吸血鬼という生き物について
「……ねえ、ジレット。どうしたのですか?」
「……なんでもないのです、シャーロット様」
「いや、なんでもないという反応ではないと思うのですけど……」
「………………聞かないでください」
「……なんとなく察しました。分かりました、聞かないことにしましょう」
(何を察してしまわれたのですか、シャーロット様……!)
そう思ったジレットだったが、聞けば墓穴を掘るため口を閉ざすことにした。というより、未だに頬から熱が引かず聞けなかったのだ。
(これも、クロード様があんなことなさるから悪いんだわ……)
いくら寝ぼけていたとはいえ、抱き締めてくるなんて。
しかもあんな幸せそうな顔をされてしまったら、起こすことすら忍びなくなる。実際、ジレットはアシルが部屋に入ってくるまで、叩き起こすことができずにいたのだ。
ちなみに、二人の状態とその温度差を見たアシルは、その場で腹を抱えて笑っていた。笑い事ではない。
しかし彼の助けがなければ、ずっとあのままであったのも事実で。
(……でも、あのままでも良かったかもしれない……だってクロード様、とてもお幸せそうだったし……)
ふとそう思ってしまったジレットは、再び頬に朱を散らした。
そんなジレットを見たシャーロットは、片眉を上げ問いかけてくる。
「……やる気、あります?」
「ありますあります! もちろんです!!」
「なら、きちんとしてください。表情を作ったり、感情をコントロールすることも、貴族には必要ですよ」
「は、はい……頑張ります」
そこで、ジレットはようやく現実を見ることができた。
二人が今いるのは、城の空き部屋である。そこには、執務などに使うテーブルやチェアなどが置いてあった。今日からここが、ジレットの勉強部屋になるのである。
シャーロット付きの侍女が持ってきた教本を片手に、ジレットは吸血鬼に関することを教えてもらっていた。
教師はなんと、シャーロット本人である。
パステルオレンジのドレスを身にまとった彼女は、ジレットのそばに座りながら口を開いた。
「貴族として必要なことは、山のようにありますが……まず、わたくしたち吸血鬼についての話をしましょう」
「はい」
「では、ジレット。あなたは、吸血鬼という生き物をなんだと思っていますか?」
「……ええっと……?」
「分からないと思いますから、はっきりと言います。――吸血鬼というのは、概念です」
(……概念?)
予想していなかった言葉を聞き、ジレットは目を丸くした。
その反応を予想していたのか、シャーロットは説明を続けてくる。
「吸血鬼が吸血鬼と呼ばれる所以は、血を吸って生きる者だからです。これは分かりますよね?」
「はい」
「しかし、わたくしたちに必要なのは『人間の血液』なのです。人間の血液を飲むからこそ、わたくしたちはこうして人の形を取っていられる。それは、わたくしたちの存在が、とても曖昧なためです」
「そんな原理があったのですね……」
「はい。存在が曖昧なので、わたくしたちは何にでもなれます。しかし、それは同時に危ういことなのです。理性をなくす獣にだってなれます。そこにストッパーをかける意味でも、人間の血は必要不可欠になってくるわけですね。人間には、理性というものがありますから」
シャーロットはそう言うと、紙にスラスラと絵を描き始めた。描かれたのは、月のイラストだ。彼女はその月の下に雫を描き、その横に「魔力」という文字を綴った。
「吸血鬼は、蓄積された魔力が月からこぼれ落ちることによって生まれる生き物です。ですので、家族という概念がありません。代わりに、生まれ方が同じということで分類されることはあります」
すると、今度は何やら、可愛らしい絵を描き始めた。
どうやら、人の顔らしい。小さい上にだいぶ可愛らしくなっていたが、間違いない。アシルとシャーロットの絵だった。
二人の上にも月と雫が描かれる。シャーロットはペンの色を変え、その周りにオレンジ色の斜線を引き始めた。
「たとえば、わたくしとお兄様。日の下歩く吸血鬼と呼ばれる吸血鬼たちは、黄昏時に出ている月からこぼれ落ちた者たちです」
「……月からこぼれ落ちるのが吸血鬼なのですね。なんだかロマンチックで素敵です」
「そうなのです。とてもロマンチックでしょう?」
その説明を聞いたジレットは、素直にそう思った。
シャーロットのイラスト付き説明もなかなか分かりやすい。可愛らしい上に上手なのだ。
となると、クロードはどんな状態の空の月から生まれたのだろう。なんだかわくわくする。
するとシャーロットは、くすりと笑った。そしてまた紙に、イラストを描く。小さく可愛らしいクロードと、夜空。その空を彩るのは、赤い月と赤い雫だ。
「生まれ落ちてきたときの月の満ち欠けによって、保有魔力の差は出ますが……基本的に、吸血鬼は黄昏時、夜のどちらかに生まれます。クロードは夜に生まれた吸血鬼ですよ」
「そうなのですね」
「ええ。ですが、クロードはその中でも、かなり特殊なときに生まれました」
「……特殊、ですか?」
「はい」
クロードは、紅い満月のときに生まれ落ちたのです。
そう言ったときのシャーロットの表情は、どことなく誇らしげだった。
「紅い月というのは、吸血鬼の色です。しかも満月ですよ。保有魔力が一番高くなる、その瞬間に、クロードは生まれたのです。ものすごい確率なのですよ?」
「た、確かに……」
「ええ。ですからクロードは、特別な吸血鬼なのです!」
そう言ったときのシャーロットは、なんだか綺麗で。
ジレットの胸に、再度もやがかかった。
(……何かしら、これ)
知らなかったことを知れて嬉しいのは事実なのだが、それ以上にもやもやする。その引っ掛かりがなんなのか、ジレットには分からなかった。
口をつぐみ押し黙っていると、シャーロットははあ、とため息をこぼした。
「ほんと……特別なのに、あの性格と態度ですからね。もっと社交的になればいいのに。いや、特別だからこそかもしれませんけど」
「……そんなに、クロード様は変でしょうか?」
「吸血鬼的には、変だと思いますよ。……ですから、あのクソ女に目をつけられてしまうのです」
(……え? シャーロット様が……クソ女って言ったわよね……?)
