縮まる距離
ジレットとクロードが通されたのは、先ほどの客間とは違いもう少し落ち着いた部屋だった。
照明も派手ではなく、調度品の質も先ほどよりは落ちる。しかし質が悪いというわけではなく、普通よりは明らかに上等だ。どことなく、洗練された美を感じる。
(なんていうのかしら。こう、クロード様の屋敷を彷彿とさせるわ……)
ジレットがそんなことを思っていると、クロードが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「この部屋、まさか……」
「うん、そう。クロードが数十年前まで使ってた部屋だよ。前はクロード、うちに居候してたからさー。ちゃんと保管しておいたんだから、もっと褒めて!」
「誰が褒めるかとっとと変えろ」
「ひどい!」
アシルとのやり取りにひっそりと笑いながら、ジレットはひとり納得していた。
(クロード様が暮らしていた場所なのね)
それならば、既視感を抱いた理由も説明がつく。
ジレットはクロードの隣りに腰掛け、アシルはその向かい側に座った。
するとアシルは、先程までとは違いひどく真面目な顔をする。
「さて、と。こうして、静かなところに来たわけだけど。――まず、ジレットちゃん。本当にごめん。君を振り回してしまったね」
「え……」
そしてアシルは、頭を下げて謝った。
ジレットは驚きのあまり、あんぐりと口を開けてしまう。
するとアシルは苦笑した。
「あの男がジレットちゃんに絡んだ件は本当に、予想外の出来事だったんだ。そのせいで君を怯えさせてしまった。同類として恥ずかしいよ、本当に」
「い、いえ……大丈夫です。気にしないでください」
そう言いながらも、ジレットは掴まれた手首をさする。あのときの感触が生々しく蘇ったのだ。
それに目ざとく気づいたクロードは、ジレットの手をそっと握ってくれた。
それだけなのに心がゆっくりと落ち着いていくのだから、不思議なものだ。
クロードはジレットの手を握ったまま、怪訝な顔を浮かべた。
「わたしが来なかったら、どうするつもりだったんだお前は」
「もっちろん僕が止めたよ? 夜会は楽しむ場であって、女漁りをする場でも血を吸う場でもないし。僕、ああいうタイプの吸血鬼とは嗜好が合わないからさ。それに、クロードはくるって思ってたし」
「なんだその信頼は」
「ええーあったりまえじゃんー」
アシルはそんな風に茶化しながらも「あの男は向こう何年か地方に飛ばすことにしたから、ジレットちゃんが今後出会うことはないよ」と笑った。それを聞き、ジレットは色々な意味で不安になる。
(何かしら、この……不穏な感じは)
が、相手は正真正銘王族である。その権力は絶大だ。ジレットはおとなしく、口をつぐんだ。
アシルはケラケラと笑いながら告げる。
「さーて。ここからが本題。クロード、ジレットちゃんにちゃんと、僕らのことを教えてあげてよ」
「……それだけのために呼んだのかお前は」
「もっちろん。僕たち王族の行動に、尊大な意味があると思ったら大間違いだよ!」
「最悪だな」
「最高の間違いでしょー?」
クロードとアシル。双方による、テンポの良い会話は続いていく。
ジレットはそれを見てひっそりと思った。
(やっぱり、息がぴったり。長年の友人って感じだわ)
クロードからすれば、不本意極まりない評価である。
しかし思ってしまったのだから仕方がない。
(アシル様と話しているクロード様って、わたしと一緒にいるときとは違う顔をするのね)
その変化が楽しく、ジレットは聞き手に回っていた。
一方のクロードは、アシルからの追及に耐えかねてはあ、とため息を漏らす。そしてジレットを見た。
「……ジレット。君は、わたしたちについて知りたいか?」
「はい、知りたいです。クロード様のことなら、どんなことだって」
「……そう、か……」
アシルが楽しそうににまにまし始めた。クロードはそれを視線のみで黙らせ、再びため息を吐く。
「……わたしたち吸血鬼は古くから、この国を支えてきた種族だ。ゆえに貴族や魔術師と呼ばれる者の大半が吸血鬼。貴族の人間はむしろ少ない」
「そうだね〜。で、僕ら王族はそんな吸血鬼の中でも日の下歩く吸血鬼って呼ばれている、日の下を歩ける特殊な吸血鬼ってわけ」
「話したと思うが、吸血鬼は闇の生き物なんだ。ゆえに日の下では魔力が落ちる。だが憎たらしいことに、このアホはそれがない。だから王族なんてご大層な位置にいるんだ」
クロードが、アシルに向けて胡乱な眼差しを向ける。それを受けたアシルは、満面の笑みを浮かべていた。表情だけで「僕、すごいでしょう?」という声が聞こえるようである。
ジレットはくすくすと笑いながら頷いた。
「はい、お聞きしました。……アシル様って、本当にすごい方だったんですね」
「……んんっ? その評価、ちょっとひどくない!? なに、なんなの、クロードに似過ぎだよジレットちゃん!!」
「え? いやだって、その、途中まで王族かどうかも、半信半疑でしたから……」
「ひどい! 数十年前まで、国王だってやってたのに!!」
「えっ」
アシルの口からこぼれる衝撃的な真実に、ジレットは目を見開く。
