迷惑な来訪者
ジレットが屋敷から立ち去った直ぐ後。
クロードの執務室の本棚の影が、とぷんと揺れた。クロードはそれを確認し、嫌そうな顔をする。そして走らせていた羽ペンをペン立てに置いた。
「毎回思うが、もう少しマシな登場の仕方はないのか」
『仕方ないだろう? こちらのほうが楽なんだよ』
少しくぐもったような声が、影から聞こえる。
その影から人のような形をした黒いものが出てきた。それはやがて色を帯び、人そのものになる。
浮かび上がってきたその男は、とても整った顔立ちをしていた。
夜の闇をそのまま吸い込んだかのような漆黒の長髪、月の光をそのまま宿したかのような悪戯っぽい金色の瞳。一度も日の光を浴びたことがないと思ってしまうほど肌は白く、彫りの深い顔立ちをしている。
服の質も高く、デザインはとても凝っていた。そう。貴族階級が着るような、そんな堅苦しい純白の礼服だ。
にもかかわらず彼はとても砕けていた。その証拠に、白手袋をはめた片手をあげ手を振ってくる。それがとても、クロードの癇に障った。
「やあ。久しぶりだね、クロード」
「帰れ。もしくは散れ」
「来て早々物騒だなぁ!」
クロードのストレートな物言いに、彼は楽しそうに笑った。クロードの眉間にシワが寄る。
そして内心こう思った。「だからこの男は嫌いなのだ」と。
白皙の美男子の名を、アシルと言った。彼はこの国の第三王子である。
国王の命令という口実でクロードに何かと絡みにくるのは、大抵彼だった。そしてクロードは、そんな彼のことをとても毛嫌いしている。
アシルは勝手知ったる他人の家のソファに座り、ジレットが淹れた紅茶を飲み始めた。
「いやぁ、美味しいねえ。うちの侍女にしたいなぁ」
そんな冗談を言いながら、アシルは美味しそうにクッキーを頬張る。クロードは向かい側のソファに腰掛け、ため息をこぼした。
「で。何をしに来た」
「ひどいなぁ。もう少し歓迎してくれてもいいんじゃない?」
「誰が歓迎などするか。うるさくてたまらない」
「君は相変わらず、騒音やら人間やらが嫌いだねぇ。ほんと、僕らの中でも変わり者って呼ばれてるだけあるよ。それを理由にしてこんなところ住んでるんだから、筋金入りだよねえ」
アシルはそんなことをつぶやきながら、肩をすくめる。クロードはさらに胡乱げな眼差しを向けた。
「で、なんだ。魔術に関する研究報告は、毎月欠かさずおこなっているが」
「ん? いや、最近彼女とどうなのかなって思ってさ」
瞬間、クロードの視線がゴミを見る目に変わった。
何を言っているんだこいつは。そういう目である。
同族でなければ、即刻首を切り落として森に捨てているところだ。血など一滴たりとも吸いたくない。バカが移る。そんなことを、クロードは思った。
そう。アシルは、登場の仕方からも分かるように人ではない。彼もまた吸血鬼なのだ。――しかも、日の下歩く吸血鬼である。彼らはその特性ゆえに、王族として認められていた。
こんなのが吸血鬼の中でも特殊な日の下歩く吸血鬼だというのだから、頭の痛い話だ。
しかしアシルは至って真面目だった。唇を尖らせ、不満げに言う。
「だって、君が人間をそばに置き続けてるんだよ? それってかなり異質なことじゃないか」
「……それがどうした」
「いや、それほどまでに気に入ってるのかなって。さっきも薬術教えるとか言ってたし。もしかして弟子にでもするのかい? それとも同族に?」
クロードはジレットのことを持ち出され、不機嫌をあらわにする。しかしそれは同時に、アシルの言葉が事実であることを語っていた。
そう。クロードはもともと、侯爵位を持っていた貴族だった。しかし管理やら何やらが面倒臭く、数百年前に別の貴族に明け渡したのが現状だ。人間嫌いになったのも、そのときあったごたごたが原因である。
それからもこうして国の上層部とかかわりがあるのは、彼がこの国で最上級魔術師という位を持っているからであった。その立場があるからこそ、不自由のない生活と同時に、王都の近くに住まなければならないという不自由さを抱えて生きている。
この国の貴族の大半が、人外だ。それは国のトップを見ていても理解できよう。吸血鬼は不老不死という特性上、とても暇だ。しかも人間の魔術師よりも、圧倒的に魔力が高い。ゆえに魔術研究に精を出し、やがて国の主体となった。それが、この国の始まりである。
そのため他国で迫害されていた種族も積極的に受け入れ、今のような形態を作っていた。
この国が未だに続いているのは、人外のおかげと言っても過言ではない。
長命種の貴族たちは、ほどほどの歳になると隠居し裏方に徹するか姿を変えて統治を続けるか、この二択から生活を決める。王族の場合大抵後者だ。
