プロローグ
前世の記憶を思い出した。
正確には今この瞬間確信を持ったと言うべきだろう。
目の前に現れた少女によって。
「ほら、めいちゃん。お客様にご挨拶なさい」
「城ヶ崎、めいです……」
促され頭を下げ素早く母親の後ろに隠れてしまった少女は、城ヶ崎めい。
気の弱そうな今にも泣きだしそうなそんな表情に金色の髪。
涙に歪んで見える栗色の瞳は、それでも愛らしさが伺える。
その幼い顔には将来美人になりますと言わんばかりに他にも可愛らしい小さなパーツが配置されていて、1度見たら忘れられそうもない。
白いワンピースという服装もありここが、ファンタジーの世界なら間違いなく天使と紹介されていたことだろう。
前世で妹が読んでいた少女漫画、飾らない君に出てくるキャラだ。
金髪ロングに黒いカチューシャをした少女で3回程表紙を飾っていた。
目の前にいる少女も金髪で面影がよく残っている。
俺も学生時代、夏休みとかに暇になりすぎて勝手に読んでハマったのでよく覚えている。
アニメ化と2度のドラマ化もされていたぐらい人気の高い作品だ。
話の内容は、よくあるお金持ち達が通う由緒正しい学校に、庶民であるヒロインが入学する所から始まる。
金持ちばかりの学校に馴染めず、それでも将来のためにいじめを受けながら通い続けるヒロイン。
心がボロボロになったある時、たまたま避難した先の屋上にいた、王子と呼ばれるその学校で1番お金持ちで女子人気の高いキャラと出会い、恋に落ちる。
そして王子もこの学校にいる女子とは違うヒロインに惹かれだんだん2人の恋は盛り上がっていく。
しかしそんな2人の恋の邪魔をする人がいる。 それが城ヶ崎めいだ。
しかし、この城ヶ崎めいというキャラ、作者が悪役令嬢を描きたいという要望の元に連載した漫画らしく、悪役令嬢がめちゃくちゃ可愛い。
作者自ら今かける最高のキャラと公言する程で、漫画は知らないけど、このキャラは知っていると言う人も多いぐらいだ。
それに幼少期は引っ込み思案だっためいだが、王子と出会った事をきっかけに変わりそして惚れるというエピソードは深く掘り下げられていて、ネット上ではこっちがヒロインなのではないかと言われたほどだ。
顔の可愛さと性格の悪さのギャップが読者に受け、人気投票ぶっちぎりの1位に輝いた程。
これまではぼんやり前世の記憶を持って生きていたのだが、こうして知っているキャラが出てきた事で脳に電流が走り、今の情報が一気に流れ込んできた。
そして、この物語の終盤、城ヶ崎めいは、これまで散々恋を邪魔した報いとして、王子によって会社の株を全て買い取られ、事実上会社を乗っ取られ無一文で庶民に落ちてしまうという結末まで思い出した。
物語としてはスッキリしてそれで終わり、2人は無事結ばれ、ハッピーエンドなのだが、この後のめいは悲惨な人生を歩んだ事が簡単に想像出来る。
何不自由なく育ってきたわがまま娘が社会の荒波を乗り切れるとは思えない。
「こら、挨拶されたらどうするの?」
と、めいのその後を考えていると背中をトンと軽く小突かれ我に返った。
見上げて見るとムッとした怒る1歩手前の母親が立っている。
そうだった。
今、俺は母親に連れられて城ヶ崎家に遊びに来ていた。
この俺、綾小路雅は城ヶ崎めいの幼なじみということになる。
先程2人の立ち話から得た内容では、母親同士が学生時代から友人らしく、こうしてよくお互いの家を行き来していたのだが、同時期に子供が生まれたのとお互いの旦那の仕事が忙しくなり最近疎遠になっていた。
しかし、最近落ち着いて来たので、久しぶりに顔を見たくなり連絡すると、子供の話になりどうせなら連れて遊びにおいでと招かれた。
そして今リビングに通されお互いの子供に挨拶をさせているという所。
俺は挨拶を返すように背中を小突かれたわけだし。
ううっ。
所で、子供ってどんな挨拶するんだ?
