闖入者との出会い
結局その話し合いで、解決策は浮かばず。一度気分転換をしようということで、お開きになった。
ジレットはその後、バルコニーに出て風に当たる。初夏間近の風はからりと乾いていて、ジレットの心を少しだけ穏やかにさせてくれた。
すると、かちゃりと音がした。首に何か下がっているような気がする。
違和感を覚え胸元を見れば、そこにはネックレスが下がっていた。
驚きのあまり目を丸くしていると、後ろからクロードが現れる。
「ジレット」
「……クロード様、これは」
「ああ。先日ジレットに渡したネックレスだ。私が持っていた」
「そうだったのですか。なくしたと思っていたので、安心しました」
ジレットが頬を緩ませると、クロードはほっとした顔をする。
「先ほど言えなくてすまないな。改良をしようと思ったんだ」
「改良、ですか?」
「ああ。先日アシルに攫われただろう? あれが存外悔しくてな……魔術がジレットの身に向けて作動したとき、それを相手に返してやる魔術を組んでおいた」
「そ、そんなものを……ありがとうございます、クロード様。本当に、何から何まで……」
「気にすることはない。私が好きでやっているのだから」
「……はい。ありがとうございます」
クロードにそう言われ嬉しくなったジレットだったが、同時に虚しさがこみ上げてくる。
(ほんと、どうして私は……クロード様に迷惑をかけてばかりいるのかしら……)
ジレットが非力な人間だからだろうか。クロードに守られてばかりいる。
今回なんて、彼に迷惑しかかけていないのだ。
(私だけ、国外に出たら……おさまるかしら……)
ふと、そんなことを考えてしまう。
弱気になっていたのもあるのだろう。そんな本音は、ジレットの口からこぼれ落ちた。
「私が……私だけが、国外に出れば」
「……何を言っているんだ、ジレット。それでは意味がないだろう?」
「ですが……です、が……」
メイドとしてクロードの世話もできない、彼の糧にもなれない。それどころか、こうして多大な苦労をかけてしまっているのだ。不甲斐なさのあまり、落ち込んでしまう。
そんなジレットを見て、クロードは優しく頭を撫でてくれた。
「何度も言っているが、ジレットだけの問題ではないんだよ」
「……もっと良い断わり方があったのではないかと、反省しています」
「あれは明らかに向こうが悪い。ジレットが気に病むことではないよ」
「……はい」
(こんなふうに落ち込んでいる姿を見たら、クロード様だって困るのに……そうじゃなくても、クロード様は優しいから心配してくれるはずなのに。私はどうして、それに甘えることしかできないのかしら)
自分の弱さが嫌になった。何も言えなくなる。
するとクロードは、ジレットと目線を合わせてくるから。
「ジレット。こっちを見なさい」
「……はい」
「ジレット、良いか。今回の件は、ジレットに何も責任はないんだ。真面目な君が落ち込むのは分かるが、そんな顔をしなくて良いんだよ」
「……は、い」
「私が必ずなんとかするから、ジレットは城での生活を満喫しなさい。良いね?」
「はい……」
ジレットは、薄く笑むとこくりと頷いた。クロードがここまで言うのだから、任せたほうがいいのだろう。彼女は、貴族社会はおろか吸血鬼社会の常識を知らない。変に口出しして余計事態が悪化するのが怖かった。
だけれど、心のどこかでこんな声がする。
(クロード様の、お役に立ちたい。クロード様のとなりに立っても恥ずかしくないくらい、ちゃんとした存在になりたい)
そんな気持ちを、ジレットは胸の内側に押し込めた。ぎゅっと、ネックレスを握り締め堪える。
(大丈夫、大丈夫)
そう何度か言い聞かせていると、クロードが思い出したように口を開いた。
「そうだ、ジレット。昼食を用意してもらったのだが、食べないか? アシルも一緒で良ければ、だが」
「アシル様もご一緒なのですね。はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「そうか。なら、セットされている部屋に行こうか」
「はい!」
努めて明るく振舞おうと、ジレットは声を張り上げた。すると、クロードがなんとも言えない表情をする。
「……ジレット」
「はい、なんでしょう?」
「……いや、なんでもない」
なんとなく、クロードの言いたいことは分かった。おそらくだが、「無理をしていないか?」と聞こうとしてくれたのだ。
その言葉を途中で飲み込んでくれたのは、正直ありがたい。笑って返せる自信がなかったのだ。
(でも、クロード様に迷惑はかけたくない)
だから、泣き言だけは言いたくなかった。
そんな思いを抱えたまま、ジレットとクロードは部屋。出る。
ジレットは、ドレスの裾を翻しながら城の廊下を歩く。クロードは慣れた様子で歩いているため、城の構造を知っているようだった。
