人間嫌いからの忠告
ときは過ぎ去り、二日後の昼。
ジレットは授業の空き時間を活用し、セシリアールのいる薬草園に来ていた。
「…………ああああ……」
しかし、二日前の失敗が響いて、途中から集中できなくなってしまった。気のせいか、頭痛までしてくる。
(だって……だって……どうして、クロード様と一緒に寝ていたの、私……!!)
酒で酔っていた末の暴挙だとクロードに教えてもらったが、アホすぎる。覚えていないということが、ジレットに余計ダメージを与えていた。
どんよりと自分のおこないを恥じていると、セシリアールが引きつった顔をする。
「……え、何。来たときから思ってたけど、どうしてそんなに暗いの? 怖いんだけど」
セシリアールにそう言われ、ジレットはびくりと肩を震わせた。
(いけない。先生に教わってるところなのに、自己反省してたわ……!)
ジレットはしゃんと背を伸ばし、頭を下げる。できる限り二日前の朝のことを思い出さないようにしつつ、事情を説明した。
「申し訳ありません。その……二日前、お酒を飲んで失敗してしまいまして……」
「……お酒? 君もあんなの飲むの? あんなもの飲むとか、気が狂ってるとしか思えない……」
「い、いえ、わたしも一口飲んだだけで意識を飛ばしてしまったのですが……先生は、お酒が苦手なのですか?」
瞬間、セシリアールが今まで見た中で一番嫌そうな顔をした。
嫌悪なんてものではないかもしれない。言葉で表すなら、その表情は憎悪である。
セシリアールは、吐き捨てるように言った。
「妖精にとって酒は、神力バランスを乱す天敵なんだよ。一口でも飲めばぶっ倒れるわ、意識無くなった後変なことするわ、後日吐き気がするわ、運が悪ければ生死を彷徨うわ……最悪の飲み物だよ。いや、あんなの飲み物じゃない。毒だね。消えろ消えてしまえ」
「そ、そんなに、ですか……あれ? 妖精は……魔力を持っている生き物ではないのですか?」
ジレットは思わず首をかしげてしまった。彼女中では、魔力という単語が主流だからだ。
するとセシリアールは、あっけからんと言う。
「妖精と人と魔族は、まったく別の力が流れてるんだよ。僕たち妖精は神力だけど、人と魔族は魔力。どちらも力ではあるけど、根っこのところが違うね」
「えっと……何が違うのでしょう?」
「簡単だよ。作ってくれた神が違う」
「……神?」
予想していなかった言葉に、ジレットはきょとんとしてしまう。そんなジレットを尻目に、セシリアールは手元の薬物を混ぜていた。
「そう、神。妖精や精霊といった生き物は地神が、人間と魔族は天神が作った。それだけの違いだ。……名前については僕も疑問に思ったことがあるけど、聞かないで。知らないから」
ピシャリと言い切ると、セシリアールはジレットを見た。
「で。課題にしてたハンドクリーム作りはどうなったわけ?」
「あ、はい。先生。先生の教え方通りやったら、上手く解けるようになりました」
そうなのだ。自分でやっていたときとは違い、セシリアールのアドバイスを受けた後は特に失敗することなくできたのである。
セシリアールがしたアドバイスはひとつ。
『目を瞑ってかき混ぜろ』だった。
ジレットにもよく分からないが、見ないほうが出来がいいのだから困ったものだ。
(あ、でも……代わりに色がつくようになってしまったのだけれど……これは良いのかしら)
しかしセシリアールは、出来上がったものを見てもその点には触れなかった。
「……ふうん。じゃあ、基礎はできるようになったわけか。良かったね」
「は、はい。ですが……色がついてしまって……」
「ああ、ハーブの色でしょ? 魔力なしの人間なら仕方ない。色素まで解くことができないんだ。品質に関しては別に問題ないから、ほっておいていいよ」
「はい、分かりました」
色がついてしまうのはどうやら、ジレットが魔力を持っていないかららしい。
そのことに少ししょぼくれつつ、ジレットは次のステップに行くことになった。
(先生、面倒見てくれるなんて優しいわ……)
自分の研究をしつつ、ジレットのことを見てくれるのだ。つまらないだろうに、根が真面目なのかもしれない。
セシリアールは、ジレットに小さな赤い魔石の粒を見せてきた。
「ハーブが解かせるようになったなら、次は魔石だ。魔石を液化させる」
「……液化、ですか」
「そう。これが解かせるようになったら、薬術の幅がだいぶ広がるからね。他のハーブと掛け合わせて、より強い効能を引き出すことができる。……とりあえず、これ持って」
「はい」
手渡された粒を手のひらに乗せていると、セシリアールが言う。
「さっきみたいに目を閉じて、手のひらに乗ってる魔石にだけ集中してみて」
「はい……」
目を軽く閉じ、ジレットは息を吸い込んだ。できる限り、魔石に意識を向けるようにする。