アシルは今でこそ第三王子などと言われているが、クロードとは旧知の仲である。数年前は国王をしていた。そんな男だ。
しかしクロードは、それらの情報をジレットに話すようなことはしなかった。それはこれからも同じだ。
「彼女は関係ない。純粋に、住み込みのメイドとして働いてくれているだけだ」
「なのになんで薬術を?」
「そのほうが、わたしのほうも楽だと思ったからだ。彼女としても、薬術さえ覚えておけば次の職に困らないだろう」
塗り薬をいちいち買いに行くのは不便だろうと思ったことは、言わないでおく。追求されるのが面倒臭かったのだ。
そう言い終えてから、クロードは彼女にここを離れてほしくないと思っている自分がいることに気づき、眉間にしわを寄せた。
はじめのうちは、日中動き回れる下僕が欲しかっただけだった。そのほうが色々と楽だと考えたからだ。
街の店が開いているのは昼間である。ジレットが来るまで、すべてクロードがやっていたことだった。
かと言って魅了を使って従わせるのは、クロードの美学に反する。眷族にするのは論外だ。彼は「人間でありながら、吸血鬼に怯えない召使い」が欲しかったのだ。今思えば、かなりの高望みである。
そのときちょうどジレットに出会ったのだ。
奴隷市の出店許可をもらっていない人買いであっため、どうにでもなると思いその男を食べた。その馬車に乗っていた奴隷の中で、唯一逃げ出さない少女がジレットだったのだ。彼女は他の奴隷たちとは違い、クロードに怯えることがなかった。むしろこちらをじいっと見つめていた。
彼女ならば、そばにおいてもいいかもしれない。
それが、ことの発端である。
それから二年経った今もよく働いてくれており、クロードとしてはとても助かっていた。
滅多にない人種を手放すのは惜しいのである。彼女の仕事の出来を認め、給金もかなり出していた。金で繋ぎ止められれば、安いものである。
しかしアシルのほうは、その回答が気に入らなかったらしい。つまらなそうに肩をすくめている。
「僕はそんな回答が欲しいんじゃないんだけどなあ……」
「……彼女のことはいいから、さっさと用件を言って帰ってくれないか。鬱陶しい」
「ひどいなぁほんと。同族との久々の会話なんだから、もうちょっとこう、楽しくしようよ」
「かなりの頻度で押しかけてきているやつが、何を今更。それに、わたしはお前の顔など見たくない」
「相変わらずかなり辛辣!! でもさ、彼女本当に美味しそうだよ? 君が食べないなら僕が味見しちゃおう、」
味見しちゃおうかなー。
アシルは、そう言おうとした。
しかし首を掴まれたままソファに押し付けられ、言えなくなる。首を押さえつけているクロードの瞳は、真紅に染まっていた。
クロードの本気を見たアシルはさすがに分が悪いと思ったのか、今までとは一変して表情をひくつかせる。
「……ごめんごめん。今のは冗談だよ」
「もっとマシな冗談を言え。彼女はあくまで、この屋敷のメイドだ。それを忘れるなよ」
食べるつもりも同族にするつもりもないと言外に込めて、クロードはようやく手を離した。
アシルは首をさすりながら、冷めた紅茶をすする。
クロードも紅茶を飲みながら、ほっと息を吐いた。自分で淹れていた頃より、数段美味しかったからだ。吸血鬼は総じて味にうるさい。彼がそう感じるのだから、ジレットはとても腕の良いメイドである。
「それで、用事なんだけど」
「ああ」
「久々に、夜会に参加しない?」
「しない」
「一瞬たりとも考えようとしないねえ!?」
「当たり前だろう。面倒臭い」
クロードは眉をひそめた。人嫌いで森に住んでいるのに、夜会に参加しろとはどういう意味だ。ふざけんなというのが彼の心境である。
「いいじゃないかたまには。最上級魔術師として参加してくれたって! 君は若い魔術師たちの憧れなんだよ!?」
「知らん」
何を言われたとしても、クロードの心境は変わらない。むしろ普段参加しない自分が行けば、注目を浴びることは必至。不愉快極まりない。
しかしアシルは必死だった。
「ほら、夜会だよ? 日の光ないよっ?」
「夜会に行ったところで何になる」
「僕が楽しい! 夜会つまんないから!」
「道連れにしたいだけか」
「当たり前だろう!? 好きでもない女どもに絡まれたって楽しくないよ! 香水臭いし!!」
「ならなおさらいかない」
クロードはさすがに鬱陶しすぎて、屋敷から放り投げようかと思い始めた。しかしそれをしたとしても意味がないことは、すでに経験済みである。むしろ「ならこの屋敷壊して首都のほうに新しい屋敷を作ろう! そうしよう!」とかいうバカである。安住の地を奪われるなどたまったものではない。
ジレットが帰ってくるまでには帰らせよう。
そう決意し、クロードはクッキーに手を伸ばした。