前世の記憶が正しければ俺は庶民のサラリーマンだった。
デスクワークで頭と腰を酷使してあちこち痛めバキバキ音を立てる身体を引きずり同期や上司と飲み歩く。
週3ぐらいのペースで飲んでいた。
そんな生活をしていた。
健康には良くないがそれなりに上手く立ち回って人間関係は良好だった。
後輩もそれなりにいたから多分それなりに長く務めていたはずだ。
つまり子供時代など20年以上も昔の話になる。
当然全然覚えていない。
だが、ここで社会人としての挨拶をすれば確実にやばい子供認定されてしまう。
それだけは避けた方がいい。
うちはそれなりにいい家柄なのだろう。
なんせあの城ヶ崎家と幼なじみなわけだし。
ちなみに城ヶ崎家は主に観光業を行っていて、漫画で見た限り経営はとても順調そうだった。
城ヶ崎家と同じかそれ以上に広いし、家政婦や執事と呼べる使用人らしき人も数名記憶にある。
つまりここで変な事をすれば、家にも影響がありそうだ。
友達同士とはいえ、名家と名家の人間が顔を会わしている訳だし油断は出来ない。
というか名刺交換しない挨拶ってどうやるんだっけ?
ここはシンプルに先程のめいの挨拶を真似ればいいはずだ。
「綾小路雅です。5歳です……」
反応が怖かったので俯く。
1秒2秒と沈黙が続く。
「あらあらしっかりしてるのね。まぁー恥ずかしがっちゃって可愛いー」
頭をわしゃわしゃと撫でられあっという間におばさんの膝の上に乗せられてしまった。
「ちょっと恵里香、私の息子よそれ」
「いいじゃない、ちょっとぐらい。減るもんじゃないでしょ美沙、私、男の子も育てて見たかったのよ」
なんというかイメージと違うんだが。
漫画において城ヶ崎めいというキャラは深く掘り下げられているが、両親や周辺の人間関係についてはかなり曖昧なまま深く掘り下げられていなかった。
両親についてもほぼ描写がなく、名前すら出ることなく庶民に堕とされてしまっていたのだ。
でも、あんだけのえげつないいじめをするめいを作り上げたんだからもっと恐ろしいのを想像していた。
めいの行ったいじめはとにかく陰湿で、ものを隠すのはほぼ毎日で、取り巻きを使って行く先行く先を邪魔したり、とにかく表に出ないようなものが多かった。
撫でられながら思い出していると、ふと視線を感じた。
見ると羨ましそうにこちらを見ているめいと目が合うが、またサッと反られてしまう。
そんな様子を見ためいの母、恵里香さんは、撫で回していた俺をめいの前に下ろしながら、
「あら? めい、雅くんと遊びたいの? じゃあ2階で遊んでおいで。ほら、案内してあげなさい」
「あの……いえ、はい。お母様」
何か言いたそうにしていためいだが、すぐに諦めたように寂しそうに返事をし、無言で歩き始める。
そんなめいの背中を見ていると何だか気分が悪くなる。
なんだあの母親。
全く子供を見ていないじゃないか。
今のは誰がどう見ても撫でられているのが羨ましいって反応だろ?
というか自分も撫でられたいって目をしていた。
前世から動物の気持ちが分かるほうだったから確信も持って言える。
あれはそういう目だと。
しかしなんで犬アレルギーの俺に寄ってきていたんだろうなあいつら散歩中の犬は。
もしかしてめいの性格が歪んだ原因ってこういうのの積み重ねなんじゃないか?
