メイドの一日④
なんとか日暮れ前に屋敷に辿り着いたジレットは、肩で息をしながら扉を閉めた。そして息を整えるべく、深呼吸を繰り返す。屋敷の中は魔石を使った灯りが置かれているため明るく、彼女の心を優しく包んでくれた。
呼吸が落ち着くと、ジレットは台所へ向かった。
クロードからもらった魔具を、早速使おうと思ったのである。
中に牛乳の瓶やバターなどを入れ、ほっと息をなでおろす。その他の食材は常温でも保つため、いつも通りの場所に置いた。
さあ、休む間もなく夕食の時間である。
ジレットは買ってきた魚を手早くさばき、綺麗に洗ってから塩を混ぜた小麦粉をまぶした。それを油のしいたフライパンで両面焼き、ソースを絡めて食べるのである。時間がないため手抜きになってしまうのは残念だが、クロードは許してくれるであろう。
残りのパンを切り分けバターを塗ってオーブンで焼き、カゴに盛っておく。スープを温めカップに注ぎ終えた頃、クロードがやってきた。
ジレットは慌てて頭を下げる。
「こんばんは、クロード様。もう食事の支度は整っております」
「そうか」
彼はひとつ頷くと、席に着く。それを見たジレットは、ほっと胸を撫で下ろした。
(やっぱり、クロード様と共に過ごす時間が一番落ち着くわ)
必要なこと以外を喋らないからか、食卓はとても静かだった。しかしジレットにとってそれは、まるで苦ではなかったのだ。料理の味がとても美味しいと感じるくらいには、楽しいと思っていた。
食事が終わるとジレットは、クロードに買ってきたものを渡す。
「こちらが、お求めの品です。残り二冊は在庫がないそうなので、店主に頼み取り寄せてもらうことにしました。一週間後には届くので、取りに参ります。バルド様にも依頼をし、二週間後には用意できるとのことです」
「そうか、分かった。仕事が終わったなら、今日はもう休んで良い」
「ありがとうございます」
クロードは朝から起きているにもかかわらず、夜に活動する。吸血鬼はさほど睡眠を必要としない種族であるらしいが、それでも心配だった。ジレットがそれを口にすることはなかったが。
静々と頭を下げたジレットは、食器を手早く洗ってから小麦粉や水などを混ぜる。夜のうちにパンを作っておくのだ。オーブンに魔石を放り込み、あらかじめ温めておく。
(今日は白パンがいいわね。クロード様のお陰でバターは持つから、キッシュは明日作っても間に合う。あらかじめタルト生地を作って、あの中に入れておきましょう)
そんなことを頭の中で考えながら、ジレットは生地をこねて寝かせ、小さくまとめてまた寝かせ、それが終わると天板に乗せた。それをオーブンに入れ、焼き始める。
次にキッシュ用のタルト生地を作る。それを練りながら、ジレットはふと思った。
「……今度いちごを買ってきて、それをクロード様のお茶会のときに食べていただくのもいいかも」
生菓子は、あまり日持ちしないのだ。それはフルーツも同じ。ゆえに夜に菓子を作ったことはなかった。その日で食べ終えられる自信がなかったのである。
しかしクロードがくれたあれがあれば、明日でも美味しく食べれるのではないのだろうか。
そんな考えが頭によぎる。ジレットは「今度作って確かめてみよう」と思った。
生地を練り、箱におさめるとちょうどオーブンが焼きあがりを告げる。ジレットは慌ててオーブンを開き、中身を取り出した。カゴに乗せ粗熱を取る。少しして、綺麗な布をかぶせておく。こうすると乾燥しないのだ。
これが終われば、今日の仕事はもう終わりである。
ジレットは前掛けを取り、二階に上がる。そして与えられている自室に戻った。
備え付けられている風呂にお湯を入れるのだ。
風呂はそんなに大きくないが、ひとりで入るには十分すぎるほどの広さがある。そんなものがメイドの部屋についているなど、本来ならありえない話だった。
少なくともジレットが暮らしていた村では、湯を沸かしそれを桶に溜め、布に浸して体を拭いたり、川に入り冷たい水で体を洗ったことしかない。なのではじめのうちは戸惑った。
あらかじめ溜めておいた水の中に火の魔石を放り込むと、数分で温まる。
