其の四
――王国歴1468年 ラミッツ南東 商業魔法都市クロロカ
大陸西に位置するラミッツという国は、商業国家と言われている。
実際に、ラミッツの政権、生活、更には軍事まで商人が深く関わっており、この国の進退は商人が握っていると言っても過言ではない。そんな商人たちの中でも、特に商才に恵まれ大きく富を得た御三家をラミッツでは三大富豪と呼ばれ、この三大富豪のうちの一つであるタオ家の長男であり当主が、実はローハイトである。彼は観光業で生計を立てていたタオ家を家業から付随した形で、演劇や魔導整体、果ては風俗営業にまで手を伸ばし、事業を拡大させ三大富豪に名を連ねるまでに成長させた。
そしてもう一つの顔が、マグナ・ディメントの会員であり、組織内に自らの研究施設を持つ魔導師である。このようにマグナ・ディメント内で表の顔を持つ者は少なくない。イグナをマグナに導いたホーキンスもそのうちの一人だ。しかし、それが魔導師クラスの人間となるとそうは居ない。
ローハイト一人か、強いて言うならばジェニーくらいである。ジェニーはスカウトの為に日夜大陸内を飛び回っているが、その際に並行して各国の要人の元を訪れ、占いや接待などをして自身で生計を立てている。この行動が、各国の情報収集に繋がり、スカウト活動がより円滑になるということで、マグナ内で非常に重宝されている。ローハイトの方はというと、週に二日ほど実家に帰り、家業の指揮を行っている。正確には妹のラウナンが普段仕切っている状況を確認し、今後の方針を伝える動きなのだが、ローハイトはマグナのネットワークを通じて得られる情報を利用し、ある程度先に起こる政治的な動きが見えるため、この助言が非常に役に立っており、週に二日しか顔を出さずに、新たな情報を手に入れるためという名目で、売上の約半分を抜き取り、密かにマグナに献金しようとも、文句を言う者は誰も居ない。
ともあれ、イグナがよく話す魔導師は表の顔を持っていたり、社会経験が多かったりと、マグナの中では常識のある人間が多かった。
しかし、今回の仕事はそうでは無かった。
「イグナ君は器用だよね。また、適性魔法以外の新魔法を発見したらしいじゃない」
「いえ、本当たまたまで。それこそ、車輪運動を牽引しながら、同士を率いてマグナ反対派を殲滅するアーリーさんのほうが俺は器用だと思いますが」
「あはは、ならイグナ君も今日から器用者の仲間入りだね」
現在、イグナは魔導師であるアーリーと、同様に魔導師であるズーと共に、マグナの信者二百名を率いてラミッツ南東の街クロロカに向かって馬車に揺られていた。
アーリーは純白のローブに真っ赤なマントを羽織り、イグナと同じ馬車に乗っている。ズーは後方から周囲を警戒しつつ馬車で追いかけてきており、その更に後ろには、子供たちを乗せた馬車が続いている。イグナが馬車の後方についている小窓から、様子を伺うが、ラミッツ特有の砂煙が立ち込めており、十メートル後方にいる馬車が辛うじて見えるというくらいに視界が悪かった。
クロロカという街はラミッツでは珍しい、魔法研究に特化した国営の街である。商人による、商人の為の国家と名高いラミッツであったが、その国に住む者全てが商売人としての気質を持ち合わせているとは限らず、一部の物好きは、ラミッツ国内にある豊富な遺跡群に想いを馳せ調査をしたり、大陸に住まう人間にとって最も身近な神秘の神髄を探求するべく研究を行っていた。
ラミッツの商人のほとんどが、その研究に対して鼻で笑ったり、距離を置いたりする中で、そのような偏屈な人間に手を差し伸べる者も存在した。それは、ラミッツの三大富豪である。
ラミッツの商人の中で長く金を稼ぐための鉄則がある。
それは「買い手に損をさせない」ということだ。新たな商材が仮に素晴らしい物であると仮定した際に、その商品は多かれ少なかれ売れる。その商品を上回る商品を開発するためには、コストを下げて安価にするか、その商品を上回る利点を付加しなくてはならない。もしくは、完璧な模造品を作成し販売するという荒業もあるが、それには先ほどの方法よりも卓越した技術が必要になるだろう。
ラミッツの多くの商人は、この法則を頭に入れて、心に刻んで日々の商売に勤しんでいるが、三大富豪はそのようには思っていない。
