其の六
――王国歴1475年 アスラ研究所
「イグナ、俺は今からまともなこと言うぞ。よく聞け」
「はあ」
アスラ研究所の一階にある大聖堂の真ん中で、イグナとズーはキャッチボールをやりながら話をしている。ズーはイグナよりも五つ年上で、反射魔法の研究を行う魔導師である。
イグナとは二年前のクロロカ掃討の際に共にルストリアを撃退したのをきっかけに親しくなった。イグナは、どの魔導師に対しても差異無くフラットに接していたが、大体の魔導師からイグナは好かれていた。理由はそれぞれで、魔法の研究に熱心であったイグナの姿勢に感心する者もいれば、イグナの必要以上に話しかけてこない、沈黙が苦にならない絶妙な関係性に好意をもたれていたり、ある者はイグナの小話が面白いという者もいる。
ズーの場合はイグナに魔法探求への純粋な熱意が、その心を動かしていた。
「はっきり言って、戦争に加担する者は必ず狂っている」
「と、言うと?」
イグナとズーの間をボールと言葉が行ったり来たりしている。大聖堂には二人しかおらず、小さな麻袋に藁をぎゅうぎゅうに詰めた不格好なボールが、お互いの掌に収まると、パン、パン、といまいちやる気のない音が響いた。
「この大陸には戦争や、闘争が絶えないだろう? 俺の故郷のスルトなんかその筆頭だが」
「そういえば、ズーはスルト出身でしたか。俺も小さいころ住んでいました」
「そうか。なら知っての通り、スルトは力の国だ。小難しい法律が乱立するこの大陸では最もシンプルな国と言ってもいいだろう。だが、他の国だって外側が違うだけでやっていることはそんなに変わらない」
「差別と、略奪か」
「まあ、そんなところさ。俺はね、これは人間に備わった本能であると思っている。その本能を前面に出すか、裏側に抑え込むかで人格を形成しているんじゃないか、とまで思う。そこで、戦争に加担する者の話だが、戦争を引き起こす者、戦争を行う者、戦争を止めに入る者、戦争で儲ける者、様々だが、そのどれもが等しく狂人であると断言できる」
「止める者、調停者ルストリア、か」
「ああ、ルストリアは別枠だ。彼らも狂っているが、戦争を行う者達の数百倍は狂っている。昨年、この研究所が壊滅に追い込まれた際に目の当たりにしたが、常軌を逸している。逸脱しすぎている。アーリーが殺したパンテーラは、死んだ後も足首を掴み、オーバーフローするまで魔法を放ち続けていたそうだ。当のアーリーはすごいものが見れたと、大喜びしていたが、俺からすれば『おばけ』なんかよりももっと身近で、もっと不可思議で、もっと怖く感じたよ」
「それは、なんでしょうね、調停者の意地や、プライドなのかな?」
「ルストリア軍の中には、裁きを行い続けることで、自身が人間を超越したと勘違いする者も多いらしいが、パンテーラ級になってくると、一切そんな言動はなくなる。彼らは、正義の使徒のように扱われ、模範的な人間のように見られがちだが、とんでもない。彼らこそ、この大陸が生み出した最大の狂人集団さ。それに比べれば、俺たちの集団なんてかわいいもんだ」
「……どうして、今そんな話を?」
「ああ、近いうち大きな戦争が起きる兆しがある。俺たちを中心としたやつだ。その時に、お前もルストリアのパンテーラ級と戦うだろうから、ま、いわゆる老婆心ってやつだな」
「そうですか、でも俺は……」
「わかっている、お前が負けるなんてことはそうそう無いだろうよ。現状で、お前はあらゆる魔法の見え方を変え、他の魔導師とは別の次元で育った実力者だ。だが、念には念をだ。俺たちは個の強さを武器にしているが、奴らは勝つためなら何でもやる。そう、何でもだ。それならば、こちらも備えておかねばなるまいよ、盤石な勝利に向けて」
「ありがとうございます。でも、パンテーラの魔法をもう一度見たいという気持ちでいっぱいだ。二年前に見たのは衝撃的だったからなぁ」
施設に正午を知らせる鐘が鳴り響く。
その音を聞いて二人は、ボール代わりにしていた麻布を魔法で燃やすと、食堂へと向かった。
「そうそう、さっきの話で言えば、ルストリアの実力者は狂っているってことだったけど、そうすると一番の実力者であるベガが最も狂ってるって寸法になる気がするけど」
「それは、そうだろう。雷帝ベガ、昨年のここへの襲撃が仇となって、左遷したと聞いたが、あそこまで優秀な魔導士であれば、内面はとんでもないものを抱えているはずだろうな」
昨年電撃的にアスラ研究所を壊滅に追い込んだベガであったが、その功績は世間では評価されることはなかった。これは、ローハイトによる政略で、交流のある、というか互いに利用し合う、シーナの国王に対して、圧力をかけて、ルストリアの勝手な判断によって国内の自由な思想が失われたと国交問題にするように命じた。結果として、指揮を執ったベガが責任を追及され、大佐という役職を更迭されたのだった。
「お、そういえばチャンゴはどこ行ったんだ?」
「ああ、チャンゴは……どこ行ったんだろ。まあ、またイブリスのところに行ってベガに化けてドッキリとかやってるんじゃないかな?」
「あいつ、ほんとあれ好きだなぁ。まあ、毎度クオリティを上げてくるんだから、もう既にあいつはベガよりもベガらしくなっているのかもしれないな」
――その頃、イブリスの私室では。
「こんにちは、イブリス。貴方を裁きにきましたよ」
ベガが訪れていた。
イブリスは、この後行われる月一回の車輪運動の品評会に向かうべくいつもよりカッチリとした衣服に身を包み、鏡に向かって化粧をしていた。その鏡越しに見えたベガは、いつもと少し違った様相で、どこが違うのかをイブリスは凝視し言った。
「今回は服装の質感を変えたね。あとは、髪形も少し違うか。今日のは一段と……。腕を上げたね」
イブリスが、そう言うとベガは少しだけ笑い、次の瞬間、部屋を満たすほどの雷撃を放った――。
「あれ? チャンゴ、お前イブリスのところに行ってたんじゃないのか?」
