鮮血の過去
アシルとシャーロットとの話し合いを終え、時間はすぐにすぎていった。外はすっかり暗くなり、空には満天の星が輝いている。
城のメイドの手を借りて風呂に入り、部屋着に着替えたジレットは、クロードと共同で使う部屋へと向かった。もちろん、露出は少なめだ。
部屋に明かりは付いているが、探しているヒトはいない。きょろきょろと辺りを見回していたジレットは、不安になりながらクロードを探した。
(どこかへ行ってしまっている……?)
話をしたいと思っていたので、少し残念だった。
しょんぼりと肩を落としていたときだ。ジレットは、バルコニーに続く窓から風が入ってきていることに気づく。ふわふわと、薄手のカーテンが揺れていた。
もしかして。
カーテンをめくれば、バルコニーにクロードがいた。
(……きれい)
その後ろ姿を眺めながら、ジレットはそう思った。
結ばれていない金髪が、風になびいて揺れている。ジレットはぼうっとそれを見つめていた。
(クロード様はいったい、何を眺めているのかしら)
ただなんとなく、後ろ姿がもの寂しげに見える。綺麗なのに悲しくて、どうしようもなく儚くて。ジレットはそっと、バルコニーに続く窓を押し開けた。
「クロード様」
そう呼びかければ、クロードはくるりと振り返る。
「……ジレット、どうした?」
クロードはそう、優しい顔をして聞いてきた。ジレットは少しの間口を閉ざす。
(聞きたい……けれど、聞きにくい)
切り出し方が難しいな、と思った。そこで彼女はふと、少し前のことを思い出す。
『だからジレット。君のことも教えてくれ』
夜会に出たあの日。クロードは、そう言ってくれた。
(私が自分のことを話したら、昔クロード様に何があったのか、聞きやすくなるかもしれない)
そう思ったジレットは、そっと口を開いた。
「クロード様。少し私の昔話に、付き合ってくださいますか?」
「……ああ」
何かを察してくれたのか、クロードは頷いてくれる。
そんな視線を見返しながら、ジレットはゆっくりと自分の身の上話をし始める。
「なんとなく察していると思いますが……私は、親に売られて奴隷になったのです。私の両親は……いい親とは、口が裂けても言えない人たちでした」
「……ああ。どんな事情かは分からなかったが……奴隷になる子どもの事情など、だいたいそんなものだろう。だからといって……当たり前とは思わないが」
「はい、ありがとうございます。クロード様に会う前は……ずっとずっと、生きていて何か意味があるのかと、考えていた気がします。ですから、クロード様と出会えて、とても幸せだったのです」
下ろしたままの髪が、柔らかくなびいていく。まっすぐに見つめ返せば返してくれる相手がいる。それがこんなにも幸せだとは、昔のジレットは思わなかっただろう。
だからジレットは、心の底から微笑んだ。
「ですから私は……クロード様がどんなことをしていたとしても、気にしません。あなた様のそばにいるのが、一番幸せなのです」
「……ジレット」
「ええっと……クロード様に、過去どんなことがあったのか聞けたらなーと思って、切り出してみたのですが……難しいですね」
話しているうちに、余計切り出しにくくなってしまった。どうやらジレットに、そういった会話術を活用した話し方はできないらしい。
笑ってごまかしながら素直に打ち明けると、クロードは申し訳なさそうな顔をした。
「いや……私のほうこそ、すまなかった。話すべきだったのにな」
「……良いのですか?」
「ああ。……ではジレット。私の昔話に、少し付き合ってくれ」
「……はい、喜んで」
こくりと頷くと、クロードはとつとつと話を始めた。
「四百年前、私は侯爵位を持つ貴族だったんだ。首都よりも少し離れた場所に、領地を与えられていた」
***
四百年前は、今のように制度が整っていなくてな。そのため私は、私の正体を知る使用人を雇っていたんだ。
そうだな……ジレットくらいの少女だった。家族も同様に事情を知っていて、仕えてくれていたんだ。見返りとして、私の血を与えてね。
吸血鬼の血には、人間の身体能力を飛躍的にあげる力がある。我らはそれを眷属化と呼んでいるのだが……まぁ、そういうわけだ。
ただ、別にずっと仕えているわけじゃない。事情を知る者の血が続かなければ、私としても困るからね。
だから、彼女は嫁に行くはずだったんだ。相手も、私が吸血鬼だということを知っている者たちだったから。
彼女はよく私に仕えていてくれたし、私も彼女の働きぶりを評価していた。だから、寂しくはあったんだ。
でも、彼女はとても幸せそうで。私は彼女にいくつかの祝い品を与えて、見送った。
それなのに。
それなのに……三日後、彼女は私の目の前で殺されたんだ。
殺したのは、女吸血鬼だった。昔から何かと絡んできて、私を所有物にしたがる嫌な女だった。行動が行き過ぎていて他の吸血鬼たちからも嫌われていたから、最近は姿を見せなかったのだが……その日、唐突に現れたんだ。彼女を連れて。
何もすることができないまま、彼女は目の前で殺された。
彼女だけじゃなく、彼女の婚約者も、婚約者の家族も……そして、彼女の両親も。わたしに関わった人間が、すべて殺されたんだ。
どうやら殺した理由は、単純。私が彼女に、好意を抱いていると思ったから、だそうだ。
それ以外を巻き込んだのは、「彼女に関係していたから」だとか。
……おかしな話だろう?
