第7話 決別
この小説はフィクションであり、実在の人物や団体とは関係ありません。
どうして――。
俺は混乱していた。あんなに辛そうだったのに、またあの家へ戻るなんて。母から何か連絡があったのか。わからない。
だが、今日俺は母に会う。集会にも乗り込み、セクハラ男に制裁を加える。そして必ず妹を取り戻す。
「おはよう」
目を覚ましたアイと挨拶を交わし、残されたメモについて情報を共有する。
「お願いがあるんだけど……今日の集会、付いてきてくれないかな」
「いいわよ。アイも、セクハラ野郎は許せないから」
「アイの記憶のスキャンで、そいつがのぞみに何をしたかって分かる?」
「相手に思い出させた状態でスキャンすれば可能よ」
心強い。これなら嘘をつかれても見破れる。俺は制服に袖を通し、決意を胸に会場へ向かった。
「母さん、久しぶり」
集会場の前に母を見つけ声をかけた。
「久しぶりね。また教えに興味を持ってもらえて嬉しいよ。神様も喜んでおられるわ。そちらの子はお友達かしら。興味があるようだったら一緒に個別勉強してみない?」
母は早速布教活動を始めている。その背後にのぞみがいた。驚いた顔を見せ、すぐに気まずそうに目を伏せる。
会場へ入ると見覚えのある人もいて、握手を交わして迎えられる。
会場内は笑顔で満ちていて、出席への感謝、布教活動の労い、健康への配慮など思いやりのある言葉を交わしあっている。
ここに心に傷を抱えた者が来れば、たちまち救われたような気持ちになるだろう。
だが、その裏に潜む影を俺は知っている。
集会が始まる。聞き覚えのある賛美歌を歌い、祈りを捧げ、壇上にいる男性の話が始まる。
「今日は100人以上の方にお越しいただきました。今日の特別な日に皆さんと集まれたことを大変嬉しく思います」
その話を聞いて気づいた。今日はこの宗教にとって一年で一番大事な日。神の子の死に感謝する日だ。
この日はそこまで信仰心が無い人でも集会に参加するので人数が多い。俺やアイがいても不思議がられないのはその為だ。のぞみが引き戻された理由でもあるかもしれない。
集会が終わると、また和やかな雰囲気でそれぞれ会話を楽しんでいる。
俺はのぞみから聞いていた長にあたる人物を見つけ、話がしたいと声をかけた。
「話しづらい内容なので、個室でもいいですか?」
個室に移り、会場の楽しそうな話し声が遮られ、静かな空気が流れる。
「単刀直入に聞きます。あなたはのぞみにセクハラをしましたか」
俺は長に問いかけた。柔和な笑みを貼り付けた男は首を振る。
「そんなことするわけがないでしょう。私は神の教えに背くことは絶対にしません」
「のぞみ本人が言っているんですよ」
「家族の気を引きたかったのでしょうか。しかし嘘は罪です。本当なら悔い改めをしてもらわなければなりませんね」
その言葉に、俺の拳は震えた。もう会話は無駄だ。
「アイ、お願い」
そう言うとアイはその男の額に左手をあて、扉に押さえつけた。男は抵抗して両手でアイの手をどかそうと試みるも動かせない。
「のぞみちゃんと二人きりでそれぞれ同じ本を読んでいる……これが個別勉強かしら。……マッサージをしてあげると言って嫌がるのぞみちゃんの体を触っているわ。それ以外は――」
「もういい!」
そう言って俺は強く握っていた拳を怒りに任せて振り上げた。するとアイはそれを右手で受け、その力も利用して回し蹴りを男の顔面に叩き込んだ。
男は扉を破って会場のパイプ椅子の上に豪快に落ち、鈍い衝撃音と金属音が響いた。
「サトルの拳を痛めるほどの価値も無い男だったから、代わりに蹴り飛ばしておいたわ」
「俺よりアイがやった方がダメージ大きかったし、ありがとう」
壇上に立ち、俺は男を指さして叫んだ。
「この男は個別勉強と称して女の子にセクハラをしています! 騙されないでください!」
会場は長が仰向けに気絶しており大騒ぎだ。それには目もくれず母のところへ行く。
「のぞみが被害に遭ってたんだよ。助けを求められたでしょ。何で聞いてあげなかったの?」
「そんなはずは……あの方は神に選ばれた方で、そんなことするわけが……」
まだ混乱しているようだ。一緒にいたのぞみは「ありがとう」と伝えてくれた。
場所を変えて話し合うことになり、4人で近くのファミレスに移動した。お昼時が終わり、店内は閑散としている。
「俺は母さんがあの宗教を続けて、のぞみにも強要するなら……のぞみを引き取るよ。うちで一緒に暮らす」
テーブルの上で握りしめた拳が震えていた。母は眉を吊り上げ、声を荒げる。
「辞めたら地獄行きになってしまうの! 楽園にいけなくなるのよ! 辞められるわけないじゃない……のぞみはどう思うの?」
「私は……お兄ちゃんと暮らしたい」
「のぞみっ!」
母の手が振り上げられる。反射的に俺はその手を払いのけた。乾いた音がテーブルに響き、空気が張り詰める。