ちょうど食堂の前で、大慌てのチャンゴが前方から走ってくるのが見えた。
「やばいやばいやばい! ルストリアの魔道兵達が来た!」
と、チャンゴが走りながら叫ぶのと同時に、轟音が聞こえ、ズーの歩いていた通路のすぐ横の壁をぶち抜き、アーリーが吹き飛んできた。
「だ、だ、大丈夫ですか? アーリーさん!」
チャンゴが、駆け寄ろうとするが、アーリーの放つ殺気にピタリと身動きが取れなくなる。
「王に血を流させたな。下郎が。貴様も食ってやる」
既に臨戦態勢でまともに会話が出来そうにない様子であったが、イグナとズーはすぐに自身の体に彫り込まれた無数のルーンに魔力を込めた。
「さて、朋党比周、極悪非道のマグナ・ディメントの悪鬼羅刹共よ、この俺様ルストリア魔導軍大佐、バルザックが来たからには観念なされよ。おとなしくお縄につけぇい!」
「やっべぇ、かっこよすぎだろ。親分」
全ての髪の毛が天に向いており、身長二メートルは優に超える奇妙な口調の大男バルザックと、恐らくは十四、五歳のまだらな茶髪の見習い魔道兵士が、アーリーに向かって歩いてくる。アーリーはそいつらに対して敵意をむき出しにしており、イグナとズーは二人の敵に対して詠唱を始める。
アーリーは血中魔法を既に発動しており、イグナ達の魔法の発動を待つことなく壁の外にいるバルザック目掛けて走り出した。バルザックは棍棒を持っており、目の前の特攻に思い切り振りかぶると、一息に横なぎした。
突撃したアーリーは既に目で追えるほどの速さではなかったが、バルザックの棍棒がこめかみあたりに直撃すると、バルザックから見て右方向のテラスを飛び越え、その先の林まで吹っ飛んだ。
すかさず、イグナの魔法で作った氷の弾丸を打ち込んだが、バルザックはその弾丸に向かって「かっ!!」と強く叫ぶと弾丸は粉々になって消えた。ズーは反射魔法の詠唱をし終えたが、相手が魔法を使ってこない様子を見て、魔法の発動をおさえていた。
「手配書によると、アーリー、ズー、イグナの三名で間違いないな。魔導師、と言うのだったか。言っておくが、俺様はとっておきに強いぞ。しかも……」
と、バルザックは話している途中ではあったものの、建物内で狼狽えるチャンゴ目掛けて、障害物や壁を棍棒でドガドガと破り壊し、突撃してきた。
「慢心も容赦もない!」
「うわぁぁぁぁ! 勘弁してください勘弁してください!」
と、チャンゴはうずくまり頭を抱えたが、バルザックの棍棒が振り下ろされることはなかった。
「念のため、ここの壁全体に変性魔法をかけて粘度をあげておいた」
イグナがそう言うと、目の前のバルザックの体にはどろどろになった壁が纏わりついており、既に変性魔法が解けた今、どろどろの壁は元の硬度に変わり、バルザックを拘束していた。だが……
「うおらぁぁぁぁ!」
バルザックが叫びながら力を入れると、壁ははち切れ、近くにいたチャンゴ、イグナを棍棒で薙ぎ払った。咄嗟にイグナは障壁魔法を展開したが、そんなものまるで無かったかのようにイグナの左腕を肩口から吹き飛ばし、チャンゴは直撃こそしなかったものの、風圧で吹き飛ばされ頭を打ち気絶してしまった。
「小細工に頼るなど、実に女々しい! 弱弱しい! そんな者共が市民の平和を脅かすなど、まったくもって腹立たしい!」
「貴様の場合は、容赦がないのではなく、品が無いのでは?」
バルザックの背後でアーリーが、茶髪の見習い兵の首に指を立てながら言った。少年はすまなそうにこちらを見ている。
「馬鹿者が……油断しおって。言っておくが、そいつに人質としての価値はない。ここで死ぬのならそこまでの人間ということよ。勿体ぶらずに殺すといい」
バルザックがそう吐き捨てると、アーリーはそのまま指で喉を抉ろうとしたが、次の瞬間には少年兵に殴り飛ばされた。
「酷いっすよ! そこは、やめろ! くらい言ってほしかったんですけど」
「なんだ、うじうじうじうじ、手前は女か?」
少年兵は、首をごきごき鳴らすと、隊服を脱ぎ捨て上半身裸になる。すると、そこには隊服の上からは分からないほどの筋骨隆々の肉体があらわとなり、まるで格闘家のような構えをとるとこう言った。
「俺は、バルザックが一番弟子バルバロッソだ。ガキだからってなめるんじゃねぇぞ!」
イグナは、腕を捥がれた部分に氷結魔法をかけ止血を行った。そのうえで、この異常な状況を分析し、疑問を解決しようとしている。
イグナの疑問は二つ。一つ、血中魔法によって限界まで強化されたアーリーを蹂躙する暴力の正体。もう一つは、魔法を放つ素振りが見えないことだ。二つ目の疑問に関しては、こちらにズーが居て、ズーの反射魔法を警戒されているのではないかと仮説が立つ。イグナが放った氷の弾丸をかき消せるほどの実力者だ。魔法自体は使えるはずなのだ。だが、最初の疑問には答えが出ない。
イグナが思考を巡らせている間にもアーリーは立ち上がり、バルザックに向かっていく。ズーはその近くで、詠唱を終えた反射魔法を掌にストックしながら放つことが出来る程度の弱い魔法を放って相手の注意を逸らそうとしている。時折、バルバロッソがズーを狙って攻撃してくるが、その行為はアーリーに見抜かれて妨害されてしまう。
「一体なんなのだ、貴様らは。なんの魔法を使っている? 若干興味が湧いてきたぞ」
戦闘を行いながら、アーリーはバルザックに尋ねると、一度距離を置き笑いながら言った。
「魔法だ? 笑わせてくれる。これはな、単純な暴力。人間の持つ力そのものだ」
「は?」
「二度言わないと分からないか? 研究者、なのだろう? この俺様の力は、単純に鍛錬を重ね、愚直に戦場で成果を上げ、良いものを食い、良い仲間に恵まれ、地道に培った肉体による暴力だ」
その発言は、魔導師三名にとって想像もしなかった答えの為、一瞬、その場の時が止まったが、すぐさまアーリーがバルザックに突撃すると、イグナとズーは詠唱を始めた。今まで不明であったがために対処に躊躇が生まれていたが、只の身体能力なのだとすればいくらでも対応のしようがある。
