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わたしは吸血鬼様の非常食  作者: しきみ彰
第一部 メイドは主人を敬愛する
22/45

これからも、そばに

 景色がみるみると流れ、気づいたら屋敷へと戻ってきていた。

 クロードは庭に着地すると、そっとジレットを下ろしてくれる。

 彼女はつま先を地面に付けると、クロードに向かって頭を下げた。


「ありがとうございました、クロード様」

「いや。むしろ気持ち悪くなったりしなかったか?」

「はい、大丈夫です。とても気持ちが良いのですね、空は」

「そうか。なら、良かった」


 そこで、沈黙が落ちた。

 すっかり満開になった薔薇の花が、月夜を浴びて優しく揺れている。その中に佇むクロードは、まるで一枚の絵のようであった。


(もう少し。もう少し……このままでいたい)


 それに、渡したいものもあるのだ。

 しかしそれがなんとなく言い出せず、ジレットはまごつく。ぎゅっと袋を抱き締めた。

 そんなときである。


「ジレット」


 クロードが、口を開いた。

 ジレットは顔を上げる。彼はとても真剣な顔をして、ジレットのことを見つめていた。


「あらためて、言わせて欲しい。あのときは本当にすまなかった。わたしは自分のことでいっぱいいっぱいで、君の気持ちを考える余裕などなかったんだ。それがどれほどまでに愚かなことか、知りもせず」


 ジレットはそれを聞き、唇をわななかせる。


 良いんです、わたしは大丈夫でしたから。

 そう言おうとして、言えなかった。


(だって……だって、大丈夫なんかじゃ、なかったもの)


 ジレットだけが無理矢理同じ生活をしようとしても、決して同じにはならない。それを思い知った瞬間だった。


 この世で最も敬い尊ぶ存在が、消えてしまったのである。そのつらさは、今でも胸を突き刺してくる。


 痛かった。つらかった。怖かった。

 ただ、ひたすらに。


 クロードが二度と出てこないのではないかと、そんなことを思って。そしてそれを思っている自分が嫌で、仕方なかった。

 そしてその気持ちをここで口にしなくては、意味がないと思ったのだ。彼がわざわざ謝罪をしたのは、ジレットと対等であろうとしてくれている。そういう意味なのだから。


 ゆえにジレットは、涙をこらえて笑みを浮かべる。


「わたし、は。あの日クロード様に拒絶されて。とても、つらかったです。怖かった、です。あなた様に捨てられるのではないかと。いらないと言われるのではないかと。そう考えて、そんなことはないと考えて、それが何日も何日も、続いて。……とて、も、苦しかったです……っ」

「ああ。……こんな言葉じゃ気休めにもならないかもしれないが、本当にすまなかった」

「本当、ですよ。怖かったん、ですから……!」


 ジレットはこのときはじめて、クロードに対して文句を言った。

 しかしクロードから感じたのは恐れていたような態度ではなく、とても優しい笑み。


「言葉だけじゃなく、これからは行動で表すようにする。ゆえにわたしは、これから決して君をそばに置き続けることで、それを証明したいと思う」

「……本当、ですか? 決して手放さないと。そう、誓ってくださいますか?」

「ああ」


 ジレットは思わず、笑ってしまった。


(本当に、お優しい方。先ほどお城でだって言ってくださったのに……屋敷に戻ってからも、そう言ってくださるだなんて)


 律儀なクロードのことだ。城でのやり取りなど、謝罪にカウントしていないのだろう。

 それがおかしくて、でも嬉しくて。ジレットは声を上げて笑ってしまう。

 クロードが少し困った顔をしているのが、またおかしかった。


「ありがとうございます、クロード様。わたしを気遣ってくださって」

「何を言っているんだ。当然のことだろう?」

「ふふふ。それを当然の一言で済ませてしまうところが、クロード様なのだと思います」


 ジレットはそう言ってから、少しばかり意地悪をしたくなった。ゆえにクロードに「少し、目を閉じていていただけますか?」と言う。

 クロードは驚いた顔をしていたが、どうやら叩かれるのではないかと思ったらしい。潔く目を閉じてくれた。


(本当に、素敵な方)


 だからこんなにも、心が惹かれてしまうのだ。


 そんなことを思いながら、ジレットは袋の中をあさり始めた。渡すなら今しかないと、そう思ったからである。


(赤と青。どちらが良いかしら)


 一瞬迷ったが、直ぐに赤いほうにしようと決める。

 理由は、夜だからだ。夜は吸血鬼の時間。だからこそ、彼本来の色を灯した髪紐にしようとそう思った。


 ジレットはクロードに近づくと、その髪をそっと手に取る。そして今結んである紐を外し、手作りの赤い紐を結んだ。結び方は、悪戯の意味を込めてリボン結びにしてある。

 しかし結んでみると予想以上に馴染んでしまい、声を上げて笑ってしまった。


 何が起きているのか分かっていないクロードが、眉をひそめるのが見て取れた。

 ジレットはくすくすと笑いながら言う。


「クロード様。目を開けてください」

「……何をしたんだ、ジレット」

「ふふふ。……わたしからの、ささやかなプレゼントです」


 手作りなので不恰好ですが、付けていただけたらと。


 そう締めくくり一歩引くと、無性に恥ずかしくなってきた。


(大して上手くできていないから、余計に恥ずかしいわ……でも渡せるものなんて、これくらいしかないし)


