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バラベルサイユ

作者: 白鳥 薔

◆バラベルサイユ◆



 ばらは困っていた。

 蛇はその傍らで溜め息をつく。もちろん、蛇もほとほと困り切っていたのだ。遥か彼方では、その悩みの種であるところの、処女イヴが、長い髪を風に踊らせて花々と戯れている。

「アダムはどこに行ったんだ?」

「鳥とでも歌っているんだろうよ。まったく、ここまでらちがあかないのは初めてだ」


 りんごを、食べてくれないのだ。


「それどころか、興味も示さない」

 それではいつまでたっても、この小さな森から出ていけない。

「神の願いは、産めよ増やせよ地に満ちよってんだ。なのに、りんごを食べなきゃ子供は産まれない」

 もう既に、幾組ものアダムとイヴがこの地で育てられ、そしてこの地を出ていった。

すでに『外』には『街』が出来つつある。

 それが、真実、神の願いであったから。

 唯一神であり、一人で「完全」である神は、全体で一つ、そして、対で意味を為す者を創造し、それを愛した。

「ナルシストではないからな、あの方は」

 だがしかし、それは神の似姿に造られてはいる。

 蛇は、彼方のイヴをふりあおいだ。

「だいたいイヴに問題がある。あんなにやせっぽちで色気に欠けるイヴが今までいたか? あれではアダムがその気にならんでも仕方がない」

「そうでもなかろう。あれでなかなかイヴは美しいではないか」

 反論するばらに、蛇は笑う。

「ナルシストはおまえだ」

「私?」

「イヴはおまえに似せて造られたではないか」

 云われて、笑った。

「では、イヴもそうだな。あれは私を愛している」

 そして蛇は少し言葉を濁し。しかし、ばらを見つめて、言葉をつないだ。

「まあ、たしかに。美しいがな」

 蛇とても、知ってはいるのだ。イヴは美しい。近寄ると、馨しく甘いばらに似た香りが誘いかけるように彼女からは漂う。しかし、それだけなのだ。誘うだけ。受け入れる術を彼女は知らない。

「りんごを食べねば一生あのままだ」

 今までのイヴたちは、皆アダムに恋をした。そして、アダムに愛される術を知るために自ら望んでりんごを口にした。


 りんごの名は「欲望」。


「恋は、嵐だ。心の中に吹き荒れる。」

 さとすばらの言葉に、イヴは答える。

「私にはわからないのです」

 美しい瞳をしたままで。

「何故たった一人を愛さねばならないのですか? 私は皆を愛している。何故それではいけないのです? 私には憎いものなど一つも無く、そして、嵐の様にただ一人愛しいものもいない。私の心は、いつも平穏でおだやかで、」

 ばらは静かに瞳を伏せた。

 イヴはそのまま言葉をつないだ。

「そして、私は平和を愛している。」


 何故、花に生まれなかったのか。

 何故、風に、大地に、生まれなかったのか。


 言葉を失ったばらのかわりに、やがて蛇がささやいた。蛇とても、口にはしたくなかった言葉。イヴは、このまま、処女のまま、変わらずにいてはしいと本心では願いながら。

「でも、イヴ。君がイヴである以上、アダムとの間に子供をつくらねばならない。」

 何故なら。

「それが定めだから。」

 そのためには、あの実をお食べ。

「君はイヴなんだから。」

 あかいあかい血のように赤い実を、淡い色の唇がかじる。甘いその果肉をほうばって、イヴはつらそうに噛み締めた。そしてその実の半分は、差し出されるままアダムが口にする。そして。


 そして、ふたりは追放される身となった。


「イヴ」

「お別れだわ。花咲き乱れるこの美しい宮殿を追われるのね」

「後悔している?」

「いいえ、だって仕方のないことですもの」

「りんごを食べなくてはならなかったことが?」

「いいえ」

 イヴはりんごを食べる前と同じ、処女のままのような笑顔でばらに笑ってみせた。


「私が嵐を持たずに生まれてきたことが」


 ばらは、驚きを隠せない。

 有り得ないイヴ。存在しないはずのイヴ。だが、その血はおそらく引き撫がれていく。街に出た幾組ものアダムとイヴのうち、そのどこかにカインが生まれる筈である。ばらは祈らずにはいられなかった。このイヴが、その母と成らぬことを。

「イヴ」

 ばらはその身を震わせて、美しい花びらをいくつも落とし、我が身によく似たイヴにまとわせた。

「ありがとう」

 甘い香りがする。

 だがその心には何の香りもまとえない。

 どんなに愛されても。どんなに望まれても。


 未来を求める嵐はあっても、誰かを求める嵐はないから。






● FIN ●


ご静読ありがとうございました


◆ ◆ ◆ ◆ ◆

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