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Wizards Storia外伝~天諭の豊刈~  作者: iokiss/薄倉
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其の三

――王国歴1464年 シーナ南部 トロン植物園


 大陸南部に位置するシーナという国は、千二百年代初頭の頃から当時の国王の悪政により、国民に貧富の差が目立つようになり、現在では国土の約半分ほどがスラム街で形成されている。極稀にスラム街から富裕層になる国民もいるが、基本的にはスラムで生まれたものはスラムでそのまま朽ち果てていく。

 国内東部にある王都ウインダートを囲う様に広がる富豪街ヒー・リケイトで生まれた者のほとんどは、スラムに対して良い感情は抱いておらず、国としての問題と考えることも無い。何故このような粗暴な人間たちと、同じ国に住まなくてはならないのだ、という被害者意識を持つものも少なくないほどであった。また、富豪街の商人たちはラミッツに商売を行いに移動する際に二つの川を超える大橋エンデ・ヴァンデ・ドロームを渡り、スラム街を通らなくてはならない為、そこで野盗に襲われる者も居て、実害も発生していた。幸い、エンデ・ヴァンデ・ドロームは、常に警備兵が巡回しており、下を流れる川も川幅が広いうえに流れも非常に速い為、スラムの住人がヒー・リケイトに攻め入ったりすることは、ほとんど不可能であり、王都に住む人たちは恐怖に晒されることもなく、安全な生活を送ることが出来ている。


 スラムと富豪街を結ぶ大橋の名前を自国の呼び名で『夢の終わり』と名付ける時点で、国全体としてスラムを迫害しているのは明白であった。


 ホーキンス、イグナ、チャンゴを乗せた馬車は南西部にあるラミッツ、シーナ間の国境要塞を超え、シーナ北部の町ゾマに到着していた。


 ゾマはスラム街の一部ではあるものの、まだまだ活気は残っており、シーナの特産品である、小麦やライ麦を使ったパンなどが観光客向けに路上で売られていた。本来であれば、ここで一泊し休養した後で、南下しマグナ・ディメントの本拠地へと行く予定であったが、グーストがホーキンス夫妻を引き止めるために、ラミッツまで追いかけてきたということもあり、追い付かれてしまうと何かと面倒だ、ということで、パンを数個ホーキンスが買っただけで、ゆっくりとすることは出来無かった。


「このパン、めちゃくちゃ美味いっすね! しかも焼きたてだ!」


 チャンゴは、ホーキンスからパンを受け取るとすぐに頬張り感想を述べた。その横で、イグナも美味しそうに頬張っている。そんな様子を見て、安堵のため息をつきながらホーキンスは言う。


「ふーっ。この先はスラム街の治安が一気に悪くなるから、流石のお義父さんでも追ってくることはないだろう」


 それを聞いたイグナは、口に含んだパンを飲み込むと言った。


「グーストも連れて行ってあげればよかったんじゃないですか?」


 ホーキンスはイグナの意見を聞いて、首をさすると気まずそうに言った。


「お義父さんでは、マグナの意思についてこられるとは思えないし、あんな魔法しか使えない、役立たずの人間をマグナに連れていくわけにはいかないからな」


 それを聞いたマグナは、グーストの魔法を『あんな魔法』と言ったことを心底軽蔑し、ホーキンスに対して『凡庸な魔法使い』と言いたい気持ちが沸き上がったが、そんなことを言ったところで何が変わるわけでもないので口をつぐんだ。


 ゾマから真っすぐ南に延びる街道は、スピンドラ街道というシーナのスラム地域全体に広がる蜘蛛の巣状の道路の一部であり、現在イグナ達が通っているのはその中でも最も大きく最も長い街道である。ゾマを出発した際には、いくつもの通りが交差し、東にも西にも行くことが出来たのだが、南下するにつれ徐々に倒壊した建物や、ゴミが散乱するようになり、東西に向かう道が塞がれたことで、とうとう一本道になってしまった。それに伴い治安も悪化していくが、不思議とイグナが乗る馬車に危害を加える者や、野盗などは現れることは無かった。


「ねえねえ、ホーキンスさん、国境要塞の時もそうだったけど、なんでこの馬車は襲われたりしないの?」

「ん、ああ、説明していなかったか。この馬車の横についている紋章を見ただろう。この紋章が、見る人が見れば攻撃をしてはいけない馬車だということがわかるようになっている。他国ではどうかはわからないが、ここシーナであれば、かなり認知度はあるほうだろうね」

「へー、こんな紋章がねー。ラミッツの国境を抜けたときに、すごい人数のシーナ人が押し寄せていたから、こんな中でどうやって馬車を走らせるんだ、と思ったら、みんな道を開けてくれたのはそういう意味があったのかー」


 イグナ達が国境要塞を越え、シーナに入国した際に一千人以上のみすぼらしい格好の民衆に取り囲まれた。これは、シーナ国内からラミッツに亡命しようとするシーナのスラムの住人たちであった。

 イグナ達がここを通過した際には大した騒ぎになってはいなかったが、三年ほど前から亡命の動きは活発になっており、シーナとしてはスラムの人間が国外に行くことに対して別段口を出すつもりは無いが、ラミッツとしてはスラムの人間が流れ込むことによって治安が悪化してしまうようであれば困ってしまう、ということで入国を規制し始めた。この姿勢の裏側には、ラミッツが商売を中心とした国であるため、仮にシーナ人を奴隷として扱ったとしても、採算が取れないことが念頭に置かれている。

 そこでラミッツはシーナからの渡航者に関しては一際注意を払っており、家系を表す身分証明書を提示しなければここを通ることが出来ない。この規定により、当然スラムの住人はラミッツに渡航することが出来なくなり、暴動が起こり、やがてそれが紛争へと形を変え現在に至っている。


「なあイグナ。これから向かうパラダって所は大層なリゾート地らしいじゃんかよ。もしかして、マグナってめちゃくちゃ楽しいところなんじゃねぇか?」

「んん、そうだね。その土地に極楽って名前つけちゃうくらいだから、それはもう楽しいんじゃない?」


 気が付くと、ホーキンスは腕を組みながら眠ってしまっていた。イグナは、チャンゴとはまた違う意味で『楽しいところ』に思いを馳せて、表情には出ないものの内心興奮していた。


