森の迷子2
誰もいない森に夜が来る。
夜なのに私の周りは仄かに明るかった。
白い影、森の迷子達が私の周りをたくさん漂っていたから。
私はじくじくする掌と膝を言い訳に、その場に留まっていた。
皆が心配しているから戻らなければ、と言う気持ちがゼロだったわけではない。
でも、泣けてきて泣けてきてどうしようもないのだ。
そんな私を慰める様に、白い影が上を飛び周り、花びらをそっと蒔いた。
他の白い影は、私の足元に林檎の実を転がした。
別の白い影は、私が寒くならない様にそっと寄り添った。
白い影は、歌うように風を揺らす。
温かな何かに包まれるように、白い影を体に纏う。
ずっとここに留まっていたい気持ちで、私は白い影に包まれていた。
けれど、それまで何の音も聞こえなかった森に人の囁く声が聞こえた。
〈泣かないで〉
ぼんやりと前を向くと、目の前の白い影が人の様な輪郭を纏い始める。
瞬き1つの間に、ぼんやりとした人影だった物が、私と同世代の男の子に姿を変える。
驚く私に、彼はいたずらが成功したように笑った。
レグルスお兄様に良く似ている。
「レグルスお兄様?」
弱った私の心が、無意識にレグルスお兄様に助けを求めたのかしら。
彼は笑ったまま、首を振った。
〈スピカ〉
「なあに?」
〈泣かないで〉
彼が私の頭を撫でると、周りの白い影たちが姿を変えた。
空を飛ぶ小さな小鳥達に。
足元を跳ねるウサギに。
私に寄り添う熊や鹿に。
どんぐりを運ぶリスに。
みんな、白いままだった。
レグルスお兄様によく似た彼も、全部が白かった。
白い影が実体となって現れたのかしら?
「あなた達は迷子なの?」
〈僕たちは彷徨う者。迷子はスピカ〉
「そうね。私は迷子だわ」
ぽつりと呟くと涙がこみあげてくる。
〈僕たちは守護する者。きっと助けてあげるから〉
〈泣かないで〉
〈僕たちを呼んで。君を守るから〉
〈泣かないで〉
無理だわ。
私は助けて欲しいわけじゃない。
「・・・ノア。ノア。ノア」
呪文のようにノアの名前を呼ぶ。
ちゃんとノアと話したい。
それは本当の呪文のように。
夜の闇を裂いて、ノアが現れる。
「スピカ」
ホッとした顔のノア。
「やっと見つかった」
息を切らしたノアが、座り込んでいる私のもとにやってくる。
あんなにノアの名を呼んだのに、私の体は強張って動けなくなった。
「ノア。教えて」
私の目を見てノアが、横にそっと腰を下ろす。
「ノアの魔力を無くさせたのは私ね?」
「わからないけれどね」
「それじゃぁ、ノアが私を呼んだの?あんなに切ない声で。私を何度も呼んだのはあなたなの?」
ノアはギュッと私の手を握ると自分の胸に当てた。
「わからないよ、僕には。でもね、胸のここら辺がスカスカするんだ。大事な何かを無くしちゃったみたいに」
ノアの瞳は私をじっと見つめていた。
その大事な何かを探すように。
「君が眩しくなくなったのは、君が魔力をなくしたからだと思ったんだ。最初はね」
「あなた、私の魔力を眩しがっていたの?」
「おばば様が言うには魔力とは違うみたいなんだけど」
「そうよね。私魔法を操れないもの」
「それでね、君が死に戻りかを聞きにおばば様のところへ行っただろ。あの時、僕はおばば様の家が見えなかった。君に手を引かれて、ようやく見えたんだ。あぁ、僕は森に選ばれし者ではなくなってしまったのだと。それで、おばば様に話したのさ」
私の手を離そうとしたノアの手を強く握りしめる。
ノアが離れるのを拒むように。
「魔力の全てを使って、スピカの死に戻りを強く願ったのはお前だろうと言われたよ」
私の心臓はギュッと縮まって痛くなる。
「どうすればいいの?あなたの大事な魔力を奪ってしまった。私、どうしたらいい?私、あなたのために生きるわ。どうすればいい?」
縋るように尋ねる。
「やめてくれよ。それは」
「だって」
「君を好きだという気持ちは何も無いんだ」
ノアは悲しそうに言った。
「僕の心を占めていた、君を好きだという気持ちが空っぽなんだ」
「え」
「もう、君を見てもドキドキしないし、切なくなることもないんだ」
ノアは何の感情も無い瞳で私を見た。
「おばば様が言うにはね、僕の魔力だけじゃ足りず、一番大事にしていた君への恋心も代償として払ったんだろうって」
待って。
私、何も知らない。
ノアが私を好きだったなんて。
「泣かなくていいよ。僕は空っぽになったとしか感じられないんだから。君への恋心がなくなってもなんとも思えないのだから」
それはなんて悲しい告白なのかしら。
私を切実に想ってあんなに悲しい声で私を呼び戻したのはあなたなのに。
その想いはどこにもなくなってしまったなんて。
「空っぽなのね」
「そう。だから、君が僕に何かしてくれても何とも思わないのだから、何もしなくていいよ」
傷ついたように感じる私は何なの?
私をあんなに求めてくれたノアはもういなくなってしまったのね。
身を切るように私の名を何度も何度も呼んでくれたノアは。
この切なさは一体何なのだろう。
もう永遠に手に入らない、ノアの恋心。
あなたはもう私を好きになってくれないのね。
「ねぇ、それでも。どうしたらいいの?これから私」
「僕にはわからないよ。君の死に戻りを強く願った3年後の僕はいないのだから。君が何もしたくないなら、仕方ないかなって思う」
私とノアの周りをくるくる回る白い動物達。
私の涙を拭おうと手を伸ばす白い彼。
それらは、ノアには一切見えていないのだ。
「でも、君を死に戻りさせた未来の昔の僕だったなら、君に死んでほしくないと願うんだろうね。できれば僕も従兄弟として、3年後に君が死ぬなんて避けてほしいとは思うけど」
「わかったわ」
魔力を失ったノアに真摯に向き合わなければ。
「とりあえず、君が死に戻りだということは、君が話したおばば様とレオンしか知らない。レオンには口止めしといたけれど。君が公表するならば、辺境伯に話すよ。突然僕の魔力が無くなったことを愁いていたから」
「それは、ちょっとまだ言わないで」
「いいよ。それじゃ、行こうか?皆君を探している」
私は差し出されたノアの手を取り立ち上がった。
私に何も求める気持ちの無いあなたのために。
あなたの無くした魔力の為にも、私はこのまま死ぬわけにはいかないのだ。
何もしたくないと泣いていた私のままではダメなのだ。
私はそっと白い森の迷子達に手を振って、家に向かって歩き出した。
私を何とも思わないノアと共に。
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