まずは手始めにイグナは範囲氷結魔法で相手の動きを封じ、ズーの風の刃を生み出す魔法でバルザックの首の動脈を狙った。が、氷結魔法はバルザックの雄叫びのようなものにかき消され、残った風の刃は狙いを外し後方に飛んで行ってしまった。だが、この二つはアーリーの攻撃への布石であり、バルバロッソを前蹴りで吹き飛ばしたアーリーはバルザックの背後の死角から、自身の血液で作った剣を振りかぶり、脇腹に突き刺した。
「ぐっ! 小癪、な」
「ふん、もう無駄だ。貴様は、詰み、という状況だ」
「罪ぃ? それはお前たちのことだろう。ぐっ、がぁぁぁ!」
バルザックはその場で片膝をつくと、刺されたわき腹から剣を引き抜こうとする。だが、その剣はどんどん小さくなっていき、ついには無くなってしまった。
「今、貴様の体の中に私の高貴な血が流れ込んだ。どんな強靭な肉体であろうと、内側を鍛えることは出来まい。このまま、凝固させ、死んでもらおう」
「ぐ、ぐおあぁぁぁぁ! うおらあああぁぁぁぁ!」
バルザックは、付近一帯の誰しもが耳を塞ぎたくなるほどの大声を出すと、顔を真っ赤にしながら、強く力んだ。
そして傷口周辺を両の手で、爪がめり込む程ぎゅぅーっと鷲掴み圧迫しながら、アーリーの血液を放出し始めた。その光景は人間の首を飛ばした時に近いような、横向きの噴水のようにも見え、誰がどう見ても死に至る出血量であった。
「師匠!」
バルバロッソが叫ぶと、バルザックはアーリーに対して棍棒を振るい、距離をとって言った。
「問題ない! 俺様はこの通りピンピンしている!」
誰がどう見ても強がりのように見えたが、事実バルザックはすぐに戦闘の姿勢をとりイグナの方に向かってくる。遠くで見ていたバルバロッソも同様にイグナの方へと近づいてくる。
「しかし、あの『がり勉クソ眼鏡』の言う通りの展開で、些か心地が悪いな」
「流石智将、雷帝ベガっすね!」
ベガを隊長とした、イブリス暗殺部隊が構築されたのは一年も前のことであった。
ベガは、ここアスラ研究所を壊滅させた際に、その後の自身に降りかかるシーナからの圧力を予期していた。大佐という立場は事前に更迭されるということを織り込んでの作戦であった。更迭、左遷という状況を利用し、姿をくらまし、マグナの人員の調査を行い、一人一人の個性や固有魔法を洗った。更に、一年後の今日を見据えて、同様の場所に研究所を建てるように巧妙に工作を行った。
具体的には、マグナの信者を集め、アスラ研究所跡地を聖地と吹聴し、再建の声を上げさせたのだ。これを見たシーナの富豪は、マグナの信者の多さを改めて認知し、マグナへの出資を増加させる。その勢いを殺す意味も無いマグナは、聖地に再びアスラ研究所を建設したというわけだ。
マグナは不屈である、という象徴としてアスラ研究所を建築するにあたり、信者は以前と同様の建物を建てることを望んだ。これにより、外見上は既に攻略された建築物を再び建てることを強制されることとなり、ベガは難なく潜入することが出来た。
「まいったね、マジにベガが来るとは思わなかったよ」
複数の電撃により、四方の壁は焼け焦げ、辺りには煙が充満していたが、しばらくすると視界が戻ってきた。
「マグナ・ディメント当主、イブリス。貴方を処刑しに来た」
「おやおや、自由と平和の国ルストリアの雷帝さん、弁論ぐらいしたっていいじゃないか」
「それをするには、少し時間が足りないようだ、な」
ベガの指先から放たれた電撃が地面に落ちると、そこに電撃で構築した魔法陣が出来上がった。その魔法陣は自由に地面を動き回った後、目にも留まらぬスピードでイブリスに向かっていった。
「これはなかなかに、面倒な魔法だね」
イブリスはそう言うと指を弾き鳴らす。すると、付近の床がはじけて向かってきた魔法陣ごと消し去った。その間にもベガは魔法陣をいくつも精製し、次々に床や壁に配置していった。
「ベガ、お前なかなかにいい男じゃないか。容姿だけでなく、私の処刑を必ず完遂するという意気込みをひしひしと感じるよ。噂にたがわぬ優れた魔法使いだ。しかし、だ」
イブリスはそう言うと、全身から無数の電撃を繰り出し、配置された魔法陣を次々に消していった。
「お前が出来る魔法は、私にも出来る。そもそも、こんな配置型の魔法陣などは事前に準備していなければ脅威にならない。この魔法陣の配置は大方電撃の指向性を強めるためのものだろう」
「二十六」
「ん?」
「二十六、私が今この部屋に配置した魔法陣の数だ」
「そうなんだ、それで?」
「貴方が破壊した魔法陣は全部で二十。六個は可視化できないように細工をしてある」
「そう? じゃあ使えば?」
「言われずとも時が来れば」
「ねぇ、念願の標的と対峙しているわけなんでしょ? もう少しテンション上げるとか、会話を楽しむとかないわけ?」
「標的と対峙することと、高揚したり、会話を楽しむという感情に関連性が見えないな」
「あっ、そ。いい男だけどお前はだめだな。ユーモアがない」
ベガは眼鏡をくいっと上げ、手のひらを広げ魔法を放とうとするが、それよりも早くイブリスが指を鳴らすと、目に見えない音波がベガに飛んでいく。しかし、ベガとイブリスの間で突如として勢いよく床がせり上がり壁を作ると、イブリスの音波がそれに当たり粉々に砕けた。
「なるほど、魔法の方のユーモアはあるってことね。ま、私のところに単身で来たんだ。無策ってわけはないか」
「一応、一つだけ、一つだけ聞いておきたい」
「ん? なんだい。雑談でもする気になったかい?」
「雑に行う談話に興味は無い。私が聞きたいのはたった一つ。何故、石守を抜けたのだ。イブリス、いや、『オグズ・ケイラ』よ」
「……あーら、流石智将、と言いたいところだけど……。人には踏み込んではいけない領域がある、今お前はそれを踏み越えたな、ガキ」
