ただいま
長かった旅路を終え、ようやく見慣れた景色に帰って来る。
レオンと私は小さいケンカはあったものの、いつもより仲良く旅路を過ごした。
そう、あのレオンと何日も仲良く過ごしたのだ。
ノアに話したら驚くわね。
ふふ。
ノアに話したいことがたくさんあるわ。
やっとノアと会える。
きっとノアも首を長くして待っているはず。
そう思って馬車を降り立った私の前にノアはいなかった。
お父様とお母様にただいまの挨拶とハグを交わして、キョロキョロと辺りを見回す。
「え?ノアはいないの?」
「それがな。賢者のおばば様が朝、突然訪問されて。トゥバンに会いたくて待ち切れないと」
え?トゥバン?
あっ。まだラベンダーちゃんに名前が固定してしまったこと言ってなかったわ。
それにしても賢者のおばば様が森から出て我が家にやって来るなんて!一大事だわ!
「おばば様をここに立たせてお前達を待つのはしのびないので、ノアに相手を任せて来たんだよ」
「あら。大変!すぐに行きましょう」
小走りで進み始めた私に「温室にいるよ」とお父様。
「スピカ、君に謝らなければ・・・」
「温室なのね!」
私はお父様の話を聞かず走り出した。
庭園には、お母様が大切にしている硝子張りの温室がある。
庭師のジャンが真冬なのに薔薇を見事に咲かせるから。
燦々と注し込む日射しは硝子張りのハウスを温める。
とっても心地が良い場所なのだけれど、お母様の許可が無いと入れない場所なのだ。
誰か特別なお客様が来ると、テーブルやソファを運び入れて応接間へと姿を変える。
サンルームよりも花の香が濃い硝子張りの温室はとっても素敵で、いつかは私も自分の硝子張り温室が欲しいと憧れている。
息を切らせてやってきた私が見たのは、おばば様と穏やかに話す眼鏡を外したノアだった。
私に気づいてこちらを向く焦げ茶の瞳。
懐かしいノアなのに、丸い眼鏡が無いだけで急に大人びて見えて何故かどぎまぎしてしまった。
「スピカ!お帰り!さぁ、トゥバンを見せて!」
おばば様が凄い勢いで私の元へとやって来る。
「え?あっ、はい」
私はトゥバンと呼ばれるラベンダーちゃんをポケットから出した。
やっぱりポケットの中ですやすや眠っていた様で、可愛らしいラベンダーちゃんを撫でながら見つめる。
「あぁっ!生きてて良かった!」
おばば様の大声にラベンダーちゃんがピクリと瞼を開ける。
「なんて素晴らしいの?」
おばば様が持参したスケッチブックにラベンダーちゃんを勢い良く描いていく。
なんだか、プロキオンを見せに行った時の事を思い出すわ。
「おぉ、これがトゥバン!」
後ろから興奮した声をあげるお父様が現れる。
お父様にエスコートされてここに来たお母様が軽く息を乱しているので、だいぶ早足で連れてこられたみたい。
「本当に!サファイアの様に光輝く青だ」
「あぁ、尊いわね」
おばば様とお父様がラベンダーちゃんをいろんな角度から眺める。
「おい、トゥバンって、なんだ?」
レオンが耳元で囁いてくる。
私は慌てて「あのね。お父様がつけてくれたラベンダーちゃんの名前なのだけれど」とこっそり返した。
レオンはぶほっと吹き出して笑う。
もうっ、笑い事じゃないのよ。
実はトゥバンではなく、ラベンダーという名前になってしまったと言わなければ。
けれども、興奮して、ラベンダーちゃんを観察する二人に言うのは今じゃないって感じよね。
そんな二人に圧倒されたのか、ノアは遠くからこちらを見ていた。
それも何だかよそよそしく感じて。
「ノア。あなたもこちらに来なさいよ」
と私は声をかける。
「この子を見せたかったのよ」
「うん」
そんな遠くで近寄りもしないで。
せっかく久しぶりに会えたのに淋しいじゃないの。
そう思うのは私だけなの?
私は、もう何も言えずにノアを見つめる。
レオンが私の横からノアの方へ歩いていく。
「よ!ノア!久しぶり!」
「お帰り、レオン」
いつもの双子のやり取りを見て、私だけが置いていかれた気持ちになる。
「私・・私ね、ユリウス王子に婚約解消をしましょうって言えたのよ」
その一言で温室の中は静かになった。
私はただ、ノアを見ていた。
沈黙を破ったのはお父様。
「その事だがね、スピカ」
「レグルスお兄様がお父様に説明の手紙を送ってくれたでしょう?」
「あぁ、本当にすまない。私の勘違いだったとは。スピカ、君には可哀想なことをしてしまった」
「いいえ。いいの、もうその事は」
ねぇ、ノア。
あなたは何も言ってくれないの?
私、一人でやってのけたのよ?
ただノアを見つめる私。
「それで全てが解決した訳じゃないよね」
冷静なノアの言葉。
あぁ、そう。
本当にそうね。
婚約解消をしたからと、私の死ぬ未来がそれたのかどうかわからないのだわ。
私は最初の時から一歩も進んでいないのかもしれないわ。
目の前が暗くなり、よろめきそうになった私をラベンダーちゃんが優しい香りの風で包む。
「ありがとう、ラベンダーちゃん」
ラベンダーちゃんはふわふわ飛んでキュウキュウ鳴きながら私に頬擦りをする。
プロキオンがジャンプで私の腕に飛び乗り逆の頬をペロペロと舐める。
「スピカ。安心して良いわ。あなたは確実に違う道を進めている。その子達が証拠よ」
賢者のおばば様。
そうなのかしら。
でもそうね。前回の私にはプロキオンもラベンダーちゃんもいなかった。
違う道を選べていると信じたいわ。
「ところで、ラベンダーちゃんとは?」
「は!ごめんなさいお父様。私不用意にこの子にラベンダーちゃんと呼んでしまっていたの。そうしたら、その名で覚えてしまったのか、いくらトゥバンと呼んでも反応しなくて。ねぇ、ラベンダーちゃん」
私がそう声をかけると、キュウキュウ鳴いた。
「スピカ、その名を与えてこの竜と契約を交わしたんだね」
「りゅ、竜?」
おばば様までラベンダーちゃんを竜だと言うの?
「その時、額にキスをされたのでは?」
「え?えぇ。そうね。光っておでこに触れたわね」
契約って何かしら?
「ラベンダーがスピカを守護すると約束してくれたのよ」
「まぁ!こんなに小さいのに私を守ってくれると言うの?」
プロキオンといいラベンダーちゃんといいこんなに小さくて可愛らしいのに私を守ってくれるだなんて。
なんて愛おしいのかしら。
私は愛情を込めて二匹を撫でたのだった。
読んでくれてありがとうございます。