 イグナを乗せた馬車は、ゾマを出発して時々休憩をはさみつつ二週間かけてシーナ最南端の街ナクツへと到着した。


 これまでも、スラム街の状況を窓越しに見ながら南下してきたが、この街が今まで見た光景の中で一番の壊滅的状況であった。石造りで建てられた建造物にも関わらず、そのほとんどが何かしらの損傷が見られ、地上にある瓦礫を見てその建造物が何階建てだったのかイグナとチャンゴで、答えのない問題を出し合うくらいには壊れた街であった。

 何故この街で馬車を降りたのかと言うと、それは単純に馬車が通れるほどの道が無くなってしまったからで、瓦礫で埋め尽くされたこの街を横断することが出来なくなってしまったからだった。街を迂回して南下することも考えたが、ホーキンスはこのナクツよりも危ない街が近辺にあり、その集団と出くわすと非常に面倒だ、ということで、ナクツの瓦礫の山を登っては降りて横断するルートを選んだ。


 イグナは、この状況がスラムで最も悪い状態だと思っていたため、そのもっと危険な街に興味が湧いたが、それよりも、すぐ近くにあるであろうマグナ本部に早く行きたいという気持ちが勝ち、足早にナクツを通り抜けた。


 ナクツの街を通り抜けると、先ほど乗っていた馬車と同様の紋章が刻まれた馬車が停車しており、中から一人の男が現れると、ホーキンスを熱く歓迎した。彼はマグナの構成員であるらしく、名前はローハイトと言った。

 ローハイトは高身長で、着ている洋服は決して派手では無いが、センスが良く、初対面の人間はまず間違いなく好感を持つような男だった。ローハイトはナクツに用事があったのだが、その用事の最中に道が塞がれていることを知り、もしかすると歩いて横断してくるのではないかと思い、ナクツの南の出口で少しの時間待ってくれていたようだった。


「ホーキンス、君は運がいいな。今日ここに来たのは本当にたまたまだったからね。おや、君がイグナ君か、幼いのに我々の団体に加わることが出来るなんて運がいいな!」


 ローハイトは、そう言ってチャンゴの頭をくしゃくしゃと撫でた。咄嗟にそれを否定しようとチャンゴは口を開きかけたが、ローハイトはすぐにその横にいるイグナを見つめて言った。


「君は、話に聞いていないな。まあいい。仲間は多いに越したことは無いからな。出会いは一期一会だ。そういう意味では君も相当に運がいいな!」


 その後、馬車に乗ってからも何度かホーキンスやチャンゴ、ついにはイグナまでもがローハイトに『チャンゴとイグナを間違えていますよ』と伝えようと励んだが、パラダに到着し、その奥にあるトロン植物園に着いても、伝えることは出来なかった。

 ローハイトは、とにかく人の話を聞かないタイプの明るい人間だった。トロン植物園は三人が見たことも無いほどに大きな施設で、外観は昨日造られたと言われても信じてしまう程、美しい純白の建物であった。目を凝らして見ると、純白の建物の中心には、やや濁った白色で馬車に刻印されている紋章が描かれている。ゾっとするほどの美しい純白の建物を前に、先ほどまで見てきたスラムのどどめ色の風景が嘘のようだったが、三人はそれよりも疲れが勝り特に会話には出さなかった。


「はぁ、なんか、ずっと同じことを訴えているうちに着いちゃったよ。全然パラダを見ることが出来なかったぜ……」


 チャンゴは、ローハイトの話の通じなさ加減と、長旅による疲れが一気に押し寄せたようで、大きくクリクリの目は半分も開いていなかった。


「チャンゴ、これからが本番だから、気を抜かないで」


 そう言うイグナも、念願のマグナ本拠地に到着したにも関わらず、疲労感のほうが勝ってしまう始末だった。ホーキンスも同様に疲労感に苛まれていたが、そんな様子を見たローハイトは自身が原因の一つを担っていることもつゆ知らず、トロン植物園の目の前で三人に向き直り、にこやかに言った。


「適性検査は明日執り行うから、今日のところはゆっくりと休むといい。中には君たちの私室もあるし、もしもケガなどがあれば救護施設だってあるから、気兼ねなく使ってくれ」


 ローハイトに導かれてトロン植物園に入ったところ、外観と同様に作りたてのような清潔な空間が広がっていた。イグナは塵一つ落ちていない空間というものを体験したことが無かったため、とても奇妙な感覚に襲われた。そして、イグナを含む三人は既に長旅でボロボロであり、汚い身なりでこの中を歩くことを躊躇したが、そんなことをしてしまっては前を歩くローハイトに置いていかれてしまいそうだった為、グングンと奥を目指した。

 しばらく歩くと、建物の名前の通り複数の植物が植えられているエリアが見えてきて、そのエリアから生暖かい風が吹いてくることがわかった。その生暖かい風に運ばれて、豊かな土壌の香りと、甘ったるい花の香りが三人を包んだ。ローハイトは、その温かい風が吹いているエリアの手前でピタリと止まると、床を見つめた。


 何をしているんだろう、とイグナ達はローハイトに近づき、同じように床を見つめると、そこには(かめ)を使って水を植物に与える女性の絵が描かれており、ローハイトはその絵の上に乗ると、足元に魔力を込めた。すると、床はゆっくりと地中へ沈んでいき、ローハイトと狼狽えるイグナ達を乗せた床は地下のマグナ本拠地へと潜っていった。


「驚かせたね。いや、驚かせたかったっていうのもあるんだけど。この本部への入り口は、植物園のいたるところに存在するんだが、日によって通れる入り口が違うから気を付けてね。今日は植物園が休園だから、ややこしい入り口じゃなくて運が良かったね」


 イグナとホーキンスは、魔法で動く設備を見たことが無かった為、興味津々で床に這いつくばって仕組みを理解しようとした。チャンゴは、この足元の床が壊れてしまったり、誤作動なんかを起こすんじゃないかと、イグナの横にしゃがみこむとイグナの服の裾を掴んだ。