何事にも二番手になるような商売をするのではなく「最初の商売」を行う、という考え方を持っている。つまり、素晴らしい商品の後追いをするのではなく、素晴らしい商品自体を開発してしまえ、という考え方である。
そんな考えから、三大富豪が多額の寄付金を国家貢献という形で国に納め、息がかかった国の人間が政策として「魔法研究」をするべきだ、という主張の元、様々な富豪から様々な息を吹きかけられた国家を握る人々の手によって生まれたのが商業魔法都市クロロカである。
ラミッツの富豪は、新たに発見する魔法を商材として扱い、それを国内外に売りさばくことで利益を出そうと考えたのだった。クロロカは、マグナが創設して間もなく設立した街であり、クロロカにとってマグナは少ない市場を取り合い商売敵として見ていた。
その為、ラミッツではかなり早い段階からマグナを排除する動きがあり、大陸内の国家で最も早くマグナ崇拝禁止の法を定めたという経緯がある。この度、クロロカが中心となって、大陸内でマグナの活動が出来ないようにするためにルストリアと合同で条例の発行に取り掛かっており、大概のことは看過するマグナもこれには行動を起こさざるを得なくなり、この三人が派遣されたのである。
「そういえば、ローハイトの家系の人間もここに住んでいたんだっけな」
道が悪くやや揺れる馬車の中でアーリーはイグナに投げかけると、イグナは手首に施されたルーンを含む刺青を指でなぞりながら答える。
「ええ、なので、ローハイトさんは自身を良く思わない人間を先月付でこのクロロカに出向させたと聞いています」
「ひゅー、計算通りってわけか。悪い人だなぁ、ローハイトは」
「あ、そうそう、ローハイトさんが、その中でも魔法を得意とする人間がいて、その内容が……」
「ん! その話は聞かない! 魔法は初見に限るからな!」
「そうですか……」
イグナは自信満々に話すアーリーに対して懐疑的な視線を向けていた。普段は車輪運動における研究や考察で、意見を交わす間柄であり、その点においては一定以上の信頼を置いていたものの、戦闘を行えるだけの実力があるのか。イブリスはこの度の出陣の際に、アーリーに対して絶対的な信頼を置いているように感じたが、イグナは数百人対数百人という戦闘を経験したことが無い上に、マグナ内における戦闘は研究員クラスのものしか見たことが無く、その戦闘自体も非常に稚拙なものであったことから、イブリスの評価に対して現実味を感じることは出来なかった。
「お、見えてきたぞ」
アーリーが馬車から顔を出し、向かいの方向を見るとそこには切り出した石が乱雑に組み上げられた、廃墟のような遺跡群の街が見えてきた。二人は馬車が停車すると、ゆっくりと降り、街の中からやってきた黒いローブの男たちに導かれ、街の奥へと進んでいった。
街の中は、シーナのようにゴミが散乱することもなく整然としていたが、ラミッツの気候や地形の影響で砂が詰みあがってしまっている。乱雑に置かれているように見えた複数の石も、近づいてみればしっかりと家屋を形成しており、その表面に砂が付着したり、時々吹く強風の影響で風化してしまっている様子であった。
「アーリーさん、子供たちは外に待機で良かったんですか?」
イグナは、一歩先を歩くアーリーに対して質問を投げかける。するとアーリーは振り返る様子も無く前を向いたままで答える。
「我々は話し合いに来ているだけで、決して圧力で屈服させようと思ってきていない。ああ、外の子供たちが心配か? 大丈夫。実力も十分に備わっているし、万が一の時にはズーが待機してる。問題ないよ」
「そうですか」
イグナが懸念している部分とは少し違う回答であったが、今周りを取り囲む黒ローブの男たちに聞こえてしまう距離であったため、会話はここまでにした。
「こちらへどうぞ」
街の中心にある一際大きな建物に到着し、目の前の大きな石の扉が自動的に開かれると、黒いローブの男たちは建物の前で留まった。どうやらここから先は二人で行けということらしい。建物内は質素な外観とは違い、様々なアンティークが飾られたり、美しい絵画が壁に掛かっていたりと、まるで富豪の洋館のようであった。
「こんにちは、アーリーさん。お待ちしていました」
