抱っこ、どっちがいい?」
実際やってもらったら早いとは思う。しかしその光景を想像して丁重に断り、歩き始める。
学校ではまず職員室に寄った。2組の担任を見つけて、近所で会った大沢さんの欠席と理由を伝える。
「また休みか。この調子だと授業時間が足りなくて留年しないか心配だな。大沢とは仲がいいのか? できれば届けてほしいプリントがあるんだが、帰りに職員室に寄ってくれないか」
大沢さんは学校を休みがちのようだ。弟妹のお世話が大変なのだろう。
大沢さんの住所を知らないことを伝えると、教えていいか確認しておくとのことだった。
教室の席に着くと、唯瀬さんに「今日は珍しく遅いね」と茶化される。
唯瀬さんと一緒にいると安心する。信頼できる。でも同時に嫌われないようにしないと、とも考えてしまう。こんな話をしたらまだ理解してないと怒られそうだけど。
授業をまじめに受けて昼休み、陽翔と弁当を食べながら聞いてみる。
「2組の大沢さんって知ってる? ご近所らしくて、プリント届けるように言われたんだけど」
「知ってるよ。大沢は女子バスケ部だから何度か話したことあるし、バスケがうまかったな。でも学校早退したり休みが多かったりで、部活にもあまり顔出してないみたい」
近くにいた唯瀬さんにも聞いてみた。
「あまり知らないけど、不良であまり学校に来てない。居ても数時間って噂を聞くくらいかな」
事情を知らない大半の人には不良と思われていそうだ。容姿だけ見たらそう思うかもしれない。
帰りに職員室でプリントを受け取ると、その厚さと重みに休んだ授業の多さに想像がつく。
中を覗くつもりはなかったが、テストの点数が見えてしまった。――22点。先生が心配するわけだ。
放課後、アイと共に大沢さんの家へ向かう途中、アイが前を向いたまま「尾行されている」と警告する。
振り返ってみると遠くで咄嗟に隠れる人影が見えた。
もし危害を加えてくるようだったら対応をお願いして、先を急いだ。
尾行されるようなことに、思い当たる節は無い。ただ同じ方向に向かっている人の可能性も捨てきれない。
大沢さんの家に着くと、彼女とその弟妹が迎えてくれた。プリントを渡すと、子供達は一斉に声を上げ、場は賑やかに混乱する。
その瞬間――背後に影が差した。
尾行の目的は、この家を突き止めることだったのか。
振り返ると、そこに立っていたのはミレナ。
あの日の公園の因縁が、再び揃った。
頭の中で警鐘が鳴り響き、反射的に子供を背に庇うように前に立った。




