普段と違う目覚め方
吸血鬼にとっての愛し方とは、一体なんだろうか。
それは言わずもがな吸血行為であろうと、クロードは思う。
クロードにとって吸血とは、神聖な儀式であった。人間で言うところの結婚式や典礼と、同じだけの価値があると彼は考える。ゆえに、おいそれと首に歯は立てない。
クロードが血を飲む際、相手の首を掻っ切って絶命させてから血をすするのはそのためだ。歯を立てるのと血をすすることに、彼は明確な線引きをしていた。
なんせ、吸血行為は相手に多大なる負担をかける。生物の急所である首を噛まれるのは、凄まじい恐怖心を相手に与えるであろう。吸血鬼の歯に、痛みを緩和する力があったとしてもだ。
それができるということは、相手が信頼してくれているということに他ならない。魅了を使って操ることを好まないクロードにとって、吸血は至高だ。
そしてジレットは、彼にとってそのような相手なのである。
それゆえに、クロードは思う。
自分は、ジレットを本当の意味で愛せているのだろうかと。
血の美味しさも分からない自分は、吸血鬼としてジレットを愛せるのかと。
そう考えてしまうのだ。
しかしそれと同時に、拭いきれない過去と向き合わなくてはならないと思う。つきまとい続けるそれと決着をつけなくては、クロードは前に進めないのだ。
――そう。すべては、愛する人を愛すために。
色濃く残る過去の残像を思い浮かべながら。
クロードは、ジレットからもらった二本の髪紐を握り締めた。
ジレットの朝は早い。彼女は日が昇る頃に目を覚ます。
それは、体に染み込んでしまった習慣であった。クロードに会う前から早起きだったのである。
そのためジレットは、その日もいつも通り日が昇るとともに起床した。
されど周囲の光景があまりにも異なっており、思わず固まる。少なくとも、クロードの屋敷ではない。
「ここ……どこ?」
ジレットは、そうつぶやいてしまうくらいには困惑していた。
ふかふかのベッドにふかふかのクッション。その上、ベッドの上部からは天蓋が垂れている。まるで、お城のお姫様が寝るベッドのようだ。
衝撃のあまり混乱する頭を抑え、ジレットは深呼吸をする。
(落ち着いて、わたし……そう、そうよ。ここは、クロード様のいるお屋敷じゃないのだわ)
数回呼吸をし、ジレットはようやく状況を整理できた。
そう。ここは、おそらく城の中なのだ。入った記憶はないが、おそらくは。
ジレットは、少し前に起きた出来事を思い出していた。
***
少し昔の話をしよう。
それは、アシルがクロードの屋敷にやってきた日のことだ。
「お願い、お願いします!! 城に住んでください! じゃないと、いろんな意味でまずいんだ!!」
「ええっと……?」
アシルはジレットとクロードに向けて、そんな一言を言ったのである。
王族が頭を下げているということにも驚いたが、何よりも不思議だったのは「城に住んで欲しい」という言葉である。
(お城に住まなくてはならない事情って、一体……)
ジレットには想像もできない。そのため戸惑うばかりだった。
しかしクロードは少し間を置いてから、アシルに問いかける。
「何があった」
「いや、その、ですね……」
「言わないなら国を出る」
「落ち着こう? ね? 君みたいな優秀な存在を、外に出すわけにはいかないんだよ。国王に怒られるよ。言うから、言うからちょっと待って!」
ジレットは、クロードの言葉に少なからず驚いた。そこまでやることなのかと、そう思ったからである。同時に、ここでの生活に何か不満でもあったのだろうかと不安になってしまった。
彼女の心配をよそに、アシルは目を逸らしながら説明を始める。
「その、ですね……」
「ああ」
「夜会で、一悶着あったじゃないですか。あれ。クロードが切れたやつ……」
「ああ。あったな」
「それがあったせいなのか、はたまた夜会にジレットちゃんを出席させたのが悪かったのか、ジレットちゃんに注目し出した吸血鬼とかがかなりいましてですね……おそらく今日辺りに、吸血鬼たちがこの屋敷にやってきます!!」
