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わたしは吸血鬼様の非常食  作者: しきみ彰
第一部 メイドは主人を敬愛する
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メイドの美容法

 ジレットは毎日の生活とともに、美容のために必ずおこなっていることがある。


 それは風呂上がりに、髪に少量の香油を塗ること。

 一食は必ず、チーズを食べること。

 野菜を必ず摂ること。

 乾燥したり水仕事のし過ぎで手がかさついた際は、塗り薬を塗ること。

 一定の体型を維持するために、運動を欠かさずおこなうこと。

 以上である。


 やっていることを並べると簡単なように見えるが、これはすべてジレットの、知識と経験によるものである。美容関係の書物は数が少なく高価であるため、滅多に貸し出しされないのだ。そのため街に出るたび、良さそうな噂を取り入れ実践した。


(香油は塗れば塗るだけでも良いと思っていたけれど、そんなことはなかったし……)


 香油というのは本当に面倒臭いもので、少量を適度に塗らねば髪が逆にべたついてしまう。

 チーズや肉は食べすぎると体に悪い。摂りすぎると、べたついた汗をかきやすかった。ゆえにジレットは魚を好んで食べる。市で買ってくるものが魚ばかりなのもそうだ。


 体型を維持するための運動は、仕事をすることでほとんど補える。

 のだが。


 香油と塗り薬に関しては、使えばなくなってしまう消耗品である。

 そしてジレットはそれらを先日、店に置き去りにしたまま逃げてしまった。


 つまり、今とても危機的状態なのである。


(……どうしようかしら)


 かさつき、あかぎれができ始めた手を見て、ジレットは小さくうなり声を上げた。

 普段ならばこの辺りで塗り薬を使うのだが、現在ものがない。街に出かけるのは、クロードの書物を取りに行く三日後だ。ジレットはクロードが関係する用事がない限り、街に行ったりしないのである。


 自分のことはいつだってついで。今までもそうしてきたし、これからもそうするつもりだ。

 しかしあかぎればかりはどうにもならない。放っておき悪化した結果、仕事の効率が悪くなったという事態は、すでに経験済みである。


 昼食の片付けを終えたジレットは、再度ため息を漏らした。


(これがクロード様が言うところの「人間は脆い」ということなのかしら……?)


 怪我してもすぐには治らないし、こういうあかぎれも同様だ。熱を出せば数日寝込む。それでクロードに迷惑をかけて以来、ジレットは健康を意識した生活を心がけていた。


 とにもかくにも。クロードに見つかる前にどうにかしなくてはならない。手元をじいっと見つめ、ジレットは決意する。


 そんなことを思っていたのが悪いのか。

 台所にちょうど、クロードがやってきた。

 その姿を認めた瞬間、ジレットは勢い良く手を後ろに回し隠してしまった。


「ジレット、ふたり分の紅茶を淹れて欲しいのだが……ジレット、どうした?」

「い、いえ! 紅茶ですね! 承りました!!」


 ジレットが何食わぬ顔で作業をしようと、食器棚から紅茶用のカップとポットを取り出そうとしたが、クロードがそれを許してくれるはずもなかった。

 彼はジレットの手を掴むと、眉を寄せる。それを見たジレットは血の気が引く思いだった。


(クロード様にはあまり、こういうものを見せたくないのに)


 怪我は、吸血鬼には無縁の産物。つまりとても醜いものなのだ。少なくともジレットはそう思っている。それを主人に見られるということは、由々しきことだった。

 ジレットがびくびくしていると、手の傷をしげしげと眺めていたクロードがため息を漏らす。


「これはなんだ、ジレット」

「えっと……そのですね……水仕事をしていると、何かと手が痛みまして……」

「しかし普段はここまでにはなっていないはずだが?」

「ごもっともです……」


 ジレットは、クロードからの鋭い指摘に縮こまった。ぐうの音も出なかったのだ。何よりクロードの前だと、嘘がつけなくなる。彼は嘘に敏感なのだ。

 クロードはそんなジレットを見つめながら問うた。


「普段はどのように対処している」

「……売っている塗り薬などを使って、対処しております」

「それが切れたと?」

「はい。お恥ずかしい話、つい先日……忘れまして(・・・・・)……」


 ジレットは極力嘘をつかないように心がけた。

 そう。嘘は言っていない。「買い忘れた」のか「買ったのはいいが取って帰るのを忘れた」のか。その違いである。言わなければおかしいと気づかれない違いだ。


 幸いなことに、クロードはそれ以上追求してこなかった。ジレットはほっとする。

 しかしクロードが手に顔を近づけてきたことに気づき、首を勢い良く横に振った。


「ククク、クロード様!? 舐めて治すというのは色々とよろしくないかと存じます!!」

「……直ぐに治る。効率がいいだろう?」

「確かに、治りますが! しかしクロード様のお手を煩わせるわけには……!!」


 ジレットはなんとか拒否しようとした。先日のように傷口を舐められて治されたとなれば、ジレットの心臓がもたない。なんせ今回は、両手全部である。そんなことをされたら、頭がおかしくなる自信があった。顔はすでに真っ赤だ。

