メイドの一日③
お金を多めに持ったジレットは、それをすられないように気をつけながら首都へと向かった。
ジレットが住んでいる屋敷から首都までは、徒歩だと三十分ほどかかる。そのため彼女は、クロードから風の魔石を粉末にしたものをもらっていた。これを足に振りかけると、走っても疲れにくく尚且つ早く着く。
ジレットはその際ふと、「今度は、魔力がない者でも飛べるようになる靴を作る」とクロードがつぶやいていたのを思い出した。彼はなかなかの発明家である。その発明力を買われて、高い地位にいるのかもしれないな、とジレットは考えた。
自慢の亜麻髪をなびかせながら、ジレットは十分ほどで首都に着く。
今日も今日とて、そこはとても賑わっていた。
見渡す限りの人、人、人。普段からあまり人と触れ合わない生活をしているせいか、頭がくらくらしてくる。クロードが人を好まない理由が、なんとなく分かる瞬間であった。
ジレットが首都にやってくる機会は、そう多くない。野菜が採れる時期はすべてそちらで賄うし、肉などもクロードが森で狩ってきてくれるからだ。買い出しに行くのは、週に一度くらいなものである。
そのため彼女は未だに、人混みが苦手であった。
人混みの中に入る前に、ジレットはクロードからもらった紙を開く。それを見て、効率の良い進路を頭の中で組み立てるのだ。
(これなら、まずはじめにクロード様がご所望の魔石の発注をしたほうがいいわね。その後に貸本屋に行って料理本を借りてきて、本屋に行ってクロード様がお求めの書物を買う。それが終わったら、わたしの美容用の雑貨を買って……そして市に行って食品を買う感じが一番良いわね。そうしましょう)
首都のどこにどんな店があるかくらいは、さすがのジレットも覚えている。ゆえに彼女は、よく発注をする魔石店に足を向けた。
魔石店は大通りを二本外れた場所にある。そこはお得意様しか扱っていない、魔石店であった。
周りの家々が白い壁をしている中、そこだけは灰色の壁をしている。家の前も飾り気がなく、閑散としていた。相変わらずの愛想のなさである。
扉の上部にはかろうじて見える字で『バルツェル魔石店』と書かれた看板がついていた。
「ごめんください」
ジレットはそう言いながら、扉を開いた。中には魔石が雑多に置かれている。か細い照明を浴びて、それらはキラキラと輝いていた。しかし肝心の店主がおらず、彼女は肩をすくめた。
ここは魔石を武器に加工したり、魔石そのものを売る店である。
そしてその店主がかなり気難しいため、こうして決まった者にしか石を売らないのだ。
(奥に行って声をかけたほうが良いかしら)
そう思ったが、その心配はいらなかったようだ。店の奥からのっそりと、ひとりの老人が出てきたからである。
「……なんじゃ。クロードの小間使いか」
老人がそういうと、ジレットは困った顔をする。相変わらず人間が嫌いらしい。
彼は、ノームという種族だった。
身長は低く、見た目は小さな頃から老いているとされる種族である。しかしながら彼らが生み出す武器はとても頑丈で、魔術師たちから重宝されてきた。魔石の加工がとても上手いのだ。
かく言う店主は、遠い国からやってきたよそ者であるらしい。
ジレットは苦笑しながらも頭を下げた。
「お久しぶりです、バルド様。此度も、クロード様からの依頼でやってきました」
バルドはそれを聞くと、はあ、とため息をもらした。そして矢継ぎ早に言う。
「今回はなんじゃ」
「はい。純度の高い、風の魔石が欲しいんだとか。量は二十メルノほど」
メルノとは、この国において魔石の重さを表す特殊な単位である。
魔石を二十メルノとなると、それ相応の金額になるはずだ。ジレットの記憶が正しければ、家が一軒丸々買える。
「……あやつ、最近本当に依頼が多いな」
そうぶつくさと言いながらも、バルドは前払い金を算出し始めた。彼が金額を言うと、ジレットは財布を取り出しお金を払う。予想通りの値段である。「二週間後には用意できているから取りに来い」との言葉に、ジレットは頷いた。
そして頭を下げ早々に店を後にした。
バルドは人間嫌いなのだ。それも極度の。ジレットがあそこに入れているのだって、クロードの使いだからである。そのため「あまり長居をするな」と、クロードからも言われていた。どうやら、元々いた国ではあまり良い扱いをされていなかったらしい。ジレットはそれ以上、考えるのをやめた。
一つ目の仕事を終えた彼女は、続いて貸本屋に向かう。
ジレットは極力、自分のものを増やさないように心がけていた。貸本のほうが安く、美容のほうにお金を割けるという理由のもある。そのため本はいつも貸本屋で借り、必要な箇所を紙に書いて、ある程度の束になったら本として綴じ、保存するというやり方を取っていた。
貸本屋で料理本を三冊ほど見繕うと、ジレットはその場を後にする。自分の用事に時間をかけることはしない主義だ。