吐き捨てるような言い方をしたことにも驚いたが、クソ女という言い方にもびっくりしてしまう。だってシャーロットは、毒のある言い方はするが、汚い言葉を直球で使うことはなかったからだ。
思わず目を丸くしていると、シャーロットはジレットに目を向けてくる。
「昨夜、クロードから話を聞いたと、お兄様から聞きました。ならば、クロードに絡んできていた女吸血鬼のことは知っていますね?」
「は、はい……」
「憎々しいですが、あの女も……特別な生まれ方をした吸血鬼なのです。……日食の際に生まれたのですよ」
「日食……ですか」
聞いたことのない単語を聞き、ジレットは首をかしげた。それに気づいたシャーロットが補足してくれる。
「日食というのは、太陽が月に覆われ、見えなくなる現象のことです。闇が深くなるんです。そのタイミングで生まれてきた吸血鬼は、とても強い力を持つのです」
「わたくしたちがあの女に対抗できなかったのは、そのせいなんですよ」とシャーロットは忌まわしげに吐き捨てた。ガリガリと、先ほどよりも粗くイラストを描く。真っ黒い月と真っ暗な空。そして、そこからこぼれ落ちた真っ黒い雫。何もかもが黒くて、ジレットは少しぞっとする。
描ききったシャーロットは、ペンを乱暴に、ペン立てに立てた。どうやら、人を描く気はないようだ。
「日の下歩く吸血鬼は、吸血鬼にしては珍しく光と闇の要素を持ちます。ですから、日の下でも歩くことができるわけです。……ですがあの女は、日食吸血鬼です。日食ですよ? 光食うんですよ? わたくしたちとの相性は最悪です」
「そ、そうなのですね……」
「ええ、そうです! しかも、性格まで最悪で。クロード以外には興味ないですよ、という態度をしやがるのです。『特別な自分のとなりには、クロードのような特別で美しい吸血鬼がふさわしい』とかほざきやがって……ほんと、消し飛んで欲しい。あー! 消し飛ばすことができず、国外追放という手段でしかあの女を追い出すことができなかったことが悔やまれます!!」
(シャーロット様、シャーロット様……口調が荒れています……)
瞳を吊り上げ荒ぶる王女に、ジレットは苦笑するしかなかった。なだめようとしたら、ものすごい勢いで睨まれそうだ。
それと同時に「その吸血鬼はいったいどんなヒトなのかしら?」という疑問が湧いてくる。
クロードのみならずシャーロットにも嫌われている、女吸血鬼。そして、その女吸血鬼が言ったとされる言葉を聞き、ジレットは嫌な気持ちになった。
(クロード様を私物化しようとしたなんて……許せない)
会ったことなどないが、そう思った。怒りが募る。
ジレットの頭の中に、すごく性格の悪そうな高飛車女が浮かんでいた。
(でも、国外に追放したって言っていたし……私が会うことはないのかもしれないわね)
そう思うと、少しほっとした。クロードを傷つけた女吸血鬼になど、会いたくない。
(でもそう考えると……クロード様の周りには意外と、同族の女性の方がたくさんいるのね)
そのことに気づき、また胸元がもやもやする。
そんなジレットの気持ちを吹き飛ばすかのように、シャーロットは勢い良く立ち上がった。
「あーイライラします! 気分転換しなくてはやっていられませんね、これは! ジレット、行きますよ!」
「え、行きますよって……どちらに……?」
「決まっています。わたくしの庭……薬草園にです!」
「えっ!? べ、勉強は……っ?」
「勉強など、テーブルがなくともできます! さあ、荷物を持って行きますよ!」
「え、えぇぇぇ……」
奔放で強引なところは、アシル様そっくりだなぁ。
そんなことを思いながら、ジレットはシャーロットの背中を追ったのである。




