記憶と再会と羞恥心
振り落とされまいとクロードにしがみついていたジレットは、前とは比べものにならない速度で空を駆けていた。その後ろにはアシルがおり、クロード同様コウモリの羽を生やして飛んでいる。くるくると回転をしながら飛ぶアシルを見ていると、すごいなーと思ってしまった。ジレットなら、あんなに回っていたら吐き気がしてくるはずだ。
ケラケラ笑いながら、アシルは言う。
「いやー楽しいねー!」
「楽しいわけないだろうが! 誰のせいでこんなことになっているのか、分かっているんだろうな!?」
「朝から機嫌悪いね!?」
「朝だからこそ機嫌が悪いんだ。アホか!」
クロードの叱責が飛ぶ。それを聞いたアシルは、ちろりと舌を出して肩をすくめた。
しかし背後から迫ってくる影を見つけ、目を細める。
「クロード、来たよ」
アシルの言葉を聞き、ジレットは閉じていた瞼を開けた。視線の先には、豆粒ほどの黒い点が見える。どんどん大きくなってくるそれを見て、恐怖心が膨れ上がった。
(な、なんでこんなことになってしまったの……!)
不安のあまりクロードに抱きつけば、彼は優しく頭を撫でてくれる。大丈夫だ、と言ってくれているようだった。
たったそれだけなのに心が軽くなる。強張っていた体から力が抜けた。
それを確認したクロードは、アシルに向かって言う。
「分かった。防御魔術なら問題なく使えるから、気にせず暴れてこい」
「お、ほんと?」
「ああ。ただ、私との距離は維持しておけ。前や横から来る可能性も高いからな。離れると、私も交戦しなくてはならなくなる。それは面倒臭い」
「了解了解ー。さーて……久々に、楽しくあばれよっかなあ!!」
アシルはそう言うと、にやりと笑う。金色の瞳が真紅に染まるのを、ジレットは見た。
瞬間、アシルの周囲に火の玉がいくつも浮かび上がる。彼はそれを勢い良く、背後に向かって投げつけた。
大きな爆裂音とともに、灰色の煙が立ちのぼる。
(あんなのに当たったら、死んでしまうんじゃないかしら……)
あまりにも派手な音を聞き不安になったジレットだったが、そんなことはなかったようだ。煙の中から、無傷の吸血鬼たちが現れた。それを見たアシルは、はあとため息を漏らす。
「いやだねー吸血鬼って。頑丈で」
「お前も同じだろうが……」
「それはそれ、これはこれでしょ」
こんなときでも軽口を叩き合う二人を見て少し安心するが、それも一瞬だ。今度は向こうが、魔術を当ててきたのである。
「ひゃっ!?」
透明な壁のようなものに当たり爆発する火の玉を見て、ジレットは悲鳴を上げた。
(怖い、怖すぎるわ……!)
クロードとアシルならば避けられるはずだし、防御もできるはずだが、ジレットが当たればひとたまりもない。木っ端微塵になってしまう。クロードから振り落とされれば、一貫の終わりである。
なのに、アシルは不満げだ。
「僕、遊ばれてんのかな?」
「さあな。誘導してきてるような感じはあるが……仲間でもいるのかもな。狩りの要領だ」
クロードがそう言うと、アシルは唇を尖らせながら肩をすくめる。そうしながらも、彼は魔術による攻撃を続けていた。ちぐはぐな光景に、ジレットの額から汗が流れ落ちる。緊張と恐怖で、喉がカラカラだ。
そんなジレットを見て何を思ったのか、アシルはにこりと微笑み手を振ってくる。
「大丈夫大丈夫。そんな顔しなくても、こんなことで死なないって。クロードは強いんだよ? それに、あいつらだって手加減してるんだし」
「……え、これで手加減してくれているんですか!?」
「もちろん。この程度なら、遊びと同列かなぁ」
(遊びってどう言うことですか……!!)
ジレットは、その言葉を飲み込んだ。いや、飲み込まざる得なかったというべきだろう。クロードがいきなり、高度を落としたからだ。
悲鳴をなんとか噛み殺したジレットは、降り注いでくる光の玉を見て絶句した。
(これが遊び……? 嘘だと言ってください……!!)