 そう頭の中でぐるぐると考えていると、クロードが恐る恐る瞼を開く。

 そして自身の髪を見ると、目を見開いた。


「……髪、紐?」

「はい。青いものも作りました」

「わたしのために、作ってくれたのか?」

「もちろん。このネックレスのお礼、なんて言ったらおこがましいですが……」


 クロードは髪紐に触れると、破顔する。


「いや、とても嬉しい。ありがとう、ジレット」

「そう言ってもらえると、わたしも嬉しいです」


 ジレットはクロードの言葉を聞き、満面の笑みを浮かべた。そしてゆっくりと口を開く。


「クロード様。これからもどうか、わたしをメイドとして(・・・・・・)おそばに置いてください。お願いいたします」


 そう言い終えてから、深々と頭を下げた。

 少しの間、沈黙が落ちる。

 しかし直ぐにクロードの笑い声が響き、ジレットは困惑したまま顔を上げた。


 するとなんということだろうか。あのクロードが、腹を抱えて笑っているではないか!


 ジレットは見たことのない姿に、ポカーンとしてしまった。


(あ、あのクロード様が、こんなにも笑うだなんて……わたし、何か変なことを言ったかしら?)


 しかし考えたところで、答えなど出ない。途方に暮れた。


「わ、わたし、何か変なことを言ってしまいましたか……?」


 ジレットは意を決して疑問を投げかける。

 先ほどアシルといたときも、同じようなことを思った気がする。どうやらジレットは、そういう面があるようだ。


 それと同時に、思わず聞いてしまうくらいに、彼女は困惑している。

 されどクロードは顔を横に振り、口を開く。


「いや。ジレットらしいと、そう思っただけだよ」

「わ、わたしらしいですか」

「ああ。まったく。君はどうしてそんなに、わたしの予想に反することばかりしてくれるんだ」

「そんなこと言われましても……」


 身に覚えのない言いように、ジレットは釈然としない心持ちになる。

 だがクロードの新たな一面を見れたのだから、ある意味良かったのではないかと思い始めた。


(そう、そうよ……こんなにも笑われるクロード様はとても珍しいのだから、しっかり記憶に刻んでおかなくては……!)


 そもそもクロードは、あまり笑わない。微笑んだりすることは多いが、声をあげて笑うところなど今日初めて見た。

 そう考えると、今回の件はとても良いことのように思えてくる。


(というより、色々なことはあったけどその分クロード様の美しい姿を見れたのだから、割には合っているわよね。やだ、わたしって幸せ者だわっ!)


 ジレットがひとり脳内ではしゃいでいるとき、クロードがぽつりとつぶやく。


「どうやったら自覚してくれるのか。どれくらい時間をかけたら本当の意味で落ちてくれるのか。考えただけで楽しいよ。……君は本当に、わたしを飽きさせない」


 そんな不穏な宣言は残念なことに、ジレットの耳には届いていなかった。

 現実に戻ってきた彼女は、ハッとした表情を浮かべ慌てる。


「な、何かおっしゃられましたか?」


 しかしクロードはくすりと笑い、


「いや、大したことじゃない」


 そう言った。

 ジレットは首をかしげる。

 されどその疑問は、クロードの行動により吹き飛んでしまった。

 彼は右手を胸元に当てると、腰を折ったのである。それはまるで、王子様がお姫様をダンスに誘うときのワンシーンのようであった。


(こ、これは、どういうことなのかしら……)


 何をしたら良いのか分からず困っていると、クロードは片手を差し出し言う。


「お手をどうぞ、お嬢さん。屋敷に戻りましょうか」

「あ……」


 ジレットはそのとき、自身の姿を見返した。


 ミントグリーンのドレス。


 それを身にまとった自分は今、お嬢さんと言われても問題のない見た目をしている。

 クロードが「もう少しだけ浸っていたい」というジレットの気持ちを汲んでくれたのだと気づき、パッと表情を明るくさせた。


 ジレットは頬を赤らめつつ、手を伸ばす。


「……はい」


 差し出された手を取ると、クロードはジレットのことをエスコートしてくれた。

 そのエスコートはとても紳士的で、余計に嬉しくなってきてしまう。


「言えていなかったが。とても綺麗だよ、ジレット」

「……ッッ!! こ、このタイミングで言うなんて、クロード様は、ずるいですっ!」

「事実を言ったまでだが」

「〜〜〜〜っ! も、もうっ!!」


 そんなやり取りでさえ、楽しくて仕方がない。

 胸は幸福感でいっぱいだった。


 胸のドキドキも。頬の火照りも。しばらくおさまりそうにない。


 ふたつの影は繋がったまま、屋敷の中へと入っていく。


 空で煌々と輝く月だけが、その様子を見守っていた――

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