第5話 突然の訪問者
自室へ戻ると、ふと考え込んでしまった。――自分を愛するとはどういうことだろう。
難しいけれど、今の自分にも良いところはあるはずで、それを認めて少しずつ好きになっていく。そんな感覚なのかもしれない。
唯瀬さんのおかげで、自分を変えようというきっかけを得られた。
そんなことを考えていた時、玄関から物音がした。リビングへ向かうと、買い物袋を抱えたアイが帰ってきていた。
「買い物行ってくれたんだ。ありがとう。また料理作ってくれるの?」
「うん。そういえばアイは料理得意だって思い出したのよ」
彼女は手際よく食材を冷蔵庫へ詰め込んでいく。その姿は妙に家庭的で、少し安心する。
「そういえば面接はどうだった?」
「明日から登校することになったわ。喜びなさい。同じクラスよ」
二日連続で転校生が来るなんて、何か特殊な力でも使ったのだろうか。
「知人が虐めに遭っていて、助けたいから同じクラスにしてと頼み込んだの。妹みたいに精神干渉の機能が使えたら楽だったんだけど、大変だったわ」
「確かにぼっち気味だけど、虐めまでは受けてないよ!」
先生に余計な誤解を与えないでほしい。だが、それよりも伝えなければならないことがある。
「今日、俺のクラスにミレナが転校してきたんだ。ばっちり監視されてて、ひやひやした」
「やっぱり考えることは同じね。危害を加えてくることはないだろうけど……困ったわ」
困る理由。少し考えて、すぐに気づいた。――顔があまりにも似ているのだ。
「設定を練らないと。ミレナなんか準備不足で心臓に病気があって体が弱い設定になってたぞ」
「わかったわ。ちゃんと考えとく」
心配はあるが、アイならうまくやるだろう。
「そういえば、今日“愛”を知ったと思うんだけど、視てもらえない?」
そう言うと、アイは顔を近づけてきた。毎回これをやるのかと思うと、少し恥ずかしい。
「うーん……これは自己愛ね」
額を合わせ、目を閉じたまま彼女が答える。
「それってあんまり良くないような」
「そんなことないわ。生きてくのに必要不可欠で、みんな持ってるものよ。それが強すぎると問題だけど、サトルみたく弱すぎるのも良くない。自己愛は自分を守ってくれる」
「いい友人を持ったわね」
アイは顔を上げ、少し安心したように微笑んだ。
「だけどこれは、アイが観測したい愛とは違うから……これからも励みなさい」
愛は難しい。とりあえずは自分を好きになることから始めよう。そう思いながら何気なくテレビをつけると、交通事故のニュースが流れていた。未来ある子供ではなく、どうして自分のような死にたがりにトラックは突っ込んでこないんだ。……ああ、だめだ。これがだめなんだ。自分を大切にできていない。
今のままでは何も変わらない。怖くて避けてきたことに少しずつ挑戦してみよう。良い結果なら自信になり、悪い結果でも悲しみを自分の一部として受け入れられれば、それは自己愛につながるはずだ。怖いけれど、行動を変えてみよう。そう決意した。
翌朝。いつもより早く起床し、学校へ行く支度を整える。
「今日は早いわね」
ちょうど起きてきたアイが声をかける。
「今日はいつもより早く学校へ行ってみる。特にすることがあるわけじゃないんだけどね。いってきます。また後で」
人に会うのが怖くて、いつもはぎりぎりに登校していた。だが今日は敢えて一番乗りを目指す。誰もいない教室なら緊張せずに入れるはずだ。
電車に乗ると、珍しく空いていた。座席に腰を下ろし、清々しい気持ちで登校できる。制服姿の生徒がちらほら見え始めると、緊張感が高まった。
知っている人がいたら挨拶をしよう。けれど、どのくらいの距離感の人に挨拶すべきなのか、正直わからない。
無視されるかもしれない。驚かれるかもしれない。挨拶だけで朝からこんなに悩んでいるのは、自分ぐらいだろう。
教室までは知っている人に会うこともなく到着したが、教室からは女子の声が聞こえてきた。
一番乗り作戦は失敗だ。意を決して扉を開けると、数人の視線が一斉にこちらへ向けられる。
「……おはよう」
掠れた声が静かな教室に溶ける。だが、唯瀬さんが明るく返してくれた。
「凪君おはよう! 今日は早いね。びっくりしちゃった」
聞き慣れた声に、胸の緊張が少しほどける。
「たまには早く来て本でも読もうと思って、唯瀬さんも早いね」