「母さんがしてることは虐待だよ」
「これは……のぞみが道を踏み外さないためにやってるの。のぞみのためなのよ」
母の目は狂信に濁り、揺るぎない。救いようがないと悟った。
「わかった。のぞみはうちで預かる。父さんに頼んで、親権も変えてもらう。のぞみの背中に虐待の証拠もあるから、通ると思う」
「やめて! 私ののぞみを取らないで!」
母の叫びは店内に反響し、空席ばかりのファミレスが一瞬、異様な空間に変わった。
「お母さん、私と神様、どっちが大事?」
のぞみの声は震えていたが、瞳はまっすぐ母を射抜いていた。
「神様よ。私達はまず第一に神を愛さないといけないの」
「――お母さんには神様がいるから、私はいなくても大丈夫だよね」
無理やり作った笑顔のまま、のぞみの頬を涙が伝う。グラスの水面が揺れ、俺の胸も締め付けられる。
「違っ……」
母の声は掠れ、言葉を失った。
「俺が小さい頃、母さんは2人も子供がいるのに子育てとパートで苦労してたのを知ってる。父さんは仕事で家に全然いなかったから、大変だったと思う。育ててくれてありがとう。……生んでくれてありがとう、とまではまだ思えないのは不甲斐ないんだけど、それでも母さんには感謝してる」
言葉を吐き出すと、母は黙り込んだまま。沈黙がテーブルの上に重く落ちる。
「俺が言いたいのはここまでだ……さあ、帰ろう」
アイとのぞみにそう促す。母が考えを変えることは絶対にない。
「お兄ちゃん、ごめん。ちょっとお母さんと話したいから……先に行ってもらえる?」
本当は一緒に帰りたかった。だが、のぞみの瞳に宿る決意を見て、俺は「わかった」とだけ返し、背を向けた。
家に戻っても、不安は胸を締めつけ続けた。のぞみは長くあの宗教に身を置いていた分、振り切れない部分があるのかもしれない。焦燥が心を蝕む。
「アイ……どうしよう。のぞみが戻ってこなかったら」
「信じて待つしかないわね。男ならメソメソしてないで」
「男ならって、ジェンダーフリーを掲げたのこの時代で既にやめようねってなってるのに、未来でもそんな感じなの?」
「それより、親権の話なら父親に連絡した方がいいわよ」
父さん――。長らく連絡を絶っていた存在。快く思っていないなら、親権の話をしても受け入れてくれないかもしれない。
なぜ父は、俺たちと距離を置き続けてきたのか。その疑問を胸に抱えたまま、俺は電話をかけた。
「もしもし、父さん……久しぶり」
「おう、どうした」
「のぞみが母さんに宗教絡みで虐待されてて、うちで一緒に住むことになったんだ。それで親権の変更を考えてほしくて電話した。証拠もちゃんとある」
ぶっきらぼうな声。だが、返答は短くも確かなものだった。
「わかった。しばらく海外だけど、考えとく」
「ところで……小さい頃、なんで俺たちを避けてたの?」
つい聞いてしまった。親権は父にあった方がいいという、確証が欲しかったのかもしれない。
「……あの頃は仕事が忙しくて、まあ今もなんだが、体調を崩して薬飲んでなんとか働いてたんだ。帰った頃には全員寝てて、みんなが起きる前に家を出てたし、海外も多かった。何年かしたら今度はあいつの宗教活動でお前ら2人とも取られちまって……ますます仕事にのめり込むようになった。避けていたわけじゃない。ただ余裕がなかったんだ。父親らしいことできずに……申し訳ねえ」
「いつも働いてくれてありがとう。今度、仕事のこととか教えてよ」
「おう。それじゃあな」
こんなに父と話したのは久しぶりだった。父に拒絶されていたわけではなかったことがわかり、安堵感が込み上げる。
妹の一件がなければこうして父と話す機会もなかっただろう。悪いことばかりではなかった。
◇
「お母さん、私はお母さんのこと大好きだよ。だからお母さんについてきた」
「だったらのぞみも私と一緒に楽園を目指そうよ」
「……確かに楽園に行けるなら行きたいよ。いいところだもんね。でも私は、今幸せになりたいの」
「地獄へ落ちるわよ」
「それは怖いな。でも今の状態も地獄みたいだから……私は行くよ」
「今までありがとう。楽園が来たら、お母さんにはそこで幸せに暮らしてほしい」
のぞみの涙は止まっていた。袖で目元を拭い、静かに席を立つ。もう、振り返らない。
◇
「まだのぞみが戻ってこない。遅すぎるんじゃないか? そんなに話すことないだろ……」
俺は焦っていた。引き止められてしまったかもしれない――一緒に帰るべきだった。
その時、チャイムの音が響いた。
「のぞみ!」
玄関の扉を開けながら叫んでいた。そこには大きなスーツケースと並んだのぞみの姿があった。
「これからよろしくお願いします。お兄ちゃん」
喜びのあまり、童心に帰って飛びつく。
「もう絶対出てくなよ!」
「ちょっと重いよお兄ちゃん」
こうして凪山家の騒動はのぞみの晴れやかな笑顔で幕を閉じた。