愛情が不足した子供がグレるなんて事はよくある話だし、それがああいうかたちで出たとしても不思議ではない。
親の性格が歪んでいたからえぐいいじめをしたんじゃなくて、愛情不足が故に性格が歪んでしまったと考えられる。
勝手な解釈だがそう思ったら何だかとても可哀想に思えてきた。
幼少期から愛に飢え、王子にもその歪んだ性格でフラれ最後には庶民に落とされる悲しいなんてもんじゃない。
階段を登るのに合わせて揺れる短い金髪を見ながらそんな事を考えてしまった。
2階の部屋に着くと扉を開け中に入るように促される。
部屋の中には娯楽なんてものはなく、あるのは電子ピアノと英会話の教材だろうか? それの入ったバッグが置かれている。
バッグからは中身が飛び出していて、雑に放り投げた事が伺える。
無理やり習い事をさせられていることが想像出来る。
確か、めい達が通う学校には初等部から高等部まで存在していて、初等部から入学しているものが偉いみたいな謎の風潮があった。
中等部や高等部から入ったものをよそ者や外部生と呼び、差別する描写があったのを覚えている。
ヒロインが学校に馴染めなかったのもこの風潮による所が大きい。
そしてめいは初等部から通っている事が作中で明らかとなっていた。
つまり習い事をさせて初等部の受験をさせる気満々というわけだ。
しかし道具の扱いからして今のめいは英会話が嫌いなのだろう。
ピアノはホコリを被っていないため最近使った事がわかる。
新品同様の綺麗さなのであまり使っているようには見えない。
ベッド、机クローゼット。
一通り見たが、やはり遊べそうなものはないし、めいも遊ぶ気がないのか入口近くの角で座りこんでじっと黙っている。
部屋に招き入れた俺を見るわけでもなく、ただ時が過ぎるのを待っているようにぼーっとしていた。
その表情から読み取れるのは諦めに満ちた無表情。
夢に敗れた人間がその先の人生になんの価値も見出ざず過ごす時にふと見せる表情だ。
前世でもよく目にした。
明け方の飲み屋街にはよくあんな顔をしたサラリーマンがいた。
昔は大きな野望を持っていたのになんだかんだで平のサラリーマンのまま40、50になってしまった出世争いに負けたそんなサラリーマンを。
でもまだ小さい娘がそんな顔を見ているとどうしても笑った顔が見たくなる。
実を言うと、俺は飾らない君の中でこの城ヶ崎めいが1番好きなキャラで、特にお気に入りなのはヒロインに嫌がらせした時に見せる笑顔だ。
嘲笑に満ちたその顔は、まさに悪役令嬢と呼ぶにふさわしくそれでいてとても魅力的だったのだ。
読み手次第で善にも悪にも見えるそんな笑顔は飾らない君のタイトルはめいのためにあるのではないかと錯覚される程。
こういうのもあって裏ヒロインなんて呼ばれ方もしていたのだが。
めいを推している人の7割近くは笑顔が素敵と熱く語る。
しかし、めいが笑顔になるのは王子の前か、ヒロインをいじめている時のみだ。
少なくとも漫画ではそうだった。
だが、なんの因果か分からないが、せっかく漫画の世界に生まれ変わったのだ、何とかして生の笑顔をみたい。
そう思うのはこの状況になったらファンならきっと誰でもそう望むだろう。
「ピアノ好きなのか?」
そう思った俺は、ひとまず会話のきっかけになればとそう問いかける。
「………………別に……」
長い長い沈黙のあとポツリとそう答えた。
声には感情が一切こもっておらず、聞かれたから答えたというのが透けている。
おいこれ、5歳にして擦れすぎじゃね?
こりゃもう性格の歪み始まってるんじゃないか?
俺は心の中でため息をつくと、少し長考を始める。
明らかにこの擦れたようなめいの言動は親からの愛情不足と嫌な習い事を無理やりされられたのが原因だと思う。
それはこの先、起こるヒロインのいじめと破滅の未来に繋がっている可能性が高い。
だが、どっちも今の俺には解決出来ない。
習い事はその家の方針があるし、母親にちゃんと子供を見てやれなんてなんて、子供が説教じみた事をするのは、どう考えてもおかしい。
これ割と詰んでませんかね。
笑顔をみたい! とか調子乗ったこと言ったけど、子供であるが故に何も出来ないじゃん。
それでも会話を何かするべきだ。
何も出来ないならせめて何とか出来る糸口を探すべき。
現実ではあるが、一応物語の世界でもあるわけなのだ、改善不可能ってわけでもないだろう。
「お前何が楽しくて生きてるわけ?」
そう思いながら、めいにかけたのはそんな言葉だった。
選択肢の中で恐らく最低クラスの投げかけだろう。
何か別の事を言わなきゃと思ってこれが出たなら一生モテないだろうとは思う。