 そんなジレットを見てさすがにためらったのか、クロードが手を離してくれる。

 ジレットは素早く手を後ろに隠した。


(さすがに心臓がもたないわ……無理だわ……)


 耐えきれる自信がない。その場で卒倒してしまいそうだ。

 するとクロードは、少し考える素振りを見せた。

 ジレットは首をかしげる。


「……ジレット」

「は、はい!」

「薬術を覚える気はあるか?」

「へっ……」


 ジレットは今までにないほど動揺した。頭の中でクロードのセリフを噛み砕き、咀嚼する。


『薬術を覚える気はあるか?』


 つまりこの言葉は、クロードがジレットに指南をしてくれるという意味だろう。

 あのクロードがそこまで言ってくれたのだ。彼は本気である。もとから冗談など言わない人だった。

 ジレットが答えを出す前に、クロードは言う。


「覚えておいてくれ。その気ならばわたしが教える」

「は、はい……」

「とりあえず、紅茶を淹れてわたしの部屋に運んでくれ。客が来る。それと……少し、街に出て時間を潰していてくれ。今日は面倒臭いやつがくるからな……」

「承りました」


 ジレットは、先ほどよりも幾分か冷静になり頷いた。クロードはそれだけ言い残すと、足早に去ってしまう。彼女はそれを見送ってから、紅茶のポットとカップをふたり分出した。茶菓子として、クッキーをつける。

 お湯が沸くのを待っている間、ジレットは悶々と考える。


(わたしを外に出すってことは……わたしに合わせたくないようなお客様ってことよね)


 クロードがジレットに向かって「しばらく街で時間を潰してくれ」と言うことは、今回が初めてではない。以前にも何度かあった。それは今回のとき同様、クロードの態度がとても嫌そうだったと記憶している。


 そしてクロードはなんだかんだ言って、とても人嫌いだ。人嫌いな上に、貴族や王族などの上位階級を嫌う節がある。それは時々してくれる会話からも分かった。

 ジレットは使用人なので許容範囲内なのだろうが、今までよく働けてきたと思う。


(クロード様は別に、人間だからといって危害を加えようとするような方ではないし)


 紅茶のポットやカップを温めた後、ジレットは茶葉を入れた。そこにお湯を注ぐ。湯気とともに芳しい紅茶の香りがし、ジレットの心を優しく包んでくれた。


 そう。こうして一応ながらももてなそうとするあたりが、クロードの義理堅さを証明している。

 そんな推測をした後、ジレットは現実逃避をやめた。


「……薬術を学ぶ」


 口に出してみるとようやく、現実味を帯びてきた。

 ジレットにはクロードの考えは分からないが、おそらくジレットの手を見てそう言ったのだろう。確かに「自分でできたらいいな」とは思っていたのだ。

 つまりそれは、ジレットも望んでいたことだ。

 しかしジレットはそれ以上に嬉しいと感じていた。「そのままこの屋敷にいて良い」と、そう言われているような気がしたのだ。


(それに薬術を覚えられたら、クロード様の力にもなれるし)


 それだけで、ジレットのテンションは上がった。

 お湯をもうひとつのポットに入れ、ミルクなどを用意し、ジレットはそれらをお盆に乗せる。彼女はそれを持って意気揚々とクロードの部屋に向かった。

 そして置いていくと同時に笑顔で言う。


「クロード様。薬術のご指南、していただけますか?」


 書類仕事をしていた彼は、それを聞いて少しだけ驚いていた。

 しかし直ぐに頷き、相貌を崩す。


「分かった。明日から教えよう」

「ありがとうございます!」


 ジレットは、満面の笑みで頭を下げた。クロードが、ジレットのために時間を割いてくれるのが、たまらなく嬉しかったのである。

 彼女は上がりきったテンションのまま外に出て街へと向かう。


 咲きかけの薔薇が、光を浴びてキラキラと輝いていた。

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