すると、どういうことだろう。固い感触から、水をすくい上げたときのような感触に変わったのである。
ジレットは思わず目を開けた。手のひらには、小さな赤い液体がある。
「……本当に、液化、してる……」
あれだけ出来の悪かった自分に、いったい何が起きたのだろうか。あまりの違いに戸惑っていると、セシリアールは得意げに鼻を鳴らした。
「やっぱり君、無駄に意識しないほうができるんだね」
「……え?」
「多分、視覚が物体に干渉するときの邪魔をしてるんだと思う。簡単に言えば、そうだな……意識しすぎてしまうっていったらいいかな。そういう人は魔力なしに結構いるから、そうなんじゃないかなって思ったわけ」
「なるほど……ありがとうございます、セシリアール様」
セシリアールの考察は、ジレットにとって分かりやすいものだった。原因が分かってほっとする。
(良かった……これで、クロード様の足手まといにならなくて済むのね)
真っ暗だった世界に一筋の光が差した気がして、ジレットは喜ぶ。うきうきしてきた。
そんな彼女を眺めつつ、セシリアールは笑う。
「別に。僕としては、あの天才魔術師サマにも苦手なことがあったのかって知れて、すごく嬉しいし」
「……へっ?」
そう言ったときのセシリアールの顔は、ひどく嬉しそうだった。悪戯っぽい笑みを浮かべ、ジレットのことを眺めている。
「頭が良いから、きっと君の感覚が分からないんだろうね。だから教えることに向いてない。君も可哀想だ」
「……クロード様の悪口を言うのは、やめてください」
「いや、でも事実でしょう? あの吸血鬼と一緒にいても、君幸せになれないんじゃない?」
だってさ、何もかもが違いすぎるじゃないか。
そう言われ、ジレットは唇を噛む。セシリアールがジレットの神経を逆なでするためにわざとこんなことを言っているのは、彼の表情からなんとなく分かっていた。
(先生はやっぱり……人間のことが好きじゃないんだわ)
好きじゃないけど教えてくれているのは、ジレットが人間にしてはおかしいからだろう。
それはそうだ。その人間がいる環境でも、ジレットはおかしいと言われていたのだから。
興味深い対象だから、いじって遊んでいる。そんな感じなのかもしれない。
(何もかも違いすぎるなんて……そんなこと、言われなくても分かってるわ)
クロードが、シャーロットやユースティナとともにいるのを見るたび、キリキリと胸が痛んだ。それは、吸血鬼である彼女たちと一緒にいるクロードが、あまりにもお似合いだったからだろう。
(違いすぎるなんて、分かってる。でも……クロード様は、そばにいて欲しいって言ってくださった)
クロードが発したその言葉は本当なのだと、ジレットは分かっていた。
何もかも違っていていい。
クロードに「いらない」と言われない限り、ジレットはそばにいるつもりなのだから。
「……ご忠告、ありがとうございます。ですが……私にとっての幸せは、クロード様のそばにいることでしか得られないのです」
(いらないと言われたとしても。食べてくださいと泣いてすがれば、クロード様は食べてくださるかしら)
優しいクロードのことだ、それくらいはしてくれるかもしれない。
ばかばかしいと笑われてもいい。おかしいと貶されてもいい。
それでもやっぱり――ジレットは、クロードの非常食でいたかった。
手のひらに乗った液化した魔石。それを別の容器に移しつつ、ジレットは笑う。
そんなジレットを、セシリアールはつまらなそうな顔をして見ていた。思わずこう言ってしまう。
「先生。いじわるするのはやめてください」
「いじわるなんかしてないさ。……やっぱり理解できないなぁ……なんで吸血鬼なわけ?」
「なんでって……とても、美しかったからでしょうか?」
「……は?」
「美しかったのです。あの方の瞳が赤く染まって……その口元から、鮮血が滴り落ちる姿が」
セシリアールが、一瞬目を見開いた。そしてけらけらと笑う。
「やっぱり、君おかしいわ。人間じゃないんじゃない?」
「……どういうことですか、それは」
「いい意味でも悪い意味でも、人間臭くないよ、ほんと」
褒められている気がしないのだが、気のせいだろうか。
ジレットはじとりとした目でセシリアールを睨んだが、彼はどこ吹く風だ。さっさと自分の研究に戻っている。
「そろそろ時間なんじゃない? 帰ったほうがいいよ」
「……はい。ありがとうございます。また、よろしくお願いします」
「はいはい。君も懲りないね。追っ払おうと思って色々言ってるのに」
「……絶対に逃げませんからね、私」
「その根性だけは認めてあげるよ」
――こんなに煙たがるってことはやっぱり先生、人間が嫌いなのね。
そう思いながら、ジレットはくるりと踵を返す。
そして、シャーロットのもとへと戻って行ったのである。




