5.死んだ方がマシらしいので死にます
死んだ方がマシと歌うように繰り返してナビーナは去って行った。
その時には辺りは暗くなっていた。
夕食の時間には早いが、いつもなら自室にいる時間だ。
公爵邸の庭は広いけれど明かりが少なく夜の散策には向いていない。
まして人が立ち入らない森なら尚更だ。
けれど私の足は自室では無く再び森に向かっていた。
危険な行動だとはわかっている。
公爵家の森に魔獣は居ないけれど、夜の森はそれだけで危険だ。
道に迷うかもしれないし、転んで怪我をするかもしれない。
でも、怪我位なんだというのだろう。
私はナビーナに言わせれば死んだ方がマシな状態らしいのに。
「……産むだけの人形になるのと森で迷って飢え死にするのと、どちらがマシかしらね」
独り言を呟きながら森を進んでいく。
でも答えなら出ていた。
不幸な子供が生まれない為に私は死んだ方が良い。
王太子が私の子供をナビーナの子と偽るようなことが出来る人なら、失敗作など平気で捨てるに違いない。
捨てるどころか殺してしまうかもしれない。
「ナビーナが庇ってくれるなんて絶対ありえないでしょうしね」
不幸なまま終わるのは私だけでいい。
だから王宮に連れていかれる前に自害することは決めた。
どうやって死にたいか考えて思った。
誰も来ない場所で誰にも知られず眠るように死にたい。
その為に私は魔大樹の元に向かおうとしていた。
あの樹は近づいた者の魔力を吸い取る。
魔力を吸われた人間は体に力が入らなくなるらしい。
そのまま魔力を吸われ続けると眠るように死ぬ。理想的な死に方に思えた。
「私の吸魔の魔法でも同じことが出来るらしいけれど……」
でも魔法は自分自身にかけることは出来ない。
しかも私は魔法を封印されていて、少しでも使えば体を激痛を苛む。安楽死から程遠い。
「何でこんな魔法だったのかしら」
もっと皆の役に立つ魔法を持って生まれたかった。
違う、それは綺麗ごとだ。
「ナビーナみたいに、皆に愛される力を持って生まれてきたかった……!」
吐き出した言葉に返事は無い。鳥が小さく鳴く音だけ聞こえた。
涙が流れるのをそのままに私は苦く笑った。叶わない願いを口にしても虚しくなるだけだ。
でもその苦しみももう少しで終わる。
「朝まで歩いたら魔大樹へ辿り着けるかしら」
一度でいいから遠くに見えるあの大きな樹に触れて見たかった。
私と同じように吸魔の力がある不思議な大木に。
そんなことを思いながら森を歩く。何回か転んだ。
すっかり夜になっていた。もう夕食の時間は過ぎているかもしれない。
父は私が食堂に来ないことを不思議がるだろうか。
そもそも私がまだ屋敷に戻っていないことに誰か気づいているだろうか。
まだ私には役割がある。魔力量に優れた子供を産むという役割が。
だから屋敷に居ないことに気付かれたら捜索はされるだろう。そして父にきつく叱責されるに違いない。
「それまでに、せめて魔大樹の影響域に辿り着かないと……」
貴族たちは魔力を吸われることを何よりも嫌がっている。
だから魔大樹の近くには絶対近寄らない。そして公爵家の衛兵などは殆どが下級貴族だ。
そこに到着すればかなりの時間稼ぎができる。
私は早足になった。しかしその途端足元の蔦に躓く。
「いたっ」
盛大に転び、小さく悲鳴を上げる。
涙目になりながら起き上がりかけると目の前に光る二つの目があった。
小さな赤い目がこちらを見ている。
同じようにこちらも見返して気づいた。正体は小さな兎だ。
「森なのだから兎ぐらいいるわよね……いたっ」
そう呟きながら立ち上がろうとする、しかし足を挫いたらしい。
このまま無視して何時間も歩けるような痛みでは無かった。
「困ったわね、魔大樹の元まで行きたいのに」
憂鬱な気持ちで地面に座り込む。
そんな私の周囲を兎が興味深そうに歩き回る。
こんな状況じゃなければ心癒される光景かもしれない。
私がそう思っていると兎はドレスのスカート部分に頭を擦り付け始めた。
しかも同じ部分に何度もである。
痒いのかと思い頭に触れると何か尖った物が触れた。
「角……?」
そう、小さいが確かに角だ。この兎には角が生えている。
可愛らしいが魔獣だ。そして私はこの兎に心当たりがあった。
「貴方ってもしかしてディオンが連れてきた角兎なの?」
尋ねるが言葉での返答は無い。当たり前だ。
しかし角兎のお陰で一つ思い出したことがある。
「確かディオンが、治癒の魔法石をくれたわね……」
兎が探っていた部分は丁度ポケットだった。そこから小さな魔法石を取り出す。
そしてディオンが私を治療してくれた時のように魔法石を怪我した部分に近づけ言葉を発する。
「えっと……癒せ?」
半信半疑な声でも魔法石はちゃんと緑色に輝いてくれた。足首に温もりを感じて安堵の息を吐く。
光がゆっくりと消えた後にそっと足に触れたが痛みは完全に消えていた。
「助かったわ……でも魔法石って本当に素晴らしい道具ね」
治癒魔法が使えない私でもこうやって怪我を治せる。
立ち上がりながら光が消えた魔法石をポケットに戻す。
これは何回も使えるのだろうか、それとも一回きりだろうか。
ディオンに質問すれば良かった。少し後悔する。
「魔法石を沢山持っていてこっそり使えれば、私も無能扱いされなくて済んだのかしら?」
苦く笑う。ディオンに頼めばそれは叶うかもしれない。
父に相談すれば金銭面の心配はいらないのかもしれない。
でも私は魔法が使えない自分が周囲からどんな扱いをされてきたか覚えている。
魔法が使えるようになって手のひら返しをされたって忘れることは出来ないだろう。
だからこんな仮定に意味は無いのだ。
だけど皆から蔑まれない自分という妄想はとても甘美で、少しの間浸っていた。
そのせいで声が聞こえるまで彼の存在に全く気付かなかったのだ。
「そもそも魔法が使えないだけで無能扱いする奴らが間違ってるよ」
「ディ、オン……」
「こんばんはロゼリア嬢、君がこんな夜中にこんな場所にいる理由を聞いてもいいかな?」
黒髪に眼鏡姿の彼に言われて、悲しくなんて無かったのに涙が急に溢れてきた。
安心したのかもしれない。その声にこちらを心配する気配が感じられて嬉しかったのかもしれない。
ディオンとは数回しか会ったことが無い。
なのに自分を見つけたのが彼で本当に良かったと思った。