夜会にて一波乱
風呂に入れられてからは、散々だった。
メイドたちに体の隅々まで洗われたのだ。半泣きになりながら「自分で洗うから」と言っても、彼女たちが辞めてくれることはなかった。
髪や体にオイルを塗られ、風と火の魔術で髪を乾かされる。そんな高等技術に感心する間もない。
メイクを施されながら髪をいじられ、重たい装飾品をいくつも付けられた。頭はすでにとても重たい。
ジレットはクロードが嫌うためメイクなどあまりしない。そのため、顔に異物が付いているような感覚がとても嫌だった。
慣れないことばかりをされたせいか、体力があるはずなのにひどい倦怠感を感じる。ダメージが大きいのは主に、メンタル面だった。
それだけで十分なのに、そこから着替えが始まるのである。
コルセットを締められ、パニエをはかされ、裾が床につくほど長いドレスを着せられたのだから大変だ。靴もヒールが高く、慣れない。歩くのにも気合を入れなくてはならないのである。
(き、貴族の方々って、本当に大変なのね……)
すべての支度が整った後、ジレットはしみじみと思う。慣れていないせいもあってか、支度だけで疲れきってしまった。
しかしメイドたちは容赦なくジレットを立たせると、隣りの部屋にいるアシルのもとへ連れて行く。
どうやら数時間ずっと待っていたらしいアシルは、ジレットの姿に気づくとパッと表情を明るくした。
「ジレットちゃん、すごく綺麗だよ!! こんなにも綺麗になるなんて……注目を集めちゃうなぁ」
「……なぜそんなにも嬉しそうなのですか……」
「そりゃあ嬉しいでしょ。ドレスも靴もぴったりみたいだし、僕の見立ては間違ってなかったってことだもん。やっだなー。クロードに嫉妬されちゃうかも! ……いや、シャレにならないわ」
アシルが何やらブツブツ言っているが、ジレットには大半の言葉が理解できない。
ジレットはあらためて、自身の姿を見た。
髪型はとても凝っており、白のリボンとともに編み込まれ高い位置でまとめられている。そこに付けられているのは、パールが散りばめられた髪飾りだ。
それに合わせてメイクもあまり濃くなく、さっぱりとしたものになっている。
ドレスは初夏らしく、涼しげなミントグリーン色をしていた。前よりも後ろのほうに、生地が流れているデザインである。
前面はさほど派手ではないが、背中が大胆に開いている。腰にはドレスと同色の布とレースを組み合わせて作られた、薔薇の花が咲いていた。手にはレースの手袋がはめられている。
ジレットの胸元には、クロードからもらったネックレスがきらめいていた。
靴もミントグリーンのピンヒールで、縁には数粒パールが付いている。
頭のてっぺんからつま先まで整えられた姿は、童話から出てきたお姫様ようだ。
(わたしじゃないみたい……)
自身の姿を見返し、ジレットは思う。
しかし同時に、この姿で夜会に参加することへの気おくれもあった。ジレットは貴族ではないのである。
アシルが瞳を輝かせ「やばい、これはやばいぞ」とテンションを上げているが、やはり言っておかなければならない。そう思い、ジレットは薄く口紅が引かれた唇を開く。
「アシル様」
「ん? どうかした?」
「やはりわたしは、貴族ではありませんし……参加する権利など、ないと思うのです」
ジレットが申し訳なさそうにそう言うと、アシルはキョトンとした顔をした。
「え、なに言ってるの。第三王子たる僕が招待したんだよ? 参加していいに決まってるじゃないか」
「……えっ」
「それに周りだって人外ばっかりなんだから、そんな細かいこと気にしないよ。ジレットちゃんは違う意味で注目されちゃうと思うけど」
アシルのルーズさに、ジレットはあんぐりする。
(もしかしてクロード様って……吸血鬼の中じゃとても珍しい類の方なの……?)
そんなジレットの気持ちを代弁するかのように、アシルが笑顔で頷いた。
「うんうん。クロードは、吸血鬼にしては堅物で真面目だから。……でもすごく優しくて繊細なやつだから、見捨てないでやってほしいな」
アシルにそう言われ、ジレットは納得すると同時に首をかしげる。
(わたしがクロード様を見捨てる? わたしが、見捨てられるのではなく?)
クロードのことを見捨てるなど、考えたことがなかった。クロードが望むならば、これからも仕え続けることができると、勝手に思っていた。
「わたしがクロード様を見捨てることはないです」
気持ちをそのまま口にすれば、アシルが瞠目した。しかしそれも一瞬で、彼はすぐにケラケラと笑い出す。
「そっか……クロードみたいなのには、君みたいな子がいいのかもしれないね」
さあ、行こうか?