でも、たったそれだけでたやすく命を狩る女だったんだ。
それ以来、私は人と接するのが怖くなってしまった。私のせいで、誰かが死ぬのが恐ろしくなってしまった。
だって彼女は……彼女たちは間違いなく、私のせいで死んだのだから。
あの日見た血の赤と臭いが、妙に生々しくて。食事もろくに喉を通らなくなってしまった。
血を見てそうなるなんて、吸血鬼としてはなかなかの欠陥品だな。
それから私は、貴族であることを放棄して、逃げた。逃げて逃げて、できる限りあの日のことを忘れようとしたんだ。
そして四百年経った。ジレットをメイドにしようと思ったのは、雑務が面倒臭くなったとか、それ以外にもいろんな理由があるが……心のどこかに、もう大丈夫だろうという感情があったのかもしれない。
いや、違うな……私はもともと、人が好きだったんだ。誰かと関わることが好きだったんだ。好きだったからこそ、恐ろしかった。大切な者たちが目の前で消えてしまうのが、耐えられなかった。
しかし、あれから四百年だ。蓋をしていたこともあり、記憶はだいぶ薄れていた。代わりに、また人に触れ合いたいという欲が湧いてきたんだ。だから、性懲りもなく同じことをした。
その最初の一人が、ジレット。君というわけだな。
君を突き放したのは、また同じことになるかもしれないという恐怖からだ。……今更、何を言っているんだろうな。本当にすまない。
だが……ジレットのおかげで、すべてが吹っ切れた。遠ざけたところで、意味なんてなかったんだな。
むしろ、大きな間違いだった。だって夜会に向かわなければ、ジレットはあの男のせいで怪我をしていたかもしれない。最悪、死んでいた。相手はあれでも吸血鬼だからな。
だから……君のことを守れて、本当に良かった。それだけは言わせて欲しい。
……これが、君が気にしている、つまらない昔話のすべてだ。
***
すべて話し終えると、クロードは自嘲した。
「というわけだ。……幻滅したか?」
「いえ……」
ジレットは首を横に振った。この程度で幻滅するなんていうことはない。
ただ、なんと言っていいのか分からなかったのだ。
(だってクロード様……とても、おつらそう)
話していくうちに、だんだんと声のトーンが落ち、感情が削ぎ落とされていくのがジレットには分かった。それを見るだけで、キリキリと胸が痛くなる。
どうにかしたいと思うのに、でもかける言葉が見つからない。口下手なジレットには、なかなかの難題だったのだ。
でも、少しでいいからその痛みを分けて欲しいと思う。
そう思ったジレットは、クロードの片手を自身の両手で包み込んだ。そして、胸元まで持っていきぎゅっと握り締める。吸血鬼だからか、クロードの手は冷たかった。まるで彼の心の温度を表しているようだ。
だからジレットは、温かくなるようにと手を握る。
それは、メイドである彼女にできる精いっぱいの接触だった。
「大丈夫です……私は、どこにもいきませんよ」
「っ……、ぁ……ジレッ、ト……」
「ですから……独りで、苦しまないでください」
瞬間、クロードが顔を歪めた。そして空いているほうの手で、おそるおそるジレットの肩に触れる。
クロードは、顔を隠すかのように首筋に顔を埋めてきた。
くすぐったさのあまり、ジレットは一瞬ぴくりと震える。だが寄りかかるように抱き締めてくる姿を見て、ぎゅっと堪えた。
(今変に動いたら……クロード様はきっと、否定されたと思ってしまう)
せっかく心を開いてくれたのに、そうなってしまうのは嫌だった。
クロードの手が、ジレットの背中に流れる亜麻髪に触れる。甘えるような指先の動きに、ジレットはぽっと胸に温かい光が灯るのが分かった。
「ジレット……もう、すこしだけ」
「……はい」
「もう少しだけ、このままでいさせてくれ……」
「……はい、もちろん」
どうやら、ただ抱き締めたかっただけらしい。そのことに、どこかがっかりしている自分がいることに気づき、ジレットは内心苦笑した。
(血を吸ってもらえるかもしれない……なんて、少しだけ思ってたからかしら)
首筋に頭を埋めたということもあり、ちょっぴり期待していたのだ。しかし、こんなふうに甘えてくることなんてない。それはつまり、クロードがそれほどまでに弱っているということだろう。だからなのか、朝ほど恥ずかしいと感じなかった。
(クロード様の胸の痛みが、和らぎますように)
そんな願いを込めて、ジレットはクロードの頭を撫でる。
優しすぎる彼がこれ以上苦しまないようにと、できる限りゆっくりと手を動かした。
それから二人はしばらく、バルコニーで寄り添い合う。
満天の星空の下語られた話は、ジレットの胸に深く刻み込まれたのだった。




