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6.最後の我儘

 さっき止めた筈の涙が再び流れてくるのを慌てて拭う。

 急に泣き出すなんてディオンに変な人間だと思われてしまう。


「ディオ、あの、わたしっ」

「慌てなくていいよ、俺は逃げないから」


 そう言いながら彼はポケットからハンカチを取り出すと私の涙を拭いてくれた。

 しかし優しくされると余計涙というものは出てくるのかもしれない。


「何?もしかして森で迷ったの」

「ちっ、ちが……家出してきたの」


 目元を拭かれながら私は答える。

 流石に死ぬ為に来たとは言い出せなかった。 


「家出……どこか行く当てはあるのかい?」


 ディオンは特に驚いた様子も無く私に尋ねる。

 私は少し考えた後に口を開いた。


「……魔大樹の元に行きたいの」

「あの大木の所に? 何で?」


 不思議そうに訊かれ、私は答えに迷った。

 体中の魔力を吸収されて死ぬ為だとは言えない。

 しかし彼の勘は鋭かった。


「もしかして、自殺しようとしてるのか?」

「……どうして?」

「たまにいるらしいんだよ、死ぬつもりでこっそり魔大樹を訪れる奴が」


 どうやら私と似た考えを持つ人間は他にもいるらしい。

 その人たちの願いは叶ったのだろうか。知りたいような知るのが怖いような複雑な気持ちだった。


「でもここから魔大樹へは大人の男でも五時間は歩くぜ」

「五時間……」

「夜ならその二倍かかると思った方が良い」


 つまり十時間、まだそこまで歩いてないのに足がずしりと重くなった。

 私の考えが甘かったということだろう。

 でもこのまま屋敷には戻りたくなかった。そうで無くても一人で夜道を戻れると思えないけれど。


「わかったわ、教えてくれてありがとう」

「……諦める気は無さそうだな」

「そうね、一生に一度の我儘だもの。最後まで貫きたいわ」


 私はいつのまにか渡されていたハンカチを畳んで彼に返した。


「ごめんなさい、本当は洗って返したいしお礼も渡せれば良かったのだけれど」

「気にしないでくれ、ただ一つ俺も我儘を言っていいかな」

「我儘?」

「ああ、どうして君は死を望む程追い詰められているんだ? それを教えて欲しい」


 真剣な声で言われ、私は戸惑う。

 けれど少し考えて口を開いた。


「誰にも言わないと約束してくれる?」

「内容による。法や人道に反する行いなら然るべき機関に連絡するよ」


 ディオンの正直な回答に驚いてそして笑ってしまう。

 私みたいな世間知らずな人間なんて彼なら幾らでも騙せそうなのに。


「法や人道ね……私には判断が難しいから、寧ろ丁度いいのかもしれない」


 そして私は平民の彼に自分が王太子の婚約者で、けれど近日中に婚約破棄される予定であることを伝えた。

 第三者の目から自分が置かれた状況がどう見えるのか知りたいと思ったのだ。


「……なんて酷い話だ」


 私が身の上を大体語り終えた頃ディオンの表情は険しくなっていた。

 いつも温厚な彼がそんな顔をしていることを少しだけ怖いと思ってしまう。


「生まれてからずっと道具のように、いや道具だってもっと大切にされる筈だ」

「道具……」

「ごめん、言い過ぎたね。でも俺には君が人間として大切にされていないような気がしたんだ」


 ディオンに謝られ、気にしないでと首を振る。

 人間扱いされていない。そう言われたが不思議とショックは受けなかった。


 生まれてから飢えたことは余り無い。父に逆らわなければ衣食住は保障されていた。

 私は子供を産まなければいけないので健康を損ねてはいけないからだ。


 だから肉付きが悪いことを逆に叱られて、食事量を増やされて吐いたりした。

 アドリアン王太子が肉付きの良いナビーナを寵愛していたのも関係しているだろう。


『お前は幸せだ、公爵家に生まれていなければ呪われた魔法を宿した罪で殺されていただろう』

『お前は恵まれている、何もしなくても生かして貰えるのだから。婚約を取り付けた私に感謝しろ』

『私に養って貰った恩は優れた子を産むことで返せ』


 父親に繰り返し言われた言葉を思い出す。


「私は子を産むだけで良いから恵まれている、王太子と婚約させたことに感謝しろと父に言われて来たの」

「……悪いけど、君の父親は人でなしだと思うよ」 

「貴族なら愛の無い結婚なんて当然だとも言われて来た」

