覚悟の仕方
アシルと同じ髪と目の色を持った王女の来訪を知ったクロードは、げんなりとした顔をした。
「シャーロット」
「あらあら。お久しぶりです、クロード。大変なことになっているようですね」
「おかげさまでな」
「ふふふ。お兄様が考えた案ですから。穴があるのは当然ですね」
「確かに」
「……ちょっと待とう? さりげなく僕のこと貶すのやめない!?」
(ええっと……)
揃ってアシルのことを貶し始めた二人を見て、ジレットは戸惑ってしまう。どうやら、クロードと気が合うようだ。
それを肌で感じ取ったジレットは、胸の内側がもやっとするような。そんな嫌な感覚に襲われた。
(何かしら、これ……)
言葉にできない感情を持て余していると、アシルを無視したシャーロットがジレットのそばにやって来る。ジレットは、慌てて立ち上がった。王女の目の前で座り続けることは、小心者のジレットには無理だったのである。
それを見たシャーロットは、「あら」と言った。
「そんなにかしこまらなくていいのですよ。ごきげんよう、わたくしはシャーロットと申します。あなたが噂のジレットですね」
「ご、ごきげんよう、シャーロット様。う、うわさ、ですか……」
「ええ。あのクロードが庇護している人間だと言われていますよ?」
シャーロットはそう言うと、妖しげに微笑みジレットの顎を扇でそっと持ち上げる。長身の彼女に見下ろされる形で、視線を合わせることになったジレットは、体が射すくめられたように動けなくなったことに驚いた。
シャーロットの金色の目。その真ん中の部分が、細く糸のようになっている。まるで獲物を狙う肉食獣のようだった。
「あらあら……ほんと、可愛らしいですね」
食べてしまいたいくらいです。
そう言われ、ジレットの背筋に悪寒が走る。逃げようとしたが、体がうまく動かなかった。かたん、と足がチェアに当たる。
そんなジレットを助けてくれたのは、クロードだった。
「シャーロット」
たった一言。それだけなのに、シャーロットから漂っていた妖しげな空気が搔き消える。その場に崩れ落ちそうになったが、なんとかこらえた。
顔を上げたジレットの目に飛び込んできたのは、クロードがシャーロットの首筋に手をかけているという、衝撃的な光景だ。向かい合わせの状態で睨み合う二人は、互いに剣呑な空気を醸し出している。
「ク、クロード様……っ?」
かすれた声で名を呼んだが、クロードは答えない。それどころか、シャーロットの首筋に込める力を強くしていた。
クロードの空色の瞳がじわじわと、赤くなるのが分かる。
それでもなお、シャーロットは笑みを浮かべたままだった。
「あら……いつからそんなに、短気になったのです……っ?」
「減らず口を……」
「ふふ、ふ……わたくし、吸血鬼、ですから」
「……チッ」
顔色一つ変えないシャーロットを見て、クロードは舌打ちする。そして手を放した。
シャーロットはさっと身を翻すと、首筋をさすりながら嬉しそうにしている。
「噂、本当だったのですね。クロード。少し立ち直ったみたいで、わたくし嬉しいです」
「……なんだか腹が立つのだが」
「良いではありませんか。お兄様だけでなく、わたくしだって心配していたのですよ? 四百年前に起きたこと、あなた引きずっていたではありませんか。あの女の暴走に耐え切れるほど、クロードは強くありませんでしたから。だから、ジレットをそばに置いて守りたいと考えられるほど強くなったことは、喜ばしいことです」
「……え?」
ジレットが戸惑いの声をあげると、シャーロットが片眉をあげた。そしてクロードに疑いの目を向ける。
「……もしかしなくともクロード。あなた、話していないのですか?」
「話す間も無く城に来ることになったからな……」
「アホですか! そんなの関係ありません! どうして殿方は、一番大切なことを伝えないのです……!」
先ほどとは一変、ぷりぷりと怒り出すシャーロットを見て、ジレットは唖然とする。そんなシャーロットを放置したまま、クロードはジレットのそばに近づき彼女をチェアに座らせてくれる。
そして、黙りこくるアシルに視線を向けた。
「……おい、アシル。自分の妹をどうにかしろ」
「いやだよー血縁関係のない妹だし。日の下歩く吸血鬼というつながりだけだし」
「関係性で言えば妹だろう。苦手だからと言って放り投げるな」
「むりーむりーむーりー」
「……わたくしがいる前で無理とかいうの、やめてもらっていいですか、お兄様。蹴り飛ばしますよ?」
「だからいやなんだよ!! 暴力反対!!」
一人置いてきぼりになったジレットは、そのやり取りを見て思った。
(クロード様が二人になった……?)
