第2話 アイの使命
「――おーい、朝食できたぞ」
声をかけながら、俺はアイの部屋の前に立った。ノックしても返事はない。仕方なくドアを開けると、そこには静かな寝息を立てる少女の姿があった。武装は解かれ、乱れたメイド服が白い肌をのぞかせている。整った容貌に、眠りの穏やかさが漂っていて、思わず見入ってしまう。
起こすべきか、それともこのまま休ませてやるべきか――昨日までに多くの出来事があったのかもしれない。アンドロイドに「疲れ」があるのかは知らないが、少なくとも彼女は人間以上に人間らしく見えた。
そんな逡巡の最中、アイの瞳がゆっくりと開いた。
「……勝手に入らないで。サル」
ぼんやりとした視線が俺を捉え、彼女は慌てて腕で身体を隠す。逆効果だ。隠されれば隠されるほど、意識してしまう。
「サトルだって! 凪山サトル! 悪かったよ!」
慌てて名乗り直し、謝罪を重ねる。彼女は小さくため息をつき、やがて食卓についた。
「……おいしいじゃない、このお味噌汁」
その一言が、妙に胸に響いた。一人暮らしで慣れてはいたが、誰かに褒められるのは久しぶりだった。
思わず嬉しくなりながらも、ふと昨日のことを思い返す。流れからすれば、突然現れたメイド姿の少女が朝食を準備して起こしに来てくれる――そんな展開が一番しっくりくると思うのだが、そうはならなかった。なんのためのメイド服なんだ。
「アイは、人類の愛を記憶しなきゃいけないんだよな?」
昨日聞かされた使命を改めて問う。
「そうよ。そうしないと人類は終了よ」
怖い。昨日初めて会った頃と今とで雰囲気が全然違う。人類終了より怖い。だが、これはきっと距離が縮まった証なのだと、自分に言い聞かせる。
「具体的には何をしたらいいんだ?」
「あなたが愛を知ること。でも具体的なことは分からないわ。そもそもアイは人類に愛があると思っていないもの」
本人にも分からないならば、自分で探すしかない。俺はスマホで「愛」を検索する。
(愛とは、他者を大切に思う感情であり、様々な形を持つものです。か……)
いまいちピンとこないけど、これを忘れずに行動してみよう。
休日を利用して、アイの生活に必要なものを揃えることにした。メイド服姿の少女と街を歩く勇気はなかったので、服は事前にネットショップで購入済みだ。靴だけは実際に履いて選びたいというので、電車に乗って街へ向かうことになった。
電車の中で俺は少し緊張していた。女子と買い物に出かけるなんてことは今まで一度も無かったのに、隣には美少女が座っている。心臓の鼓動が落ち着かない。
やがて車内は混み始め、目の前には老人が立っていた。空いた席がないことを確認して俺は無言で席を立った。席を譲るためだが、「席どうぞ」なんて声をかけるのは恥ずかしい。
アイは不思議そうにその光景を見ていたが、アイも席を立って隣に並んだ。老人が空いた席に座るのをみて納得したようで、アイは「やさしいんだね」と言った。そうだ、これは愛だったんじゃないか。
目的の駅でアイに尋ねる。
「さっきので愛を知れたことにならない?」
「うーん。そうとも言えるのかしら。でも正確なことは見ただけじゃわからないわ」
そう言うとアイは額を俺の額に合わせてきた。駅のホームで急に顔を近づけられ、恥ずかしさで頭が真っ白になる。――これは熱を測ってもらっているんだ。おかしくないと思い込もうとする。だけど鋭い視線を感じる気がする。
「これは……。躾けられた義務感60%、他者からの非難に対する自己防衛30%、愛じゃないわね」
言われてみて納得した。確かにあれは条件反射みたいなもので、周りを気にして行動していた。
「残りの10%は?」
「アイにドキドキしてその場を離れたかった」
聞かなければよかった。そんなことまで分かるなんて。アイはいたずらっぽく微笑んだ。
でもこれでわかったことがある。心からの愛でないと、見せかけだけの愛ではいけないということだ。
