私を呼ぶ声
神様。
お願いです。
どうか彼女を生き返らせて下さい。
自分の全てを捧げます。
命も何もかも全てを。
だから、彼女を生き返らせて下さい。
スピカを連れていかないで下さい。
スピカ、お願いだ。
行かないでくれ。
スピカ。
スピカ。
スピカ。
どこかで、誰かの悲しい声が聞こえた。
あんまりにも切なくて悲しい声だったので、上へ上へと上がっていたのに足を止めてしまう。
誰がそんなに悲しむのだろう。
何故そんなに私の名前を呼ぶの?
ミアプラお姉様がいれば皆はいいのでしょう?
どうしてそんなにも悲痛な声で私を呼ぶの?
振り向いた私に見えたのは、青い青い地球。
その瞬間、体は下に落ちていく。
悲鳴をあげる間も無い程のスピードで。
いや、回っているのだ。
地球の自転を逆回りに高速でくるくると。
目まぐるしくて見ていられない。
あまりの衝撃に私は意識を手放したのだった。
「スピカ、スピカしっかりして」
私の顔をポタポタと水が濡らす。
ぼんやりと目を開けると、そこには泣きじゃくるミアプラお姉様がいた。
カミーユ辺境伯の水の妖精、もしくはカミーユのアクアマリンと呼ばれるミアプラお姉様。
水色がかった銀髪がサラサラと私の頬に当たる。
光の当たり具合によっては水色にも見える銀の瞳から涙をいくつもいくつも零しながら、私の名を呼んでいた。
「ミアプラお姉様。私、落ちてしまったの」
まだグルグル回るように落ちていく感覚が消えない。
「ええ、そうよ」
私が口を開くとミアプラお姉様は少しホッとしたように顔を弛めた。
「私、死んでしまったのに。誰かが私を呼ぶから」
「スピカ!変なことを言わないで。あなたは木から落ちたけれど死んでなどいないから」
ミアプラお姉様が目を見開いて私に抱きついてくる。
「おい、大丈夫か?」
息をきらせて走ってきて、ミアプラお姉様の上から私を見下ろしたのはレグルスお兄様だった。
あら?なんだかお兄様全体的に小さくなっているみたいだけれど。
肩幅も華奢になって、背も縮こまったような。
「レグルスお兄様、小さくなって…」
思わず呟けばお姉様が悲鳴のような泣き声をあげる。
「打ち所が悪かったのよ!スピカしっかりして」
いつもは、お淑やかなミアプラお姉様が取り乱して泣き叫んでいるのをぼんやりと見上げる。
ミアプラお姉様もいつもより少し幼く見えるのだけれど。
打ち所が悪かったせいだろうか。
「スピカ」
レグルスお兄様の後ろから顔を出したのは同い年の従兄弟のノア。
「ノアも小さいわ」
私が呟くとムッとした顔で見下ろしてきた。
「おかしいわ。皆どうしたの?ふふ。昔みたいね、小さくって」
「スピカーっ、しっかりして」
私を抱き締めて泣きじゃくるお姉様。
「待て、ミアプラ。あまりスピカを動かすな」
「慌てなくて大丈夫よ。私死んだんですもの」
私の言葉にレグルスお兄様が顔を歪める。
「医者はまだか?」
「執事のガスパーに声をかけてきたけど」
三人があせる様子を見ておかしくなって笑いたくなった。
私の目がおかしいのかしら。三人が若返っているだなんて。
私は目眩を感じて、手のひらで顔を覆おうとして左手の指環を見上げる。
「嘘よ」
どうして指環がついているのだろうか?
私はもうユリウス王子の婚約者ではないのに。
指環はミアプラお姉様に渡したじゃない。
混乱して、目がグルグル回って私は再び意識を失った。
私、スピカは死んだのでしょう?
ユリウス王子に見初められ婚約者となった筈だったのに。
いいえ、違う。ユリウス王子が見初めたのは私ではなくミアプラお姉様だった。
王家の打診でお父様が勘違いをしたのだ。
まるで真珠のような美しい令嬢がいるそうだが、ユリウス王子の婚約者になってくれないかと。
私の名前は星好きのお父様が名付けた。
スピカ(真珠星)と。
親バカのお父様は真珠のような娘と言われて私だと思ってしまったのだ。
婚約式に現れた私を見て優しいユリウス王子は違うとは言えなかったのだ。
宝石に例えられたり妖精に例えられたりするのは美しいミアプラお姉様なのに。
一つ下の私は色味こそミアプラお姉様とそっくりなのに、どこか地味で垢抜けない残念な方の娘だったのに。
諦めようとしたのだと言う。
それでも、どうしてもミアプラお姉様に惹かれてしまうのだとユリウス王子に謝られるまで私は何年も気づかなかった。
許して頂戴とミアプラお姉様がユリウス王子の隣で泣きだすまで、気づきもしなかったのだ。
ユリウス王子の婚約者になれて浮かれて過ごした数年間。
あの日々はなんだったのだろう。
お父様に謝られお母様にも国王夫妻にも謝られ、頷くことしかできなかった。
その後のことは記憶があやふやで覚えていない。
ただ漠然と死んでしまったのだということと。
何度も私を呼ぶ、あの切ない誰かの必死な声に振り向いて地球を逆回りに回りながら落ちて行ったこと。
それだけしか覚えていないの。
あの切ない呼び掛けが。
私のことを何度も呼ぶ声が。
それが誰だったのかさえもわからない。




