後編
(オレンジの熊…)
ウェンディは目の前に立つ勇者の指南役、王国騎士団団長エイダンを見上げる。
二十代半ば。
若くしてこの国の騎士のトップまで上り詰めた実力の持ち主で、燃えるようなオレンジの短髪に、鋭い眼光、背は見上げるほどに高い。
聖なる洞窟にて聖剣を引き抜いたウェンディはその後すぐに役人によって城に連れていかれ、国王に謁見した。
国王からはウェンディが聖剣に選ばれし勇者であること、これから特訓を重ねて邪竜の復活に備えてほしいこと。討伐を成し遂げた暁には望む褒賞を与えることなど話があった。
しかしウェンディには話の半分も頭に入ってこなかった。国王の前で緊張していたわけではない。ノアのことで頭がいっぱいだったのだ。
『大変だ!ウェンディ少し時間をくれ。しばらくは会えそうもない』
去り際のノアの言葉が気になってしょうがなかった。
(少し時間をくれってどういうこと?まさか婚約を考え直したいってこと?)
すぐにノアに会って話をしたかったが、ウェンディは城に滞在し邪竜が復活する日にむけて特訓することになっていた。自由に家に帰ることも許されていない。
王国の大魔術師の予測では邪竜復活まで1年もないだろうとのことだった。ウェンディに残された時間は少なかった。
そして―――目の前に立つ熊のような騎士団団長、エイダンが勇者ウェンディの指南役に抜擢されたのだった。
「本当にお前があの聖剣を引っこ抜いたのか?」
半信半疑の顔でエイダンが問う。こんな頼りなさげな令嬢が聖剣の勇者などと信じる方が難しいだろう。
「はい」
「驚いたな。こんなに華奢な女が、俺がどんなに力を入れてもびくともしなかった聖剣を引き抜いたなんて。…剣の才能は生まれつきなのか?」
「いえ、私はただの令嬢です。剣はほとんど初めて握りました」
「へ?」
「運動も大の苦手です」
「あ?…冗談だろ」
エイダンにつれられウェンディは騎士団の訓練場所までやってくる。
「とりあえず木刀で素振りを見せてくれ」
「っっ重くて…これ以上持ち上がりません」
ウェンディに渡された練習用の木刀は重たくて、腰の高さまで持ち上げるのが精一杯だった。腕がぷるぷるして限界が近い。
「おい、嘘をつくな!あの聖剣を軽々と持っていたじゃないか」
国王との謁見の際、ウェンディは聖剣を掲げて見せた。それをエイダンも驚きをもって見ていたのだ。
「嘘じゃありません。聖剣はとても軽いんです。羽のようです。本当です」
「軽いだと?ちょっと貸してみろ」
ズドンッ
聖剣がウェンディの手からエイダンに渡った瞬間、その重さに耐えきれず聖剣の切っ先が地面にめり込む。
「くそっ、なんて重いんだ!持ち上がらない」
「嘘でしょ?」
目の前の熊…じゃなくて騎士団団長は鍛えてるだけあって筋肉もすごい。
その腕だって、ウェンディの胴回りより太いんじゃないかってくらいある。
「俺は素手で普通の木の幹なら粉砕できるくらいの力があるんだが…」
(木の幹?粉砕?…怖っ…)
「どうやら聖剣は選ばれた者しか扱えないようだな」
ため息をつきながらエイダンは言った。
きっと彼はなんでよりにもよってこんなひよっこ令嬢が聖剣に選ばれたのかと落胆しているのだろう。ウェンディも至極同感だ。
◇
「痛い痛い痛い…」
ウェンディは城内に与えられた部屋のベッドに転がり呻いた。
指南役のエイダンにとりあえず体力をつけるように言われたウェンディは、連日騎士団所属の騎士たちとともに運動場を走り、腹筋背筋などのメニューをこなし、それが終わったら木刀の素振りをしている。
生まれてこのかた貴族令嬢のウェンディはこんなに激しい運動をしたことがなかった。そのため身体中が筋肉痛で動くのもやっとの状態になってしまった。おまけに毎日木刀を握るウェンディの手のひらは豆がつぶれてテーピングだらけだった。
(こんなのノアに見られたら、可愛くないって思われちゃうかな…)
朝から日暮れまで、特訓の日々。
毎日、終わるころにはクタクタですぐに眠ってしまう。
(ノア、どうしてるかな?……会いたい)
ウェンディは安全のため城からの外出は制限されているが、面会はある程度自由にできた。今まで両親や兄が何度かウェンディを励ましに来てくれたが、ノアは1度も会いに来てくれない。手紙を書いても返事さえ来なかった。
城に来て数ヶ月経ったころ。
ウェンディはノアに会いたくて我慢できなくなって、訓練の休憩時間にこっそり城を抜け出した。
目指すは国立学園。
今、ウェンディは勇者としての特訓のためやむを得ず休学扱いになっているが、ノアは学年がひとつあがって3年生になった。
学園内の魔術科の校舎へたどり着くと、ノアの姿を探す。
時刻はちょうど昼休み。よくノアと待ち合わせてお弁当を食べていた中庭のベンチまで行ってみる。
(あっ、ノア!)