 五分ほど地下に潜ると、下る床は停止し、目の前には小さな橋が架かっていた。動く床と小さな橋の間には十五センチほどの溝があり、その下には更にどこかに繋がっているようだった。チャンゴは、その溝に落ちてしまうんじゃないかと思い、大げさに飛び越えてその際に足を挫いた。そのはずみでバランスを崩して小さな橋から落ちそうになったが、前で施設の説明をするローハイトと、それを熱心に聞く二人は気が付いていないようで、チャンゴは挫いた足を引きずりながら、何事もなかったかのように後を追いかけた。


「ここは、居住区だね。まだ配属の研究室が決まっていないから、具体的な話は出来ないけど、基本的な研究員はこのフロアで生活する。贅沢な暮らしは出来ないが、ホーキンスとイグナ、それぞれに部屋を用意してある。あ、君は……しばらくイグナと相部屋にしてもらうかな」


 と、ローハイトはイグナに話しかけ、もう否定する気も起きないイグナは「はい! わかりました!」とやけくそ気味に言った。ちなみにチャンゴはそんなイグナを見たことが無かったので、イグナの後ろで笑いをこらえていた。


 そして、イグナとチャンゴはホーキンスと別れ、あてがわれた部屋に入り、用意された食事を摂ると、室内を見て回った。見て回るほどの大きさの部屋では無いが、食事を摂る為のリビングに、三人は眠ることが出来そうなベッドが置かれている寝室、見たことも無い設備が付いている小綺麗な便所、そして極めつけは、すりガラスの扉が備え付けられた謎の部屋であった。


「おい、イグナ。この部屋、なんだろうな。中は、何にも無いが……」


 すりガラスの部屋は、人が二人入ればぎゅうぎゅうになってしまいそうな広さで、入って目の前の壁についている金属製のドアノブのようなものと、天井に等間隔に並ぶ無数の穴、そして照明と思われる光るガラス玉が設置されているだけで、その他には何もない。

 二人は推測し、この部屋はどこかに繋がる前室のような役割があると予想し、壁のドアノブのようなものに手をかけた瞬間、天井から無数の雨が降ってきた。


「うわぁっ!」


 ドアノブに触れたイグナは驚いて背後に飛びのいたところで、チャンゴにぶつかり、イグナの後頭部が命中したチャンゴは勢いよく鼻血を噴き出した。二人で、部屋でひっくり返っていると全身をびしゃびしゃに濡らすその雨が、温かいことに気が付いた。それにピンときた二人だったが、先に口を開いたのはチャンゴだった。


「イグナ、これが噂に聞く水洗トイレだ……」


「いや、シャワーだよ」


 当時の大陸では、風呂といえば大衆浴場であり、温泉がいたるところで発掘されるスルト以外では個人宅に備え付けられている風呂などは、上流階級の富裕層だけが興じることが出来る嗜みであった。

 それ以外の一般市民は、近くで水浴びをするか、汲んできた水を自宅で温め手ぬぐいなどを浸して体を拭くか、湯上げ士と呼ばれる職人に依頼してお湯を降らせてもらうかのどれかであった。ましてや、シャワーは最近開発された技術で、浴室の上階に水の入ったタンクを設置し、湯上げ士を呼び、その水を温めさせた上で下の浴室の蛇口をひねり、やっとその恩恵を受けることが出来る、贅の極みのようなものであった。

 イグナは名前こそ知っていたものの、実在するものだとはにわかには信じることが出来ず、自分で言っておいてなんだが、これがシャワーなのかどうなのかは半信半疑であった。だが、すぐにチャンゴは衣服を脱ぎすてシャワーを体感すると「死ぬほど気持ちいい」と言って、鼻血まみれになって出てきたので、イグナもその後に続いた。イグナは口には出さなかったが、死ぬほど気持ちよかった。


 翌日、イグナはチャンゴよりも少し早く起き、シャワーを浴びてローハイトの迎えを待った。


 前日の話では八時には迎えに行くと言っていたが、既に八時は過ぎてしまっている。扉の外で待とうかと扉に触れようとしたところで、ちょうどローハイトが扉をノックした。


「準備はできたかな?」

「はい!」

「それでは、行こうか」


 そう言われて、イグナは扉を押すものの、どういうことかびくともしない。どこかに鍵があるのかと、扉を調べるが、扉に鍵はついていない。背後にいたチャンゴは、もたもたしているイグナにイラつき、代わりに扉を押すが、やはり開くことは無い。


「あのー、ローハイトさん。この扉壊れちゃってるみたいなんですけど」


 チャンゴが、外のローハイトに呼びかけるが、反応は無い。もしかすると、ローハイトはこの扉の破損に気が付かずに先に行ってしまったのではないかと、チャンゴは焦り始めた。


「チャンゴ、下がって」


 イグナは何かに気が付いたようで、魔力を手に集中させ扉に触れた。すると、扉はたちまちに消え去り、部屋の前に立つローハイトがそれを満足そうに見つめていた。


「ど、どういうことだよ、イグナ」


 驚くチャンゴに応えるイグナ。


「もう、適性検査は始まっているってことさ。そうですよね、ローハイトさん」


 すると、目の前のローハイトは少し驚いた様子で言った。


「……なるほどな、君がイグナだったのか! 良い判断力だ」


 それから、イグナとチャンゴはローハイトに連れられ、昨日使用した動く床に乗り更に地下へと移動した。ローハイト曰く、この動く床は一概に地下に移動しているわけではなく、平衡感覚をおかしくする魔法がかかっており、この施設内のどこに移動しているかは、マグナの古株でさえも完璧に理解している者は少ないのだと言う。

 イグナはそれを聞いて、マグナを運営しているトップ、すなわち当主は相当に慎重な性格か、臆病な性格なのだろうと推測した。魔法を扱う団体としては最高峰、一方で世間からは問題視されているマグナ・ディメントの当主だ、どちらであっても違和感は無い。


 床が停止すると、先ほどの階層と同様に小さな橋が架かっており、昨日と同じようにそれを渡ると、大きな扉が一つだけついている広間に着いた。


「さ、ここの部屋で適性検査をするよ。入って」


 ローハイトに言われるがまま二人は、目の前の扉を開き中に入ると、中は何から何まで白い部屋が広がっていた。椅子や机、机に乗っているカップや、天井の照明器具、床、壁、そのどれもが汚れ一つない真っ白なものだ。案内された二人は全ての物が白い空間に、物の遠近感が無くなり、軽く眩暈のような感覚を覚えた。

