メイド、薬術を習う
エマという友人ができた次の日。
ジレットは約束通り、クロードに薬術を教わることになった。
お陰でその日は朝からテンションが高く、掃除の効率もとても良かった。いつもより三十分も早く終わってしまったのだ。
それほどまでに楽しみにしていた理由は「薬術を学べるから」ではなく、「薬術をクロードから教えてもらえるから」であったが。
何はともあれ、クロードによる薬術指南は、朝食が終わると同時におこなわれた。
彼に連れられて向かったのは、「開けてはいけない」と言われている一階の角部屋である。そこにはなんらかの魔術がかけられており、クロードのみが入れる部屋だった。
彼が虚空に何かを描くと、それが軌跡になって文字が浮かび上がる。
一瞬扉が発光すると、クロードはノブを回した。
「ここがわたしの、薬術用の研究部屋だ」
入るように促され、ジレットは恐る恐る足を踏み入れる。
入った瞬間、薬草独特の匂いがした。魔術による灯りが部屋を優しく照らしている。
壁側にはガラス張りの棚が置かれており、その中にたくさんの瓶や小さな箱が入っていた。どれもこれも、見たことのないものばかりだ。中央には珍しいことに金属で作られたテーブルが置かれており、その上に器具があった。薬術に使う器具だろう。
中は他の部屋と違い、窓がない。どうしてかと不思議に思っていると、クロードがそれに気づき口を開いた。
「光が当たると、薬草は傷みやすい。風に当てても同様だ。だからこの部屋には窓を作っていない」
「なるほど……」
ジレットがそれをしげしげと眺めていると、クロードが棚を漁り始めた。そしてテキパキと薬草を出していく。
材料をテーブルに置いたクロードは、それを一から説明してくれた。
「これが材料だ。塗り薬によく使われるのは、蜜蝋だな。こだわりのある者は『リミル』という実の種から取れる油脂を使ったりするが、今回は蜜蝋で十分だろう」
「はい」
「その他必要なのは、欲しい効能に合ったハーブだ。今回は傷や保湿に効くものだから、ティートゥリーとラベンダーを用意した」
「クロード様は物知りなのですね」
ジレットが関心してそう言うと、クロードは苦いものを噛み潰したときのような顔をした。
(な、何か、失言してしまったかしら……)
ジレットがハラハラする中、クロードは少しばかり遠い目をして、口を開く。
「知り合いが、美容にうるさくてな。あんなものを作れ、こんなものを作れとうるさいから、覚える羽目になった。その知識が役立っているのだから、皮肉な話だ」
「な、なるほど……申し訳ありません」
「いや、構わない。過去のことだ」
どうやらその過去は、クロードにとって良いものでなかったらしい。
(クロード様にそんなことを言えるってことは……吸血鬼の方なのかしら?)
そんなことを思ったが、クロードに言う気がないため答えは出ない。それに彼が嫌がることを聞き出したいとは思わなかった。
ジレットはできるかぎり気にしないようにと自分に言い聞かせる。
彼女は気を取り直すと、ハーブをしばし見つめつぶやいた。
「……摘みたてのような新鮮さですね」
ジレットは普段からハーブの管理をしているため、その違いがよく分かった。ポプリなどを作る際乾燥させることがあるが、これはそのときとは違いみずみずしいままだったのである。
するとクロードは頷いた。
「この瓶には、保持の魔術がかけられている。その魔術が浸透するように、特殊な素材を使用しているんだ。これ五つほどで王都の家が買える」
「……割らないように、細心の注意を払います」
「ああ、頼む」
ジレットは改めて「この家にあるものの大半が高いな」と思った。あそこまで厳重に保管されていた理由も分かる。
その間も、クロードは丁寧に説明してくれた。
どうやら材料は、蜜蝋とナッツオイル、そしてハーブだけなようだ。
「必要なものはこれだけなのですね」
「ああ。だからそこまで難しくないが……混ぜるときが問題だな」
ジレットならばできるとは思うが。そう言われ、ジレットの胸が否が応でも高鳴る。どうやら期待されているらしい。
するとクロードは、手本を見せてくれた。
「まずはじめに、蜜蝋を専用の容器に入れ、湯煎する」
「はい」
「そしてここにハーブを入れるんだ。そしてハーブを解く」
「……は、い?」
ジレットは思わず、疑問符を浮かべてしまった。
しかしクロードはその疑問に答えることなく、ハーブを入れて棒でかき混ぜる。
するとどういうことだろうか。ハーブが、縫い物を解いたときのようにするすると糸になっていったのだ。仄かに光る糸はやがて透明になり、蜜蝋の中に溶け込んでいく。
ジレットは思わず固まった。
(……え、え? わたしがこれをやるの!?)
