そしてまた始まる一日
そしてまた、メイドの一日が始まる。
ジレットは、春先よりも日が出るのが早くなったことを肌で感じながら、庭の手入れをしていた。
薔薇がみずみずしく咲いている。朝露が乗ったそれは、朝日を浴びてキラキラしていた。
「今日の夜はまた、クロード様とお茶会を開かなくては」
そこでジレットは「アシル様も呼んだら、もっと楽しいかしら?」と首をかしげた。
「アシル様はクロード様の友人であられるし……」
「うんうん。そうなんだよ。クロードは絶対に認めないけどね!」
「そうなんですか……って、ええ!?」
しかしすぐそばにアシルがいることに気づき、ジレットはすっときょんな声を上げた。
一方のアシルはというと、朝から爽やかな笑顔を浮かべている。吸血鬼に似合わない陽光が、背後から差していた。
「おはよう、ジレットちゃん! 早起きだね〜」
「お、おはようございます、アシル様……アシル様こそ、お早いのですね?」
「あはは。僕たちは別に、毎日寝なくちゃいけないわけじゃないからね」
そういう問題では、ないのだけれど。
そう心の中で思ったが、口には出さないでおく。
そのためジレットは、曖昧な笑みを浮かべた。
「クロード様にご用ですか?」
「まあ、そんなところ。あと、ジレットちゃんとクロードが上手くいったかどうかってことを聞きたくって、ね?」
アシルが楽しそうに笑うのを見て、ジレットは首をかしげる。
(ど、どういうことかしら……)
仲直りをしたという点のことを言ったのであれば、見事仲直りをした。これからもずっと、メイドとして働いていくことも決まった。
しかしアシルの口ぶりからすると、そう言いたいわけではないようだ。
ジレットが困惑したまま俯いていると、気だるげな声が空から降ってきた。
「……お前はなんなんだ。暇人なのか?」
「……く、クロード様!?」
上を見れば、なんとそこにはクロードがいた。彼は窓から顔を覗かせ、眉をひそめている。顔を手で隠してはいるものの、陽光に対する嫌悪感はなくならないようだった。
それを見たジレットは、以前言われたことを思い出す。
(た、確か一般的な吸血鬼は、陽光に当たると魔力が落ちるのよね……?)
さぁ、と血の気が引いていく。
ジレットは壊れた人形のように首を横に振った。
「く、クロード様! お願い致します窓を閉めてくださいませ……!
一階はすぐに片付けますので、そのあとにいらしてください!!」
「やだなぁ、ジレットちゃん。そんなに焦らなくてもいいんだよ? 苦手なだけで、別に死ぬわけじゃないんだから」
「そ、そういう問題ではありません!!」
ジレットは涙目になりながら、庭仕事を放棄し一階の窓を閉めに走った。その後ろ姿を追って、アシルが屋敷に入ってくる。しかしそんなことを気にかける暇すらなかった。
全ての窓とカーテンを閉め終わり、ジレットはクロードを呼ぶ。彼は苦笑しながら下の階に降りてきた。
「すまない、ジレット」
「い、いえ……むしろ、わたしの寿命が縮みます」
そう言うと、クロードは真顔になった。
「それは困るな」
「えっ」
「ジレットは、わたしのメイドなのだろう? ならば長生きしてもらわなくては」
「そ、そうですね……が、頑張りますっ」
「……君たち、僕がいること忘れてないよね?」
その一連のやりとりを見ていたアシルが、ため息を漏らした。
ジレットは慌てて首を横に振る。
「わ、忘れてなど!!」
「いや、まあ良いけどさ。こんな時間に来た僕も悪いしね」
「まったくだ。この非常識が」
「朝から当たりが強い! 機嫌悪すぎでしょクロード!」
「朝からお前の顔を見るわたしの身にもなれ」
「ひどすぎる……!」
クロードとアシルによる口論に朝から和んだジレットは、お茶の準備を始めた。ついでに朝食はどうかと問えば、アシルは「ジレットちゃんの手料理!