その中で待っていたのは、このクロロカの市長、つまり統括者であるヒースという男だった。ヒースはアーリーに握手を求めると、アーリーもにこやかにこれに応じた。本来であれば、魔導士の間で握手など、考えられない光景で、イグナは少し驚いた。
魔導士は、ある程度のレベルまで達すると無詠唱で魔法を発動することが出来る。しかし、それには相応のリスクがあり魔法自体が安定しなかったり、安定しない魔法を補うべく魔力を膨大に使用することになったりすることが往々にしてある。しかし、そんな事情を差し置いても、相手が魔導士で、直接触れる握手など、リスクはあっても利益は少ない。
アーリーはその少ない利益を考えて行動しているのだろうか? と、少し後ろのイグナは思った。同時に自分にも握手を求められた際の行動を瞬間考えたが、ヒースがイグナに握手を求めることは無かった。
「どうぞ、こちらの奥にゆったりと座れるソファーをご用意しています。長旅でお疲れでしょう。積もる話はそちらで」
と、ヒースは二人を奥へ誘ったが、アーリーは首を横に振った。
「ヒースくん、私はここで良い。長くなる話でもないだろう。単刀直入に聞こう。この都市の進退についてだが、マグナの傘下に入るよう命令する」
アーリーの突然の提案に一番驚いたのは、イグナであった。イブリスからの依頼は、たしかマグナ反対運動をやめさせるということであったが、それを飛ばして傘下に入れと「命令」するとは思わなかった。アーリーは対話をしに来たのではなかったのか。
「おや、アーリーさん。私の耳がおかしくなってしまったのかな? 今日の商談の落としどころは『提携関係を結ぶこと』だとタカをくくっていましたが」
ヒースは落ち着き払った口調とは裏腹に、額から汗を垂らし、一歩後ずさった。
「いいか、下郎。王たる私の言葉に対して聞き返すことは決して許されない。しかし、私は無知である貴様を許そう。一度だけ繰り返してやる。この街は今日からマグナの物だ。良いな?」
アーリーは全く引く気が無いらしい。
王、という言葉と、突然の聞き慣れない口調にイグナは疑問を覚えたが、そんなことよりも、緊張したこの場の展開に目が離せない。
「お前らこそ、この状況が理解できていないらしいな。既に我が術中であるということにっ!」
ヒースがそう言うと、室内は突然にぐにゃぐにゃと歪み始めた。まるで海に浮かべた麻布のように壁や床に揺られ、二人は平衡感覚を失い、片膝をついた。アーリーは掌に魔力を集めようと試みたが、集まる間もなく霧散してしまい、魔法を放つことが出来ない。そんな様子を見たヒースは得意そうな表情で、胸元から杖を取り出し二人に向けて言う。
「魔法のスペシャリストがこれでは形無しですね。ま、無理もない。この部屋、というより、この屋敷はあなた方の為に一か月も前から結界を精製し、今日この日に備えていたわけですからね。本当であれば、この奥の部屋に招くことが出来ればより強力な結界を用意していたんですが……」
「しくじった……」
アーリーは、心底悔しそうに両手を地面に置いた。イグナも同様に首を垂れている。
「そうでしょう、そうでしょう、自身の能力に胡坐をかいて、人を見くびるような動きを普段からしているから、こうやって命を落とすのです。そして、マグナ内での実力者であるというあなたがこの程度ということであれば、明日にでも国王にマグナ殲滅作戦の打診をしなくてはならなくなりましたね。これで、国内の魔法研究の利権はラミッツの総取りです」
ヒースは二人に背を向け、歪む天井を仰ぎながら、両手を広げて言った。そして、とどめを刺すべく振り返る。
「!!!」
振り返るとそこには、アーリーとイグナがここへ来た時と同じように普通に立っていた。
「本当にしくじった。一か月もかけて、こんなくだらないものを作ってくれていたことに対しての敬意に欠けた行動と言わざるを得ない。この先の魔法もしっかりとかかりたかった……」
アーリーがそう言うと、イグナも膝についた埃を手で払いながら言う。
「アーリーさんがここで仕掛けるので驚きました。しかし、この程度の魔法で我々をどうにか出来ると思っているレベルであれば、この奥の魔法も期待は薄いかと」
