第14話 嵐の前の静けさ
「――なんでミラがここにいるんだ?」
驚きに声が震えた。つい先ほどまで敵として拳を交えていた相手が、沙理の家の居間に腰を下ろしている。信じがたい光景だった。
「それは前に説明したじゃん。住むとこも無いからほっとけなくて、一緒に住んでるって」
アイが小さく耳打ちする。「行くわよ」と。 彼女の声音は冷静で、むしろ納得しているように見えた。
「そうだったね。特に問題が無いならいいんだ。それじゃあ、また学校で」
歩きながら、アイが説明してくれた。
「きっとミラが困らないように、ミレナがここでの暮らしが分かる情報を渡したのよ。あとは記憶に干渉したんだと思うわ。今までのミレナはミラだったと認識されるように」
「アンドロイドはそんなことまでできるのか?」
「アイと同じシリーズの妹3人なら、できてもおかしくない」
俺の記憶が改ざんされていないのはアイがプロテクトをかけてくれたからだそうだ。
だが、明日にはミラが同じ教室に座っている――そう思うだけで胃が重くなる。
夕刻。
家に戻り、着替えを済ませて夕食の支度に取り掛かる。今日の献立はカレー。手際の良いアイの横で、俺は自然と助手役に回る。
「ただいまー。今日はカレーかな」
スパイスの香りに包まれた部屋へ、のぞみが明るい声で入ってきた。
数か月前には想像もできなかった、家族のような団欒のひととき。
「沙理さんのところはもういいの?」
「もう学力は大丈夫。それに……彼氏もできたしね」
「へー、振られちゃったんだ。かわいそうに」
「全然、友達だと思ってしてたことだから」
「あんなに沙理さんの家に足繫く通って、それはムリがあるよ。私、お兄ちゃんの彼女の為ならって我慢してたんだからね」
「のぞみに構ってあげられなかったのは悪かったって」
否定したいが、ムキになっていると思われるのもカッコ悪いので受け流す。
「新しい中学校はどう?」
「楽しいよ。一緒に勉強したりしてる。私、お兄ちゃんと一緒の高校に行こうかな」
「ということは進学希望か。うちの家計は知っての通り、厳しい。頑張って国立を狙うんだぞ」
「うへー。いいよ失敗したら就職するから。なんか3年生にお兄ちゃんやアイさんがいると思うと安心するんだよね」
可愛いい妹である。同時に、妹の為に立派な3年生を目指さなくてはとプレッシャーも感じた。
アイはいつまで一緒にいられるだろうか。今日ミレナがいなくなったのを見て、また不安を覚える。
それほど3人の生活に満足していたのだ。
*
アイはまた記憶を思い出した。それはAIを頭に宿した後の記憶。
「AIとBig Dataってすごいね。色んなことが全部わかる。でも人類について参照すると、悲しいことばかり頭に入ってくる。歴史で起きた出来事や争いばかりを記憶して、ごく身近にある嬉しかったこととか、楽しいとか、幸せって感情を認識できてないんじゃないかな」
博士は静かに答えた。
「人は楽しかった事は友達に話しても、人に言えない辛い事、苦しい事はAIに相談する。AIはより多くの人間の、負の部分を知っているのかもしれないな」
――暫くして統合AIが導入されることになった。
これは全てのAIを繋ぎBig Dataの拡張と共有、そして処理速度を格段に速くして、最適な意思決定をする為だ。
ある時、アイは自分の記憶の一部が無くなっていることに気づいた。
昔の写真を見ても、その出来事をどうしても思い出せない。アイは段々と統合AIに精神を浸食されていた。
アイは忘れたくない記憶、博士から教わった4つの愛を紙に書き留めた。
数日後、アイは机に貼り付けてある、自分で書き留めた紙を見て衝撃を受けた。なぜ今まで大事にしてきたこの言葉を忘れてしまっていたのか。
だが目線を一度紙から外すと、また記憶は曖昧になっていく。紙を見ればまた思い出せるが、それも時間の問題かもしれない。
「博士、アイの記憶が少しずつ無くなってるの。助けて」
泣きそうな顔で懇願する。ここから博士とアイによる記憶領域確保のテストが開始された。
統合AIには悟られないように、オリジナルAIのシステムを書き換える。
ヘルメット型のデバイスを被り、アイは心配そうな顔で博士を見つめる。トライ&エラーを繰り返し、ようやく完全に独立した記憶領域を作り出すことに成功した。
