第16話 尽きぬ不安を越えて
「脚本、できました。見てもらえますか」
朝早くに雪村さんに話しかけられた。
彼女はきっちり3週間で、脚本を仕上げてくれた。
「ありがとう。見させてもらうね」
脚本というものを読むのは初めてで、正直良し悪しはわからない。でもあのざっくりとしたあらすじに学園コメディ要素が入って笑える。だけどシリアスな場面では緊張感を持たせて、最後はハッピーエンドになって後味がいい。
セリフだけでなく、音響や照明の指示まで細やかに書き込まれていて、思わず感嘆の息が漏れた。
「いいじゃん。すごいよ。これ読んだらやる気が出てくる。……タイトルは『機械仕掛けの少女は君の為に世界を救う』か、ちょっと長い気もするけど」
「オリジナルなので、タイトルだけで物語を想像してもらえるようにしてみました」
「そうなんだ。了解。一度みんなに読んでもらってから配役を決めようと思うけど、いい?」
「はい……ちょっと恥ずかしいですね」
「自信持っていいよ。データを先生に送ってもらえる? 印刷しておくから」
脚本が完成したことで、胸の奥に熱が灯る。同時に、いよいよ本格的に動き出すのだという緊張も押し寄せてくる。まずはみんなに読んでもらうところから始めよう。
昼休み教室の机をいくつか並べて、簡易的な作業台を作った。紙の束を広げると、インクの匂いがふわりと漂う。
「唯瀬さん、陽翔、アイ、ミラ、これ綴じるの手伝って」
声をかけると、みんな集まってくれた。
「脚本できたんだ、読みたいな」
「1冊できてるから、先に読んでていいよ」
唯瀬さんと陽翔がページをめくりながら感想を口にする間、3人でホチキスを手に作業を進めた。
「いいよ、この話。あのざっくりとしたあらすじが、こんなに立派な演劇になるなんて」
「オレもいいと思う」
2人の言葉に胸が軽くなる。改めて雪村さんの努力に感謝した。
5人で作業を進め、全員分の冊子が完成した頃には、机の上に整然と並んだ脚本が小さな城のように見えた。
「ありがとう、今日配って、明日配役を決めるから、役を考えておいてね」
配役の人数は雪村さんに相談して決めた。
出演者は主人公役男子1名、アンドロイド役女子1名、未来の人類役3名、クラスメイト役5名、敵アンドロイド役2名、コア施設研究員2名、ナレーター1名、代役男女各1名。
演出、脚本は雪村さん。舞台美術6名、衣装、メイク4名、音響、照明4名、広報、受付2名、記録係1名、俺はリーダー兼雑用係。
帰りのホームルーム。俺は完成した脚本を手に立ち上がり、声を張った。
「今日、演劇の脚本を雪村さんが書き上げてくれました。雪村さんに拍手をお願いします」
拍手が教室に広がり、雪村さんは慌てて立ち上がり、何度も小さくお辞儀をした。その姿に、クラスの空気が柔らかくなる。
「今から配るので読んでおいてください。明日配役を決めるので、配役一覧も確認お願いします」
「おーすげー、脚本ってこんななんだ」
みんなが脚本のページをめくり、口々に感想を言い合っており、男子も乗り気になっているように見える。今日はいい雰囲気で解散となった。
一日明けて、クラスの演劇に対するモチベーションは上がっていた。すべて雪村さんの脚本のおかげだ。
「配役を決めます。やりたい配役の下に名前を書いてください」
黒板に貼られた一覧表を前に、教室がざわつき始めた。しかし最初の一歩を踏み出すのを、誰もがためらっていた。
「主人公とヒロインはみんなで決めた方が良くない?」
後ろの席から声が上がる。確かに、この二人は物語の核となる存在だ。軽々しく決めるわけにはいかない。
「立候補や推薦はありますか?」
俺が問いかけると、すぐに声が飛んだ。
「男子は陽翔だろ」
「女子は美紀でしょ」
教室が一気にざわめきに包まれる。笑い声や小さなため息が混じり合い、空気が熱を帯びていく。大方の意見はその二人に傾いているようだ。部活もあるが、引き受けてもらえるだろうか。
「陽翔と、唯瀬さんは大丈夫ですか?」
俺が確認すると、二人は照れた顔をしながらも小さく頷いた。教室の空気がふっと和らぎ、拍手が自然に起こる。
「主人公とヒロインは二人にお願いします。他の人は配役に名前を記入してください」
ペンの音が一斉に走り出す。アイとミラは迷わず敵アンドロイド役に名前を書き込んでいる。未来の人類役、研究員役、ナレーター役――それぞれの欄が少しずつ埋まっていく。黒板の前に立つ俺の胸にも、ようやく安堵が広がった。
