薬術の先生
クロードがそんなふうに前進していた頃。
ジレットも、少しでも前に進もうと頑張っていた。
(……あ、また失敗……)
かき混ぜていた液体の中に、ハーブが中途半端に解けて残っているのを見て、ジレットはため息を吐いた。
すると、それを見ていたセシリアールが言う。
「下手くそ過ぎない?」
「うう……申し訳ありません」
「なんで途中まで解けるのに、全部いけないの? そこは気合でやり切るもんでしょ」
「あう……はい、はい……」
セシリアールから突き刺さる言葉を浴び、ジレットは萎縮した。
しかし、かれこれ数十回ほど同じことを繰り返しているのだ。セシリアールがそう言いたくなる理由も分かる。
ジレットは、失敗作の残骸を見ながら肩を落とした。
(うう……どうにかして薬術を教えてもらえるようになったのに、全然進展しないなんて……私って本当ダメダメだわ)
あれから、ジレットはセシリアールに、以前作ったことのあるハンドクリームを作ってみろと言われた。
理由は、ジレット自身が話したからである。どうやらセシリアールはそれで、ジレットの技量を試そうとしたようだ。クロードが言う通り、ハンドクリーム作りは基礎中の基礎だからだとか。
しかし結果はこれである。集中力が続かない自分の不甲斐なさに、さすがのジレットも悔しくなってきた。
(これじゃあ、クロード様のお力になれない)
優先するべきことは他にあるので、薬術を教わらなくても良いのかもしれない。
しかしもともと教わっていたことすら投げ出したら、淑女教育も長続きしないと思うのだ。
唇をわななかせ、ジレットは顔を上げる。
そしてセシリアールを見た。彼は落ち込んでいたジレットがそんな反応を示すのを見て、意外そうに片眉をあげる。
「セシリアール様。私、上手くなりたいのです」
「……そう。それで?」
「はい。ですので、コツなどを教えてはくださいませんか?」
そう願い出ると、セシリアールは首をかしげた。
「ずっと思っていたんだけどさ……なんでそんなに頑張ってるの?」
「……え?」
その問いかけに、ジレットは困惑した。
一方のセシリアールは、心底不思議そうな顔をして言葉を続ける。
「何度失敗しても、何度謝っても、君は繰り返し同じことをしていた。あまりにも一生懸命で、正直驚いてるよ。でもさ、別に人間がこんなことできなくても苦労しないでしょ? 君は吸血鬼から庇護を受けてるわけだし、普通ならもっとさぼるよ。金銭で困ることはないんだから」
そんな君が、そんなに頑張る理由何?
人間を嫌うセシリアールがそこまで聞いてくるのだから、ジレットの行動は相当変なのだろう。
(確かに、今のままでもいいのかもしれない。クロード様に頼っていたら、なんとかなるのかもしれない)
しかしそれは、ジレットの望みとはかけ離れていた。
――だってジレットは、クロードのためにこの命を使いたいだけなのだから。
「クロード様のために、何かしたいのです」
「……え?」
「そのためならなんでもしたいと思いますし、どんなに時間がかかってもできるようになりたいと思います。確かに落ち込むことはありますが……私の長所は、それだけですから」
クロードのもとに来てから、ジレットは様々な失敗をした。それでもなんとかやってこれたのは、クロードの温情のおかげである。
クロードは、ジレットを叱ったりしたが行動を咎めたりはしなかった。むしろ、ジレットが望めば進んで教えてくれる。それがジレットの主人である。
「頑張る理由は、それだけです。セシリアール様にとってはその程度のことかもしれませんが……私にとっては、すごく大事なことなんです。――ですからどうか、これからも教えてくださいませんか?」
迷惑なら、自分でなんとかしますので。
そうは言ったものの、これ以上進展しそうにない。言ってからそのことに気づき、ジレットはむう、と唇を歪める。
(どうしましょうか……そういえば、お城には大きな書庫があったわ)
