壊れた眼鏡
みっともなくレオンに泣き顔を晒してしまった翌日、私は眠い目をこすってノアに魔力回復薬を5本渡した。
ノアは目を閉じて息を吸うと、私を見据えて言った。
「スピカ。何度も言うけど、僕にはこれはいらない」
「えぇ、わかってる。けれど飲んでほしいの」
「いいや、君はわかってない。効かないとわかっている物の為に、君が犠牲を払う必要が無いって言ってるんだよ」
ノアが険しい顔で私を見る。
「犠牲だなんて・・・」
「この材料を集めるのに真冬に君はどれだけ時間を費やしたのさ」
ノアがうんざりしたように目を眇めた。
「だって・・・」
「スピカの気が済めばと思っていたけど、君は一向に気持ちを変えないみたいだね」
ノアはおもむろに眼鏡を外すと地面に落とした。
「僕の未練が君をそうさせてしまっているのかもしれない」
「えっ?やめてっ!ノア!」
ノアは私が止めるのも聴かず足を眼鏡に振り下ろした。
パキッと音がして眼鏡のガラスが割れた。
「いつかは、戻るかもって・・こんなのかけていた僕が悪い」
私に背を向けて去るノアの後ろ姿を呆然と見送る。
私は震える手で壊れた眼鏡を拾いあげた。
ノアの丸眼鏡。
フレームまでへしゃげている。
毎日していた眼鏡なのに。
お父様にもういらないねって取り上げられそうになった時、泣きそうにしていた大事な眼鏡なのに。
私は両手で眼鏡を胸元に押し付ける。
何でなの?ノア。
私は居たたまれなくて、歩き出した。
そんなに私がいけなかったの?
歩くスピードは徐々に速まる。
あなたが大事な物をこんな風にしてしまう程、追い詰めてしまったのは私なの?
私はただ、ノアが。
私のせいで失った魔力が。
少しでも回復できたならって。
私の罪悪感が、あなたの負担だったの?
私の足取りは徐々に重くなり、今度は立ち尽くしてしまう。
いつしか、私は森にいた。
森の木々に囲まれ、森の迷子が私の周囲を取り囲んだ。
白い動物の姿の迷子達は心配そうに、私に寄り添う。
私の足元にプロキオンがいつの間にかいた。
白いレグルスお兄様に良く似た彼が、私の目元の涙を手ですくった。
〈泣かないで〉
「泣いてないわ」
私は強がって顔を上げる。
「ノアの方が辛いのに、私が泣くのは間違っているもの」
そう言いながらも、手の中の壊れた眼鏡にポタポタと涙が落ちた。
〈泣かないで〉
「泣かないわ。・・・それでも、どうしようもなく悲しいのよ」
私がノアに寄りかかって生きていたのがわかってしまった。
ノアを弟の様に可愛がっていたつもりだったのに。
本当は私がノアに頼って生きていた。
「私がノアの負担になってしまう。それが、どうしようもなく悲しいの」
それがわかっているのに、未だに諦めきれない自分が嫌だわ。
私とノアはこれから別々の道を歩いて行く。
私は学院へ。ノアはこの地へ。
それは私が死に戻ってしまったから。
どうして私は死んでしまったの?死ななければ、ノアの魔力は無くならなかった。
そうしたら一緒にいられたのに。
「私、死にたくなかった」
もう戻れない未来だけど、あの頃に戻れたならって思ってしまうのよ。
〈スピカ、助けてあげる〉
〈名前を呼んで〉
森の迷子はいつもそう言うのね。
「いいえ。助けはいらないの」
誰かに助けてもらう問題では無いの。
「ありがとう。あなた達」
私は彼らに微笑みかけ、ポケットから青い小瓶を取り出し皆に分け与えた。
「あなた達が飲めるかわからないけれど」
けれども、彼らはそれをペロペロとなめた。
レグルスお兄様に似ている彼にも一瓶あげる。
足元のプロキオンが甘えて鳴いたので、プロキオンにも一瓶与える。
そうして空になった青い小瓶をポケットにしまった。
歩く度にカラカラなる瓶は、私の虚しい心の音のようで。
それでも前回には戻れないのだから、歩いていくしかないんだわ。
森を抜けると、私の側にいるのはプロキオンだけだった。
白い迷子達は森から出られないのね、きっと。
私はノアとだけじゃなく、彼らとも別れて生きていくのだわ。
プロキオンが私を見上げてくる。
「あなたは一緒にいてくれるのね」
抱き上げて頬擦りをしながら、ふっと思う。
「大変!あなたを学院に連れていけるのかしら!お父様に聞いてみなければ」
私は邸へ向って走ったのだった。
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