ヒースは、驚いたが即座に杖を振りかざす。杖からは、風と炎が巻き起こり、対峙する二人を照らした。それを見たイグナは、手のひらから小さな光球を飛ばす。ヒースは、杖からほとばしる炎を思い切り二人に叩きつけたが、イグナの小さな光球が触れると一瞬で消えてしまった。
「恐らく、この奥の魔法もこの部屋と同じように幻影魔法のルーンが付与されているんじゃないかな? もしかすると、毒魔法を仕込んでいるかもしれませんが、目新しいものを彼が持っているとは思えません」
「イグナ、思い込みは良くない。ヒース君が一か月使って一生懸命考えた対策なんだ、もっとこちらを驚かせるような、とんでもないものを用意しているはずだ。そうだ、今からでも遅くない! 奥の部屋に行こう! さぁ! 案内するのだ!」
意気揚々とするアーリーに、根源的な恐怖を覚えたヒースは足を震わせながらも、再び杖に魔力を集めた。すると再び杖に風と炎が巻き起こる。だが、アーリーはそんなことを気にすることも無く、ずかずかとヒースに近づいていき、目の前まで行くと燃え盛る杖を素手で掴んだ。
「もう、これは良い。それよりも、私を奥の部屋に案内せよ。それとも、この部屋にまだ仕掛けがあるのか、あるいは、貴様の固有魔法などあればもっと良いのだが」
「調子に乗るなよ、犯罪者集団が。今、外の仲間たちがお前らの仲間を討ってこちらに向かってきているはずだ。外の仲間を仕切っている奴は、私よりも戦闘能力だけで言えば上だ。それも複数名いる。お前らの命もここで終わりだ」
「あー……。またしくじったかな。外の方が良い魔法持ちが居たのか。私が外で待てば良かった。しかも外にいるのがズーということは恐らく生かしておるまい。まったくもって残念極まりない」
ヒースは、アーリーが何を言っているのかさっぱりわからなかったが、念のために靴のかかとに隠していた煙幕を噴き出すマジックアイテムを使おうと、一歩後ろに下がろうとしていた。
「ああ、そうそう。貴様は極刑だ」
そう言うと、アーリーは目にも留まらぬ速度で手刀を繰り出し、ヒースの首を飛ばした。
「イグナ、狼煙を頼む」
「はい、わかりました」
イグナは、左の手首を右手で掴み、魔力を込めると、両腕のルーンが強く発光した。そしてその手を、天井に向け大きな火柱を放った。外にいるズーに、こちらの仕事は終わったよ、と知らせるための狼煙であった。イグナは、あまりにあっけない幕引きに少々がっかりしていた。
だが、同時に一つの懸念が、あるいは期待が成就するような予感を感じ取った。イグナが考える、この場で交渉が起きない時に起きる、この場で魔法による戦闘が起きた場合の一つの展開。
「アーリー! ルストリア軍がすぐそこにまで来ている!」
狼煙を見たズーが、その知らせを持って入ってきたのはヒース殺害から十五分は経とうとした時であった。アーリーとイグナは、部屋に張り巡らされていたルーンの解読をしていた。既知の魔法ではあったが、マグナとクロロカでは発動のプロセスが違い、扱う魔力量も違う。明らかにマグナが研究している魔法よりも格下の技術であったが、二人は目新しいものがあれば研究しなくては気が済まない質だったので、時間を忘れて研究に没頭していた。
「やはり来たか、ルストリア」
どうやら、アーリーもその可能性を考えていたようで、この洋館に仕込まれた稚拙な魔法を研究するという欲求を抑え込み、名残を惜しみながら外へと出ると、ルストリア軍は既に街の中までで入り込んでおり、同士である子供たちを相対していた。
「アーリーさん、どうします?」
前を行くアーリーにイグナが尋ねたが、アーリーは何やら震えており返事は無かった。やがてアーリーは勢いよく歩きだし、同士である子供たちの先頭まで行くと、向かいのルストリア軍に向かって言った。
「出迎えご苦労。我が血肉よ!」
それに対して、ルストリア軍の先頭に立つ無精髭を蓄えたやや汚らしい男は、首を傾げながら言う。
「なんだかよくわからないことを言う人だなぁ。こちらはルストリア国軍粛清部隊だ。一週間前よりヒース市長の通報で、こちらでマグナ・ディメントが暴動を起こしていると連絡があった。火の手が上がったのが見えたので駆け付けたが、街の外の惨状はあなたたちがやったということで間違いないな? 調停者としてこれより粛清を始める」