(そう言えば、数年暮らしていたって言っていたものね)
クロードはいったい、どんな生活を送っていたのだろう。気になる。
気を紛らわせるために、ジレットはクロードに質問してみることにした。
「クロード様。お城で過ごしていた頃があると言っていましたが、どんな感じだったのですか?」
「どんな感じ、か……そう、だな」
クロードは、歯切れの悪い言い方をする。
「良くも悪くも、吸血鬼らしい生活というか……吸血鬼らしい吸血鬼に絡まれたり、城の色々なところが損傷したり、唐突に戦いをふっかけられたり……」
「……えっと、それ、は……?」
「今思い返してみても、ろくな生活じゃなかったな」
クロードは、懐かしそうに目を細め言った。その表情がどことなく柔らかくて、ジレットは不思議な気持ちになる。
するとクロードは、満面の笑みになりながら言った。
「思い出したら、少し殺意が湧いてきたな。憂さ晴らしも兼ねて、アシルを殴りに行くか」
「……えっ!?」
「私が被った迷惑の大半は、あいつのせいで起こったものだからな。それに比べたら、ジレットがかけてきた迷惑なんて可愛いものだよ」
「そ、そうですか!? そんなことはないと思うのですが……!」
「色々と分かっていないようだから言っておくが、あいつは毎朝攻撃魔術で叩き起こされた挙句、『運動がてら、兵士たちと朝練しない!?』と言ってくるアホだぞ?」
「えーっと……」
「比べるだけ無駄だと思わないか?」
「……はい。おっしゃる通りかと……」
そう言うと、クロードは笑みを浮かべた。
「そういうわけだ。今はとりあえず、昼食を楽しもうか」
「はい!」
「王族は美食家揃いだから、美味しい料理が出ると思うぞ」
「わあ。楽しみですね!」
「ああ、そうだな。私はジレットの料理のほうが好きだが」
「……えっと、あ、ありがとう、ございます……」
時折入ってくる褒め言葉にドギマギしながら、ジレットはアシルが待つ部屋に向かったのである。
通された部屋には、大きなテーブルが置かれていた。
「わあ……」
三人で食べるのがもったいないほどの大きさを持つテーブルだ。そこには食器が置かれている。
二人が入ってきたことに気づいたアシルは、ひらひらっと手を振った。
「さっきぶり。ほらほら、座って。お腹すいたでしょう? ご飯にしようよ」
「なんで嬉しそうなんだ、お前……」
「なんでって、嬉しいでしょ。普段あんまり大人数で食べないし」
「……そうなのですか?」
アシルが座る向かい側の席に、クロードと並んで腰掛けていると、アシルが頷く。
「なんだかんだ言って、王族って多忙だから。僕は第三王子だからまだ暇なほうだけど、いろんな事業に手を出したりしてるのもいるから、同じタイミングでご飯食べるとかないんだよ」
「なるほど」
「別に血が繋がっているわけじゃないから、気にしないしね。でも僕は、大人数でわいわいしながら食べるご飯が好きです」
「騒ぎたいだけの間違いじゃないか?」
「ひどくない!?」
そうやって話していると、後ろからすっと皿が運ばれてくる。前菜のカルパッチョだ。
サーモンを使ったカルパッチョを見て、ジレットは目を輝かせる。
(盛り付けが綺麗……!)
カルパッチョは、薔薇に見立てた盛り付けをしていた。とても綺麗だ。
しかしテーブルマナーが分からないジレットは、フォークとナイフの多さにあわあわしてしまう。
(これ、どれを使えばいいのかしら……)
そんな混乱が分かったのか。アシルはくすくす笑いながら教えてくれた。
「フォークとナイフは、外側から使っていけばいいんだよ」
「な、なるほど……ありがとうございます」
「いーえ。ま、気にしないで、気兼ねなく食べてよ」
アシルがそう言い、笑ったときだった。
ガチャリと、部屋のドアが開いたのである。
「ダメに決まっているじゃありませんか、お兄様」
「……え?」
(お、お兄様……?)
綺麗な声につられそちらを見れば、そこには一人の女性がいる。
漆黒の髪は腰辺りまで長く伸び、上部だけをバレッタで留めている。瞳の色は金で、女性にしては切れ長な形をしていた。誰がどう見ても、美女だと答えるであろう女性である。
何より目を引くのは、そのドレスだった。
(ワインレッドのドレス、すごく綺麗……)
フリルやレースは抑えめだが、女性に似合う程度に抑えられた品の良いドレスだった。それもあってか、場がパッと華やいで見える。
ジレットは一人感動していたのだが、クロードとアシルの反応は違っていた。どちらもとても嫌そうな顔をしている。
アシルは、引き攣った笑みを浮かべたまま言った。
「シャーロット……なんでここにいるの」
「あらあらお兄様。ひどい言い方ですね? 王族たる私がどこにいようが、問題ないと思うのですが」
そう高飛車に言い放つと、第一王女・シャーロットは、艶やかに微笑んでみせた。




