小さないたずら
可愛らしいことをつぶやいてから寝てしまったジレットを見て、クロードはくすりと微笑んだ。
「可愛い」
本人が寝てしまっているのをいいことに、そう口にする。
抱き上げたまま寝室に入りジレットをベッドに下ろすと、クロードはメイドを呼ぶことにした。
さすがに、このままドレスを着せたままというわけにもいかないからな……。
ドレスもそうだが、メイクもしている。だけれど、それをクロードがやるわけにはいかないだろう。
そう思い、呼び鈴を鳴らそうとしたのだが。
「……くろーど、さま?」
幼子のような声が聞こえた。
見れば、ベッドに寝ていたジレットが体を起こしている。
起こしてしまったか?
そう思ったクロードだったが、少し様子がおかしかった。
ジレットの瞳が、焦点を結んでいなかったのだ。
ぼんやりとしたまま視線を彷徨わせているジレットが心配になり、クロードは立ち止まる。
その瞬間、ジレットがぽろぽろと泣き出した。
「くろーどさま……どこぉ……っ」
「……ジレット?」
「やだ……こわい、ひとり、こわいよお……っ!」
カタカタと震えながら、ジレットは涙を流す。クロードは慌ててジレットのそばに近づき、頭を撫でた。
「ジレット、大丈夫だ」
「……くろーど、さま……?」
「ああ、そうだよ」
できる限り柔らかい声で肯定すると、ジレットはぎゅっとクロードに抱き着いてくる。
普段のジレットなら絶対にしない行動に、クロードは戸惑った。
酒を飲んだせいか……?
大して飲んでいないはずだが、弱い人間は一口であろうと酔っ払う。ジレットはおそらく、そういう人間なのだろう。ユースティナに次会ったとき、きつく叱っておかなければならない。
中途半端にあげていた手をどこに置いたら良いのやら。困ったクロードは、片手をジレットの背中に添え、もう一方を頭に置いて撫でることにする。
ついでに、邪魔そうな髪飾りなども取ってやることにした。さらりと、ジレットの亜麻髪が背中に流れていく。
ジレットの髪を手櫛で梳いていると、腕に力がこもった気がした。
「くろーどさま……」
「なんだ、ジレット」
「……なんでも、ないんです……」
なんでもないというふうではないのに、ジレットはそんなことを言う。しかし口に出すべきではないと思い、口をつぐんだ。
子どもみたいだな……こういうのは確か、幼児退行、と言うんだったか?
そこでクロードは、ジレットの子ども時代がどんなだったかということを想像した。
確かジレットの親は……彼女を売ったんだったな。
口が裂けてもいい親とは言えなかった、とジレットは言った。それはつまり、愛されていなかったのだろう。
ジレット自身があまり気にしていないようだったので、深く触れないほうがいいと思っていたが……
親に愛されていなかったことを気にしない人間など、いるのだろうか。クロードはそう思う。
吸血鬼には親がいないので、人間の感覚はよく分からない。しかし今まで触れ合ってきた人間は少なくとも、親というものに重きを置いていた気がした。
そのときふとクロードは、誰かの言葉を思い出す。
『子どもはね、たとえ何をされても、親に愛されたいって思うものなんですよ。クロード様』
誰の声だったろうか。
そこまで考えてから、クロードはああ、と納得した。
彼女の――四百年前死んでしまったメイドの言葉だ。
なんだかんだ言って覚えているものなのだな、と思いクロードは苦笑する。
ジレットの言葉でだいぶ吹っ切れたとはいえ、クロードは未だに過去から動き出せていない。そのことが気にかかり、ジレットに面と向かって告白できないのだろう。
ジレット自身が、恋愛感情というものを分かっていないから、そこを伝えるのはもう少し先でもいいだろうという思いもある。だが一番の理由はやはり、自分の気持ちに整理がついていないからだった。
もしかしたら、ジレットも同じなのだろうか。
愛されていなかった自分に、囚われて。だから、自分が愛されるわけなどないと、そう思っていたりはしないのだろうか。
「……くろーどさま」
そんなことを思っていると、ジレットが顔をあげる。
目元が真っ赤に染まっていて、まるでウサギのようだった。
ぽろぽろと、涙がとめどなく溢れていく。
「くろーどさま……すてないで。わたしのこと、すてないで……」
「捨てたりしないよ。だからジレット、寝なさい」
「くろーどさまがそばにいないなら、いやだ……」
「……なら、一緒に寝るか?」
半ば冗談で言ったつもりだったのだが、ジレットは嬉しそうにこくりと頷いた。ベッドに引きずり込んでしまったときはあんなにも恥ずかしがっていたのだから、完璧に酒によるものだろう。
とりあえず、化粧だけでも落としておこうと魔術を使い顔を洗っておく。無駄に凝ったドレスや下着も脱がせネグリジェを着せてから、クロードは詰めていた息を吐き出した。本当に子どものようだ。
上着だけ脱ぎベッドに横になれば、ジレットがぎゅっと抱き着いてくる。それがなんとも言えず可愛くて、クロードは目を細めた。
「えへへ……くろーどさま、つめたくてきもちいい……」
にこにこと笑っている無垢な少女を見ていると、思う。
ジレットは、自分が魅力的な女性だということに気づいているのだろうか。
私はこんなにも、君に焦がれているというのに。
理性を保つことは、できるほうだ。
しかしあまりにも可愛らしく笑うものだから、穢したくなってしまった。
クロードは、ジレットの頬を掴むと唇を寄せる。ついばむように一度唇を重ねれば、ジレットはきょとんとした顔をした。
そんな顔に笑いながら、クロードはジレットの目元に手を当てる。
「おやすみなさい、ジレット」
「……あ……」
「良い夢を」
魔術をかければ、ジレットは今度こそ寝てしまった。
すやすやと眠る愛おしい人を抱き締めながら、クロードはくすくす笑う。
「朝起きたら……ジレットはどうなるんだろうな?」
きっと正気に戻ったジレットは、顔を真っ赤にさせて悲鳴をあげるのだろう。それを想像するだけで楽しくなってきた。
自分に吸血鬼らしい感性があったことに驚きながら、クロードはジレットの首筋に顔を埋める。彼女の香りがした。柔らかい亜麻髪を撫でていると、不思議と心が落ち着いてくる。
「……酒を飲ませるのも、悪くないかもしれないな」
また今度やってみようと心に決めつつ。クロードは心地良い眠りに着いたのだった。
翌日の朝、ジレットの寝室に彼女の悲鳴が響き渡るのは、また別の話である。
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