言ってからこれはいけないと後悔して、慌てて謝ろうと口を開いた。
「…………何も楽しくない」
が、それよりも早く、めいが反応してしまい、取り消すことも謝ることも出来なくなってしまった。
しかし、表情を見ると僅かに揺れた。
ごくごく小さな変化だが城ヶ崎めいマニアの俺には分かる。
これまで無表情に近かったのに変化したという事はそこにヒントがあるはず。
そして閃いた。
そうだ、簡単なことだ。
大人なら誰でもやるじゃないか。
愚痴。
それは辛い現代社会を生きてくうえで必須技術。
酒や気心の知れた友人などとセットで使うと効果的。
社会人の10割がこれを身につけている。
身につけてなければ長くは持たないからな。
実際多くの新人社員がストレスによって体調を崩したりやめたりした。
めいを歪ませないために愚痴や不満をこの時間でできる限り吐き出させる。
今の俺に出来る事は多分それぐらいだ。
習い事を止めさせるのは恐らく無理だし、ダメだ。
だから俺は掴んだ糸口を無理やり広げる。
「何が1番楽しくないんだ?」
「英会話。これ、意味わからなくて嫌い。これはペンですとかわざわざ言わなくても見れば分かるでしょ」
それ英語を始めた人間が1度は言い出すやつだろ。
中学生時代の英語嫌いな俺が同じことを言ってた。
「他には?」
「スイミングスクール。水着がゴワゴワして嫌い」
「泳ぐのは嫌いなのか?」
「別に……嫌いじゃないけど、教えてくれる先生がなんかイヤ」
そんな調子で嫌いなものを聞き出し、めいが答えること数分。
最後の質問のつもりで核心に迫ってやろうとぶつける。
「じゃあ母親は嫌いか?」
「お母様の事は大好きに決まってるでしょ! …………でも最近は嫌い。ずっと怒ってるんだもん。でも私が悪いのピアノのお稽古やりたくないなんて言ったから…………」
めいはそう言って寂しそうに笑う。
きっと小学受験の受験にはピアノが必須かそれに近い感じで必要なのだろう。
確かあの学校の高等部の食堂には大きなピアノがあった。
学校のシンボルとか呼ばれていたので、重要視されている可能性は高い。
だから母親は必死に覚えさせようとしている。
しかし本人のモチベーションが低いから習得率が悪いのではないだろか。
そこで俺は1つ仕掛けをしようと思う。
モチベーションを上げつつ定期的に会う口実を生み出すそんな仕掛けだ。
あまりこういう原作知識を使ってなにかをするって言うのはいい事とは思えないが、実際この立場になれば誰でもこうするだろう。
「チョコレートって知ってるか?」
「知ってるわよ。バカにしないで」
めいは少しムッとしたように語気を強めた。
既に傲慢さの片鱗を見せている。
「もし今度会う時までピアノの稽古頑張ってたら内緒で持ってきてあげるよ」
「ほんと? でもなんで?」
実は城ヶ崎めいはチョコレートが幼少期から大好物だったと3巻末のキャラ設定に乗っている。
めいの父親が甘味をあまり好きじゃないため家で出ることがほぼなかったと設定に書かれていた。
幼少期にどこかのパーティー食べた事をきっかけに好きになったとも書かれていた。
「……うちチョコレートの製造とかやってるらしいんだけど結構余るんだ」
これは事実だ。
わが家綾小路家はお菓子の製造メーカーである。
特に有名なのがポテチ。
家の冷蔵庫には大量のチョコがはいっているし、姉はチョコの食べすぎて虫歯になって今、治療の真っ最中だ。
今頃、騙されて歯医者に連れていかれていることだろう。
帰ったら慰めてやらないといけないかもしれない。
「約束」
差し出されたのは小指。
何だかほんとに子供に戻った事を実感出来るなぁ。
絡ませ指切りをすると最後にめいはかすかに笑った。
あぁ守りたいこの笑顔。
微笑であってもファンからすれば十分の破壊力だ。
こんな尊いものがこのまま放置すれば10年ちょっとで庶民落ちして失われる?
そんなのを知っていてみすみす放置してほんとにいいのだろうか?
先ほど俺は原作に干渉するのは良くないと思っていた。
でも今、分かった事はめいは物語の都合で庶民に落ちるだけに生み出された人間だとは到底言えないということだ。
絡ませた指はちゃんと暖かく生きている人間だと主張してくる。
その温もり強く小指に残っているこの時、俺は決意した。
何があっても城ヶ崎めいを破滅の未来をから救い幸せにすると。
これは俺の長い長い破滅の未来から幼なじみを幸せに導くそんな物語だ。
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