「政略結婚だろうと、相手を奴隷のように扱っていいわけじゃない。愛が無いから虐げるなんて獣以下だ」

「それってつまり、私にも怒る権利があるということなのかしら」

「当たり前だ、君には怒る権利があるよロゼリア嬢」


 ディオンに真剣な顔で肯定され、胸から重い物が抜け落ちたような気持ちになった。

 そして怒ろうと思ったが、上手く出来なかった。怒り方がわからないのかもしれない。


「怒りたいけど怒れないわ。怒るなんて感情を持つことが許されなかったから」

「君が怒りという感情を知っていたら、婚約者の男に毎回怒鳴っていただろうね」

「そんなことしたら不敬罪で処刑よ。多分子供を産んだ後になると思うけど」


 私の冗談が下手だったせいかディオンの表情が暗くなる。


「ごめんなさい、変な事を言って」  

「いや良いんだ、それよりロゼリア嬢。一つ提案があるんだ」

「提案?」

「王太子との婚約を解消して隣国で暮らさないか」

「隣国ってレスタールに行くってこと?」

「勝手なことを言っているとわかっている。でも俺を信じて欲しい。君を死なせたくないんだ」


 ディオンの紫の瞳が眼鏡の奥で私を見つめる。暗い森の中でそれは鮮やかに輝いて見えた。

 紫色なのにどこか炎のようだ。触れたら火傷しそうな程の激情を感じた。


「……わかった、貴方を信じるわディオン」


 だから私は頷いた。ディオンの提案を受け入れて幸せになるかなんてわからない。

 それでも彼の言葉を信じて、利用されるだけの運命を変えたいと思った。


「有難う、じゃあ具体的な作戦を考えよう」

「ええ、わかったわ」


 頷くと私に合わせて座り込んでいたディオンが立ち上がる。

 私も同じようにゆっくりと立ち上がった。魔法石で治療したお陰で足の痛みは消えていた。


「研究時に寝泊まりしている小屋があるからまず移動しよう、暗いから手を繋いでもいいかな?」

「大丈夫、お願いするわ」


 ディオンが差し伸べた手に自らの手を重ねる。

 当たり前だが彼の手は温かった。

 こんな風に誰かと手をつなぐのは初めてだ。アドリアン王太子が私をエスコートすることは無い。


 前ナビーナが言っていた。

 人付き合いが嫌いな私の代わりに妹の自分が社交界ではアドリアンのパートナーを務めているのだと。


『どちらが婚約者でどちらが愛人かわからないわね』


 そう言われても特に何とも思わなかった。

 何故かナビーナはそのことが気に入らなかったみたいで持っていた扇子をぶつけられたけれど。

 もしかしたら悔しがる顔でもすれば良かったのかもしれない。

 自分が人付き合いが嫌いかはわからないけれど不得意なことは確かだ。

 

「ついたよ、ロゼリア嬢。お茶を入れるからその椅子に座って」

「ありがと……」


 小屋に到着し中に入った途端私のお腹が鳴る。

 お礼を言おうとした私は固まった。

 思い出したけれど、軽く昼食を食べてそれきりだった。今は夕食は終わった頃だろう。


 前侍女の前でお腹を鳴らした時は「魔法も使えないのにお腹は鳴らせるんですね」と笑われた。

 ディオンは公爵家の人間とは違うだろうけれど、やっぱり恥ずかしい。

 私が顔を赤くしてどう誤魔化すか考えているとディオンが口を開く。


「ごめん、俺夕食まだだった」

「え……」

「一人で食べるのもつまらないから、一緒に食べて貰っていいかな。駄目かい?」

「だっ、駄目じゃないわ。私もお腹空いていて……」


 彼が空腹だと言ったので私も素直に同意する。

 誤魔化す必要なんて全くなかった。


「良かった。大した物は無いけれど一人より二人で食べる方が楽しいからね」

「そうなの?」

「そうだよ、まあ気が合う相手限定だけど」


 ディオンはそういうと笑顔を浮かべた。

 何故か胸がドキリと高鳴る。

 もしかして彼って眼鏡と前髪で目立たないけれど整った顔をしているのではないだろうか。


 でもそれが理由ならアドリアン王太子だって優れた容姿をしている。

 いつも立派な身なりで髪で目が隠れることもない。

 ナビーナに対する笑顔なら何度も見たことがある。


「でも、こんな気持ちになったことはないわ……」


 スープが入っているらしい鍋を温めようとしているディオンの背中に呟く。

 間もなく室内においしそうな香りが漂い始めた。


  

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