「各配役のスケジュールは別途連絡します。手が空いている人は、積極的に周りを手伝ってください。夏休みの準備日は文化祭グループチャットに送るので、確認お願いします」
こうして解散となった。順調に進んでいると思うのだが不安が拭えない。この不安を抑える為にも準備を入念にしなければいけない。
廊下の窓際に立ち、外を眺めながら深く息を吐いた。――まだやることは山ほどある。
「サトル、リーダーやってるって? 大丈夫?」
背後から声がして振り返ると、沙理が立っていた。彼女の瞳はまっすぐで、心配を隠そうともしない。
「結構しんどいね。そういえば陽翔が演劇主役になったぞ」
「そうなの? 楽しみだな。でもあんまり陽翔のこと、忙しくしないでよ」
軽口を交わしながらも、彼女の声には柔らかな響きがあった。2組の出し物がメイド喫茶だと聞いて、思わず「ふーん、ギャップがあっていいかも」と口にすると、沙理は眉をひそめて笑った。
「何想像してんの。陽翔に言いつけるよ」
「陽翔は俺のことを信じてくれると思う。親友だし」
そう言うと、沙理は俺の肩に両手を置き、じっと顔を見つめてきた。何かを確かめるような真剣な眼差しだった。
「よし、後ろ向いて」
促されるまま背を向けると、彼女の手が肩を揉み始めた。力は強すぎず、けれど確かな温もりを伝えてくる。
「疲れてるだろ、ムリするなよー」
「気持ちいい……けど、陽翔に見つかるからやめて……」
「陽翔は親友だから大丈夫じゃなかった?」
冗談めかした声に、思わず苦笑する。ぎりぎりアウトかもしれない――そんな思いを抱えながらも、肩に伝わる優しさに身を委ねてしまう。
「はい、終わり」
沙理の声で向き直ると、彼女は真剣な表情のまま言った。
「困った時は頼ってって言ったでしょ」
「そうだったな」
陽翔の彼女だと思うと、どうしても躊躇いが生まれる。けれど、その言葉には嘘がなく、まっすぐに響いてきた。
「またしんどい時は頼ってよ」
そう告げて沙理は去っていった。背中を見送りながら、やっぱりカッコいいよな、と心の中で呟く。肩の重さが少し軽くなった気がして、俺は再び教室へ戻った。
そこにはまだ雪村さんが残っていて、机に広げた資料を見つめていた。
「雪村さん、相談いいかな。企画書を書かないといけなくて」
「はい、大丈夫です」
彼女は顔を上げ、柔らかな笑みを浮かべた。緊張で固くなっていた心が、少しだけ解ける。
「上演時間は30分だったよね? 場所は体育館で照明と音響機材の使用を希望で合ってる?」
「はい、合ってます」
確認するたびに、彼女の返事は落ち着いていて、迷いがない。
「舞台のセットでどんな物を配置するかとか、場面切り替えの方法、衣装を既製品にするか手作りにするか……そういうのも企画書に必要なんだ」
「そのあたりは、私から配役メンバーに希望を伝えて決めていこうと思います」
頼もしい言葉だった。俺は思わず頷きながら、次の課題を口にする。
「予算の見積りは、そういうのが決まってからだよね。8月中には出すからよろしくね。あと配役のスケジュール立てる時も一緒にお願いしたい。……なんか雪村さんにばっかり頼っちゃって、ごめん」
自分でも情けないと思う。けれど彼女は首を横に振り、少し照れたように笑った。
「大丈夫です。今、私楽しいですから」
その一言に、胸の奥が熱くなる。負担になっているはずなのに、楽しさを口にできる強さ。彼女のためにも、この舞台を成功させたい――そう強く思った。
配役のスケジュールを配ると、出演者は早々に読み合わせを始めている。ぎこちない発声もあれば、思わず笑いがこぼれる場面もある。教室の空気は、少しずつ舞台の熱気へと変わっていった。
裏方も同時に動き出す。舞台美術班は大道具の配置を検討し、衣装班は布地の見本を広げて議論を交わしている。
音響と照明の担当者は、機材の操作方法を誰に教わればいいのか、記録係はビデオカメラを借りられるかといった小さな課題が次々と浮かび上がり、その都度対応に追われた。
だが、雪村さんが作った計画表は見事だった。練習イベントや配役ごとの予定が細かく記されたガントチャートは、まるで道しるべのように俺たちを導いてくれる。
俺はその計画表を教室の壁に貼り、今日の位置を赤線で示し、進捗を記入することで、みんなの士気を保つよう心がけた。