大陸には原魔結晶石と呼ばれる魔力調整装置のようなものが五つあり、これらは石守一族によって保護、管理されている。一般人がこれを知る由は無いが、一部の王族や、限られたほんの一部の人間がこれを知っており、必要があれば石守と連携し大陸の平穏を守っている。
そんな石守一族の中にオグズと呼ばれる家系があり、彼らは生まれた時から、死を迎える時まで石守として責務を全うする。しかし、何事にも例外はあり、イブリス、改め『オグズ・ケイラ』は、石守一族を抜けた歴史的に見てもかなり珍しい人間であった。
「その肉体では私に勝てないよ、ケイラ」
「その名で呼ぶな!! ブチ殺すぞ!」
ベガは、怒りをあらわにしたイブリスに対して不敵に笑う。ベガが言う『その肉体』とは、イブリスの内臓がむき出しになった腹部のことであり、これは石守が一族の人間に施す肉体に内蔵する鍵『フロート・フランタ』を強引に抜き取った後遺症であった。
内臓に深く絡みついたフロート・フランタは、石守の魔力に呼応し大陸内どこに居ても居場所を知られてしまう。それを危惧したイブリスは、それらを強引に除去し、体に刻み付けたルーンを併用し魔力で内臓を補完している。これによってイブリスの魔力は、石守であったときの十分の一程度になってしまい、ひどく弱体化した。それでも、今まで捕縛に至らなかったのは、イブリスの実力、魔力が常軌を逸した強さを証明していた。
「何故、抜けたかだと? そもそもあのじじいは、ルストリアの内部に石守を入れたのか。本当に、何から何まで癇に障るじじいだ」
激昂するイブリスは、ベガに向かって数回指を鳴らす。再び音波による見えない攻撃がベガを襲うが、ベガは特別何をするわけでもなく、じっとイブリスを見つめた。
ギィンギィンと、金属音がした後、ベガの周りが青白く光り、イブリスはベガが障壁魔法を張っていることに気が付いた。本来であれば、イブリスの音を操る魔法は障壁魔法を貫通する。しかし、そのことは織り込み済みでベガは砂鉄を細かく混ぜた障壁魔法を張っていた。音は砂鉄に乱反射し、その都度音波に乗った魔力は分散されてしまう為、イブリスの攻撃がベガに届くことは無かった。
「ちっ、私の魔法は既にじじいから聞いてるってことか」
そう言いながら、イブリスはベガを別角度から狙おうと、一歩、また一歩と横に歩いていく。
「これならば、どうだっ!」
イブリスは音波を壁に反射させ、間接的にベガを狙う手段に出ようと手を伸ばしたが、ベガは軍服についた砂鉄を払いながら言う。
「残念だが『これならば』は無い」
そう言うと、ベガの指から光線のようなものが一瞬イブリスに向かって走り、その体を貫いた。
「あっ……。くっ、ま、不可視の魔法陣か……」
イブリスが、よろめきながら後ろを振り返ると、一つの小さな魔法陣に電気が宿っており、ベガは魔法陣と自身を結ぶ直線状にイブリスが入るのを待っていたのだ、と気が付いた。
ベガが、指先でまるでピアニストのように複数の魔法陣を操ると、それぞれの魔法陣が発光する。イブリスは咄嗟に障壁魔法を張ろうとするが、それよりも早く六つの魔法陣から電気で出来た槍が現れると、イブリスを前後左右から串刺しにした。
体から大量の血が一瞬噴き出たが、電気の槍の熱であっという間に焦げ、異臭が立ちこむ。
ベガが単独でイブリスの元に訪れたのは自信があったから、ということだけではない。石守の一員であるベガは、何としてもマグナの当主であるイブリスを、罪人の石守を、どこに情報を漏らすことなく葬りたかったからである。石守を行う人間が、新興宗教を立ち上げ、大陸で犯罪行為を繰り返している、となれば、大陸全土が混乱に陥ることは明白である。
そんなベガのイブリス処刑計画には、その取り巻きに対処する人間の設定が必要不可欠であった。マグナ内でイブリスの次に実力のある人間アーリーと、反射魔法持ちのズー、知略を得意とするイグナ、これらに対応できる人間を少数精鋭で選ばなくてはならない。大所帯で攻め入れば、シーナ軍からの妨害や、マグナの人員との大規模な戦闘が起きてしまう可能性が高く、隠密的にイブリスを殺害することが叶わなくなってしまう。そこで、主要魔導師三名に同時に対処できる精鋭を用意した訳だ。
バルザック、ルストリア魔導軍大佐。
ルストリア内で実力者の集まりを取り仕切る者の一人である。彼は、軍内では無敗の軍人と呼ばれている。特徴としては圧倒的なフィジカルがあげられており、その自身の巨大な肉体に対する強い信頼が強烈な思い込みを生み、全ての魔法効果に対して耐性を持つという、常識の枠から超えた男であった。
そんな彼は、一度戦場に出れば多大なる力を発揮し、軍として敗北する戦局はあったとしても、個人としての戦績で黒星がつくことは無かった。今回の任務において、重要な点としては、血中魔法のアーリーに対して対等に渡り合うことと、反射魔法のスペシャリストであるズーが現場にいる以上は安易な魔法が扱えない状況を同時にクリアする必要があった。
更に、ベガとしては知略のイグナも危険視していた。策士が現場にいることで、状況がひっくり返ることなど、戦場で当たり前に起きる。こと戦場においては相性があるが、かい摘んで説明すると策略家は攻撃的な姿勢に弱いというのが通例であり、これまでの条件を全て満たす者はバルザックのみであった。
「ぬははは、他愛ない。仮にも導師と名乗る者どもが三人も集まってこの程度か」
バルザックの高笑いが晴天に響く。イグナに加え、ズーも致命傷を負わされ、まともに戦えるのはアーリーのみになってしまった状況であったが、ここでアーリーは全身に魔力を漲らせる。
「まだ、何かやることがあったか、独りよがりの王よ」
「……開放だ」
アーリーがぼそりと呟くと、全身がゴキゴキと音を鳴らし、皮膚にはルーン文字が浮かび上がってくる。
「痴れ者め、王の力を見よ」
