SIDEウィル
侯爵家では長い間、跡継ぎが産まれなかった。
生まれる子供が女の子ばかりだったのだ。
だから父が外で作った僕が侯爵家に引き取られた。
母から引き離された4歳の僕に与えられたのは、口うるさい四人の姉と僕を疎ましく思う義母だった。
僕の髪色が母親と同じだと、ふわふわするくせ毛がみっともないと他愛ない事で人格を否定されるぐらいの仕打ちを受けて育った。
父の妹が現王妃の為、三男のユリウス王子の御学友に指名され多くの時間を城で過ごすことになったのは不幸中の幸いだろう。
ユリウスは末っ子として、国王夫妻、皇太子やたくさんの兄姉に可愛がられて育っていた。
我が儘も無く穏やかな性格で、人と争うようなタイプでもなかったから、側にいるのは苦では無かった。
苦では無かったが、ユリウスの恵まれた環境が鼻につく事は多々あった。
つまり、ユリウスに嫉妬していたのだ。
毎日が退屈でつまらなかった。
そんな僕は早くから大人の世界にデビューし、既婚者の奥様方と恋の駆け引きをゲームのように楽しんでいた。
後腐れの無い関係が楽だったし、年上の女の人に甘えたり、翻弄させたりするのが好きだったから。
僕は無邪気なふりをして、可哀想な僕を演じていた。
いろんな女の人のベットを渡り歩き、寝物語で義母や義姉に理不尽な扱いを受けていることを悲しげに仄めかすだけで、やつらの評判は地に落ちていった。
せっかく決まっていた義姉達の縁談も破談になって、僕に暗い喜びをもたらせてくれた。
僕には侯爵家の嫡男なのに婚約者を選びもしないのだから、こんな風になっても文句は言えないだろう。
ユリウス王子が婚約者がいないのに、お前のような者にいてよいわけがない、というのが義母の弁だった。
僕のような者に家柄も良く容姿も気性も良い娘をあてがいたく無いことはわかっていたから、期待などしていなかった。
せいぜい、どこからも貰い手の無い問題を抱えた持参金ばかりたくさん持ってくる令嬢か、僕よりも一回りも二回りも年上の後家をあてがってくるのか、その辺りだろう。
僕は結婚しても気ままに夜遊びで発散をするから別に良いけれど。
義母の悪評のおかげで、父との夫婦仲も冷えているようで、僕は別れてくれれば楽になるのに、と願っていた。
そんな日々の中、ユリウスが恋をした。
僕は人が恋に落ちる瞬間というものを初めて目撃した。
二人で見つめ合い、時間が止まったような空間を、声をかけて壊す。
相手はユリウスに似合いの、美しい女性だった。
僕には、そんな感想しか出てこない。
こうやってユリウスは恋に落ち意図も簡単に結ばれるのだ、と思うと面白くなかった。
ユリウスは生まれ持って恵まれた境遇にいるのだから当たり前の事なのだけれど。
ユリウスのお相手はカミーユ辺境伯爵の娘だと言う。
レグルスの妹の。
ユリウスはすぐに国王に進言し、彼女と婚約することができた。
その前にレグルスがユリウスにしつこい程確認していた。
「本当にユリウス王子が見初めたのは私の真珠のように輝く美しい妹なのですね?」と。
それを聞いたとき、僕はおかしいな?と思ったんだ。
何故なら、僕にはユリウスの愛しい女性が少しも輝いて見えなかったから。
僕のことを特別可愛がる魔術局の局長婦人である、グリッシュ公爵婦人が「可愛いウィル、貴方だけに特別に教えてあげる」とベッドで囁いたのだ。
「これは機密よ。カミーユ辺境伯の所にはね、真珠のように輝く美しい娘がいるんですって。それはある一定以上の魔力を保持してないと見えない輝きらしいのだけれど、魔術科首席の貴方なら見えると思うわ。あの子を婚約者として乞い願うのよ。あの子を得れば、三大魔導師様達の後ろ楯も手に入れられる。わたくし、貴方に幸せになって欲しいのよ」
そんな宝くじみたいな子、得られればラッキーだろうけれど僕には全然興味がなかった。
願っても義母に握りつぶされることはわかっている事だし。
レグルスの姉達は結婚していたから、残るは二つ下の妹と3つ下の妹。
年上を好む僕には少しも食指が動かなかった。
あぁ、そういえば、レグルスを見に来た家族の中に一人だけやけに太陽を浴びているように仄かに明るい子供がいたな。
女性ではない。
子供だ。
僕は、はっとした。
これは何と面白い展開なんだ!
ユリウスの好きな女性は勘違いされている!