街の外の惨状というのは、恐らくズーと住人が争った形跡だろう。アーリーは、それに対してやや不機嫌な様子で答える。
「良いか、まず貴様がせねばならないことは、王たる私に敬意を払うことだ。話はそれからだ」
「どこの王様かは知らんが、敬意、とまではいかないが名乗りは上げさせてもらおう。私は、アルベルト家が次男、ホーク大尉だ。もう、問答は不要だ。お前たちを裁かせてもらう」
「良いぞ。無礼ではあるが、貴様からは良質な魔力を感じる。流石は私の血を分けた子供だ。どれ、相手をしてやろう」
この会話を皮切りに、マグナ勢二百名、ルストリア軍六百名の戦闘が始まった。
アーリーとホークは向かい合ったまま停止していたが、ホークの横をルストリア軍が追い越しあっという間に包囲されてしまった。子供たちは、皆手に刻まれたルーンに魔力を込めるとぶつぶつと詠唱を始める。ルストリア軍も最初こそ敵対する者が子供であることに躊躇していたが、少年兵などは別段珍しい物でもない為、詠唱が始まるとそれを妨害するべく弓などで遠距離から応戦した。
それが子供たちに当たると、次々に倒れて行った。
「こ、子供たちがっ」
その酷い光景を目の当たりにした兵士が手を緩めるが、中にいる兵士長のような人間が必死に鼓舞し、攻撃を続けさせた。当然、渦中にいるアーリーやイグナ、ズーにもその攻撃が来るが、展開している障壁魔法に弾かれて落ちた。
そんな中でイグナは、魔法の詠唱を始める。
「宵闇より出ずる邪なる泉よ、九つの傀儡、九つの混沌、顕現せし欲望の泥土、現世に来りて我仇なす者を誘え……スコール・バルト!」
イグナが魔法を唱え終わると、生き残っている子供たちと、ルストリア軍が立っている付近一帯の地面が青白く発光し、小刻みに揺れ始めた。
「後退せよ!」
ホークが叫ぶと、それに反応したルストリア軍は急いで後退を始めた。しかし、半分以上はその光っている床に取り残されたまま、魔法は発動した。地面がまるで沼のようにどろどろに液化し、敵味方問わず膝の部分まで沈むと、地面はすぐさま硬質化し、範囲内の全員の動きを止めた。
ホークは、足元から風の魔法を噴射し、この拘束から逃れ今魔法を放ったイグナに突進したが、それに気が付いたアーリーによって腹を蹴られ妨害されると、街の外れまで吹っ飛んでいった。
「イグナ、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
そういうイグナは、今の一瞬で何かの刃物のようなもので切り付けられていた。手からは血が噴き出しており、左手の薬指と、小指が切り飛ばされていた。それを見たイグナはすぐさま氷結魔法でそれを止血した、
「しかし、イグナ、このスコールバルトという魔法は良いな。変性か。材質はなんでも行けるのか?」
「今のところ、粘土質の多い土なら安定して。多少の石材もある程度はできますよ。ゆくゆくは金属や、果ては人体にも使えればと考えています」
「それは、楽しみだ」
アーリーとそんな普段通りの会話を行いながらも、イグナは再び詠唱を行い、死んだ子供たちの埋まった地面の硬質化を解いた。すると、先ほど死んだはずの子供たちが泥の中から這い上がり、立ち上がっていく。
「おい、これはどういうことだ」
目の前で、自身の足を引き抜くのに必死なルストリア軍も、目の前の異常な光景に目を疑う。立ち上がった子供たちの腕や胸に刺さった矢は、体から押し返されるように出てくると、地面にカランカランと音を立てて落ちた。
「お、作戦のほうも上手くいったじゃないか。今回の任務に関して君に一任したのは正解だったようだね、イグナ」
今回の任務で戦闘になった際の指揮は、イブリスの提案によりイグナが執り行っていた。イグナは大勢を率いる戦闘は初めてであったものの、事前に数十種類の展開を想定し、それに対応できる策を数種類用意していた。作戦実行の合図としては、ルストリア軍が現れた時と、ラミッツ軍が現れた場合に大きく分けられ、交戦状態になった際のイグナが最初に放つ魔法によってどの作戦を実行するのかを定めた。今回のパターンはイレギュラーの中でも最も高い確率で起きる現象であったので、子供たちには事前によく言って聞かせていた。