と。
波乱は多々あったものの、シャーロットも着席し、昼食の時間はあっという間に過ぎ去っていった。
もちろん、料理は素晴らしかったのだ。ジレットが作るものより豪華だったし、味も良かった。
しかし出てくる料理に感心するよりも、先ほどの件が気になって悶々していたのである。
(四百年前……クロード様の身に、何が起きたのかしら……)
シャーロットの言い方からして、クロードに相当のダメージを負わせたようだ。しかも、シャーロットやアシルも知っている出来事らしい。
アシルはともかく、シャーロットが知っているのを聞きなんだかもやもやした。
(昔からのご友人なのだから、当たり前なのだけれど……でも……)
クロードと似た軽い言動が目立つシャーロットだが、クロードとは比較的息が合っている。剣呑な空気になったのは、シャーロットがジレットに手を出そうとしたときのみだ。
それもあり、余計に変な気持ちになる。
そんな気持ちを抱えたまま、四人は場所を変え談話室に来ていた。シャーロットが「話がある」と言ってきたからである。
席に着いたシャーロットは、開口一番言い放った。
「で、この事態をどうするのですか?」
「どうするって……」
「肝心なときに見落としをするお兄様は黙っていてください。……わたくしたちがいくら収拾をつけようとしても、今回の問題は解決しません。それくらい、クロードも分かっているはずです」
「……そうだな」
こくりと頷くクロードを見て、ジレットは申し訳なくなる。
ジレット自身も分かっているのだ。だが考えが浮かばず、ただ守られていることしかできない。それが不甲斐なくて、嫌になるのだ。
するとシャーロットは、わざとらしくため息を漏らした。
「もしかしてクロード、あなた、ジレットを守りたいとか考えていませんか? それが正しいと思っていませんか?」
「……は? 当たり前のことを言うな」
「……はぁー。これだから殿方は。アホばかりです。だからごくごく普通の、当たり前の意見が出てこないのですね。まったく」
シャーロットは肩をすくめた。そしてジレットを見て言う。
「今回の事態を解決する方法なんて、簡単ではありませんか。ジレットの顔見せをしてしまえばいいのです」
「……は?」
「……んん?」
クロードとアシルがぽかんとした顔をする中、シャーロットは続けた。
「一ヶ月半後、タイミング良く舞踏会があります。各地を治める貴族たちもやってくる大きなものですし、絶好のチャンスでしょう」
「……いやいや、待とう、シャーロット。ジレットちゃんは人間だよ?」
「それが?」
「……えっ」
「今回大切なのは、『ジレットの立ち位置の確認』です。それさえ定まってしまえば、吸血鬼たちの関心が上がることはあっても、こんなふうに突撃してくることはなくなるはずです。彼らが気になっているのは、『ジレットという人間が、クロードという吸血鬼にとってどういう存在なのか?』なのですから」
それを聞き、ジレットは納得した。
(なるほど。そういうことだったのね……)
シャーロットは扇を指先でいじりながら、やれやれと首を振る。
「吸血鬼は、ルールに準じるのが好きです。だから、ジレットがクロードの庇護下にある存在だと知れたら、一線引くでしょう。なんでそんなことも分からないのですか、まったく」
「……しかしそうなると、ジレットにも負担になる」
「当たり前ではありませんか。これは、クロードとジレットの問題なのですから」
「だが」
「あーもううるさいです。そちらの二人は黙っていてください」
シャーロットはぴしゃりと言い放つと、ジレットのほうに向き直る。
「ということなのですが。ジレット、どうです?」
「どう、と言われましても……」
「わたくしが聞きたいのは、舞踏会に向けて、努力する気はあるかということです。礼儀作法、マナー、ダンス、基礎的な知識……様々なことを学ばなくてはなりません。あなたに、それをやりきれるだけの覚悟はありますか?」
シャーロットは、少し含みをもたせた言い方をしてきた。その言葉を噛み締めたジレットは、何が言いたいのか悟る。
(シャーロット様はおそらく……これから先クロード様のとなりにいるには、それだけの覚悟が必要だということが言いたいんだわ)
覚悟がないなら、クロードのそばから離れろ。そういうことだろう。
ジレットがそんなふうに考え込んでいると、シャーロットはふふんと鼻を鳴らす。
「ジレットさえ良いというのであれば、これからわたくしが一から教えてあげます。もちろん、びしばししごきますけれど」
「分かりました。やります。やらせてください」
「そう、そうですよね。やはりむ……えっ?」
「え?
あ、あの……やりますと、言ったのですが……」
肯定したら、なぜか驚かれてしまった。ジレットも驚いてしまう展開である。
するとシャーロットは、訝しげな視線を向けてきた。
「……本当に?」
「はい」
「わたくしが言うのもなんですが、相当厳しくするつもりですよ?」
「一ヶ月半しかありませんし……そうしていただけると嬉しいです。むしろ、教えていただけるなんて嬉しいと言いますか……」
ジレットがはにかみながらそう告げると、シャーロットは首をかしげる。
「……なぜそこまできっぱりと言えるのか、聞いてもよろしいですか?」
その問いかけに、ジレットは目を瞬かせ。
「だって……その舞踏会に参加すれば、クロード様にかかる負担が減るのですよね? クロード様がまた自由に、研究することができるのですよね? あの屋敷で、穏やかに暮らすことができるのですよね? ならばやります」
そう言い切った。
少し頑張ればどうにかなるというのであれば、ジレットはなんだってやるのだ。それがどんなにきついことでも、一ヶ月半である。すぐに過ぎ去っていってしまうだろう。
(それが何年も続くわけではないのだから、大したことないわ)
自身の過去を思い出し、ジレットはそう思った。あの頃は、自分がいつ死ぬかばかり考えていたのだ。
何もしていないのに、怒られることだってあった。
しかし今回は違う。ちゃんと悪いところがあるから、怒られるのである。それはとても幸せなことだ。
ジレットはピンッと背筋を伸ばし、あらためて頭を下げる。
「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「……分かりました。みっちり教えましょう」
「ありがとうございます、シャーロット様」
ジレットが笑いながらそう言うと、シャーロットは視線をクロードに向けた。
「……クロードよりもジレットのほうが、覚悟ができていそうですよ?」
「……え?」
「もう少し話し合ってみたほうが良いと思います、クロード。あなたが思っているほど、ジレットは弱くないかと」
「……そう、だな」
バツ悪そうな顔をするクロードと、したり顔をするシャーロットを見比べながら、ジレットは首をかしげたのだった。