数ヶ月ぶりに見たノアは相変わらず格好良くて。
声をかけようとしたウェンディは彼の隣に視線を移して思わず固まった。
ノアの隣には見たこともない美しい女性が並んで座り、かなり至近距離で話し込んでいた。
長いストレートの白銀の髪も綺麗で、ノアと並んでいると美男美女のカップルのようだった。
たまたま同じ科の生徒同士で魔術のことを話しているだけかもしれない。でもそれにしても距離が近すぎる。
(…誰なの?)
ウェンディが知る限りノアにはそこまで仲の良い女子生徒はいなかったはずだ。
すぐさま2人の間に割って入って、引き離したかった。でも足が動かない。
もしウェンディが出ていってノアに迷惑な顔をされたらと思うと怖かった。そんなことされたらきっと立ち直れない。
結局ウェンディはノアに声をかけることを諦めてとぼとぼと肩を落とし城に帰った。
「おい!どこに行ってたんだ?!勝手に城から出るなと言われてるだろう」
城門付近でウェンディを待ち構えていたエイダンは怒り心頭の様子で腕を組んでいる。
「…っ婚約者が…綺麗な女性と…し、親密にしてました…」
エイダンの顔を見るなりポロポロと涙をこぼすウェンディ。
「お、おい。な、泣くな」
エイダンはそれを見て怒っていたのも忘れ、オロオロと焦りだした。
「お前の婚約者、最低なやつだな」
「ノアは最低じゃありません!」
しゃくりをあげて泣くウェンディにエイダンはますます戸惑う。
「そうか…あ、飴食べるか?」
エイダンの懐のポケットの奥から出てきた飴は溶けてべとべとで。
それを見たウェンディはやっと涙がとまった。
以降ウェンディはノアと謎の美女のことを考えないように特訓に打ち込んだ。
エイダンにそろそろ休めと言われても毎日居残って訓練を続ける。そうして何かして体を動かしていないとノアのことを考えてしまうから。
「おい、もう本当にやめろ!」
居残りに付き合っていたエイダンが木刀を素振りするウェンディの腕を止めた。
「まだ大丈夫です。もっと強くならないと…」
早く強くなって、邪竜を討伐して、早くノアのところに帰りたい。そうしたらきっとノアの隣は、その場所はウェンディのものに戻るはずだ。
「これ以上は駄目だ。手の平をよく見ろ。これ以上やると怪我が酷くなるだけだ」
言われて見たウェンディの手のひらは豆がつぶれて皮が破け、血だらけだった。
そのままエイダンに医務室に連れていかれ手当てを受ける。
数ヶ月におよぶ特訓でウェンディは手も腕も、身体のあちこちにも擦り傷や痣ができている。
「…こんなボロボロの汚い手の令嬢が婚約者なんて、男の人は嫌ですかね?」
自分の手を見つめウェンディがこぼした。
「少なくとも俺はそうは思わない。慣れないことを必死に努力する手を汚いなんていうやつは最低の男だ。そんなやつだったらお前の方から振ってやれ」
「………」
ヒュー ドン ドン
突然、大きな音が鳴り響いた。
そういえば今日は王都の祭りの日だった。こんな時世なので規模は縮小されたが今年も開催されている。
もうすっかり外は暗く、花火があがる時間になっていた。
去年はノアと一緒に出掛けた。
今年も一緒に行きたくて、祭の日くらい外出許可をもらってノアと出掛けたいと、二週間くらい前に彼に誘いの手紙を送ったがようやく来た返事には「すまない。忙しい」とだけ走り書きがあった。
「おい、ちょっとついて来い」
俯くウェンディをエイダンがどこかへ連れていく。
エイダンに連れてこられたのは城に隣接する騎士団の建物の屋上だった。
遮るもののないそこからは花火がよく見えた。
赤や白、緑の光。
夜空に次々と浮かび上がる花火をウェンディはしばし見つめる。
「綺麗…」
「今日くらい嫌なことは忘れて花火でも見てろ」
「…ありがとうございます」
「あー、団長!勇者様とこんなところでふたりきりなんて、抜けがけですか?」
「団長もやりますね」
花火見物に屋上へ上ってきたエイダンの部下たちが2人を見つけて冷やかす。
「お前らうるさい!黙って見てろ!」
ヒュルルー ドンッ
一際大きく綺麗な花火が夜空に浮かぶ。
(ノアもこの花火見てるかな…)
去年はノアと見たこの美しい花火。もし今日彼も見ていたらその隣には誰かいるのだろうか。
◇
最近城内が以前にも増して慌ただしい。
邪竜復活の兆しが本格的にみられると、国一番の大魔術師から報告があったからだ。
そしてとうとう1週間後、勇者ウェンディ含む邪竜討伐隊が辺境付近の邪竜復活の地へと出発することが決定した。
正直言ってウェンディには不安しかない。これまで懸命に特訓したものの、剣術は素人に毛が生えたくらいの程度しか上達していなかった。辺境までの道中は魔物も多い。邪竜にたどり着く前に命を落とすこともあるんじゃないかと恐怖でいっぱいだった。