 イグナとチャンゴはローハイトに誘導され部屋の中央まで移動する。きょろきょろするチャンゴとは逆に、イグナはローハイトの次の言葉を落ち着いて待っていた。


「さて、早速だけど魔法を使ってもらおうかな。一番使い慣れているものと、今できる、あるいは未完成だとしても形に出来る限界の魔法を見せて。もしも、人体に作用する魔法でターゲットが必要な場合は私が受けるので、そんな感じで。まずは、イグナ」


 イグナは使い慣れている魔法として、指先から風を巻き起こしてナイフのように扱う魔法を無詠唱で見せた。そして限界の魔法としては、雷の魔法を天井の四つ角を狙って順番に当てるという芸当を見せたが、その結果は二つしか当てることが出来ず、正に今練習中、といったところだった。

 チャンゴはそれを見て、何か言いたいことがある表情を見せたが、イグナにこの施設に来る前、自分の行動に対して何か思うことがあっても、決して人前で口に出すな、と強く念をおされていた為、チャンゴは口を閉ざした。


「なるほどね、確かに君ぐらいの年齢にしては随分発達したコントロールだ。君は以前に、オーバーフロー寸前まで魔法を使った経験があるね。雷を扱う際に、出力を過剰に安定させる癖が出ている。まあ、凡庸と言えば凡庸だが、君は運がいい。この施設は、君の魔法に関する知見や、扱える幅を大いに広げてくれるだろう」


 ローハイトが言ったことがあまりに的確だった為、イグナは感動を覚えた。だが、それとは別にイグナの脳内では、この人物、あるいは、この団体に対してある程度の緊張感を持って接していく必要があると考えていた。

 イグナは、自身の得意魔法を風と偽り、練習している魔法として前に見たチャンゴの雷魔法を扱って見せた。風の魔法に関してはホーキンスの研究所で覚えたものだが、雷の魔法に関してはチャンゴの魔法を二度見ただけだ。先ほど、チャンゴが何か言いたかったのはこの辺りで、イグナが雷魔法を扱えた事への驚きと、その習得センスの高さだ。


 イグナは、朝の部屋でのやり取りで、万が一自分達が扉を開けられない程度の魔法使いであった場合、あのまま監禁され処分されていたのではないか、と考えた。それであれば、この度の検査だって何があるかわからない。可能性がある以上、こちらの手札を見せるリスクは犯せない。


「では、君は……。タンゴ君、やって見せて」

「あ、チャンゴです。それじゃ、やります」


 チャンゴが瞳を閉じて、意識を集中させると、チャンゴは頭頂部からどろどろと溶けていき、眼球や髪の毛、衣服を巻き込みながら捏ねられた粘土のようになると、綺麗な球体になった。そして、肉体は頭頂部から再編成され、数秒後にはベガに変身していた。


「ちょっっっ、と待ってくれないか! 考える時間が欲しい」


 ローハイトは、口が塞がらない。


 おそらく脳内で高速に情報を処理しているのだろう。


「これは、すごいね。本当にチャンゴ君? ベガの新たな魔法で化けて出てきたとかじゃないよね?」


「!!!」


 突然横に女性が現れた。


 その女性に対して、イグナはすかさず魔力を帯びた手で掴みかかろうとするが、その手は何故か弾き飛ばされて、その勢いで尻もちをついてしまった。

 警戒し続けていたが故に出来たイグナの素早い行動であったが、結果としては恐らく上司であろう人間に危害を加えようとし、しくじった、という形になってしまったが、その女性は別段気に留めていなかった。


「あ、いいね。イグナ君かな? 堪らないね。そういうハングリーな気持ちって大事だと思うのよね。平和と真逆の精神ね」


 女性は、尻もちをついたイグナには目もくれずに語り、ベガになっているチャンゴの頭を見ている。チャンゴは何が起きているのかわからず、ただただ、まごまごしている。


「イブリス様……。何故こちらに、あ、いえ、そんなことより、この少年を……」


 イブリス、と呼ばれた女性は、まるで医者のように偽ベガの体をべたべた触診し、ぐるりと回った後で、正面に立つと、目を見て言った。


「ちょーっと、痛かったらごめんね」


 そう言ってイブリスが指をパチンと弾き鳴らすと、チャンゴは白目を剥いてその場に倒れた。すぐ横に居たローハイトが、チャンゴを咄嗟に抱きかかえたお陰で、地面に叩きつけられずに済んだ。


「何すんだっ!」


 珍しく声を荒げるイグナであったが、イブリスはそんなことお構いなしに、倒れたチャンゴを見つめて言った。


「なるほど、これは相当にヤバい魔法だね。気を失っても魔法が続いている。というか、魔力の流れを感じないから、もしかするとこいつは発動時、毎回生まれ変わっているのかもね。だとしたら、もっとヤバいね。転生魔法と言っても差し支えないかも」


 イブリスは、チャンゴを見つめながら、ふぅ、と息を吹きかける。するとチャンゴは目を覚ました。何が起きているのかさっぱり分かっていないチャンゴに向かって、イブリスは質問を投げる。


「君、魔法の真似も得意だろう?」

「ん、ええ。はい。見れば大体真似は出来ますけど」

「そうだと思ったよ、君は典型的な特異魔法の使い手だね」

「特異魔法?」


 チャンゴは、その言葉を知らなかったが、イグナは既に推測をしていた。もっとも、イグナにとって真似することが不可能で、先天的な魔法の総称として特異魔法と区分していただけであったが。イブリスは、チャンゴの頭に人差し指で触れて言う。


「先ほどね、君には気絶してもらったんだけどね、その時に弦の形を調べたら、弦の張り方が一般的な魔法使いとちょっと違ったんだ。弦っていうのは、魔法を創造するときに、脳みそと連携して働く重要な器官なんだけど、これが特異魔法使いは独特でね」


