第20話 アイの謝意
アイは記憶を失ったが、唯瀬さんと雪村さんの支えにより、高校生活を楽しんでいた。だが、記憶が戻る兆しは一向に見えない。
家での振る舞いは小学生そのものだ。無邪気に抱き付いてきて甘えたり、時には叩いてきたり、くすぐってきたり。これを小学生がやると可愛げがあるのだが、高校生ともなると、恥ずかしい、痛い。くすぐり返したら笑って喜んでたけど、どこか後ろめたさを感じる。
今はのぞみと3人でボードゲームに興じている。人生ゲームで借金を抱えたアイは機嫌を損ねて駄々をこねていた。
「もうやめる! つまんない」
「俺のお金を半分あげるから、続けようよ」
「私も半分あげる」
「……あ、アイはもうゴールだ。アイが一番じゃない?」
アイはぱっと顔を輝かせ、俺やのぞみにくっついて頬をうずめた。嬉しさを隠しきれない様子だった。
「アイさん可愛いね。……でも記憶を思い出した時、この記憶を思い出さないといいけど」
のぞみは優しく撫でながら呟いた。もしこの記憶が残っていたら、彼女はきっとあまりの恥ずかしさに赤面するだろう。それでも、早く記憶が戻ってほしい――その願いは切実だった。
やがて、ソファーに座っていたアイはうたた寝を始めた。その時、アイのカチューシャが白く光ったことに気づいた。
アイは苦しそうな声を漏らし、うなされている。額に手を当ててみるととても熱い。体温計は40℃を示していた。
カチューシャの所為かと外そうと思ったが、これにはシールド機能があったりと、重要なアイテムと考えられるので、やめておいた。服は汗でびっしょり濡れている。
「のぞみ来てくれ、アイが高熱で苦しんでる。今日はもう寝かせよう、氷嚢あったよね?」
「うん。でも服は着替えさせないと駄目だよ。悪化しちゃう」
「のぞみだけじゃ無理だよね?」
「無理だね」
「一緒にやる?」
「言わなくても分かるよね?」圧を感じる視線を向けられた。
「近くで頼れる人に聞いてみるよ」
のぞみに軽蔑されるところだった。唯瀬さんに電話をして事情を説明するとすぐに来てくれて、着替えや汗拭きを手伝ってくれた。
全く動かない人の服を脱がすのは難しいようで、二人で声を掛け合っている様子から苦戦していることがわかる。体を拭いてから服を着せるのはさらに難易度が上がるようで、「ちょっと体力きついかも」「うまく着せれない」と声が聞こえる。たまらず「手伝おうか」と声をかけるも「今はダメ!」と即拒否された。
ようやく自分の出番が回ってきてアイをベッドまで運ぶことになった。災害時の搬送方法を覚えていたので役に立った。おんぶする要領で太腿を抱えその手でアイの腕が交差するように手を掴むことで安定させる。ベッドまで運び、寝かせたアイは苦しそうだが眠っている。
「……ありがとう、唯瀬さん。助かったよ」
「大丈夫。明日は病院へ行った方がいいよ。アイさんの親には連絡してないの?」
「――事情があって、親には連絡できないんだ」
「……そうなんだ。また必要な時には声をかけてね」
アイの様子をもう一度見に行く。暗い部屋の中でカチューシャが通信をしているかのように点滅して光るのが見える。アンドロイドが風邪ひくとは思えないし、アモラの薬の影響かもしれない。
翌朝もアイは目を覚まさず、アイのことが心配で学校は休むことにした。昼になっても、夜になっても目を覚まさない。声をかけても反応が無い。ずっとこのままかもしれないと不安が募る。
のぞみと夕食を取り終えた時、アイが寝ている部屋からドスンという大きな音が聞こえた。慌てて二人で様子を見に行った。
「アイ、大丈夫か!」
アイはベッドから落ちたようで、床に倒れていた。
「――サトル、のぞみちゃん……」
頭を抱えるように床に突っ伏して、声にならない声を発している。
「――お願い忘れて。記憶無くしてた時のアイの事」
「記憶が戻ったんだ! 体調はどう?」
「毒を盛られたみたいね。一度は記憶が消えたけど、このデバイスにバックアップがあったから、修復できたの。……でも体への負担は大きくて、まだ自由に動けない」
頭のカチューシャを指差しながら答えた。