ジレットはお湯の温度を確認してから、服を脱いだ。
毎日というわけではないが、ジレットは風呂に入る。それは大抵今日のように街に出た日であった。クロードは嗅覚も敏感なので、どうやら匂うらしい。それを落とすためにも、ジレットはこうして贅沢をさせてもらっている。
ジレットは湯船に浸かり、ほうっと息を吐いた。
(お給料は多いし、贅沢はできるし、クロード様は美しいのに……どうしてわたし以外誰も、メイドになろうとしなかったのかしら)
クロードが選り好みしたのかもしれないが、それにしたって少ない。仕事量は多いが、それに見合うだけの給料は用意されていた。
クロードとて、ジレットに無茶振りを言ったことは一度もない。失敗しても許してくれる、優しい主人であった。
もしかしなくても、クロードが吸血鬼だからだろうか。
もしそうなら、ジレットには理解できそうにない。
(あんなにも美しいのに、一体何が怖いのかしら)
湯船にたゆたう自身の髪を見つめながら、ジレットは考える。
柔らかく波打つ金色の髪に、空色の瞳。見目もとても美しく、見ているだけで目の保養になる。
しかし何より美しいのは、クロードの吸血鬼らしい姿である。
夜の闇の中でもきらめく、真紅の瞳。
あれを見た日のことが、未だに忘れられない。それほどまでに衝撃的で、それほどまでに尊かったのだ。
あれからすでに二年ほど経っているが、ジレットのその心が揺らいだことは一度もない。むしろクロードと接する機会が増えたことにより、決意はさらに深まった。
(あの方の役に立ちたい)
そのためにはどうしたら良いのか。
今のように、小間使いとして働くのは確かにためになっているはずだ。
でもやはり、クロードにとって一番の糧になりたいと心の底から思う。
(もしクロード様の吸血衝動が、本当にどうしようもなくなったとき。食べていただけたら良いな)
吸血鬼が一体、一度にどれだけの血を飲むのか。またどれくらいの頻度で飲むのか。ジレットは知らない。吸血鬼のことが書いてある本など少ないし、あったとしても本屋だ。それを買うとなると、とても高い。
そしてクロードは、自身のことを話すのを嫌う節があった。ならばあまり知らないほうがいいのだろうと、そう思う。
(クロード様には、嫌われたくない)
ジレットはそう考えた自分を恥じるように、湯船に頭まで浸かった。
数秒そのまま沈み、ぷはぁっと声をあげて出る。
そして髪と体を洗い始めた。
風呂から出ると、ジレットは純白のネグリジェを身につけた。今日入った店で買った品物だ。レースが裾にあしらわれた、ひらひらした可愛らしいもの。それに着替えてから髪に香油を塗る。
ジレットはこのネグリジェがお気に入りだった。どこぞのお嬢様になったような気がするからだ。見た目だけでも釣り合ったような、隣りにいてもいいと許されているような。そんな気がするから。
(そんなの、ただの自己満足なんだけど)
そう苦笑しつつ、ジレットは灯りを消して窓を開いた。ふわりと、風が入ってくる。ネグリジェの裾とカーテンが、ふわりと膨らんだ。夜になるとやはり風が冷たい。されど、彼女は体が冷たくなるのも構わずじいっと下を見ていた。
そこからはちょうど、屋敷の玄関が見えるのだ。
数十分して、クロードが出てきた。彼は外套を羽織り、颯爽と森に向かう。それを見たジレットは、ホッと胸を撫で下ろした。
ジレットは、それを密かに見送るのが好きだった。自身の目でクロードが出て行くのを見たかった、というのもある。
彼は見送られるのも迎えられるのも苦手だから、ばれないように。そっとつぶやく。
「行ってらっしゃいまし、クロード様……」
屋敷から去っていく敬愛する主人の姿を見送り、ジレットは窓を閉め、カーテンを閉め、ベッドに入った。
ベッドの上で仰向けになったジレットは、天井を少し見つめてから瞼を閉じる。
「おやすみなさい。――明日も、あの方のそばにいられますように」
寝る前にそんな願いを口にし。
ジレットは静かに寝息を立て始めた。
――こうしてメイドの一日は、今日も平和に終わる。