食べたい!」と騒ぎ出す。それに対しクロードは「作らないで良いぞ」と真顔で言っていた。
(本当に仲が良いのね)
ジレットはこのやりとりを眺め、微笑む。そして朝食の支度を始めた。
野菜とハーブを取りに外へ行き、戻ってくる。そしてまた水を汲みに井戸へ行った。
彼女がせっせと働いている間、ふたりはリビングのテーブルに座っている。再び戻ってきたとき、ふたりは何やら話をしていた。
「ところで、どうなの」
「何がだ」
「進展したのかどうかだよ!」
「彼女のほうが自覚していないから、していないんだろうな」
「ええ!?」
なんの話だろうか。
そう疑問を浮かべながらも、ジレットは野菜を洗い刻んでから、スープを作る。
ジレットが戻ってきてからも、ふたりの会話は続いていた。
「クロードもクロードだよ! もっと押せ押せで行けよこの僕がお膳立てしたんだから!!」
「何を言っているだお前」
「えー」
「まだまだ時間はあるのだし、気長に落としていくのも楽しいだろう?」
「……ごめん。なんか色々とごめん。僕君のこと誤解してた。僕が考えていたより、かなりたち悪かったよ。ニュアンスから漂うこの怪しさ。びっくりした。ほんとごめん」
「謝るな気持ちが悪い」
「ひどくない!?」
ジレットはスープを煮込みながら、首をかしげた。
(落とすとか、たちが悪いとか。どういうお話をしているのかしら……?)
ジレットにはさっぱり分からない。分からないが、なんだか楽しそうなので良いことにした。
それに、クロード以外と食事を共にすることは初めてであった。両親とすらない。
ゆえにジレットは今とても、ワクワクしていた。
(美味しい料理を作らなきゃ!)
そしてジレットは、腕によりをかけた料理を出した。
たっぷり野菜のスープと、ふわふわとろとろのオムレツだ。
するとアシルは感動する。
「おお……食事ってあんまり好んで食べないけど、これは美味しそう」
「……そうなんですか?」
「うん。吸血鬼だから、やっぱり主食は血だよ。いやでも、僕以外の王族は食べるの好きだなーだから無駄に食事法が発展しちゃって……」
「吸血鬼には意外と、美食家が多いからな。仕方ない」
へえ、とジレットは頷く。吸血鬼がこんなところでも絡んできているとは、驚きである。
アシルはジレットの作ったオムレツを口に含むと、幸せそうに頬を緩める。
「うわ、なんだこれ。すごく美味しい。僕これから毎日ここでご飯食べようかな。いやいっそのこと、ここで暮らそうかなっ!」
「本気で言っているのであれば、今すぐ外に放り出す」
「怖い。怖いよ。冗談だよ」
ジレットはそれに思わず笑った。
普段の食卓にはない、笑い声が響く。それが意外と心地よくて、不思議だった。
クロードはジレットの作った朝食を綺麗に平らげると、アシルを半眼で見た。
「で。今日はなんの用だ。こんな朝早くに押しかけたのだから、それ相応の理由なのだろう?」
「あ、うん。そうなんだよ」
アシルはフォークをテーブルに置くと、背筋をピンッと伸ばして真面目な顔になる。
彼が真面目な顔になると、なぜだかとても違和感を感じた。一国の王子に対して失礼なのは分かるが、普段のおちゃらけた態度を見ているとどうにも気になるのである。
(見目麗しいしお優しい方なのに、なんていうかこう……残念だわ)
そんなジレットの心情などつゆ知らず。アシルは口を開く。
「君たちさ……しばらく、うちの城に住まない?」
「……は?」
されどアシルの口から発せられたのは、思いもよらないことで。
クロードが嫌な顔をする。
するとアシルが、勢い良く頭をさげた。
「というか、お願い、お願いします!! 城に住んでください! じゃないと、いろんな意味でまずいんだ!!」
「ええっと……?」
ジレットとクロードは顔を見合わせ、首をかしげる。
されど続いてアシルから放たれた言葉に、ふたりはそろって瞠目するしかなかった。
いつも通り始まるかと思った朝。
それはこのような形で、ゆっくりと崩れていく。
それをきっかけに様々な波乱に巻き込まれることを、このときのジレットには想像もできなかった――