「へ、へぇ。俺ってやっぱ結構すごいんだ。へぇ」


 チャンゴはまんざらでも無い表情を見せた。イブリスがニッコリと微笑むと、それを見ていたローハイトが前に出て言った。


「では、イブリス様、この子は私の研究室で……」

「うーん、まあ、研究内容からしてあんたのとこが適正、って感じだけど、この子が死んじゃうような研究したら、あんたを殺すからね。死んだらマジ勿体ないから、あんたより。それと様付けやめてって言ってんじゃん。そういう団体じゃないから、ここ」


 末恐ろしい会話が聞こえてきて正気に戻ってきたのか、ここに来てチャンゴは至極真っ当な質問を投げかける。


「すみません、あの、どちら様でしょうか?」


「ん? 私? 当主だよ、ここの」


 イブリス、出自不明の魔導士。1450年頃から突如として現れた、マグナ・ディメントの創始者であり、絶対的な存在。

 その姿は二十代と言っても差し支えなく、そういったことにはあまり興味の無いイグナでさえも美しいと感じるその美貌と、類稀なる魔法への知見。更には、圧倒的な魔法センスと膨大な魔力を擁しており、後から聞いた話によれば町一つ消し飛ばすぐらいは造作もないらしい。

 そんなイブリスを感動させたチャンゴに、彼女は「望むなら好きな研究室に行かせてあげるよ」と言われたが、当のチャンゴは別に研究したくて入ってきたわけではないので、イグナと同じ研究室、とだけ答えた。それを受けてイグナは、マグナ内に複数ある専門的な研究室の名前を読み込み、悩んだ末に封印魔法の研究を選んだ。


 ローハイトは、心底悲しい顔をしていたが、イグナには考えがあった。イグナにとって特異魔法の研究は最もやりたかったことの一つであるが、仮にこの分野に詳しくなったとしても、後天的に特異魔法の使い手になることは現状ではかなり厳しい。そこで、イグナは特異魔法を相対したときに、最も有用であると考える封印魔法を習得することを優先と考えた。ローハイトの強い希望で、彼の研究室に月一回来てほしいということだったが、不安で仕方ないチャンゴはイグナが同行してくれるのであればということで渋々了承した。

 もとより、特異魔法を研究したかったイグナにとって、この展開は願ったり叶ったりである。


「ところで、先ほどの指を鳴らすやつって、どういう仕組みなんですか?」


 興味津々のイグナが尋ねると、イブリスは前髪を掻き上げながら言った。


「ああ、これ? 音を使った魔法で、これも特異魔法の一種だよ」


 イグナが聞いたところによると、イブリスの音魔法でチャンゴの脳に音を送り込み、弦と呼ばれる器官への反響音で、その形を探ったのだとか。イグナは未だ見ぬ魔法の数々に未だかつてない高揚感を抱いていた。


「まあ、弦で特異魔法持ちかどうかって判別できるのも、体感八割くらいなんだけどね。そもそも私の独自の判別法だし、弦なんて器官が医学的に解明されてるわけでもないんだけど」

「八割! すごい!」

「いや、そうなんだけどさ。この八割ってのが絶妙でさ、私はヒー・リケイト競馬場の八割当たる予想屋に何度も煮え湯を飲まされているからな。あ、君たちくらいの年齢だったら行ったことないか。あそこはいいよ、ロマンがある」


 イグナは、競馬場の存在は知っていたが興味が無かった為、あはは、と愛想笑いをすると、そんな様子を悟ったイブリスは、壁にかかっている時計を見つめて言った。


「そろそろ、いい時間だね。私はここらで失礼するよ。チャンゴ、イグナ、封印魔法研究のサングスタは私の古い友人だ、変な奴だが腕は確かだ。是非、彼の力になってやってほしい。頼んだよ」


 イブリスはそう言うと、足元からすーっと消えてしまった。イグナはその魔法も気になる、と言った雰囲気であったが、ローハイトはチャンゴにべったりくっついて全身くまなく調べている様子だったので、今度イブリスに会ったら聞いてみようと、想いを心にしまった。


「あ、あのー、ローハイトさん? ローハイトさんってそんなに偉かったんですね」

「ん? いやいやそんな大した者でも……あるんだなぁ、これが。ははは、サングスタさんのところに連れていきながら、そこらへんのところを説明しておこうか」


 ローハイトの説明によると、マグナ・ディメントの研究は大まかに五つに分けられているらしい。

『魔法の遺伝』

『特異魔法』

『封印魔法』

『反射魔法』

『変性魔法』

 それぞれが独立した研究所を持っており、その下には細かく区分化されている研究施設があるのだと言う。マグナには、明確な序列は無く、当主であるイブリスに対しても敬称は無い。これは、イブリスが役職や、序列を嫌う性格をしているためであるが、魔法の適性や能力、戦闘力や知力、どうあっても実力の差は出てきてしまう為、それぞれ名称によって区分することになっている。

 ローハイトや、これから会うサングスタは魔導師と呼ばれ、一般的な『魔導士』という名称とは異なり『師』という言葉に強く意味を持たせている。


 この魔導師が、研究所を牽引、あるいは創設する権利を持っており、敬虔なマグナ信者は皆これを目指しているのだとか。そして、次点にいるのが魔導研究員。これは、本部住みの研究員の総称でホーキンスもイグナもチャンゴも、差異無くこれに該当する。そして、最後が研究員。これは、スルトに住んでいる際にホーキンスが与えられていた名称で、各国ありとあらゆるところに点在する支部の会員といったところである。

 これ以外のマグナを応援する人達を総じて信者と呼び、才能がある者はスカウトし、才能がない信者からは金、品、人などを搾取するのだと言う。


「まあ、搾取と言えば聞こえは悪いが、基本的には自分から勝手に提供してくるよ。そもそも魔法研究を行いたいと願い出た人間たちの集まりだから、自身が必要とされないと分かれば、この団体を抜けるか、支援しながら関わるか、二つに一つだしね。まあ、とにかく君たち程の年齢で、外部から本部入りするのは私の知る限り前例が無いから、運が良いよ」