「よかったよ。すごい心配した。でも、もう10歳のアイに会えないのは残念だな」
「二人に子どもみたいに甘えて、醜態を晒したわ」
「アイさん可愛かったから大丈夫だよ」
そのやり取りに、アイは小さく首を振った。羞恥心と安堵が入り混じる表情だった。
体を動かせないということで、今日も唯瀬さんに来てもらうことにした。
「アイさんよかったね。熱も下がって、記憶も戻るなんて」
「唯瀬さん、今は記憶のことに触れないであげて」
学校でもアイは10歳並みの無邪気さを振りまいていた。だからこそ、唯瀬さんに会うのは本当は恥ずかしいはずだった。
「それじゃあ、お風呂に入りましょうか」
「タオルで拭くだけでいいです……」
アイの喋り方がぎこちなくなっている。羞恥心で混乱しているのだろう。
「駄目だよ。昨日も入ってないんだよ。今日は入らなくちゃ」
二人に支えられなければ歩けないほど、アイの体は力を失っていた。お風呂に入れるのは一苦労で、唯瀬さんとのぞみの服はびしょ濡れになった。
「唯瀬さん、濡れた服は乾燥機にかけるから、この服に着替えてもらえる?」
洗濯したてのジャージを差し出すと、彼女は少しも気にする様子を見せず「ありがとう」と微笑んで着替えに向かった。その姿に胸を撫で下ろす。
着替えを終えた唯瀬さんは、ソファーに座るアイの髪を丁寧に乾かし始めた。のぞみは浴室へ、俺は乾燥機を回しながら食器を洗う。
◇
「アイさんの髪きれいね」
「ありがとう……」
ドライヤーを止め、手をそっとアイさんの額に当ててみる。
「熱も無さそうかな?」
「アイにおでこを当ててみて」
熱を診てほしいんだなと思って、言われた通りに額を当てる。
「ちょっとそのままの姿勢で……」
少し長い間ができる。昨日の高熱が嘘のように、そこには穏やかな温もりしかなかった。
「――サトルに、自分を大切にするように言ってくれてありがとう」
突然の言葉に息を呑む。凪君との会話を持ち出され、思わず問い返した。
「凪君に聞いたの?」
「アイには人の記憶や感情がぼんやり分かる能力があるのよ。唯瀬さんのおかげで、サトルは救われたわ。……それと、『好き』っていうのは友人としてだけじゃなく、恋愛感情もあるんじゃない?」
ぼんやり分かる程度のものじゃない。会話の内容をしっかり分かっている発言だ。
「そこは私も悩んでいるところなの」
「アイさんはどうなの? 一緒に住んだりして」
「アイはサトルのことが好きよ」
「……!」
「でもあなたの好きとは違うから安心して」
心の奥に押し込めていた感情が、静かに揺さぶられる。部活に打ち込んでいたのも、考え込まないための逃げだったのだ。
「後悔しないように、考えてみて」
「アイさん、昨日と今日で話す内容が全然違って驚いちゃった」
「それはやめて……」
「昨日は校庭のダンゴムシが苦手って話だったのに」
「何故そんなしょうもない話題を……」
アイさんが顔を赤くして、手で隠そうとする。いつもはクールな印象だったけど、こんな可愛いところもあるんだな。
「アイさんの新しい一面が見れて楽しかったよ。ちゃんと考えてみるね」
◇
乾燥機が止まり、唯瀬さんに服を渡しに行くと、彼女とアイが楽しそうに話していた。思いがけない光景に、胸が温かくなる。
着替えた唯瀬さんをのぞみと一緒に見送る。
「今日も来てもらってありがとう。明日はアイが動けそうだったら登校するよ。動けなくてもオムツ履いてれば大丈夫かな?」
「それはかわいそうだよ」
「聞こえてるわよ! 食事も用意しなさい!」
「オムツは否定しないんだ」唯瀬さんが笑う。
「オムツでいいなら私が休んでもいいよ」真に受けるのぞみも可愛い。
「また明日」――別れの挨拶して帰っていった。
アイにアモラがカラオケの時に毒を仕込んでいたことを伝えた。
「油断したわ。ナノマシンが抜けて、ようやく記憶のリストアが始まったのね」
「アモラは記憶が戻ったことに気づくかな?」
「気づくと考えて行動した方がいいわ。あの子は知略に長けているから」
また何かを仕掛けてくるかもしれない。アイにはしばらく学校を休ませ、慎重に様子を見守ることにした。