子供たちは、魔力こそ大人顔負け、いや一般的な魔導兵と同等と言っても過言ではないほどの実力を有していたが、知能に関しては年齢相応であり、多くの作戦を吹き込むことは出来なかった。よって、多くの作戦の初手としては、自身に治癒魔法をかけ続け、過剰治癒状態を維持せよ、というものであった。人間が治癒の限界を超えるとどうなってしまうのかは、既にマグナ内で研究済みであり、一時的に死を回避することが出来るということが確認されている。
しかし、それは短時間で、今目の前で起きていることではあるが、ある一定の回復量を超えると人は人の形が保てず、複合的に肉と骨が入り組んだ物体になってしまう。立ち上がった子供たちの一部には既にその症状が出ており、その光景を見て取り乱した一部の未熟な子供が魔力の調整を誤り、迫りくる死への恐怖に泣き叫びながらオーバーフローを起こした。
「おのれ外道が! 首謀の魔導士を標的に絞れ! 奴さえ死ねば子供たちは解放されるはずだ! マグナの子供たちよ! 今、我々がお前たちを保護する!」
そう叫んだのは、つい先ほど街の外にまで吹き飛ばされたホークであった。その言葉に呼応するように、ルストリア軍人は雄叫びをあげ、膝まで埋まっている足を膂力と魔力で強引に引き抜いた。
「絶対に助ける!」
「極悪非道! 許さん!」
ルストリア軍の士気が最高潮まで高まると、子供たちは明らかに動揺し、イグナに命令されていた詠唱をやめるものや、その場に座り込み泣きじゃくる子供まで現れた。そして、ついには、子供たちの半分はイグナの元を離れルストリア軍の方へ走って行ってしまった。
しかし、イグナはそれを咎めようとも、引き止めようともしない。残った子供たちはイグナの元へ近づき何やら話し込んでいる。
「うわぁぁぁん!」
大きな泣き声をあげながら、子供たちはルストリア兵にしがみつく。
抱き着かれた兵は子供の頭を優しく撫で、後衛に下がっていった。すると、まもなくパァンと、なんだかスイカを割ったような間抜けな音がいたるところで鳴り響き始める。
「どうしたっ!」
ホークが音のする方を見ると、先ほど抱えられた子供たちの頭が吹き飛んでおり、抱えていた兵の上半身は跡形も無く消え去っていた。その横では、抱きかかえられている子供の頭が今まさに発光し、吹き飛ぶ瞬間であった。小さな爆発が起こると、近辺の兵を巻き込み重篤な被害を出した。
慌てて、兵が子供たちを引きはがし、放り投げようとするが、子供たちは爆発を怖がり、より一層しがみつき離れようとしない。あれよあれよといううちに、抱きかかえられた子供たちは全て爆散した。
「んん、イグナ。君には軍師の才能があるのかもしれないね。あの子たちには、作戦をどこまで伝えていたんだい?」
「ええ、自身に過剰治癒を行うことだけですよ。それ以外は特に。事前に頭に爆破のルーンを刻んで封印しておいたんです。その封印は、私以外の人間が触れると解除されるようになっています」
「なるほど、じゃあ、私が触れてしまったらどうするつもりだったんだい?」
「そんな、マグナである我々にとって子供たちの暴発など日常茶飯事です。いくらでも対処できたでしょう?」
「それもそうか! さて、それでは私も私の仕事をするかな。いや、仕事というか、ご褒美みたいなものか」
兵士を助けようと駆け寄ったものの、誰一人助けることは出来ず、爆風に乗って吹き飛んできた多くの仲間たちの血を全身に浴び、ホークがこちらに近づいてくる。ズーは逃げ出した兵の処理に向かい、未だ敵意をむき出しにするルストリアの生存兵はイグナが対応する。
イグナは、この処理は片手間に行い、アーリーの戦闘に注視していた。これまでの展開はほとんどイグナの想像通りで、拍子抜けも良いところだったが、唯一イグナが動揺していることがあり、その真実を確かめたかった。
それは、このホークという男が自身よりも格上であるという事実だ。先ほど、攻撃された際に、イグナは全く反応が出来なかった。何の魔法を駆使して高速移動をしたのかもわからず、横から入ったアーリーが何故対応できたのかもわからない。このわからない、という現象がイグナを動揺させ、昂らせていた。
「お前は、お前らだけは決して許すことは出来ない! 断罪してやる」
ホークはルストリア軍の中でも最高峰と呼ばれるパンテーラの隊服に身を包んでいたが、今はその全てが血で汚れており、やや長い髪の毛は降りかかった血が固まりあらゆる方向に髪の毛が固定されていた。