それから本屋に向かい、クロードが所望していた本の題名を店主に尋ねた。するとうち四冊はあるが、残り二冊は在庫がないため取り寄せになってしまうようだ。
ジレットは取り寄せを頼み、在庫がある四冊を買った。どうやら一週間後には届くというので、またそのときに取りに来ようと自身の頭のメモにしっかりと書き込む。
三つ目のやることを終えたジレットは、少しだけ胸をときめかせながら雑貨屋へと向かった。
そこは、女性向けの商品を販売している雑貨店である。扉には鈴がついており、開くと軽やかな音で客の訪れを告げた。
中には化粧品やぬいぐるみ、カップや皿なども置かれており、その商品はどれも可愛らしい。ジレットはそこでいつも、髪の艶を保つための香油とあかぎれなどに効く塗り薬を買っていた。
クロードは香りの強いものが苦手であるため、香水は付けない。しかし髪は何かとぱさつくため、風呂上がりに必ず香油を塗るのだ。
手に関しては水仕事や庭仕事をしているため、どうにも深窓の令嬢のような美しい手にはならないが、傷だけは極力つけないようにと塗る薬を使うことにしていた。効き目は抜群で、ジレットはおかげで手荒れに悩まされることなく仕事ができている。
ジレットは屋敷の財布とは別に、自身の財布を持ってきていた。
(こういう薬も、自分で作れるようになれば良いのかもしれないけど……わたしにはそちらの知識はないし)
ジレットは、魔術師でも薬師でもないのだ。
それにそういった本はどれも高価であるため、貸本屋では取り扱っていない。本を買うくらいならば、ここで買ったほうが数倍安いのである。
彼女が品物を会計していると、袋に詰めてくれている女店員がじいっとこちらを見ていることに気づいた。
ジレットはびくりと肩を揺らす。
「……えっと……」
女店員は、鼻の周りにそばかすが散っている元気そうな少女であった。癖の強いブロンズの髪をポニーテールにしている。瞳は大きく猫のようで、アーモンドのようであった。
彼女はジレットがたじろぐのを見ると、ハッとする。そして頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! でもあなたいつもうちに来て、こういうの買ってるからさ……気になっちゃって。ずっと綺麗な人だなーって思ってたの。だからついつい見ちゃって……」
「え、あ……あ、りがとう、ござい、ます……」
どうやら彼女は、前々から働いている店員であったらしい。何度も顔を合わせていたようだ。そういうことに無頓着なジレットは、それに気づけなかったが。
それよりも驚いたのは、彼女がジレットに向けて言った言葉に対してだ。
『ずっと綺麗な人だなーって思ってたの』
一度も言われたことがない台詞に、頭がパニックになる。
それだけでも大変なのに、女店員はキラキラした瞳を向けてきた。そして早口でまくし立てる。
「普段どんなことしてるの? 髪どうやって洗ってるの? 目もぱっちり大きくて、アメジストみたいだよね!! あ、どこに住んでるのっ? もしかして良いところのお嬢様!?」
「ひゃっ!?」
ジレットは、誰かと話すのも褒められるのも慣れていなかった。なんせ話す相手は、クロードくらいなものである。彼は必要なことを話し、ジレットに質問することはほとんどなかった。
にもかかわらずこんなにも質問攻めにされて答えるなど、無理な話だ。
彼女はパニックになり、雑貨店から逃げ出した。
走って走って市にまで行き、買おうと思っていたものを買い込んでから気づいた。
そうだ、雑貨店で買ったものを丸ごと置いてきてしまった。
そろそろ切れかかっていたから買いに行ったのである。あれがないと、ジレットは色々な意味で困るのだ。手も荒れるし髪の手入れも上手くいかなくなる。
しかししばらく、あそこに行く気にはなれない。そしてジレットとしても、何度も町に降りるのは嫌だった。
(こ、この際だから払ってしまったお金は良いわ……他のところを探さないと)
ジレットは日が傾き始めた空を見つめ、駆け出した。暗くなる前に必ず帰れと、クロードからきつく言われているのだ。夜になるとあの森は迷いやすくなり、また獣が増える。それを懸念しての言葉を思い出し、ジレットは焦った。普段はこんなにも遅くならないのに。
(ああ、不運だわ……)
クロードから、あのような贈り物をもらったからだろうか。しかしその代償がこれならば、割に合うような気がする。
(そうよ……クロード様からあんな高価なものをもらったのだもの。今回の損失なんてなんてことないわ。むしろ朝あんなに良いことがあったんだもの。悪いことが起きて当たり前ね)
ジレットはそう納得しつつ、帰路を急ぐ。
遠くのほうで、オレンジのような夕日が藍色の空を連れてくるのが見えた――