ジレットが内心パニックに陥っている間に、クロードはナッツオイルを入れてよくかき混ぜ、混ざったらその液体を小さな容器に移す。
「これが固まるまで待てば、塗り薬の完成だ」
「……えっと、その、あの……」
ジレットは我に返り、そしてまごついた。あまりにも簡単にやってしまっていたが、こんな高等技術ジレットにできそうもない。
(せっかく教えていただいたのにできないだなんて……失望されてしまう……?)
ジレットが顔を青くしていると、クロードはそれに気づき不思議そうな顔をした。
「どうした、ジレット」
「あの……どうやったら、ハーブが溶けるのでしょうか……」
「……何を言っている。普段あんなにも上手に、草木の世話をしているというのに」
ジレットはそれを聞き、首をかしげた。草木の世話をすることと今回のことが、どう関係するのか分からなかったのだ。
するとクロードは言う。
「植物を解くという行為は、薬術師が薬術師と呼ばれる由縁だ。そしてそれは、植物の中に流れる魔力を見る、ということでもある」
「……はい」
「植物というのはとても繊細なんだ。そして世話をするということは、植物たちの滞りを取らねばならない。ジレット。君はそれをやっているんだ」
「……え?」
驚くジレットに、クロードが微笑む。
「薔薇の花が綺麗に咲くのも。ハーブの魔力値が安定しているのも。君が世話をしていたからこそだ。つまりジレット。君は無意識のうちに、魔力の流れを見ている。それを意識的にやれるようにできれば、薬術師になれるんだ」
「……わたしに、そんなことが……」
「物質は皆、編み物のようになっていると思ってもらっていい。その編み物の先を見つけ、切れないように解く。何事もまずは経験からだ。まずやってみてくれ」
クロードにそう諭され、ジレットは恐る恐るといった体で蜜蝋を溶かし始めた。溶けたら中にハーブを入れ、じぃっと見つめる。
(流れ……草木の世話と、同じ……)
自分は一体、庭の手入れをしていたときどんな蕾を摘蕾していただろうか。
ハーブを摘む際、どんなものを積んでいただろうか。
そんなことを考えながら、ジレットはくるくるとかき混ぜる。それはほぼ無意識だった。
すると、ハーブがうっすらと光を放ち、透明になっていく。それはするすると糸に変わっていった。
ジレットはそれに気づき、ハッとする。
(糸が切れないように、切れないように……)
しかしそう意識し出した瞬間、糸が切れてしまった。中途半端に溶けたハーブと、ハーブとして残ったものがそこにたまる。
「あ……」
「……失敗か」
感情のこもらないクロードのつぶやきに、ジレットは涙目になった。失望されてしまったと、そう思ったからだ。されどここで諦めるわけにはいかない。彼女は涙をなんとか引っ込めて、再び挑戦した。
しかし集中が切れてしまったのか、はたまたセンスがないのか。そこからは失敗ばかり。
六回ほどやった辺りで、ジレットは不甲斐なさのあまり唇を噛み締めた。
「……申し訳ありません」
見るからに凹むジレットを見て、クロードは苦笑する。
「どうやらジレットは、意識しないでおこなったほうが成功しやすいみたいだな」
「……そうでしたか?」
「ああ。特に一番初めにやったものは、途中までは無意識的に魔力を見ていた。しかし魔力が見え始めたことに気づき、意識してしまったんだ。それがなければいけただろう」
「……はい、すみません……」
クロードは、ジレットの頭をそっと撫でた。
「初めてにしては上出来だ。むしろセンスが良い。もう疲れたろう。今日はこれで終わりにしよう」
「はい」
ジレットはクロードに頭を撫でられ、なんだかホッとした。犬猫にでもなった気分である。
何より、クロードに褒められたということが救いだった。ジレットは仄かに頬を染め、はにかむ。
すると、クロードが一瞬瞠目した。そして弾かれたように、撫でていた手を引っ込める。
ジレットは首をかしげた。なんだか様子がおかしい。そう思ったのである。
「クロード様?」
控えめに名前を呼ぶと、クロードは目を反らす。
「片付けはわたしがやっておくから、仕事に戻って良い。お疲れ様、ジレット」
「は、はい」
なんとなく引っかかるものを覚えながらも、ジレットは一礼して外に出る。廊下を歩きながら、彼女は思案した。
「どうしたのかしら、クロード様。体調でも悪い? ……何か精のつくものでもお作りしたほうが良いのかしら」
頭の中にあるレシピ帳をパラパラとめくりつつ、ジレットは二階の掃除を始めるために道具を取りに向かう。
そうして彼女は、自身の本来の仕事に戻った。
その日の夕食は、普段よりも豪華であったという。