「……なるほど。事情はよく分かった」
アシルからの説明を聞き、クロードは頭を抱えていた。
しかしジレットには、どういうことなのかさっぱり分からない。
「ええっと……?」
さらに疑問符を浮かばせていると、クロードが補足してくれた。
「ジレット。どうやら君の存在が、吸血鬼たちに知れ渡っているらしい」
「……ええ!? で、ですが昨日のお話ですよね。そんなに早く行動するのですか……?」
「うん。残念なことに、しちゃうんだよ。吸血鬼だから」
アシルが、困ったように顔を逸らした。どうやら責任を感じているようだ。
一方のクロードは、自身が絡んでいたこともありアシルにさして文句を言わなかった。ただ面倒臭そうに、顔を歪める。
「吸血鬼というのは好奇心で動き回る、タチの悪い存在だ。それが楽しそうなことならなおさら。アシルの言う通り、直ぐにでも動く馬鹿がいるだろう。来るとしたら夜だが、朝から来る馬鹿がいないとは限らないからな。アシルのように」
「……んん、待とう? 僕は馬鹿じゃないよ? 僕は日の下歩く吸血鬼だから来たんだよ!? 一般的な吸血鬼と同じにしないで欲しいね!」
「吸血鬼の性質を色濃く持っておきながら、よくいうものだ」
ふたりの小気味好いやり取りを見ながら、ジレットは納得する。
「では、城に住むというのは緊急措置のようなものなのですか?」
「まあ、そういうことになるね……一応奴らも貴族やってるのが多いから、形式は守るんだ。それに規則を守るほうが、生きていく上で楽しいしね」
「だからと言って、ずっと城に住むわけにもいかない。城にいる期間は、時間稼ぎのようなものだ。他の吸血鬼たちを抑え込むまでのな。だから安心していい、ジレット」
「……はい。ありがとうございます、クロード様」
どうやらクロードは、ジレットの表情を見て不安を察したようだ。その心遣いに、胸がぽっと暖かくなる。クロードはどこまでいっても優しかった。
そうと決まれば、用意をしなくてはならない。ジレットが「用意してきますね!」と立ち上がると、クロードがそれを制した。そしてどこか遠くを見つめ、眉をひそめる。
「……おい、アシル」
「あはは。なんだいクロード」
「馬鹿どもが来たぞ」
「やっぱりかー!! 僕が言うのもなんだけど、暇人だなみんな!!」
「……えっ!?」
どうやら、準備する余裕もないようだ。
どうしたら良いか分からないジレットがわたわたしていると、クロードが手首を掴んで引っ張った。そしてためらうことなく外に出る。
ジレットは短く悲鳴をあげた。
「クロード様!?」
「ジレット、すまない。このまま城へ向かう。しっかり掴まっていてくれ」
「で、ですがお体が……!」
「これくらいならば問題ない。それに相手の条件も同じだ。魔力は普段よりも低くなっている。そんな吸血鬼たちを、魔力を失うことがないアシルが足止めしてくれるんだ。問題ない」
「あれ。もしかして頼りにされてる?」
「こういうときにこそ役に立ってもらわなくては、割に合わないからな」
「ひどいことに変わりはなかった! むしろ安心したけど!!」
そう言いながらも、アシルはとても楽しそうだった。その証拠に、瞳孔が萎縮し、鋭く尖る。瞳がじわりと赤く染まるのを見て、ジレットはアシルも吸血鬼であることを実感した。
アシルが好戦的な態度を取る一方で、クロードは外の明るさに対して眉をひそめている。しかしひそめるだけで、特に口にしたりはしない。
軽々とジレットを横抱きにしたクロードは、ひと蹴りで空に浮かび上がった。
彼はジレットの頭を抱えると、申し訳なさそうに言った。
「ジレット。少し速度を上げる。目を閉じて顔を伏せ、口を閉じていろ。良いな?」
「はい」
短く返事をしたジレットは、きつく目を閉じてクロードの首にすがりつく。誤って振り落とされないようにしなくてはならない。
クロードの体温を直に感じながら。
ジレットは、人生で二度目の対空飛行を味わうことになったのである。