シャーロットが持ってきた教本も、そこから持ってきていたはずだ。これだけ大きな敷地にある書庫なのだから、様々な種類の書物があるだろう。頼めば、そういった教本もあるかもしれない。
そんなふうに考えていると、シャーロットの声がした。
「ジレット。わたくしの気も済みましたし、気分転換になりましたから、そろそろ戻りましょうか」
(あ、やっぱり自分の気分転換のためだけだったのですね……)
てっきり、ここで何かを教えてくれるのかと思っていた。いや、セシリアールが教えてくれたが。
しかしそれを言うのは無粋である。ジレットはいつもより声を大きくした。
「あ、はい! もう少しお待ちください! 片付けをいたしますので……!」
テーブルの上に散らばる失敗作に顔をしかめつつ、ジレットはしょんぼりする。
(ここまで上達しないと、なんだか悲しくなるわね……)
落ち込みながらも片付けていると、パシリと手を取られた。
セシリアールの手だ。
彼はジレットの手を見つめると、はあ、とため息をこぼす。
「か弱い存在のくせに……ほんと、意味が分からない」
「……へっ?」
「でもそれが君という存在なら……面白い。興味が湧いたよ」
「は、え……それは……はい。良かった、です……?」
「これからも教えるから、暇な時間に来たら? 僕は常にここにいるから、変な時間じゃない限りいるし」
「えっと、あ、はい……ありがとうございます……」
(ほ、褒められているのかしら。これ)
だが、セシリアールが教えてくれることを了承してくれた。それは良かった。ジレットが独学でやるより、早く身につきそうだ。
セシリアールは、掴んでいたジレットの手を離しそっぽを向いた。
「ほら、片付けは僕がやるから、さっさと行きなよ。他にもやることあるんでしょ?」
「はい。ありがとうございます、セシリアール様」
「いいよ。……後、一つ言いたいことがある」
「はい、なんでしょうか……?」
何か変なことをやってしまったかな、とジレットは首をかしげる。するとセシリアールは、器材に触れながら口を開いた。
「様付けやめて。僕は別に、偉くないから」
「……へ?」
「だから。様付けしないでって言ったの。呼び捨てでいいよ」
「そ、それは申し訳ないと言いますか……一応、先生になるわけですし……」
ジレットからしてみたら、様付けをするのが一番落ち着くのだ。そのため、困惑する。
しかしそこで、自分自身で言ったことにピンっときた。
(そうだわ! 様付けがダメなら、先生にしましょう!)
「セシリアール先生! セシリアール先生はいかがでしょうっ?」
「……それも仰々しくない? いや、そう呼ばれて悪い気はしないけど……」
どうやらセシリアールも、先生と呼ばれることは嫌ではないようだ。
ジレットは両手を叩き、頷いた。
「ならそれでお願いいたします! セシリアール先生!」
「……ふん。ほら、とっとと帰って。これから僕、自分の研究に取り掛かるから」
「はい! 本日はありがとうございました!」
「……何もしてないから、そんなこと言わなくていいよ」
しっしと、セシリアールは手を払う動作をする。まるで犬猫を追い払うような感じだ。
だが、煙たがられている感じはない。それを感じ取り、ジレットは嬉しくなった。
「また明日、よろしくお願いいたします!」
ぺこりと頭を下げると、ジレットはシャーロットのところへ向かう。今度は転けないように、スカートの裾をつまんだ。
(薬術が上達していたら、クロード様驚かれるかしらっ?)
きっと驚くはずだ。もしかしたら喜んでくれるかもしれない。
(いつもみたいに、頭を撫でて褒めてくれるわよね。きっと)
そう想像するだけで、疲れが吹き飛んだ。
となると、上達するまで黙っていたほうがいいかもしれない。クロードに隠し事をするのはあまりいい気分がしなかったが、それも少しの間だ。
歩を進めるたびに、軽やかな靴音が響く。
その音を楽しみながら、ジレットはシャーロットのもとへと走ったのである。