「今日は朝練がないんだけど、いつもの時間に来て、今はみんなでお喋りしてたところ」
薙刀部は力を入れているから、普段から早く登校しているのだろう。唯瀬さんの隣には原さんと水野さんがいた。
「美紀って凪山君と仲いいんだ」
「うん。小学校から一緒だからね」
「凪山君、よろしくね」
原さんと水野さんとも挨拶を交わせた。これは大きな一歩だ。席に着き、図書室で借りた本を広げる。
やがてクラスメイトが次々と登校してきた。
「珍しいな凪山がこの時間にいるなんて」
「おはよう。今日は早くに目が覚めたんだ」
何度か同じような会話を繰り返す。陽翔も大げさに驚いていた。今日の作戦は成功だ。少しずつ慣れていけるはずだ。
ホームルームが始まると、先生が「今日も転校生がいる」と言って外の人影に合図した。教室に入ってきたのはアイだった。ざわめきが広がる。ミレナと顔がそっくりだからだ。違うのは髪型と、髪と瞳の色くらい。
「父の転勤でこちらに越してきました。凪山アイです。佐々木ミレナさんとは双子で、凪山サトルさんは従兄です。よろしくお願いします」
生徒たちの視線が俺とミレナに集まる。ミレナは首を傾げていた。
「ミレナさんとは幼い時に離れ離れになったので、面識はないんです」
(そういう設定でいくのか……つまりミレナも俺の従妹ってことになる。苗字が違うのは母方についていったからか)
「サトルもミレナさんが従妹だとは知らなくて、びっくりしたでしょ」
アイがうまくまとめてくれた。彼女は空いていた後ろの席へ座る。先日戦っていた二人が並んで座っている光景は、なんとも不思議だった。
休み時間。アイは質問攻めにあっていた。双子の件ではミレナが不機嫌そうにしている。
従兄の話では設定のすり合わせができていないため、俺は耳を澄ませる。矛盾を生じさせてはいけない。だが男子たちが茶々を入れてきた。
「凪山、従妹を紹介してくれ。どちらでもいいから」
「そこまで仲良くないから無理だな」
――一人からは殺されかけたくらいの仲だ。クラスメイトとの会話が弾むのは良い傾向だが、ここは引き取ってもらう。
その後、アイは無事にクラスへ馴染んでいった。彼女がいてくれるのは、物理的な意味でも心強い。
先に帰宅していた俺に、アイが声をかける。
「ただいま、今日は初日で疲れたわ。でも、いい設定だったでしょ」
「うん。あれなら怪しまれないよ。ミレナもお互い様で、都合が悪いことは言わないと思うし」
こうして俺は朝のルーティンを続け、少しずつクラスメイトとの距離を縮め、一週間を無事に過ごした。
クラスにアンドロイドが二人いるという異常な状況だが、今のところ大きな問題は起きていない。
◇
土曜日。サトルをアルバイトへ送り出し、私は一人で留守番をしていた。静まり返った家の中に、彼の気配が消えていく。
(すっかり着なくなったわね……)
クローゼットの奥にしまってあったメイド服を取り出す。指先で生地をなぞると、過去の記憶が蘇る。
(今日は初心に戻って、この服でメイド業をしようかしら)
そう決めて着替えを済ませ、掃除に取り掛かろうとしたその時――玄関のチャイムが鳴った。胸の奥がわずかにざわめく。誰だろう。サトルは出かけたばかりだ。
「はーい。どなたですか」
扉を開けると、見知らぬ少女が立っていた。柔らかな雰囲気をまといながらも、目は鋭く私を見据えている。
「あなたこそ誰ですか。ここは凪山の家ですよね」
その声音には確信めいた響きがあった。彼女は私を疑っている。――知っている風だ。油断できない。
「私はサトルの従妹です」
「サトルの両親に兄弟はいないはずですが」
凪山家に詳しい……下手な嘘は通じない。瞬時に判断し、言葉を切り替える。
「本当は妹です」
「そういうことでしたか。失礼しました。お姉さんの母親はいつ結婚されたのですか?」
次々と問いが飛んでくる。まるで尋問のようだ。私は平静を装いながら答える。
「母は幼い頃に離婚してもう長いこと会ってないんですよ。なので再婚したかもわかりません」
「えーっと……あなたはサトルさんの実の妹ということですか?」
「そうですけど」
その瞬間、彼女の可愛らしい雰囲気がみるみる厳しい表情へと変わっていった。空気が張り詰める。
――次の瞬間。
少女は手提げバッグからナイフを取り出し、迷いなく私へ襲いかかってきた。




