不意打ちの朝
クロードの過去を聞いた次の日。
ジレットは、清々しい気持ちで朝を迎えていた。
(クロード様のことが知れて、嬉しかったわ……)
そんなことを思いながら、ベッドの上をごろごろする。昨夜も、こんな調子でうまく眠れなかった。そのため今日のジレットは、いつもより少し遅めに起きたのである。まぁ、それでも十分に早いのだが。屋敷の生活と照らし合わせるのであれば、クロードが降りてくる時間である。
少しの間悶えていたジレットは、ベッドから降りネグリジェから部屋着に着替える。
メイドたちには悪いが、これくらいの着替えは一人でできてしまうのだ。さすがに、ドレスに着替えることは無理だが。
足取りも軽くリビングに向かえば、なんとアシルがいる。彼はソファに腰掛けながら、紅茶を飲んでいた。
ジレットは純粋に驚く。
「ア、アシル様っ?」
「お、ジレットちゃんおはよー。眠れた?」
「あ、はい……いえ、その……おはようございます」
「……うんうん。その様子からして、クロードから話、聞けたみたいだね」
「それは……はい」
ジレットは、自分の頬が緩むのを感じつつも頷いた。アシルの前なのでどうにかしようと思うのだが、口角が勝手に上がってしまう。それほどまでに、昨夜の出来事は嬉しかったのだ。
(それに……あのクロード様が、私に甘えてくださったのだし……!)
自分の弱みを晒そうとしないクロードが、あんなにも弱々しくジレットに抱き着いてきたのだ。喜ばないわけがない。
そんな様子を見て何を思ったのか、アシルはうんうんと頷きながら笑った。
「良かった。うちの妹がグイグイ押してきたせいで、変なふうになってなきゃいいと思ってたんだけど……いいほうに作用したみたいだね」
「はい。シャーロット様のおかげです」
「あはは。迷惑なら迷惑って言っていいんだよ? シャーロットに、遠回しな言葉は通じないから。ただひたすらに自分の思ったほうに突っ走る、ゴーイングマイウェイな吸血鬼だから」
「いえ……確かにちょっとだけもやっとしたところもありましたが、シャーロット様は正しかったので」
ジレットは、押しの強い第一王女のことを思い出していた。
丁寧な口調だったが中身は刺々しく、態度もあからさまなものが目立っていたが、だからこそだろうか。シャーロットの言葉は、ジレットの言いたいことを代弁してくれていた気がした。
(私、守られるのではなく、支えたかったんだわ)
クロードの背に隠れているのではなく、となりに立って彼を支えたかった。そのためには、シャーロットの言うとおりジレットが努力する必要があるのだろう。
何を覚えなければいけないのか、身につけなくてはいけないのか、まったく想像できないが、やり遂げたいという気持ちだけはあった。
だってジレットは、クロードのそばにいたいのだ。
それだけが、彼女の心を強くしていた。
ジレットがはにかみながら言った言葉を聞き、アシルはくすりと笑う。
「ジレットちゃんはやっぱり、純粋で一途だね。なんか、見ててホッとするよ。……シャーロットはあんな態度と毒舌が特徴的な吸血鬼だけど、悪いやつじゃないんだ。かなり真面目でね。薬術に関しては、特に熱心」
「薬術を研究しておられるのですか? すごいです!」
失敗ばかりしてしまうジレットからしてみたら、羨ましいくらいのヒトである。そこで彼女はふと、「薬術の進歩がなかったな」と思った。
(時間に余裕があったら、シャーロット様にこっそり頼んでみようかしら……)
ジレットが薬術を扱えるようになれば、クロードの助けにもなるだろうし、何より彼が驚いてくれるだろう。それに、ろくな努力もしていないのに、諦めるのは嫌だった。
(うん。やっぱり、頼んでみましょう)
ジレットは静かに決意する。
するとアシルは、嬉しそうに笑った。
「シャーロットのこと、そういうふうに言ってもらえて良かったよ。あいつ、嫌われがちだからさ……いや、わざとそうしてるんだろうけど」
「……アシル様は、シャーロット様を心配しておられるのですか?」
「まぁ、一応ね。あんな性格だし。僕も苦手だし。……でも、シャーロットがとやかく言いたくなる気持ちもわかるんだ。シャーロットは、研究に没頭しやすいっていう点で、クロードと意気投合したから……できることなら、助けになってやりたいって思ってるんじゃないかな」
「……なんと言いますか、よかったです。クロード様のそばに、お二人がいてくださって」
シャーロットの話を聞いて、ジレットはどこかほっとしていた。
そりゃあ、羨ましくないと言ったら嘘になる。彼らの間には、ジレットが立ち入ることができない関係性というものが出来上がっていたからだ。
しかしそれと同時に、彼らのような吸血鬼がそばにいてよかったと、心の底から思った。
(だって……クロード様とこうして出会えたのは、クロード様のことをお二人が支えてくださったからだもの)
昨夜の話を聞いて、余計そう思った。
自分のせいで、自分の大切な人たちが奪われた。
そう塞ぎ込んでいたクロードを、アシルとシャーロットが理由をつけて外に出していたのではないか。ジレットは、そんな想像をした。
確かアシルは、初対面のときに四百年前の話をしていた気がする。一年くらい引きこもったと言っていたから、実際そうなのだと思う。
そこにある絆に、ジレットが入る余地などない。それは、当たり前だ。だから、張り合ったりする必要もないのだと思う。
そんな気持ちのままぺこりと頭を下げると、アシルは首を横に振った。
「いやいや。こっちこそ、クロードに仕えてくれてありがとう。……これからも、そばにいてあげて」
「もちろんです!」
ジレットは元気よく答える。そうすれば、アシルも嬉しそうに笑ってくれた。
「よし、湿っぽい話はおしまいにして、朝食にしようか。メイドに持ってこさせるね」
「はい、ありがとうございます」
アシルが呼び鈴を鳴らして、メイドたちに指示を出す。主人の命を受けた彼女たちは、音もなく部屋からいなくなった。それを見たジレットは「あの動き……参考にしましょう」と感心する。
ぐぐーっと大きく伸びをしたアシルは、何かに気づいたように口を開いた。
「あ、そうだ。ジレットちゃん、クロードのこと起こしに行ってもらえる?」
「……クロード様を、ですか?」
アシルにそう言われ、ジレットは首をかしげた。
(眠そうにしておられることは多いけれど、今までだって起きてくれていたのだし……問題ないのではないかしら?)