それにクロードは、呆れた顔を浮かべる。
「ジレット。吸血鬼は不老不死なんだ。そして見た目を簡単に変えられる。王族というのはその特性を利用し、同じ者たちが統治をしているんだ。こいつは確かに態度や趣向はあれだが、かなり優秀な王族だぞ」
「そうなんですね。失礼しましたアシル様」
「ジレットちゃんって、クロードが絡むと態度一変するね……そしてクロードが珍しく褒めてくれた。やばい嬉しい!」
アシルが楽しそうにはしゃぐのを、クロードは半眼で眺めている。敬う気はさらさらないようだ。
それに対しアシルが抗議の声をあげる。
「ちょっとなにさー。この国のルールを決めたのも、それを吸血鬼たちに納得してもらえるように説得したのも、僕らだよ? それがなかったら四百年前と変わらず、人間を家畜としてしか見ない吸血鬼ばかりだったんだから、もうちょっと敬っても良いと思うんだけど?」
「はいはい分かった、うるさい」
「なげやり!」
ジレットはそれらのやり取りと今までのやり取りを見て、吸血鬼に対する認識をあらためた。
(吸血鬼という存在は、この国の根っこなのね)
吸血鬼がいたからこそ、この国はここまで発展してきたのだろう。そして彼らは未だひっそりと、しかし確かに国を支えている。
ジレットはそこへ来てようやく、自分の考えの浅はかさに気づいた。このままクロードと再び生活を始めても、前進することはなかったであろう。
(アシル様がこういう場を作ってくださったのは、このためなのかしら?)
なんでも分かっているようで、何を考えているのか分からない。アシルはそんな吸血鬼である。
しかし彼がとても優しい吸血鬼だということは分かった。
ジレットは思わずぽろりとこぼしてしまう。
「アシル様は、人間思いの素敵な方なのですね。王族としての誇りを、しっかりと持っている方なのだと。そう感じました」
思ったことを何気なく言っただけだったのだが。
アシルはジレットの言葉に、ひどく反応した。
焦っているのか、あわあわとしている。確実に動揺していた。顔が少し赤いのが見て取れる。
するとクロードがひっそりと笑う。
「お前、取り乱し過ぎだろう」
「い、いや、だってさ……っ! もうやだこの子すごいね!? クロードがそばにおこうと決めた理由も分かるってもんだよ!!」
最後のほうは投げやり気味になりながら、アシルは言う。
そんな様子を見てジレットは「悪いことをしてしまったかしら……」と不安になった。そんな彼女の頭を、クロードは撫でる。そして「事実を言っただけなのだから、気にするな」と言ってくれた。ジレットの心が軽くなる。
しかしそのやり取りで、アシルは調子が狂ってしまったらしい。
彼はああだこうだ言いながら、頭を抱えていた。
「ああ、僕としたことが……こんなにダメージ負うとか、想定してなかった……」
「もう面倒臭いから、帰っていいか?」
「友人に対する態度じゃない!!」
「このままここにいたとしても、お前が回復しないだろう」
「くっ……! じゃあまた今度ね! クロードはそういう説明が雑だから、すごく不安!」
「お前本当に面倒臭いやつだな」
そんなやり取りを終え、ジレットとクロードは帰路に着くことになった。
ドレスはそのままである。アシルが「絶対に着て帰って!」と熱弁したのもあるが、ジレット自身も少しでも長く、今の気持ちを味わっていたかったからのである。
ここに来る前に持っていた荷物は、帰る際にすべて返してもらった。
ジレットはクロードに横抱きにされながら、空を飛ぶ。
クロードの背中からこうもりのような羽根が生えたのを見つめながら、ジレットは心地良い風に吹かれる。そしてぽつりとこぼした。
「今日少しだけ、クロード様に近づけた気がしました」
「……それは、先ほどの話を聞いてか?」
「はい。わたしの中で吸血鬼というのは、クロード様だけだったのです。ですからなんだか、とても遠い存在だと思っていました。こんなにも近くにいたのに」
ジレットは目を細め、袋を抱き締めた。
するとクロードは、少し考えるそぶりを見せる。
「そうか。……これからは、もう少し話すようにする」
「はい」
「だからジレット。君のことも教えてくれ」
「……わたし、ですか?」
しかしクロードの口から出てきたのは、予想もしていない言葉だった。
ジレットはたじろぐ。
するとクロードは、悪戯っぽく笑った。
「わたしのことが知りたいのだろう? ならばわたしが君のことを知りたいと思うことは別に、間違っていないはずだ」
「そ、そう、ですが……」
ジレットは困惑した。されどクロードからそこまで言われてしまったのであれば、断る理由が見つからない。
彼女はこくりと頷く。
「わかり、ました。あまり、面白くないと思いますが……」
「そんなものだろう」
クロードはそんな風に言ってくれる。ジレットはそれを聞き、ホッとした。自分の過去はあまり、綺麗なものではなかったからである。
だが、クロードがジレットに対して興味を持ってくれたことは、とても嬉しかった。
そんな気持ちを抱えたまま、ふたりは街の外れにある森にへと帰っていく。
ジレットは再度、袋を抱き締めた。