他人の不幸は蜜の味。
ユリウスが三大魔導師様達に見る目があると称賛を受けていた時にはっきりと確信した。
ユリウスは自分の選んだ女性が間違えられていることに気づいていない。
婚約式が楽しみで仕方なかった。
ユリウスが幸せそうにしていればしている程、僕は上機嫌になった。
あぁユリウスは不幸だな。僕みたいに性格の悪い男が友達だなんて。
でも、自業自得。ちゃんと名前を確かめなかった君が悪いんだ。
婚約式は本当に自分を褒めたいぐらいだった。
吹き出さずにいた自分を。
ユリウスの目は、終始キョドっていたのだから。
「あぁ、なんてことだ」
落ち込むユリウス程僕にとってのご馳走は無い。
「でも、今さら間違えとは言えないよね。あの何の罪もない幼い令嬢が、君のせいで傷物扱いをされるなんてさ。可哀想だよね」
僕は傷に塩を塗るやり方で攻めていく。
なんて、楽しいんだろう。
憐れなのは、光輝く君。
君は幼すぎて何もわかってないんだね、可哀想過ぎて少し君が好きになりそうだよ。
僕は愉悦の笑みを浮かべてスピカ譲を見た。
僕は夢見るようにうっとりとユリウスを見つめる彼女を可哀想に思いながら馬鹿にしていたのだ。
彼女の様子が違ったと驚いたのは彼女の誕生会を兼ねて避暑地としてユリウスにくっついて遊びに行った時だ。
あんなに屈託なくユリウスにうっとりしていた彼女が、愁いを秘めて微笑んでいた。
あ、これはユリウスの想い人が自分では無いと気づいてしまったかな、と思った。
幼い幼いと思っていた彼女が急に女の顔をしていると思ったのだ。
それはそれで、このゲームがどうすすむのか愉しみでもあった。
そういう対象でしか彼女のことを見ていなかったのに。
あれは、狩猟を終えて帰って来た時のことだった。
僕は狩猟用のメットを脱いで髪が乱れるのを他人に見られたくないので、ユリウス達に後で合流するよ、と屋敷の裏に廻った。
そんなに髪型を気にするな、とユリウスは言うけれども、僕はヘラヘラ笑いながらも実は冷や汗が出る程に心理的苦痛を伴うものなのだ。
それは幼い頃から、この髪色をこの癖っ毛を義母に執拗に責められていたから。
義母の虐待のせいで、未だに整えた髪型以外で外に出ると冷や汗が出る程の苦痛を伴うのだ。
僕は人気のない裏庭でほっと息をつきメットをとった。
タオルで髪を拭くと、我ながら笑えるほど髪がふわふわとあちこちに跳ね上がる。
急いでしっとりと整えなければ。
そう思った僕は自分の目を疑った。
誰もいないと思っていた裏庭にスピカ嬢がまるで隠れるかの様に整えられた木立の間に潜んでいたから。
僕とスピカ嬢はお互い静止したまま見つめ合った。
「何でこんな所にいるの?ユリウスなら表の庭の方に皆で向かったよ?」
僕は見られたくない姿を見られて、慌てて手ぐしで髪を必死に抑えながら、彼女に問う。
彼女も見られたくない姿だったのか、気まずそうに出て来た。
「もしかして」
ユリウスの想い人が自分じゃないとわかったから、会いづらくてここにいたのだろうかと思ったけれど直接言うのは躊躇われた。
「僕のことをここで待っててくれたのかな?」
ふざけて言えば、年相応の顔で朗らかに笑う。
「ほら、もう皆がいるあっちに迎えに出なきゃね」
促すと、スピカ嬢は頷いてそちらに向かう。
ホッとして再び手ぐしで整えようとした僕を見透かしたように彼女が振り返った。
「ウィル様。髪の毛そのままのが可愛らしいのに」
うふふ、と笑って去って行く彼女を僕は口をポカンと開けて見送った。
お日様の光を集めた様に、輝く彼女を。
まるで真珠のようにキラキラと輝く後ろ姿を。
人が恋に落ちる瞬間は、たったこんな事。
そんなことを言ってくれたのは彼女だけだった。
いや、僕を産んだ母親が。
癖っ毛を手で解いて「本当に可愛いわ、ウィル」と微笑んでくれたんだったか。
僕はじわりと浮かんだ涙を手で払う。
あぁ、イヤだな。
思い出してしまった。
虐待のような義母の扱いに毎日泣いて母の迎えを待っていた幼い頃。
もう待っても無駄だと記憶に封印した
はずだったのに。
悲しさと絶望から、もう母のことは思い出さないように決めたのに。
思い出してしまったんだ。
幸せだった自分を。
他人の不幸を望まず、だた愛する人と笑い合う喜びを。
そんなのはもう手に入らないからと諦めて生きてきたのに。
もう一度求めたいと思ってしまったんだ。
おひさまの光を灯す君とならば、僕は暗い喜びを断ち切れると。
願ってしまったんだ。
自堕落な人生をやり直したいと。
ユリウスがミアプラ嬢をうっとりと見ている。それを、スピカ嬢が悲しげに見つめる。
早く解消させるべきだ。こんな婚約は。
三大魔導士様の言う通り、僕には徳が足りなかったのだろう。
人として誇れる生き方ではなかったのだから。
ユリウスに婚約解消をされ、傷物扱いされる君ならば、義母も文句はつけないだろう。
そうしたら、本当に僕の傍にいてくれないかな。
僕は、これからユリウスとミアプラ嬢の恋心を上手く育てあげてみせるよ。
きっと、早く君に婚約破棄を告げさせるから。
そうしたら、僕が君を救いに行くよ。
あぁ、我ながら歪んだ恋心だ。
それでも、君の光に照らされて少しは清くなれるだろうか。
泥のように汚れた僕でも。
ここでSIDEウィルをもってきてしまいました
もうちょっと前に挟むお話だったのかも・・・。
読んでくれてありがとうございます




