番外編② 吸血鬼、看病をする
ジレットがクロードに仕え始めてから、一年ほど経ったあたりの出来事。
ジレットが風邪を引いて倒れた。
これはクロードにとって、由々しき事態であった。
なんせ、家事全般はジレットに任せていたからである。最近は彼女に頼りきりだったせいか、それが当たり前になってきていた。
屋敷にいるのがクロードだけならば、別段気にすることもない。一日二日食べずとも、死なないのだから。しかし今は、ジレットもいるのである。
風邪を引いた人間に、何をしたら良いのか。
クロードは、過去人間と暮らした際の記憶を頼りに、活動を始めた。
人間が風邪を引いた際にしなくてはならないこと。それは看病である。
過去病人を世話したことがあるクロードは、そのときの経験を元に薬の調合を始めた。
「風邪に効く薬か……久方ぶりに作るな」
残念なことに、調合は記憶にない。ただ自分自身の性格を理解しているクロードは、紙に記してあるであろうと結論付けた。それと同時に、頭が痛くなる。
「人とはどうして、脆いのか」
吸血鬼のように頑丈であったら、風邪など引かなかったであろう。
しかしジレットが吸血鬼であったら、まずメイドとして雇っていない。クロードは自身が吸血鬼であるにもかかわらず、吸血鬼を毛嫌いしていた。それが、彼が変わり者と揶揄される由縁である。
クロードは、小さく息を吐いた。そしてジレットのことを思い出す。
クロードが彼女を拾ったのは、真夜中のことだった。
社交の場に行くことを拒み続けてきた彼は、普段からそこらへんの人間――人間だったら誰でも良いというわけではなく、悪人――を食事としていた。
クロードの記憶を蝕む害虫と同じ類の人間が殺せるし、彼自身味には頓着しない。つまり、一石二鳥であったのだ。
そのとき殺した人買い。その人買いに買われ王都までやってきたのが、ジレットであった。
他の子どもたちが血相を変えて逃げ出す中、独り逃げ出さなかった変わり者の娘。
ジレットに対するクロードの第一印象は、それである。
そこでふと、ある考えに行き着いたのだ。
わたしの本性を知っても逃げ出さないこの娘ならば、使えるかもしれない。
森の奥に住んでいると、様々な煩わしいことが出てくるのだ。それは買い物や掃除洗濯、薬草や庭の手入れといったものである。そのどれもが朝から昼にかけておこなわなければならないものであり、吸血鬼であるクロードが苦手とする陽光が照りつける時間帯でもあった。
この娘にそれを押し付けることができたならば、生活がぐんっと楽になる。
それと同時に、躊躇もあった。クロードを苛む過去の記憶が、それをさせていた。
そうこう考えているうちに、少女は彼の元へと歩み寄ってきていたらしい。
彼女はクロードのことを見上げると、はっきりとした口調でこう言った。
『わたしのことを、食べるのですか?』
自分の身を投げ出すような。そんなセリフ。それがこの少女の口から吐き出されたのかと思うと、胃の辺りが異様にムカムカとして、苛立ったことをクロードはよく覚えている。
この少女は、捕食対象などではない。
使えるのであれば、メイドとして雇う。ただそれだけだ。
それが、ジレットを雇った理由であった。
そんなことをつらつら考えていると、いつの間にか調合用に使っている部屋に来ていたらしい。彼はその部屋にある本棚へとつま先を向けた。几帳面な彼の性格を反映するかのように、背表紙にはしっかりとタイトルが記載されている。
クロードはそこから『人間の病を治すための薬』と記された本を抜き取り、パラパラとめくった。
調合には、さほど時間がかからなかった。片手間にできるほど慣れきった作業だったからである。
それよりも面倒だったのは、料理だ。
「人間が、風邪のときに食べる料理か」
何かあった気がするが、とても曖昧だ。
曖昧な理由はそれなりに分かっており、思い出したくないからである。しかし思い出さねば、ジレットの体力が戻らない。
クロードは極力思い出したくなかった記憶から目を背け、なんとかレシピを引っ張り出してきた。