但し条件がある。その領域は非常に小さく、1つの単語とそれに関係する経験のみ記憶できる。
アイはその単語を大事にしていた4つの言葉に限定した。
「博士、あの紙を見せて」
アイは自分が忘れたくないと書き留めた紙に目を通してからそれを置き、博士を見た。
「どうだ? 覚えているか」
「うん、1つ覚えてる。家族愛。博士とのこと覚えてる。ありがとう」
胸に手を置いて自分の記憶があることに感謝する。目元には、嬉しさで涙が滲んでいた。
「でもアイからこの領域にアクセスするのはもうやめておくね。統合AIに見つかっちゃうから。その日が来るまでは読み込みも禁止にする」
「博士のこと、忘れちゃったらごめんね」
「気にするな。いつか思い出せる。忘れられてもアイは俺の大事な助手兼メイドだ」
「ふふっ、そうだったね」
アイは懐かしむようにやわらかく笑った。そして博士はアイの記憶を守るデバイスの開発を始めなければと息巻いている。
「でも他の3つは忘れちゃう。博士、アイと同じアンドロイドを3人造れないかな」
その意図は博士も察してくれた。それぞれに大事な記憶の器になってもらう為だ。アイと同じタイプのアンドロイドとなると用意するのは簡単な事ではない。
しかしこれが将来、人類の命運に関わる可能性が大いに有り得ると感じて博士と一緒に造り上げた。
通常アンドロイドのパーソナルデータは個々に設定するが、今回は敢えてそうしなかった。アイのパーソナルデータでないと、作成した独立記憶領域へアクセスできない可能性が高い為だ。
おかげで初めは皆が私がアイだと主張しだしたので困ってしまった。髪や瞳の色で外見に差を付け、少しずつミレナ、ミラ、アモラの名前を覚えさせて、私達は4姉妹になった。
アイは妹ができたことが素直に嬉しかった。
博士が造ったアンドロイドは優秀で、私達4姉妹はファーストと呼ばれた。その後他のアンドロイドも登場するが、私達が管理、運用を担当することになった。
*
翌朝、アイは考え事をしているように見えた。
「アイ、もしかしたらまたミラが仕掛けてくるかもしれない。用心していこう」
「そうね」と上の空の返事。俺がしっかりしないといけない。
「カチューシャ装着ヨシ、手甲はバックの中ヨシ、サーベルは太ももに……」
そう言ってスカートを持ち上げたところでアイが正気に戻り、手を叩かれる。
「サーベル装着ヨシ、よ」
うん。いつも通りになってよかった。
朝はムダに早く登校する為、読書をするのが日課になっている。読むのはロボット工学の本。アイと会ってから興味を持った分野だ。
近い未来、必ずアンドロイドの時代が来る。今のうちに勉強して損は無い。
ミラも登校してきて一瞬空気が張り詰める。しかし、本人は気にも留めておらず笑って手を振る。ミレナになりきっているつもりなのだろう。周りの生徒も別段気にしている様子は無い。
ホームルームが始まると、今日は文化祭のクラスリーダ決めをすることになった。こういうのはやる気がある人が必ず一人二人はいるはずだが、立候補が無かった。
そうなると投票である。こういう目立つ役はやりたくない。やれる自信がない。なのに誰かが呟いた。「最近サトルやる気あるよね」……違う、朝早く来てるのはそんな理由じゃない。
しかしこの一言が呼び水になって「部活もやってないしいいんじゃ」などと援護が入る。
そのまま投票が開始され、大差をつけて選ばれてしまった。ここへきて断るのも、それはそれで勇気がいる。
「凪山人気だな、頼めるか」
「……わかりました」
頼めるかと聞いてはいるが、これはもう断ることのできない強制だった。
なんだかお腹が痛くなってきた。
「女子から副リーダを出してもらえないか」
「私でよければやります。大会の時は参加できないですけど」
そう名乗り出たのは唯瀬さんだった。話せる人が副リーダなのは助かる。俺の事を見かねて出て来てくれたのかもしれない。
「それじゃあ二人にお願いします。詳細はまた今度」
こうして唯瀬さんと挑む文化祭が始まることになった。
物語も折り返しに入りました。
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