アーリーの全身からはありとあらゆる魔法陣が生成され、複数の魔法が無差別に辺り一面にまき散らされる。それまで余裕の表情を見せていたバルザックだったが、ここにきて真剣な面持ちに変わる。
「面白いじゃないか、そう来なくてはな!」
そう言ってバルザックがアーリーに向かって棍棒を構える。アーリーは、炎や氷、雷や風、無数の魔法に囲まれながら一歩、また一歩とバルザックに近づいていく。激しい魔法の勢いに、研究所の壁はボロボロと音を立てて崩れ、辺りを吹き荒れる暴風に吸い込まれていく。天変地異が襲ってきたかの様な轟音に、チャンゴが目を覚ます。
目の前にはイグナが片手で障壁魔法を発動し、チャンゴを守っていた。
「こんな時に寝てるなんて、なかなか大物だな、チャンゴ」
「イ、イグナ、これは」
「説明するには、時間と余裕が足りないな」
そういうイグナであったが、実のところイグナもこの状況を正確に把握してはいない。見て想像はするが、真偽の確かめようもない。ただ、魔法陣から出た魔法が次々にアーリーに吸い込まれる様子を見て、今までストックしてきた魔法素養を一度吐き出し、その全てを喰らっているように見える。この推測は概ね当たっていた。
アーリーは、今までに喰らった人間の魔法素養を目の前に全て並べ、それらを摂取することで自身の肉体や血中魔法を大幅に強化する行為、謂わば奥義を発動した。
食人行為における魔法素養ストックの原理で最も重要な工程は『圧縮』である。人一人が持てる魔力に限界があるように、魔法の適性も過剰に積み重ねてしまえば、あっという間にパンク、誤作動を起こしてしまう。それを避けるためには、魔法使用の際だけ表に出るような仕組み、魔法素養の圧縮、解凍が必須である。
アーリーはそのメカニズムを知る前から、無意識に圧縮しており、むしろ、前に食べたことのある魔法が発動しない、など、解凍の手順を知ることから自身の体と向き合った。この奥義は、強引に貯めた魔法素養を全て発動させ、無理やりに自分の体に戻す行為で、増幅しつくした魔法をその身に宿すこの行為は、超短期的に戦闘能力を格段に引き上げる。
だが、同時にアーリーの肉体に甚大な負荷がかかるだけではなく、今まで集めた魔法素養がランダムに焼き切れてしまい失ってしまう、リスクの非常に多い、奥の手として備えているものであった。
次第に魔法の嵐は収まり、全ての魔法が収束したアーリーの肉体は赤黒く光り輝き、血液で固めた王冠をかぶっている。アーリーは一歩一歩噛みしめるように歩き、やがてバルザックと衝突した。バルザックが棍棒を振るうが、アーリーはそれを片手でへし折り、手刀を用いて相手の首を狙った。バルザックは、繰り出された手刀に対して、棍棒を手放した両手でガードするが、受けた腕は片方折れ、十メートルほど吹っ飛んだ。
一方でズーと対戦していたバルバロッソは、単純な力押しでズーを圧倒していた。
ズーは既に臓器を複数損傷し、その負傷の一つが臓器に取り返しのつかないダメージを与えていたため、その臓器に治癒の魔法を行い、反射魔法をいつでも発動できるように備え、中級魔法でバルバロッソに対抗する。バルバロッソは、バルザックのように魔法をかき消したりは出来ないが、魔力のこもった拳で相手の魔法をいなし、直撃を避けながら戦っていた、ズーは環境を変えるような殲滅魔法などを放ちたかったが、詠唱を行うことはおろか魔力を練ることもバルバロッソは許さなかった。距離を詰め、しつこく攻め立ててくる。そこで、少し離れているイグナは、大規模殲滅魔法や、中級魔法での援護を行うべく魔法を唱えようとするが、そんな素振りをみせようものなら、バルバロッソがすごい勢いで走ってきてイグナを殺害しようと動く。
そもそもこのフォーメーションになったのも、イグナという頭脳を活かしたほうが、この戦闘が優位になると考えたズーの判断だった。実際、イグナはこの戦闘に対して様々な思考を巡らせ、勝利しようと考えていた。だが、対するバルバロッソの狙いはイグナの殺害であり、隙あらばイグナの首を狙い、そこら辺の適当な瓦礫などがあれば投げたり蹴ったりで遠距離攻撃までしてきた。幸い、物理による攻撃のみであるという行動パターンから障壁魔法は単一的なもので済んだが、攻撃の精度自体は恐ろしく高く、破壊力も尋常では無かったため、繰り返し障壁魔法を張りなおす必要があり、気を緩めることは出来ず、冷静に思考を巡らせるための時間を着実に削った。
『まず戦闘時、イグナを殺せ。頭脳を潰すのが優先だ。恐らく、そこにズーがカバーに入る、何故なら反射持ちはフォローに特化している可能性が高い。つまり、ズーには決定打が無い。これは適当にあしらっていい。基本的には、というより、ズーが死ぬまでは魔法の発動は無しだ。仮にイグナが守りの姿勢に入った場合は、その間にズーを削り殺せ。アーリーに関してはバルザックに一任だ。もしもバルザックが敗走した場合は、君も共に逃げて良い。まあ、無敗の男がこんなところで負けるわけはないとは思うがな』
これは、バルバロッソに言ったベガの言葉だ。
ベガはバルザックに対して絶大な信頼を置いていたが、ベガの計略において『絶対』は『絶対』に無いという考えであった。その為に、幼くも有能であるバルバロッソに対して保険をかけ、そのバルバロッソの命に対しても『万が一の際には敗走しろ』と言い保険をかけている。この敗走には二つの意味があり、この戦闘が苛烈になり、お互いに消耗が激しい場合は『敗走を見逃す』という場合と、マグナ側は軽傷だった場合は『敗者を見逃さない』という可能性に配慮している。
当然、バルザックら二名をマグナが追うとなれば、それ相応の労力を必要とし、相当の時間がかかる、ベガとしてはこれだけでも時間を稼ぐことが出来、作戦は成功する。仮に、互いに消耗してしまっているのであれば、それだけでも相当に時間が稼げているし、万が一イブリスの加勢に現れたとしても消耗した状態であればベガの敵ではない。