 そう言うローハイトと後ろに続くイグナとチャンゴは、例によって動く床を使い、いくつかの扉と通路を経てようやくサングスタの研究室に到着した。ローハイトが扉を開くと、中央の大きな魔法結晶石が目に入った。その麓から、結構な老人がゆったりとした速度でこちらに近づいてきた。


「じいさん! 今日からここに配属されたイグナと、チャンゴだ! イグナはともかくとして、チャンゴは特異持ちだから丁重に扱う様に、イブリス様に言われたからよろしくな!」

「おお、おお。わかった。わかったよ」


 という会話を聞いたイグナは「ともかく」と言われたことなど気にせずに、研究所の内部を見て回った。より良い魔法の研究、追及は今日から始まるのだ、と期待に胸を躍らせていた。一方でチャンゴは、少し心配になっていた。

 この団体は思ったよりも、聞いていた話よりもずっと心地がよさそうで、なんなら真っ当な組織にさえ思える。世間一般で非道の代名詞として使われるほどの団体が、まるで村のように、あるいは町のように、見ようによっては家族のように親しくコミュニティを築いている。


 この違和感が、チャンゴにとっては少し不気味に思えた。



――王国歴1466年 ローハイトの研究室


 この年は、マグナ本拠地のあるシーナにとって激動の一年となっていた。シーナから見て東北に位置する国であり、イグナの故郷でもあるミクマリノがシーナに戦争を仕掛けたのである。


 事の発端としては、ミクマリノの国王レオニードが以前から訴えかけていたシーナの富豪たちが囲い込む奴隷を開放せよ、という活動に対して反発したシーナの国王ウェルマが牽制として軍を斡旋し、ミクマリノ、シーナ間の国境要塞を占拠したことが原因であった。平和主義で、対話を好むレオニードであったが、国民の平和が侵されるこの行為に対して、戦争を仕掛ける運びとなった。大陸中央に位置する調停国ルストリアとしても、下手に仲裁に入って戦争が激化してしまわないかと、様子を見ているという状況である。

 そんなシーナの内部は意外にも落ち着いていて、良くも悪くも日常が続いていた。北西のラミッツ国境では相変わらず、スラム住人による座り込みが続いているし、富豪街は贅の限りを尽くし、スラムは荒れていた。


 イグナはと言うと、あれから二年が経ち、様々な研究で結果を残していた。所属こそ封印魔法の研究所であるものの、他の研究室にも出入りし、研究所同士の合同研究などを企画し、今まで個々で研究することが基本姿勢であったマグナの体制が少なからず変わってきていた。

 特に変性魔法研究所のモルモアラと共に、薬物投与によって得られる魔法効果の増強に関する研究は、マグナの研究の中で最も重要とされる『車輪運動』に大きく影響し、その実力を示した。これを示したことで、ますますイグナは研究所間を自由に動くことが出来るようになり、マグナ内の有力者の間では密かな噂になるほどだった。


 そんなイグナは、本日非番であるにも関わらず、チャンゴを連れてローハイトの研究所に訪れていた。と言うのも、どうも最近チャンゴが体調を崩しがちになり、ローハイトの元へ相談に来ていたのだ。本来であれば救護室かモルモアラの元に行き、薬を処方してもらうのだが、チャンゴの体調不良は魔法発動後に起こるものらしく、それであれば特異魔法を研究するローハイトだ、ということである。


「でー、どうっすか。ローハイトさん」

「んー、難しいな。特に変わり無いんだよな。強いて言うなら、ちょっと姿勢よくなったって感じだしな」


 ローハイトはチャンゴの背中をさすりながら言う。イグナは、壁にもたれかかってその様子を見ていた。


「えー、なんだろ。最近、特にベガに変身すると体に違和感があるんすよね」

「んー、そしたらしばらくはベガへの変身は止めて、別の人物にしたら?」

「そうします、ただ、やっぱりベガが一番しっくりくるんだよなぁ、俺の基本姿勢っつーか、ふるさとっていうか。まぁ、でも体調悪くなる原因がこれかもしれないんだったら、やめておこうかな」


 結局解決には至らなかったが、そんなこともあろうかと、イグナがモルモアラからもらってきた薬を渡し、精神を安定させて療養することで話は落ち着いた。暫くして、研究所の扉が開き一人の女性が入ってきた。マグナ内の人員の異動や、脱退は頻繁に起きるため、いちいち顔を覚えることはほとんどないが、その女性は絶対に会ったことは無いと断言できた。

 何故なら、その女性は秘部が見えてしまうかというほどのスリットが入ったタイトなロングスカートに、顔の半分と腰から下にルーン文字を含む刺青が大々的に彫り込まれており、一目見れば忘れることが出来ない強烈な特徴があったからだ。


「お久しぶりー。ローハイト。研究は順調かしら?」

「やあ、ジェニー。こっちはまあまあさ。そっちこそ、スカウトの旅は順調かい?」

「まあ、こっちは上々よ。ざっと三百人くらいは入信させたわ」

「相変わらず運が、あ、いや、腕がいいなぁ」


 ジェニーと呼ばれた女性は、ふふふ、とローハイトに微笑むと、イグナの方に向き直りゆっくりと近づいてきた。


「あなたがイグナね。話は聞いているわ。車輪運動は私が最も注力している研究なの。普段はスカウトをしているんだけど、そろそろ材料が集まってきたから、私も明日のスカウトを最後に研究一本で活動するの。よろしくね」