そんな思考を悟ったのか。アシルが困った顔をした。
「多分だけど、クロード今日は起きないんだよねー。あいつもともと、場所が変わったりすると眠れなくなるし。ここ数日は、ジレットちゃんが心配であんまり寝てないし……昨日話をできて安心しただろうから、結構熟睡してると思う」
「……アシル様、詳しいのですね?」
「城にいた頃は、僕が起こしに行っていたからね。クロードのことはだいたい把握してるよ!」
(……あれ、これもしかして、昨日クロード様がおっしゃっていた話だったりする……?)
毎朝叩き起こされて迷惑だったとか話していたのだが、もしかしなくてもそうではないだろうか。ジレットの背筋に冷たいものが走る。
するとアシルは、やれやれといった具合で背もたれに寄りかかった。
「お腹空いたし。ジレットちゃんが起こさないなら、僕が起こしに行こっかなー」
瞬間、ジレットは勢い良く首を横に振った。
「いえいえ!! 私が起こしに行ってまいります! ですのでアシル様は、こちらでくつろいでいてください!」
「お、了解ー」
(よかったわ……クロード様の安眠は、お守りできた……!)
起きるときくらい、穏やかに起きてもらいたいのだ。
アシルが妙な気を起こさない前に、ジレットはクロードの部屋へと入ったのである。
ぱたん、とドアを閉めたジレットは、ドアに背中を預けながらふう、と息を吐き出した。
(……なんだか、不思議な気持ちだわ)
クロードが寝ている状態で彼の部屋に入ることは、まずなかった。そのせいか、すごくドキドキしてくる。
ジレットは息を殺しながら、ベッドに近づいていった。
アシルの言う通り、クロードは穏やかな寝息を立ててベッドに横たわっていた。
思わず、まじまじと見つめてしまう。
(起きているときも十分お綺麗だけれど……寝ておられるときも、とても綺麗)
まつ毛が長いんだなーとか、ちらりと見える首筋が色っぽいなーとか、いけないところにまで視線がいってしまう。
ジレットは口元を抑え視線を外し、一度大きく深呼吸をした。
(目に毒だわ……早く起こさないと)
見慣れないせいか、普段の二割り増しで心臓に悪い。
覚悟を決めたジレットは、クロードに声をかけた。
「クロード様……朝ですよ。起きてください」
が、起きない。何度か呼びかけてみたが、結果は同じだった。
無礼だとは思いつつも今度はベッドに膝を立て、肩を軽く揺すってみる。
「ク、クロード様ー? 起きてください」
「……ん」
少し声は聞こえたが、今回もダメだった。
ジレットは涙目になりながら声を大きくした。
「クロード様、起きてください。このままですと、アシル様が来てしまいますよっ!」
「……ん?」
アシルの名前が効いたのか。クロードが瞼を開けた。
ジレットは笑みを浮かべ、アシルに感謝する。
(アシル様のお名前を出しただけで、ここまで変わるなんて……すごいわアシル様……!)
今まで何をしてきたのか、気になるところだ。
そんなことを思いつつも、ジレットはにっこりと笑う。
「クロード様、おはようございます。朝食のお時間ですよ」
ぼんやりとした瞳が、誰かを探すかのように彷徨っていた。
しかし、ジレットと目が合うと同時に、クロードはふわりと笑う。今まで見たことがない、ついうっかりこぼれてしまったというような。そんな、子どものような笑みだった。
不意打ちを食らったジレットは、思わず固まってしまう。
(え、何……どういうこと)
瞬間、ジレットは手首を取られ、布団の中に引きずり込まれていた。
クロードはジレットを柔らかく抱き締めると、再度瞼を閉じてしまう。完全に寝ぼけていたようだ。どこか満足げに見えるが、なぜなのだろうか。教えて欲しい。
だが、ジレットからしてみたらそれどころではない。今にも顔から火が噴きそうだ。
「クロード様、クロード様……!?」
胸板を軽く叩いてみたが、起きる気配はまるでなく。ジレットはわなわなと震える。
(む、無理……このままの体勢でいるなんて、無理……!)
「クロード様っ……起きて、起きてくださいぃぃ……!」
ジレットの悲痛な叫びが、部屋に静かに広がっていく。
「戻ってくるのが遅いな」と心配したアシルが部屋にやってくるまで、ジレットは顔を手で覆いながら現状を耐え忍んだのだった。