「貴様、生まれはどこだ? 総司令官の息子と言うくらいだからルストリアか。ここに現れたのは偶然か、必然か」
「私の行いは全てこの大陸の平和と自由のためにある。悪事を働けば、どこにだって現れるさ」
「悪事? 悪? それは貴様らが勝手に考え、勝手に定めた法を基準にしている一つの記号に過ぎない。人が人を裁くことなど本来無理難題であるのだ。だが安心していい、王たる私は貴様らの言葉を聞き入れる耳を持っている、それがいかに荒唐無稽、本末転倒な話であってもだ」
「どこかの王様さんよ、知らないようだから教えてやる。純粋無垢な子供たちに自爆をさせることは誰がどう見ても悪だ。その基準は、明確だ。子供の未来を奪う権利などない」
「やはり出てきたじゃないか、荒唐無稽、本末転倒な話が。君の隊にはいないようだが、昨今ルストリアでは、人手不足という理由で入隊志願者の年齢を引き下げたらしいじゃないか? 十三歳は十分子供じゃないか」
「私たちは、子供たちに死地に出向くことを強制したりしない。子供たちが自ら平和を願い、軍に入隊することが原則であるし、どんなに出来の良い子供でも戦闘では必ず後衛から始める。お前たちとは根本的に違うのだ」
「おやおや、またボロが出ている。出来の良い子供と不出来な子供で貴様らは差別するわけだな。集めた子供たちを選別し、精鋭を戦争へ、更にその戦争で成果を挙げた者は、軍の上層へ。ふははは、これは笑える。貴様らの指揮者は、私たちの車輪運動に憧れでも抱いているのか?」
「ふざけるな! 私たちは平和のために!」
「ああ、もう良い。平和という言葉は、貴様らにとってすがりたくなるような言い訳に過ぎないことはよくわかった。ならば、私は混沌と理不尽をかざして貴様の相手をするとしよう」
相変わらず、王という言葉の意味はまるで意味がわからず聞いていたイグナであったが、アーリーの言っていることは何かの本質をつく部分があり妙な説得力を感じた。怒りをあらわにしながらもホークはアーリーに近づいていく。
しかし、二人の距離が十メートルほどになった途端、ホークの足元から突風が巻き起こり、アーリー目掛けて飛んで行った。アーリーはそれを紙一重で躱すが、躱したはずの体からは血が噴き出た。それと同時に、通り過ぎたホークはそのまま体制を崩し地面に打ち付けられた。
「なんと愚かなことを、我が身に傷をつけたばかりか、貴重なルストリアの血を流させるとは」
アーリーは憤慨したようで、体から噴き出る血を手で拭っては口元に運び、それを啜った。
「くそっ、なんというやつだ。私の動きに合わせて反撃をしてくるとは。だが臓腑を抉った手ごたえはあった」
「て、ご、た、え? 貴様ごときが王たる私の命に触れたとでも言うのか? 無礼極まりない。この不逞は貴様の血肉で償わせてやろう」
ホークは寝そべった状態から、風の力で立ち上がると、再び高速移動をしてアーリーの周りを回り始めた。ホークは先ほどより速度を上げ、勢いよく回転しながら突進を図る。が、肝心のアーリーの姿が無い。しかし、止まればその瞬間に討たれてしまう可能性を考え、ホークは高速移動を続けたまま周囲を見渡した。
「うむ、貴様は愚かそのものだが、これはなるほど良い魔法だ。随分と鍛錬したようだ」
ホークのすぐ後から声が聞こえる。振り返ると、アーリーはホークと同様の魔法を使い追尾していることに気が付いた。
「くっ、小癪な。だが、深手を負っているお前と、私では……」
ホークは、再び絶句する。アーリーの傷から血が流れていない。完璧に止血されている。
「そろそろ、終わりにしよう、ホーク」
アーリーが背後から右手で手刀を繰り出そうとした時、ホークの背中から無数の風の刃が飛び出し、繰り出した手刀を右腕ごと切断した。負傷したアーリーは怯むかと思いきや、そのまま顔を前に出し、ホークの頬に嚙みつくと、そのまま食いちぎった。
「くっ、まるで獣だな。だが、このまま断罪してやる」
体制を崩したホークであったが、勢いは殺さずに空中で翻り、後方のアーリーを狙う。アーリーは立ち止まりくちゃくちゃと音を立てながら、頬肉を咀嚼している。だが、まもなくホークがアーリーに向かって突進してくると、二人は衝突し爆風が巻き起こった。しばらく砂煙で視界が悪くなったが、少しするとそれも晴れてきた。イグナは、未だ目が離せずにいた。