「よろしくお願いします」

「あら、固い感じね。若いんだからもっと適当に生きたほうがいいわよ。あら、あなたは……」


 ジェニーはチャンゴの方を見ると、今度は足早に近づいてきた。


「あなた、特異持ちね! わかるわ! どんな魔法なの? 教えて!」


 イグナと話していた時とは打って変わって、ジェニーは興奮気味に言う。


「あの、変身、みたいなことを……」

「じゃあ、あなたがチャンゴ君ね! あぁ、素敵。んぅん、道理でいい香りがすると思ったのよ」


 そう言って、ジェニーはチャンゴの首筋に鼻を近づけて匂いを嗅いだ。


「ちょ、ちょっと! 近いです! 近いです!」


 大慌てのチャンゴを見て、ジェニーはクスリと笑うと言った。


「あら、童貞? まだ子供だし、そりゃそうか。ま、それはそれでいいわね」


 チャンゴは顔を赤らめていたが、そこにローハイトが割って入る。


「ジェニー、お前の研究は理解しているが、場所を選べ。そこに友達のイグナだっているんだぞ」

「私は別に何歳でも、何人でもいいけど?」

「また、お前はそういうことを……」


 ローハイトは頭を抱えた。チャンゴは言っていることのほとんどが理解できない様子で、どうやら脳がオーバーヒートしたようだった。


「あっ、そうそう、明日の仕事のお手伝いを探しに来たのよ」


 そう言って、ジェニーは明らかにチャンゴの方を見たが、ローハイトがそれを遮り、首を横に振った。そして、今までジェニーの行動を見ていたイグナが名乗りをあげた。


「チャンゴは療養中なので、俺が行きますよ。多分それなりに役に立つはずです」

「いいわ、優秀なイグナ君。あなたに全く興味が無いということでは無いし、楽しくお話でもしながら、気楽にやりましょ」


 そう言うと、ジェニーは別れ際にチャンゴに投げキスをして、部屋を後にした。


 トロン植物園を囲うパラダと呼ばれる小さなコミュニティは、ヒー・リケイトに住む富豪たちの別荘地の別名である。イグナ達がここに来た時はオフシーズンで、門が解放されていた為、気が付かなかったが、パラダは高い壁に囲まれている。その高い壁の中に、同様にトロン植物園があるのだが、これはすぐ外にあるスラムの住人がここに入ってこないようにという意味よりも、シーナ軍やルストリア軍がこの中に勝手に立ち入らないようにするためのものという意味合いの方が強い。

 雨季と乾季があるシーナでは、雨季は道の存続自体が危ぶまれるほどに大量の雨が降り注ぐため、好んで移動する者は居ない。従って、その時期はパラダにとってオフシーズンとなる。逆に乾季になれば、移動が容易になる為、一部の富豪たちは世界中を旅行したり、このパラダで遊んだりと、自由な時間を謳歌することが出来るようになる。


 パラダは、別荘が百棟ほど軒を連ねており、そのどれもが一般家屋の十倍ほどの敷地を有していた。敷地の中には庭園を備えていたり、わざわざ富豪街から運んできた大量の綺麗な水を石造りの堀に入れて泳ぐ『プール』という設備があったり、人間を魔法で石化したという悪趣味なモニュメントが飾られていた。このモニュメントは犯罪者であったらしいが、詳細は不明である。別荘所持者の精神面が反映された様々な特徴が垣間見える。


「わざわざこんなところまで来て、遊び惚けるなんて富豪って馬鹿よね」


 パラダの入り口で、ジェニーは口紅を塗りながら言う。イグナはその少し後ろで「ええ」とだけ短く答えた。イグナの更に後ろに居た男がそれを聞いて不機嫌そうに言う。


「おい小僧! せっかくジェニーが皮肉ってくれてるのに、ノリ悪いぞ!」

「マクレガー、うるさい。うざい」

「あ、ごめん」


 今回ジェニーの仕事を手伝うのはイグナのみのはずであったが、このマクレガーと言う男が半ば強引に付いてきた。彼は、どうやらジェニーに惚れている男の一人であり、何かにつけイグナに「口説かれたか?」とか「肉体の関係はないだろうな?」とか、一通り関係性を尋問してきた後で「俺は将来を約束している」とか「俺の方がジェニーにとって役に立つ」だとか聞いてもいないのに身の上話をしたりと、騒がしい男だった。

 イグナは、実はそこまでこのタイプが嫌いでは無く、まるでペットの小動物を見るような温かな視線で彼を見ていた。


 この広大な別荘地は、世間には言えない秘密がいくつかあり、代表的なもので言えば、人身売買と、危険薬物の売買である。簡単に言えばラミッツのブラックマーケットのようなものである。シーナの人身売買及び、危険薬物の売買は大陸内で最も大規模で最も質が高く、それを目当てにラミッツの商人などもここを訪れることはあるが、シーナの国民の身分証明書が無いと、売価の四倍の価格で購入する羽目になる。

 その為、かなり高価なものではあるが、事前にシーナの偽造身分証明書を購入してから来た方が安いと、ラミッツの商人は正規ルートで訪れることは無い。


「さて、そろそろ仕事の時間ね」


 ジェニーが目を細めると、スラムの方からぞろぞろと人がやってくるのが見えた。しかし、その直後、猛スピードで馬車がその横を通り、馬車の窓から富豪達が笑いながら弓を引いたり、ナイフを投げつけた。まるで流鏑馬に興じているかの様に、スラムの人間達を次々に射ったのだ。


 逃げ惑うスラム住民を見て、馬車内からは愉快な笑い声がより一層大きくなって聞こえてきた。


「あーあ、勿体ない。阿呆富豪共が」


 と、ジェニーが舌打ちをしたのも束の間、その富豪が目の前を通り過ぎていく。


 シーナでは、スラムの住人に対して過剰防衛が合法となっている。過剰防衛の過剰の部分がかなり拡大解釈されていて、例えばスラムの住人が敵意を向けてきた、というだけで防衛という名の暴力を行使することが出来る。当然、敵意を向けられたという証拠などとれるわけはないのだから、ただ一方的にスラムの住人に対して一方的な暴力を振るっても、咎められることは無いという、大陸の歴史の中でもトップクラスの悪法が、現実的に施行されている。


「さて、気を取り直して仕事を始めよっか」


 ジェニーは、両手を上にあげて伸びをしながら言う。


「はい!」


 イグナは返事をすると、トロン植物園から引いてきた台車からたくさんのバケットとお菓子を取り出し、用意していた目の前の簡易的な机の上に並べ始めた。


「うわぁー!」


 という奇声にも近い声を上げて近づいてきたのは、たくさんの瘦せこけた子供たちであった。中にはちらほら大人も混じっているが、概ね子供ばかりである。今日この日のパラダのイベントとして、富豪たちの寄付金による食料の配布である。オンシーズン中は毎日行われるが、マグナの魔導師クラスが一週間に一回、これを確認、管理しに来ることになっている。

