ノアとの距離
私とノアの距離は離れたままだった。
今日もノアはレオンと共に辺境騎士団の訓練に参加するという。
ノアは私達がいなかった間毎日片隅で参加させてもらっていたらしい。
ノアの身長は一ヶ月も過ぎてないのにまた少し伸びたのではないかしら。
成長期って本当に怖いわ。
私はこっそりと木陰から騎士団を覗きこんでいた。
終わったら、これを飲ませようと緑の瓶をポケットに忍ばせている。
青い瓶をやめて緑にしたのだけれど、魔力回復薬と言わなければ飲むかもしれない。
なんだか作るのが日課になっていたから、飲んでもらえないとわかっていても作り続けてしまっていた。
渡せなかったとしてもプロキオンやラベンダーちゃんが飲んでくれるのだし無駄にはならないもの。
私は今か今かと終わるのを待っていた。
あら?休憩なのかしら?
皆がくだけた雰囲気で各々水分を取ったり汗をタオルで拭ったりしている。
これはこの瓶を渡すチャンスなのじゃないかしら。
私はノアが井戸の方に向かったので、そちらに足を向けた。
木陰から木陰を走る私をプロキオンが追いかけてくる。
私はさも偶然通りかかったふりをしてノアの背中に声をかけようとした。
けれども声はかけられなかった。
ノアが女の子と向いあっていたから。
「よっ、スピカ」
とんっと私の背中を叩いてきたレオンに驚き、きゃっと声を上げ私は跳び上がりそうになる。
私の声で振り向いたノア。
ノアの手は深緑の髪のメイドの女の子と繋がれていた。
「え」
何なの?それは。
口に手をやり呆然とする私。
「ん?」
私の後ろから顔を出すレオン。
「レオン!はい。これあげるわ!」
私は緑の瓶をレオンに押し付けるように渡す。
「え?あ?おう。サンキュー」
そうして、レオンを引っ張って歩き出す。
「行くわよ!レオン!」
「は?どこに?ってか、まだ訓練終わってないんだけど?」
どこになんて、私にだってわからない。
けれども、ここには居たくないと強く思ったのだ。
「何怒ってるんだ?スピカ」
「怒ってないわよ!」
怒ってるのではない。
混乱しているの。
だって意味がわからないもの。
どうしてノアが女の子と手を握り合っているの?
「ノアってメイドの女の子と仲が良いの?」
私知らなかったわ。
「あ?なんだよ?知らねーし」
「だって、さっき深緑の髪のメイドの子と手を握ってたの見たでしょ?レオンも」
「あー、うちの母親の縁者でユーロス男爵の次女のキュアか。なんか回復術をちょっと使えるけど学院に行くほどでも無いから今年から行儀見習いで辺境伯のメイドになったんだ」
私達が体験入学に行く前にメイドとしてやってきたという。
「へぇー」
私が黙っているとレオンは瓶をあおって一気に飲み「ありがとう」と空の瓶を返してきた。
「じゃ、俺訓練戻るわ」
訓練場に走るレオンを見送る。
カサリと音がして振り向くとノアが立っていた。
「ノア・・・」
たくさん話したいことがあるのに、喉の奥に言葉が詰まってしまい出てこない。
「なんか、用があるのかと思って」
ノアの声が低くなっている。
レオンはこの体験入学の間にいつも声を掠れさせていて風邪なのかと思っていたけれど、声変わりの時期なのだとレグルスお兄様に聞いてなるほど、と思っていた。
ノアもそうだったのかしら?
焦げ茶の瞳でじっと見つめられ、いつもと違う低い声で話しかけられるとノアなのにノアじゃないみたい。
「別に何も」
私は言葉も想いも飲み込んで、目をそらした。
「そう・・・」
ノアも言葉を飲み込んだようだった。
ノアが私の横を通って何も言わずに訓練場の方へ向う。
横をすれ違う時、私はスカートを強く掴んで身を固くした。
息を詰めた私に対してノアは自然体で通り過ぎた。
ノアの影を目で追う。
迷いの無い足取りを、目の端で追えるだけ追って、私はその場を後にした。
私は何に戸惑っているのだろう。
ノアは、別の道を進んでいく。
そうして私の知らない誰かと恋をして、私とは別の誰かと歩んで行く。
そんな当たり前の未来を想像したことも無かった。
ユリウス王子と婚約していたって、ノアはいつも私の側にいた。
結婚しても、側にいるだろうと思っていた。
学院を卒業しても、その先も。
私達が離れるなんて考えもしなかった。
自分はユリウス王子と結婚しようと考えていたのに。
ノアが誰かと歩む未来を想像さえもしなかったの。
「スピカ」
手を掴まれて、後ろを振り向く。
ノアが私を追って来たの?
「スピカ。何か言いたいことがあるなら言って」
私は掴まれた手を見ていた。
何だかいつもと違ってゴワゴワしているノアの手を。
「私・・・。ノアと離れたく無いなぁ」
ポツリと呟くように言う。
「しょうがないけど。ノアと離れたく無いのよ」
ぶわりと浮かんだ涙を零さないように、少し上のノアの顔を見上げた。
ノアがぐっと奥歯を噛む。
「少しづつ、慣れるよ」
少し掠れた低い声でそう言う。
「どうしよう。私、ノアに対して独占欲が強すぎるみたい」
私の言葉にノアは顔をしかめた。
「あなたが私の知らない誰かと恋をして、私ではない誰かと歩んで行くなんて・・・」
ボロボロ零れる涙を拭いもせずにノアを見つめた。
「どうしよう。ノア。あなたが他の女の子と手を繋ぐなんて嫌だって思ってしまうの」
「スピカ」
ノアは痛そうな顔をして私を見返していた。
「ごめんね。ごめんね。ノア」
ノアは何も言わずに唇を噛んだ。
言葉は何もなかったけれど泣く私の手を離さなかった。
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