「ここまで、とはね。石守の犬め」
「こちらのセリフだな。まさかここまで弱っているとは」
イブリスの私室は真っ黒に焦げ付き、イブリス本人も右目眼球破裂に始まり様々な体の部位が黒く焦げ付いている。
「そんなにもたもたしてていいのかい? 騒ぎを聞きつけたアーリー達がここに来るよ」
「ふふっ。アーリーがあなたより強いなら可能性はあるが、そうではないだろ。まあ、この程度なら来たところで、だがな」
「うちの子たちは強いよ。単純な戦闘能力ならアーリーは私の戦闘能力に近い実力を持っている」
「うちの子、か。あなたの父親に聞かせてあげたいもんだな」
「もうその安い挑発はいいよ。こちらをかき乱すのは、お前の戦闘スタイルかな? いい死に方はしなそうだ」
「それに関しては、お互い様と言っておこう」
「ははは、それも、そう、だねっ!」
イブリスは、全身から強烈な音を出し、音の魔力で出来た膜を周囲に顕現させると、その膜はどんどん広がっていった。膜は物質に触れると、その物質を超振動させ消滅させる効果があり、床や壁を次々に消滅させていく。しかし、ベガは慌てることなく、杖をイブリスに向けると片目を瞑り標準を絞り、詠唱を始めた。
「審判の日を定め 悠久の時を行く 旋律の刹那に集いし 虚空の閃光よ 我が契約の言葉を持ってここに顕現せよ」
詠唱を始めると、ベガの体に無数の電気の束が走り、目の前に球体となって収束していく。
「ゼレル・バトス」
ベガがぼそりと呟くと、目にも留まらぬ電撃の球体がイブリスの心臓を貫き、イブリスの胸にぽっかりと穴が開くと、音波の膜はかき消えた。宙に浮いていたイブリスは、音の膜により窪んだ床にボタリと落ち、ベガはゆっくりと近づいていった。
「ははは、これはやられた。うまく、私の体のルーンを消したもんだね」
「まあ、最初からそれを狙ってたからな」
イブリスの体には合計五つの『再生のルーン』が刻まれており、このルーンがある限り、肉体はルーンを刻んだ時点に戻る、というイブリスオリジナルのルーン文字が刻まれていた。しかし、オリジナルとは言えど、その実は石守の長寿に関する知識からくるもので、石守の人間であるベガはこれを想定していた。そこで、ベガは戦闘中その部分だけを狙い、最後にこれらのルーンを操作する核となるルーン文字が彫られた臓器、血液に乗せて再生の効果を乗せることのできる、つまり心臓を貫くことで勝敗が決した。
「ああ、何となくこんな感じで終わる気がしてたな。こんないい男に殺されるのは華があっていいが、石守の関係者に殺されるのはたまらなく嫌だわ。飴と鞭を同時に味わうような気持ちだけど、おおよそ鞭のほうが多いな」
「イブリス、いや、ケイラ。あなたの事情は半分も知らない。ただ石守を抜け、大陸を混乱させた罪人。今あなたが話したとしても、私はそれを信じられるか微妙なところだ。だから、このまま殺すことにするよ」
「あはは、その酷く暗く冷めた感じ、いいな。平和とは真逆の感じ。でも、最後のひと時、もう少し付き合ってよ」
そう言うと、目の前の何もない空間にイブリスは手を突っ込み、中から魔導書を引っ張り出した。
ベガは、すぐさまイブリスの魔導書を持つ手首を雷撃で切断したが、魔導書は光を放ちあたりに幻影が出現した。ベガは警戒し杖を構えた、その様子を見てイブリスは血を吐きながら笑った。
「ビビりすぎー。かわいいところもあるじゃん」
「これはなんだ、ケイラ、答えろ」
ベガはイブリスに向けて杖を構える。魔力を帯びた魔導書が自律的に動き、相対する者を攻撃する魔法も存在はする、しかし、このような佳境で行うような動きではない。ここにきて想定に無い動きをするイブリスにベガは戸惑った。
「ああ、これはね、私の思い出。私としては見たくないものなんだけどね」
「思い出? 記憶を映し出す魔導書ということか? ありえない。そんなもの」
「ありえるんだなぁ、これが。これは古代の遺物で、記憶を映像化するものだよ。私は、石守に居た時に見た文献を思い出すために使えると思って、あの里から持ち出したんだけど、なーんか、嫌な思い出しか映し出されなくてさ」
「そんなものを見せて何になる?」
あたりの立体映像には、若きイブリスと若い男が楽しく談話している様子が映し出されている。
「ベガ、お前のその脳の形は、重大な欠損をしているね。場所的に異常記憶なんて持ってたりするだろ? だったらいいもの見せていあげるようかと思って。知りたがりの君にぴったりな、素敵な映像作品さ。その呪いのような能力にふさわしい嫌がらせだと思ってね」
「くだらん」
映像は、徐々に暗くなっていき、子供を身籠るイブリスと、やがてその子供を失う姿が映り、イブリスは里を後にしている。
「ふふふ、私のことは歴史に残らないが、君の中に残り続けると考えればそこまで悪くはないね。これからも、石守の犬として頑張ってくれたまえ、雷帝さん」
「言いたいことはそれだけか」
「そうだね、それじゃ、思わせぶりな私らしく、悪の女王らしく、最後に不穏な予言をしておこうかな」
イブリスは薄ら笑いを浮かべながら続けた。
「ベガ、お前は智略が得意だよな。戦争が得意だよな。今は智将として、人間として体裁を保てているかもしれない。けどな、いずれお前にも危うくなる場面が出てくる。その際にお前は必ず非道に堕ちるよ。なんでかって? お前は非道を知ってるからさ。あらゆる手段を知っている。だから、時と場面に応じた対応が出来るんだ。だが、時を、場面を縛られた時、お前はあらゆる手法でそれを打開しようとするだろう。我々は世界の恩恵を受けず、持たざるものとして、謂わば劣勢の風の中に生まれた存在だ。元より手段を選んでいない。だからいずれ劣勢の風が吹き荒れてお前がこちら側に流れて来るのを、心待ちにしているよ。それじゃ、ベガ。またな」