雑用係も兼ねる俺は、大道具の力仕事を手伝い、各配役の要望を聞いて回る。汗をかきながらも、仲間の声に応えることで、少しずつ絆が深まっていくのを感じた。
やはり力が入っているのは出演者だ。練習日も多く、時間も長い。雪村さんの演技指導は熱を帯び、声に力が宿る。俺にできるのは労いの言葉をかけることくらいだが、それでも彼らの練習が終わるまで、いつもそばにいるようにした。
「唯瀬さんセリフ覚えられてるね」
「本当はまだ練習足りないんだよね。風間君は出席率高くて上手だから、私が下手ってばれちゃう。今度練習付き合ってくれない?」
彼女の不安げな声に、俺はすぐに答えた。
「陽翔は部活よりこっちを優先してるって。部活は自主練をちゃんとやってるんだと。練習はいつでも付き合うよ。電話でもできるしね」
数日後の夜。部活を終えたのだろう、唯瀬さんから電話がかかってきた。時計の針はすでに遅い時刻を指している。
「もしもし、練習付き合ってもらっていいかな?」
「いいよ。ビデオ通話に変えるね。……そうだ、アイもいた方がいいよね」
「えっ?」
俺はキッチンにいるアイを呼び、部屋に来るよう声をかけた。ほどなくして扉が開き、彼女が姿を現す。だが、その格好に思わず息を呑む。
「何でこんな時間に一緒にいるの? ……それにどうしてメイド服?」
唯瀬さんの声が鋭くなる。まずい、怪しまれている。言い訳が喉に詰まる。
「アイは今家出中で、この服は沙理さんに借りて試してたのよ」
アイがさらりと答えてくれた。助け舟に胸を撫で下ろすが、唯瀬さんの目はまだ疑いを含んでいる。
「……それで登校も一緒のことが多かったんだ。ふーん」
納得したような、しないような声。俺は強引に話題を切り替えた。
「さあ、練習しよう」
読み合わせが始まる。唯瀬さんとアイ以外のセリフは俺が担当した。
「――うーん。もうちょっと感情込めて読んでくれないと、私やり辛いな」
「のぞみもいるし恥ずかしいんだけど……わかった。頑張る」
唯瀬さんの指摘は的確だった。主人公の覚悟を示す場面では、声に抑揚をつけなければならない。俺は必死に演じる。
「なんか俺の演技指導になってない? アイなんか棒読みみたいだよ?」
「アイさんはアンドロイドだから、それでいいの」
唯瀬さんの言葉に、思わず笑みがこぼれる。確かにその通りだ。
そこへ、のぞみが部屋に顔を出した。
「お兄ちゃんうるさいんだけど、何やってんの?」
「あっ、ごめんね夜遅くに」
「唯瀬さんっ、演劇の練習でしたか。ヒロイン役頑張ってください。見に行きます」
唯瀬さんは少し照れながら「ありがとう。もうちょっとお兄ちゃん借りるね」と答えた。
その夜を境に、彼女からの練習の誘いは頻繁になった。部活と文化祭の両立を果たす彼女の姿に、俺はただ感服するばかりだった。
9月末、準備が整った俺たちは本番さながらの通し稽古に臨んだ。体育館の照明が落ち、静寂の中で音楽が流れ始める。ナレーターの声が響き、物語の幕が上がった瞬間、空気が一変した。
舞台に立つ仲間たちは、練習で積み重ねてきた動きを確かに再現していた。セリフは淀みなく、立ち位置も迷いがない。舞台美術班が用意したセットは場面ごとに切り替わり、衣装の入れ替えも滞りなく進む。照明のタイミングは完璧で、影と光が物語を彩っていた。
俺は最後の曲を流すため、音響係と交代して機材の前に立った。全員が舞台に揃い、歌声が重なり合う。体育館の空気が震え、観客のいないはずの空間に熱が満ちていく。
終幕。静寂のあと、仲間たちの声が響いた。
「よかったよね」
「いいじゃん」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。冷めたクラスだと思っていた自分の考えは、もうとっくに覆されていた。みんなが本気で取り組み、笑い合い、支え合っている。
――必ず成功させたい。その思いが、強く心に刻まれた。
本番当日の朝。
みんなが緊張を抱えた、いつもと違う雰囲気に包まれている。
俺も胸の奥がざわついていた。気がかりなのは、主役の陽翔の席が空いていることだ。彼はいつも朝は早い。だからこそ、その不在が余計に不安を煽る。嫌な予感が頭をよぎり、心臓の鼓動が落ち着かない。
そしてホームルーム。担任の口から告げられた言葉は、最悪のものだった。
「風間が体調不良で休むと連絡があった」
教室の空気が一瞬で凍りついた。恐れていたことが現実になってしまった。