そして一番の心配事は婚約者ノアのことだった。結局、聖なる洞窟で別れて以来ノアと顔を合わせていない。手紙を送っても、返事もほとんど来なかった。討伐に出発する前に一度でいいからノアに会いたい。
ここにきてウェンディはある決意を固めていた。それはノアに自分からプロポーズすることだった。
男女反対かもしれないが、「無事に帰ってきたら私と結婚してください」ってノアに求婚するのだ。邪竜討伐にいったいどれくらい時間がかかるかわからない。それでも私を待っているとノアに約束してほしい。
「おい、どこへ行く?」
城から抜け出そうとしたところを運悪くエイダンに見つかる。
「婚約者のところです。行かせてください」
「何しに行くんだ?それにお前、今から討伐メンバーの顔合わせがあるだろ」
「出発する前にどうしても会いたいんです。会って必ず邪竜を倒して帰ってくるから、帰ったら私と結婚してくださいって言うんです!」
「お、おい、お前…万一断られでもしたら、どんなメンタルで邪竜を倒しに行くんだ?」
「不吉なこと言わないでください!それに討伐に行っている間にノアに新しい恋人や婚約者ができてたら?そしたら私はどうすればいいんですか?!」
「…まあ、そのときは諦めて新しい男を探すしかないだろう。幸い褒賞金がたんまり受け取れるから、借金のある家の令息を狙うとか?」
「そんなの絶対やだ」
「…まあ、それかお前がいいって言うなら、この俺が貰ってやってもいいぜ」
熊が満更でもない顔で言った。
「貰う?何を?」
「お前を。嫁にだ」
「け、結構です!」
「そんな即答するなよ。せめてもう少し悩んでくれたっていいだろう…」
「悩む必要はありません」
そこに現れたのは王国魔術師のローブを羽織った人物。
ウェンディの婚約者ノアだった。
「…えっ、ノア!?どうしてここに?」
ノアはまだ学園にいるはずの時間だ。しかもなぜか選ばれた魔術師しか着ることができない王国魔術師のローブを羽織っていた。在学中、ノアからは卒業したら王国魔術師見習いになると聞いてはいたが、まだそれは将来の話のはずだった。
「彼は私の弟子として、討伐隊に参加することとなりました」
ノアの隣に立っていたのはウェンディが以前学園で見たあの美しい女性だった。
近くで見るとさらさらとした白銀の髪が綺麗で見惚れてしまう。ウェンディの薄桃くせっ毛とはえらい違いだ。
「こ、こちらの方は?」
「王国最強の魔術師だ」とエイダンが教えてくれた。
「申し遅れました勇者様。私はイシュメルと申します。今回の討伐で王国魔術師の指揮を任されました」
「初めましてイシュメル様。ウェンディです。王国最強の魔術師様がこんなに美しい女性の方だなんて――」
そこでクスリとイシュメルが笑った。
「?」
「よく間違われるのですが、私は男です」
「え?し、失礼しました」
「構いません」
勘違いしてしまったウェンディは顔を赤くする。イシュメルは本当に美しかったが、よく見れば女性にしては身体もがっしりしてるし、喉仏だってある。
(恥ずかしい…)
「ウェンディ」
そこでノアがこちらへ歩みよってきた。
「そうだ、ノアどうして…」
「ずっと連絡できなくてごめん。ウェンディが聖剣の勇者だってわかって、絶対に僕も邪竜の討伐についていこうと決めたんだ。でもそのためにはもっともっと強くなって、王国魔術師として認めてもらわなければならない。すぐにイシュメル様に直談判しに行って、今日までずっと特訓してたんだ」
「どんなに才能に溢れていてもノア君はまだ学生。初めは無謀だと諭したのですが、彼は本当に強情で。私の出す難しい課題を次々とクリアして、その熱意と才能に絆されました。彼はすでに間違いなく魔術師としてトップクラスでしょう」
イシュメルが言った。
「うそ…」
ウェンディの瞳に涙がたまる。
ノアは勇者に選ばれてしまったウェンディに愛想を尽かしたわけではなかったのだ。ずっと連絡がつかなかったのは、ウェンディのために必死に努力してくれていたからだった。
嬉しさと安堵で心がいっぱいになる。
「ウェンディ、君は僕が絶対守るから」
「ノア!」
嬉しくて、ウェンディはノアに抱きついた。
ノアもそんなウェンディをギュッと抱き締める。
「おーい、お前ら、イチャつくのは無事に邪竜の討伐が終わってからにしろ…」
2人の耳にエイダンの言葉はしばらく入ってこなかった。
お読みくださりありがとうございました。もしよろしければ☆評価いただけたら嬉しいです。
また思いついたら番外編も書きたいなと思っています。