イブリスは一通り話した後、自身の体内に超振動を起こし、健やかな笑顔でベガを見つめながら粉々になって消え去った。ベガの表情に温度は無く、この時何を考えていたのかは本人しかわからないことだが、時間にして五分、消えゆくイブリスの立体映像を見たベガはイブリスの私室を後にした。
「こ、こいつは、なかなかに……」
バルザックはアーリーの振り下ろす手刀を辛うじて躱す。躱したのちに後方に飛びのくと、アーリーから五メートルほど離れて様子を伺う。
「開放を使っても、まだ仕留めきれない。貴様を喰らうのが楽しみになってきたな」
「俺様を喰らうだと? お前の冗談は王がどうとか言う話で十分だ。今から俺様がお前を叩きのめし、今まで喰らってきた命を全て吐き出させてやる」
と、強気なセリフを吐いたものの、バルザックにしては珍しく次の手を考えていた。だが、次の瞬間、アーリーが五メートル離れたところから腕を振るうと、その腕が伸び、バルザックの太ももの外側を抉った。
「ぐあっ! もはや、人間と戦っていると思わない方がいいな」
片膝をつくバルザックに、アーリーは腕を戻しながら、足を延ばしながら、まるで蜘蛛のような姿になり近づいていく。
「ちっ、これまでか」
バルザックはそう言うと、何か赤黒い石のようなものを二つ、アーリーとは反対の方向に鋭く投げた。その赤黒い石が向かった先はズーとイグナのいる方向であった。
イグナは残った右手でその石を払いのけるが、その石はイグナの体に触れるとそのまま吸い込まれてしまう。それを瞬間で捉えたズーは、石が魔法であることを理解し反射魔法を展開したが、この赤黒い石は反射魔法に反応することなく、ズーの胸に当たると同様に吸い込まれてしまった。
「イグナ、すまない! しくじった。これは血中魔法だ!」
バルザックは血中魔法の使い手である。所謂、特異魔法に分類される魔法ではあるが、その使用方法はアーリーとは大きく異なる。バルザックは自身の血に何を乗せることは無く、単純な肉体強化を図る。血中魔法使いとしては、アーリーよりもバルザックの使い方が一般的であるが、一般的な使用方法の血中魔法に対して、彼は桁違いの適性を持っていた。
まず身体的な特徴である全長二メートルを超える巨大な体躯は、そのまま血中魔法の要である血液量を増加させ、魔法効果を増大させている。加えて、小細工を嫌う本人の性格から、どんな相手にも真正面でぶつかる戦闘を行うことのみに拘り続けた結果、培われたバトルセンスはルストリア軍において随一であった。そんな彼は、常時血中魔法を使用しているのだが、本人はそれを否定、正しくは認めない。当然、長く軍にいれば周りから指摘されることもあるのだが、肉体が強いのではなく、魔法が肉体の補助をしているなどということは認められず、聞く耳を一切持たない。
もう一つバルザックには肉体強化以外に、唯一扱える血中魔法がある。先ほど放った魔法がそれだが、本人はこれも全く使いたがらない。その理由は、血液内で毒を生み出し相手に打ち込む、毒魔法に近い物であり、本人曰く「姑息極まりない」からだと言う。
具体的には、欠乏血晶という血液を精製し、相手に打ち込むことによって、相手に重篤なダメージを与える。この欠乏血晶はどこの体の部位に被弾しても心臓に目掛けて登ってくる。心臓に到着した欠乏血晶はイブリスの再生のルーン同様、血液にのって全身に回り、肉体を駆け巡る血液と融合し栄養を奪い取る。更に特性として、反射魔法の貫通が上げられる。今回の任務にバルザックが起用された一因として、ズーとの相性の面は大きい。欠乏血晶は一見すると無敵の魔法のように感じるが、実のところ治癒魔法と解毒魔法を複合的に使えば解除は容易い。また炎熱系の魔法にも弱く、中級レベルの火球魔法でも簡単に撃ち落とせてしまう。
本来であれば、イグナもズーも簡単に対処できたはずだが、バルザックの言動や、行動を印象付けられた後で、まさか魔法の中でも毒魔法じみたものを扱うとは考えられず、ましてや、強敵であるバルバロッソと対峙しながら冷静に分析できるわけもなく、二人は被弾してしまった。二人はバルザックが魔法を使わないと思い込んでしまったのだ。
バルザックは、このだまし討ちを狙ってやったわけではなく、姑息なこの魔法を扱うつもりは毛頭なかった。事実、この魔法を使ったのは二年ぶりで、アーリーだけは正々堂々打倒したいが、任務の失敗、敗北は出来ないというジレンマから、バルバロッソをフリーにするためだけに二人を狙った。ここまでのほとんど全てが、ベガの想定通りである。唯一想定外があるとすれば、アーリーに欠乏血晶を打ち込まなかったことである。
イグナは、ズーの忠告を受ける前に魔法を受けた感覚からこれが血液による魔法であることに気が付いた。現在右腕に入っていった血液が自身の胴体に届く前にこれを処理しなければ、命は無い。現に、胸に受けたズーはイグナに助言を送った後、その場に倒れ、微動だにしなくなった。イグナは、解毒と治癒に対応するルーンを持っていたが、その全てが失った左腕に備わっていた。そうなると、もはや右腕を切断し処理しなくてはならないが、困ったことにこれを処理するのにも左腕が必要であった。試しに、右腕のルーンを発動し爆破を試みたが、右腕に刻まれた保護のルーンが干渉しうまく爆破出来ない。限られた時間の中で、イグナは叫んだ。
「チャンゴ! チャーンゴッ!! サングスタだ!」
「え、え、え、え、え、え! なになになになに!」
イグナの後ろに隠れていたチャンゴは状況が読めておらず、唐突なイグナの言葉に疑問を覚えたが、普段からイグナに、名のある魔法使いや、マグナの幹部の名前は言われたらすぐに変身するように訓練されていたため、慌てた状況ではあるものの、すぐさまサングスタに変身をした。
「チャンゴ、この腕に封印を施せ!」
「ええ! 無理だよ! 自信ないよ!」
「そんなことない! チャンゴ、自信を持て!」