「ぐっ、何故だ。先ほ……ど、腕は切り飛ばした……のに」
ホークは切り飛ばしたはずの右腕に心臓を貫かれ、その肉体を貫いた右手で持ち上げられていた。アーリーは、だらりと下がるホークの腕を掴み、がぶがぶと噛みつき、喰らっていた。
「やはり、美味い。流石は、我が血、ルストリアの肉だ。私の中に、戻ってきている」
魔導師アーリー。
彼はルストリアの貴族の出である。ルストリア国王の遠い血縁者にあたる。端整な顔立ちと知的な話し方とは裏腹に、幼いころから食人願望があり、十八歳の時にそれが抑えられなくなる。最初の犯行こそ隠蔽することに成功したが、一度、その願望が成就すると、その欲求には抗うことが難しくなり、次々と人を喰らった。当然、ルストリアはアーリーを指名手配し、確保を試みたが、その全てが失敗した。当の本人も驚いたことであるが、肉体を食べることで、その人間の魔力素養を奪うことが出来てしまった。
これは彼の特異魔法「血中魔法」の片鱗であった。その後、大陸にある複数の魔導秘密結社や新興宗教などを転々と在籍し、マグナにたどり着く。そこでイブリスに言われた「もしかすると、散り散りになった初代ルストリア王の血が元に戻ろうとしているんじゃないか」という憶測を真実だと妄信する。やがて、この発想は環状実験を生み出し、その実験が車輪運動へと昇華することになる。
一部始終を見ていたイグナは震えていた。
卓越した魔法使いの戦闘とは、ここまで美しいものなのかと。
ホークの扱う魔法が、光球魔法と同様に初心者が扱う疾風魔法であったこと。そして、その洗練された疾風魔法は、ある時は風で相手を切り裂き、ある時は自身の傷の乾燥、止血に使用されていた。手や足だけではなく、胴体からも巻き起こる風の刃は「ビスタ・デ・ビエント」という中級よりもやや見劣りする魔法だ。本来であれば、武器等に付与して使うものだが、ホークはそれを全身に付与していた。
これは、言葉で言ってしまえば簡単だが、発動中常に自分の肉体を傷つける行為であり、これを汎用するルストリア軍大尉を異常に感じた。更に発動にも工夫があり、本来であればこの魔法は黒を基調とした光が発光する特徴があるが、魔力の絶妙なコントロールで視認するのが難しいほどに色を失わせていた。
それに対するアーリーも常軌を逸した戦い方でこれを撃退した。抉られた腹と、切られた右腕についてだが、これはアーリーの血中魔法が作用して既に完全に回復している。アーリーの血中魔法は、最初に放った前蹴りがホークを街の外まで吹き飛ばした時のように、膂力を大幅に向上させることが出来る。
更に、アーリーは肉体改造を施していて、自身の骨にまで血液が浸透しており、腹を抉られようが、腕を切られようが、自身の血液に魔力を込めれば消失していない限りあっという間に回復してしまう。それに加え、今まで食してきた魔法使いの情報が、アーリーの肉体には刻まれており、大抵の魔法であれば容易に真似が出来てしまう。
今のイグナでは、アーリーがどの程度追い詰められ、どの程度苦戦をしていたのか知ることは出来ないが、ホークの戦闘センスは確かなものであったこと、そして問題はその相手があまりにも人間離れしている、ということだけはわかった。
その後は、イグナが指揮を執り魔法素養のあるルストリア兵数名を捕縛し、ズーが逃亡した兵を皆殺しにして、再び最初に入った洋館に集まった。かなり時間があったにも関わらず、アーリーは依然食事中であったため、イグナは洋館の中にあった書物を読み漁り、ズーは子供たちに自爆をさせ、それが自身の反射魔法で反射した場合、その爆風はどこに飛んでいくのかを実験して時間を潰した。アーリーは、魔法素養の高い者を五名ほど平らげると「お待たせ」と口に着いた血液や肉片を拭いながら言った。
こうして、イグナは異常の中の正常であるアーリーと、正常の中の異常であるホークを一通り観察し、左手の薬指と小指では安いと感じるほどの貴重な体験をして、トロン植物園へと帰った。
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