そうアシルに言われ。
ジレットは夜会の会場へと向かった。
アシルに軽いノリで、会場に連れ出されたのはいいものの。
ジレットの中身はやはり、庶民であった。
そのため彼女は会場の端っこに佇み、皿に盛った食事をちまちまと食べている。
肝心のアシルは、会場に入る前まで共にいたが、それからは見かけていなかった。
王族とともにいる方が目立つため、ジレットとしては万々歳である。
会場に入ったときから、ジレットは緊張し続けていた。
五百人はいるであろう会場はそれでも余裕があり、ピカピカに磨かれた床が美しい。
先ほどまでいた部屋とは比べ物にならないほど大きなシャンデリアが天井から吊り下がり、キラキラと輝いていた。
会場には楽団が奏でる美しい演奏が流れ、客を耳まで楽しませる。初めてそれを聞くジレットでさえ、音色にうっとりした。
またそこにいる貴族たちも皆美しく、目が痛い。思い思いのドレスに身を包んだ夫人や令嬢たちは、ひとまとまりになり談笑を楽しんでいた。礼服を身にまとった男たちも、会話を楽しんでいる。
彼らの視線が時々ちらちらとジレットのほうに向き、彼女は身を震わせた。
(話しかけないで、話しかけられたら絶対に受け答えできない……!)
そうなると必然的に、食事に手をつけることになる。しかしコルセットで締められた腹部がきつくなるため、あまり食べられなかった。
ジレットがテーブルに皿を置いたところで、タイミング良く男が声をかけてくる。ジレットは内心悲鳴を上げた。
「ごきげんよう、麗しいお嬢さん」
「ご、ごきげんよう……」
なんとか挨拶らしきものは口に出せたが、緊張のあまり頭は真っ白だ。人と話す機会があまりなかったせいか、こういう場面での乗り切り方をジレットは知らなかった。
そうでなくとも、気後れしてしまう世界に庶民が飛び込んだのである。緊張しないわけがない。
そして男のほうも、そんなジレットを逃す気はさらさらなかった。
「お嬢さん、夜会ははじめてですか?」
「は、はい……」
「なんと、あなたのような美しい女性が、それではいけない。見たところパートナーの方もいないようですし、もしよろしければエスコートさせていただけませんか?」
「え、エスコートですか……っ? い、いえ、あの……共に来た方を、待っているのです、お気遣いなく……」
なんとか断りの言葉を絞り出したが、男は諦めない。ジレットはそれが恐ろしくてたまらなかった。
(お、男の人って、こんなにも怖いの……?)
クロードはいつだって紳士的に行動してくれた。時々吸血鬼らしい、常識から外れた行動をすることもあったが、許容できる範囲である。
しかし目の前にいるこの男は、ジレットのことを逃すまいと彼女のことを囲ってきていた。じわじわと、胸の内側から嫌悪感が首をもたげる。
笑顔がこんなにも怖いことを、ジレットははじめて知った。これならば、アシルの胡散臭い笑みを見ている方が百倍マシである。
男はなおも食い下がる。
「ならなおさらです。あなたのような方を置いてどこかへ行ってしまうような方など、あなたにふさわしくないとわたしは思います」
ジレットはその言葉を聞いた瞬間、何故かクロードのことを思い出した。
クロードは、ジレットを置いていった。ひとりにした。
ならばクロードは、ジレットにふさわしくないのだろうか。
(……そんなはず、ない)
ジレットの心が、その事実を強く否定した。
(わたしが、一緒にいたいと。そう願っただけ。それに応えてもらえなくたって、わたしがクロード様のそばを離れるなんてことは、絶対にない)
ふさわしい、ふさわしくないなどという問題ではないのだ。ただそばにいたい。それだけである。
それを他人にとやかく言われる筋合いはないのだ。
ジレットは唇を噛み締めてから、顔をあげる。
「お待ちしている方が、いるんです」
「ですからその方よりもわたしの方が、」
「いえ。わたしが待ちたいと思ったから、待っているだけなんです。ふさわしいふさわしくないという問題ではありません。ですから申し訳ありませんが、他の方をあたってくださいませ」
ジレットがそう言うと、男は一瞬ぽかんとした顔をした。しかし先ほどの笑顔とは違い、だんだんと恐ろしい形相に変わっていく。
ジレットは、恐怖のあまり身を震わせた。
「このわたしが丁寧に誘ってやっているのになんだ! おとなしくわたしを選べよ!!」
「きゃっ!?」
男はジレットの手首を掴むと、力づくで引っ張ろうとする。ジレットは久方ぶりに体感する暴力に、瞼を固く結んだ。恐ろしくて仕方がない。
ジレットは思わず、空いたほうの手でネックレスを強く掴んでいた。
(クロード様……っ)
お願いしますクロード様。助けて――
そう願った瞬間だった。
「何を、している」
姿は映らなくとも分かる、その美しい声。
誰よりも焦がれた美しい人の声に、ジレットの心臓が高鳴った。
きつくつむっていた瞼を開けば、掴まれていたほうの手が軽くなる。
目の前には、ジレットの手を握っていた男の手をひねり上げるクロードの姿があった。
金色の髪を三つ編みにし。
白のシャツとタイに、漆黒の礼服を身に付けている。いわゆるところの燕尾服だ。
服装以外はいつもと同じはずなのに、クロードはこの会場にいる誰よりも輝いていた。
それはどうやら周りも同じであるらしく、視線が一気に集中する。
苦痛に顔を歪める男は、クロードの姿を見て顔を青ざめさせた。
「あ、なた、は……っ!」
そんな男に、クロードは凍えるほど冷え切った瞳を向けつぶやいた。
「もう一度問う。――わたしの連れに、お前はいったい何をしている」
絶対零度の声音が、会場を侵食した。