「なぜわたしが、人間の娘にここまでしなくてはならないのだ……」
文句とも取れないぼやきが漏れるが、それと同時に自分が、それほどまでにジレットのことを大事に思っていることに気づき、眉をひそめる。機嫌の悪さが態度にも現れてしまい、廊下を歩く足音が普段よりも大きかった。
看病をするのは、彼女が大事なメイドだからだ。
誰に告げるでもなくそう結論づけ、クロードはキッチンに立つ。そして慣れない手つきで、食事を作り始めた。
「なんだったか……パンを小さくちぎってミルクで煮て、砂糖で味付けをするのだったか?」
久方ぶりにキッチンに立ったクロードは、鍋を取り出しパンをちぎる。そこに買ってある牛乳を注ぎ、砂糖を二杯ほど入れた。
これをくたくたになるまで煮込めば、完成である。
出来立てのそれをさらによそい、薬を携え、ジレットの部屋へと向かった。
ベッドの上で横たわるジレットは、苦しそうに息をしていた。しかしクロードが入室してから直ぐに、瞼を持ち上げる。そして主人の存在を認め、か細い悲鳴をあげた。
「あ、く、ろーど、さま……」
「無理して話すな。体に障る」
「です、が……使用人が、主人に世話されるなど……それに、うつして、しまいます……」
息も絶え絶えになりながら、それでも看病されることを拒むジレットに、クロードは呆れてしまった。彼に拾われたときからそうだったが、彼女はクロードに対してどこか、不思議な態度をとる。使用人としてならば合格も合格。その忠誠心を高く評価されたであろう。
しかし今は、緊急事態なのだ。そんなことを言っていられない。
「我ら吸血鬼は、風邪など引かない。よって移るということはないのだ。それにわたし以外で、誰が君の看病をする?
人間は脆いのだから、体調が悪いときはおとなしく主人の厚意に甘えなさい」
「……はい。ありがとうございます……」
そこまで言えば、ジレットはようやくおとなしくなった。
それに満足したクロードは、ジレットの背中に手を差し入れ起き上がらせる。そして、彼女が辛くないようにとクッションを重ねてもたれられるようにした。そして、持ってきたパン粥をジレットに差し出す。
「食事を作ってきたから、温かいうちに食べなさい」
「あう、く、クロードさまがおつくりになられた……おそれおおいです……」
「食べなさい。これは命令だ」
「……はい」
萎縮するジレットに食べるように命じれば、彼女は恐る恐るスプーンを持った。
そしてパン粥を口に含み、表情をほころばせる。
「おいしい、です……」
「そう、か」
無防備な笑みを見て、クロードはぴくりと体を震わせた。妙に胸がときめいてしまったからだ。
そう意識すれば、今まで気にならなかったことにまで気がついてしまう。
頬を上気させ美味しそうに粥を頬張る姿は、どこか扇情的であり愛らしい。
寝間着から覗く白い肌、少しはだけた胸元。寝癖のついた髪。
そのどれもが、普段のジレットならば絶対に見られないことばかりで。
なんだか落ち着かなくなる。
なぜこんなにも意識してしまうのか、クロードにも分からなかった。同族や異性から誘惑されたことがあっても、まったく見向きもしなかったのに。特に意識しているわけでもない病人に、ここまでざわつくなど。
変な気を起こす前に、一刻も早く立ち去らなくては。
そう思いながら、クロードはジレットが食べ終わるのを待っていた。
作った薬を飲ませ、汗をかいていた体を拭き、着ていた衣服を魔法で清潔にした後、クロードは使い終わったものを持って部屋から退出する。
ジレットの部屋の扉を閉めたクロードは、その場にずるずると座り込んだ。
心臓がうるさいくらい鳴っている。しばらくおさまりそうにない。
「この感情は、一体なんなんだ……」
そう嘆き、頭を抱える。
どうにも動く気にならない。それは、扉一枚を隔てた先にいるジレットの体調が、心配だからだ。
ジレットに対する思いは自覚したくないが、彼女のそばを離れることは躊躇う。そんな相反する思いを抱えながら、クロードは深く息を吐き出す。
――その感情が恋だとクロードが自覚するのは、もう少し先の話である。