駅のデパートでは、アイが楽しそうに買い物をしていた。俺は付き合わされているだけだが、不思議と悪くない。色んな服を試着しては感想を求められる。どれも似合っていて、言葉に詰まる。
映画でも観ていくか聞いてみると、見たことがないという。せっかくだから観ていくことにした。SF真っ只中のアイにSF映画の感想を聞いてみたい。そんな理由から選んだ映画だったが、思いのほか喜んでもらえた。未来でも地球外生命体とごく一部の研究者が交流しているが、侵略はされてないから大丈夫と教えてもらった。
帰りの電車。吊り革を掴みながら揺られる。沈黙が続き、落ち着かない。そんなとき、左前に座るサラリーマン風の男が目に入った。床に置かれたバッグのファスナーが少し開いている。その正面には、スカートの短い少女。……怪しい。だが決め手に欠ける。俺はアイに耳打ちした。
「あのバッグの中から撮影してるかってわかる?」
「――電子機器が作動しているのは確実よ」
やっぱりそうか。それを聞いてしまったら見過ごせない。
「すみません。そのバッグにカメラ入ってませんか?」
声を絞り出すと、男は驚いて否定しバッグを閉じた。少女はどうしたらいいか分からず困惑している。声をかけてみたものの、この後はどうしたらいいものか。もし彼女にとってただのお節介だったなら、目も当てられない。
「次の駅で降りましょう」
少女は納得してくれたが、男は拒否。説得しようにも、声を荒げて罵倒してくる。周りは見て見ぬ振りだ。
駅に着くと、男は逃げようとするがアイが進路を塞ぐ。体当たりされたが、微塵も気にせず腕を掴んで引っ張っていく。その光景はあまりに一方的な少女と男の綱引きだった。アイが抑えてくれている間に走って駅員を呼んで、録画データが見つかり逮捕された。
心も体も疲れたが、少女がお礼を言ってくれたので、報われた気がした。
「今の愛の採点をお願いします」
当たり前のように額を合わせ、アイが答える。二度目でも、やはり慣れない。
「――正義感70%、遵法精神20%、愛じゃないわね」
「残りの10%は?」
地雷かもしれないが踏みに行く。
「あの男だけ動画撮ってずるいっていう嫉妬10%」
「それは嘘だよね!?」
「冗談よ」
――そう笑う彼女の姿に、胸を撫で下ろした。
駅からの帰り道、近所の公園を通り過ぎようとした時、ふと目に留まった光景があった。金髪の若い女性と歳の離れた子供が4人遊んでいる。子供は男女2人ずつ。そしてみんな顔がよく似ている。
「こら! ゆうちゃん! みいちゃんにおもちゃを貸してあげて!」
「えらいね。ゆうちゃんは私と遊ぼっか」
みんな思い思いに遊んでいる。さすがに母親ではないだろうから5人兄弟か。すごい。見ていてとても微笑ましい。これは兄弟愛を感じる。『愛』。これはどうかとアイを振り返るが、アイは首を横に振る。
「アイはサトルの愛を観測しないといけないの」
やっぱり人選ミスだよ。アイの創造主さん。
その時だった、突然公園の遊具がひしゃげ、金属が無理やり曲げられる音が響いた。嫌な予感がした。今自分は人類の滅亡や未来のアンドロイドといった、信じがたい非日常にいる。何が起きても不思議じゃない。慌てて仲良し5人兄弟に早くここから逃げろと大声をあげる。
遊具だったものは金属塊に形を変えて宙に浮かんでいた。その下にはいつの間にか現れた人影。その人影の顔貌は驚くことにアイと瓜二つだった。違うのは赤い長髪と燃えるような赤色の瞳。少女が手を前にかざすと、金属塊はアイと自分の方に恐ろしい速度で迫ってきた。
回避するのは不可能で、直撃すれば死ぬと直感でわかった。怖いという気持ちはあるが、本当は受け入れてしまいたいとも思う。――これでこれからも続く苦痛な人生を終わりにできる。
だが心残りもある。アイの願いを叶えられないことだ。何だかんだでここ数日は久し振りに楽しいと感じられた。まだ何もしてあげられていないのに……。
その時だった。
「ここであなたを失うわけにはいきません!」
アイの声が響き、俺を守るように立ちはだかる背中が見えた。