 ジェニーは、魔導師クラスでは無いが、スカウトという分野において一定以上の成果を挙げている為、この役を担うことが出来る。というより、内容を考えれば適任である。


「ほらほら、押さないの! みんなの分ちゃんとあるからね!」


 ジェニーはまるで保母さんのように優しく語り掛ける。イグナは子供に紛れている大人を追い返したり、茂みの方に連れて行って説得を行ったりして、状況を整理した。マクレガーもにこやかに食料を配った。十五分もすると、スラムの集団は子供だけになり、ざっと見て五十人ほどになった。


 その五十人の半数近くが、満腹でその場に座ったり、寝入ったりしてしまう。そういった行動をとる子供たちの大半が薬物中毒者である。


 口に入る物なら何でも口にしてしまう、飢餓とはそういう事態を引き起こしてしまうものであり、幼い子供達は道端に捨てられた腐った食べ物はもちろん、薬物を包んでいる保存紙を舐めたり、しゃぶったりするのが流行っていた。

 この保存紙は、快楽作用のある植物を紙の上ですり潰し乾燥させる、この時に植物から滲み出て染み込んだ成分は、防湿効果などもあるとされ、雨季になると売人の間で良く使われていた。その紙の製作工程の中で、僅かに甘みを含み、それを知っている飢餓に苦しむ子供たちは、そこかしこに積まれているゴミの中からそれを探し出しては、おやつ代わりにしているのである。

 これが原因となり、子供たちは薬物中毒に苛まれるのだ。食事をしたいとこの場に集まったものの、中毒の影響で大した量を食べることは出来ずに、食べたという結果に満たされて脱力してしまう。


「よかったら、こっちにふかふかのベッドを用意しているから、お姉さんと一緒に来ない?」


 疲弊している子供たちに、ジェニーは温かい言葉をかけると、子供たちは眠い目をこすりながら、続々とジェニーに近づいていった。未だ食べている子供たちも、ふかふかのベッドという言葉に反応しジェニーに近づいていく。


「あら、かわいい。これ、うさぎさんのお人形? こっちにはカエルさんのお人形があるのよ。お人形さんに着せるお洋服もあるんだから」

「ええ! ほんと? うしさんもいる?」

「よくわかったわね、うしさんもいるわよ」


 ジェニーは子供たちを引き連れ、パラダの中心まで連れてくると広場の中央に設置された長い下り階段を下りていく。マクレガーは残りの食料を配り、イグナは、子供がはぐれないように最後尾からついていく。下り階段には大げさなほどたくさんの照明がついており、壁には有名な童話の絵が描かれていたり、天井には紙で作られた星々が吊るされている。

 今まで、子供らしい遊びをしてこなかったスラムの子供たちは目を輝かせたり、狼狽えてしまったり様々であったが、その誰もが、前進する足を止めることは無かった。


「さあ、この部屋よ」


 長い下り階段が終わると、突如として虹色の扉が現れた。虹色の扉には、角の生えたピンクの馬や、明るい水色の象が描かれており、ゆっくりと開いていく扉に子供たちは目をキラキラさせていた。扉が完全に開かれると、中は眩い照明と、新品同様のおもちゃがたくさん散りばめられていて、ところどころに包み紙にくるまれた飴が転がっている。それを見た子供たちは一斉に走り出し、それらを手に取った。


「それじゃ、もう少ししたお迎えが来るから、それまでいい子で待っているのよ」


 と言って、ジェニーは虹の扉を閉めた後で、外から鍵をかけて、下ってきた階段を上って地上に戻った。一緒にイグナは地上に戻ると、ジェニーの手際の良さに尊敬すら覚えた。それはまるで漁師のようにも見えた。


「お母さん、今日もいっぱいお仕事したよ」


 そう言って、ジェニーはお腹をさする。イグナはそれまで気が付かなかったが、よく見ると少しお腹が出ているように見えた。言動から察するに、どうやら身籠っているようだ。


「イグナ、この子が生まれたら仲良くしてあげてね。きっと、すごく優しくて才能に溢れた素敵な子供だから」

「え、あ、はい。仲良くします」


 今の今まで、子供たちを誘導し、外からしか絶対に開かない扉の部屋に詰め込んだ後で、自分の子供を愛おしく眺める様子にイグナは気味の悪さを感じたが、よくよく考えてみれば人間とは大体そんなものだということに気が付いて、むしろ清々しい女だと思った。


「ところで、ジェニーさん。車輪運動が主な研究と言っていましたが、そのお腹の子供も?」

「ふふ、どっちだと思う? あはは、こんな問答いらないか。この子は、車輪運動の中でも特別。いえ、集大成と言うべきね」

「集大成、というと、まさか」

「そう、特異魔法の遺伝。特異魔法の使い手の精子と、私の肉体に刻まれた複合的なルーン。あなたは、これらが引き起こす奇跡を今現在も目の当たりにしているのよ」

「それは素晴らしい!」


 と、イグナは答えたものの、ジェニーからもっと理論建てた、遺伝に関するメカニズムの話が聞けると思っていただけに、かなりがっかりしていた。生まれる前から特異魔法を付与してしまおうという考えは恐らく正しい。だが、その手法が確立しない以上は結局のところは机上の空論なのだ。信じることで発動するのが魔法であるならば、信じたところでどうにもならないのが肉体だ。

 褐色の人種が交わって出来た子供は、どんなに強く願っても褐色なのだ。そこに思い込みや、強い願いなどは関係が無い。イグナは、イブリスの言葉や、自身の知識をまとめ、ほとんど結論が出ていた。特異魔法は、肉体の遺伝に近い。

 その為、何度も出生と犠牲を繰り返す車輪運動には大いに期待していたが、その研究分野のトップがこの様子ではたかが知れている。イグナは心底がっかりしたところで、全ての食料を配り終えたマクレガーが入り口の方から走ってきた。


「おまたせー! ジェニー!」


 近づいてくるマクレガーを見ながら、ジェニーはイグナにだけ聞こえるように言った。


「お腹の子のことは、あいつに言わないでね。めんどくさいから」

「はい」


 ジェニーは、近づいてくるマクレガーから目を落とし、愛おしそうにお腹を見つめ、小さな声で呟いた。


「早く会いたいわ。私のミハイル」

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