でも確かに、吸血鬼たちの笑い声が聞こえる気がする。人間には理解できない遊びだ。
その様子を見て、クロードはチッと舌打ちをしている。
「あのバカ、こちらの存在を忘れかけてるな……」
そう言いつつも、クロードは涼しい顔をして光の玉を防御魔術で跳ね除ける。バチバチと、落雷のような光がすぐ目の前で弾けた。その音に震えるジレットを見て、クロードはそっと手を伸ばしてくる。
「ジレット」
「は、はい……っ」
「少し、寝ていなさい」
「……え」
目元に手を当てられ、ジレットは困惑する。だけれどそれも一瞬。ジレットの意識は闇に落ちていった――
***
「……そっか。私、それで寝てしまったのね……」
ベッドに腰掛けたジレットは、状況を整理し頷いた。同時に、ぶるっと寒気がする。
(あれで遊びって、いったい……)
あのまま起きていたら、ジレットはどうなっていただろうか。そう考え、ジレットは軽く想像する。
クロードが魔術をかけなくとも、失神して意識を失っていたかもしれない。それほどまでに派手な交戦だったのだ。
今までいた場所は本当に平和だったのだな、と言うことを知り、ジレットはしみじみする。
そう感じた瞬間、お腹が空いてきた。どれくらい時間が経ったかは分からないが、この感じだと半日以上は経っているだろう。体は正直だ。
だが、外に出て良いものなのだろうかとジレットは躊躇した。何と言っても、ここは城である。外に出たら最後。迷う自信しかない。
以前城に入ったときはアシルがいたし、彼が道案内をしてくれたのだ。それがない今、この部屋から出ることは得策ではないように思えた。
「……誰か来てくれるかもしれないし、少し待っていようかしら」
ひらひらのネグリジェをつまみながら、ジレットはそうつぶやいた。着ている服が違うということは、誰かが着替えさせてくれたということだ。メイドや侍女が来てくれる可能性は高いだろう。
「……あ、ネックレス……ネックレスは……っ!?」
しかしジレットは、途中で気づいた。クロードからもらったネックレスがない。あれがないというだけで、とても不安になってしまった。
部屋の中を探してみたが、どこにもない。
(お、落ち着いて……部屋にないなら、誰かが持っていてくれてるのかもしれないし……っ)
何度もそう言い聞かせたが、どうにも落ち着かない。ジレットは、愚策だと分かっていながらも外に出ることを決意した。
ジレットは足元に置いてあった靴を履き、そっとドアを開ける。ドアの隙間から顔を覗かせれば、空色の瞳と目があった。瞬間、ジレットの心臓が大きく跳ねる。
そこにいたのは、クロードだった。
「……ジレット? 起きたのか」
「ク、クロード様……!」
クロードは、ソファに腰掛け紅茶を飲んでいた。
それを見たジレットは、嬉しさのあまりドアを勢い良く開き、クロードのもとへ駆け寄る。
驚き目を見開くクロードに、ジレットは勢い良く頭を下げた。
「お、おはようございます、クロード様! そして、えっと……その、あ、そうです! お怪我などはありませんかっ? そして、申し訳ありません、私どうやらネックレスをなくしてしまったみたいで……えっと、そのっ……」
「落ち着け、ジレット。すべて説明するから、とりあえずこっちに座りなさい」
頭を下げたは良いものの、言いたいことがまとまらない。
ジレットがあわあわとしていると、クロードがとなりに座るよう促してきた。こくこく頷いたジレットは、柔らかいソファに腰掛ける。
するとクロードが、自身が着ていた上着を脱いで肩にかけてくれた。
にこりと微笑んだクロードは言う。
「ジレット。私は別に構わないが、そのような格好で男の前に現れるのはやめなさい。いいね?」
「……え?」
そう指摘され、ジレットは自身の格好を確認した。
そう。ネグリジェだ。
露出が高い上に、薄手の寝間着である。そのため、体の線がきっちりと見えてしまっていた。こんな姿で夫でもない人の前に出るなど、はしたないにもほどがあるだろう。
しかも今のジレットは、髪すら整えていない。癖のついた亜麻色の髪はボサボサだった。
どこをどう見ても、主人の前に現れる際の格好としてふさわしいとは言えない。
ジレットの顔がみるみる赤くなっていった。できることなら悲鳴をあげてしまいたかったが、なんとかこらえる。すぐにでもベッドのある部屋に戻り、引きこもりたかった。
しかし、これから聞かなければいけない話がある。しかも他に着るものが用意されていなかった今、彼女が取れる行動はさほど多くない。
クロードにかけてもらった上着に袖を通したジレットは、ぷるぷると震えながらボタンを留める。そして、涙目になりながら深々と頭を下げた。
「見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ありません……」
ジレットは、蚊の鳴くような声でそう言う。
今すぐにでも、土に埋まってしまいたい気分であった。