そうこうしているうちにバルバロッソが駆け寄ってくる。右腕に大量の魔力を集めて、恐らくは反射持ちのズーが居なくなったことを確認し、魔法で一気にかたをつける算段なのだろう。
「あー! もう! 失敗しても恨むなよ! 我が烙印を持って ここに封滅する! マニュームシジールム!」
封印魔法の特徴である白い光が辺りを包む。それと同時にサングスタに変身したチャンゴが叫ぶ。
「ごめん! イグナ! 失敗しちまった……本当に、ごめん!!」
「はは、は。やってくれるね、チャンゴ」
チャンゴは慌てながらも、失敗すればイグナにかかった血中魔法を止めることが出来ず死んでしまうということを理解しており、この状態に恐怖していた。
それであれば、強めに封印を施したほうが良いと判断し、ほぼ最大出力の封印魔法をイグナの全身にかけた。しかし、この判断が裏目となり、イグナは全身のルーンや、魔法を扱うための身体的な経路、魔法を感知する能力、その全てを封印してしまった。
つまり、イグナはもう魔法を扱うことが出来ない体となってしまったのだ。
「……次は、モルモアラだ、チャンゴ」
イグナは冷静を装いチャンゴに命令しながら、明確に失われた魔法の感覚を確認していた。全く魔法を扱えなくなってしまった状況を確認すると、その肉体に興味が湧いたが、今は生死を巡る状況だ、と自分に言い聞かせ、再び戦況を睨む。命令されたチャンゴは、すぐさまモルモアラに変身すると、イグナに耳打ちされたとおりに、辺り一帯にスコールバルトを放った。
現在のチャンゴの魔法は既に、マグナで言うところの魔導師クラスにまで発達しており、それを理解していないのはチャンゴだけであった。チャンゴはイグナに対するすまないという後悔の念から、過去最大規模のスコールバルトを放ち、辺り一帯は泥沼と化した。バルバロッソは泥沼を、足が沈む前に次の足を出すという荒業でイグナに近づいてきたが、イグナとチャンゴに近づくにつれ緩くなる地面についには完全に停止してしまった。
やや離れたところにいるバルザックとアーリーは、もはや、ぬかるんだ地形を気にすることも無く、バルバロッソやイグナ、チャンゴなど気にも留めず、激しい戦闘を行っていた。二人とも、既に自我を失うほどにヒートアップし、それはまるで獣同士の戦いであった。バルザックは、急所を避けながら戦闘を行うが、体を振る度に血しぶきが舞い、アーリーはバルザックの拳を受けると全身を覆う硬質化した血液が砕け、結晶が付近にバラバラと落ちた。
チャンゴは魔力を集中させ、バルバロッソを見つめながらイグナに聞く。
「ど、ど、どうしよう。近づいて、絞め殺すか?」
「いや、いい。このままで。死んでいるより、生きている方が気をそらせやすい。多分、こちらなんて目に入っていないだろうけど」
イグナは魔法を感じなくなった分、周囲を見回して状況の確認に務めた。そして、ふと建物の方を見ると、突然に大きな電撃が空高く打ちあがった。
「ちっ、時間切れか」
バルザックはそう漏らすと、アーリーから更に距離をとった。アーリーは雷撃を見上げながら、口から牙を覗かせ「貴様の血もよこせぇぇえ!」と叫んだが、直後に雷に打たれ、膝をついた。
そして、その雷鳴を狼煙として、待機をしていた大量のルストリア軍がアスラ研究所に流れ込んできた。ルストリア軍が突撃してきた様子を見たイグナは、モルモアラと共に開発した薬が入った瓶を右手でポケットから取り出した。そしてその瓶を地面に叩きつけると、非常に濃い煙幕が立ち込め、風に流れない魔法の煙によりチャンゴと共に姿を消した。
アーリーは、その場に現れたルストリア軍の兵士の顔を通りすがりに二人喰らい、体力を回復しつつ、再び戦闘の姿勢をとろうとしたが、アーリーの開放状態が限界を迎えてしまい、解除されてしまう前に敗走した。当然、バルザック含めルストリア軍はこれを包囲しようと試みたが、格上の実力者を打倒するよりも逃走を妨害することの方が、格段に難易度が高く、敗走を許してしまった。ベガも同様にアーリーを遠隔から狙い撃ちしようとしたが、その場に倒れていたズーが這いずりながら逃走をしようとしている様な動きを見て、反射魔法を警戒し魔法を放つことは出来なかった。
これは後にわかったことではあるが、この時既にズーは死んでおり、無理やりに治癒魔法を過剰にかけた形跡があった。これはイグナがチャンゴに命令し、モルモアラの治癒魔法を付与した光球をズーに当ててから逃走するという、軍師の最後の策であった。
イグナとチャンゴは、スラム街の方へと逃げて行ったが、既にルストリア軍がいたるところに配置されており、捕まるのは時間の問題。更に、イグナの失った腕の氷結魔法が解け始めてしまい、その痛みでイグナは気を失ってしまった。
チャンゴは、全魔法を最もうまく扱うことの出来るイブリスへの変身をオーバーフロー覚悟で行い、イグナの肩に氷結魔法をかけているところで、付近にいた兵士に発見された。
「あ、あなたはっ!」
驚く兵士に対して咄嗟にチャンゴは魔法での撃退を試みようとしたが、兵士は剣を抜くことなく駆け寄った。
「私、リダー・ヴァン・デ・ウインズのマティアスです。正しくはマティアス一兵卒ですが。それはさておき、イブリス様、こちらへ」
類稀なる幸運により、二人は保護された。
当然、チャンゴはその後もイブリスとして振る舞い、馬車によって内密に王都ウインダートに運ばれ、その道中で気を失ってしまった。
――数日後
療養をとり、何とか動けるまでに回復をした二人は、トロン植物園の状況を確認した。
「チャンゴ、まだトロンは無事みたいだ。まだ終わってない、大丈夫」
「あぁ、そうだな。私達が居れば立て直しなんて容易な事だ」
チャンゴは既に変身を解いてはいるが、立ち振る舞いが抜け切らない様子で答え、二人はトロンへ向けて急いで出立をした。
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