屋敷のメイド、悲鳴をあげる
ジレットが目覚めたとき最初に目に映ったのは、見たこともない天井であった。純白の天井からはきらびやかなシャンデリアが吊り下がっている。
少なくともそれは、ジレットが見たことのない場所だった。
ジレットはゆっくりと体を起こす。どうやら、ソファの上に寝かされていたようだ。そのソファも柔らかくふかふかしており、ベッドのようであった。
不安になり、胸元に手をやる。そこには確かにネックレスがあった。それを確かめたジレットの心は、わずかばかり落ち着く。
「あ、起きたかい? おはよう、ジレットちゃん」
「っ! だ、誰ですかっ……!?」
しかし突如として声をかけられ、パニックになった。
そんなジレットを見て苦笑するのは、向かい側のソファに腰掛ける変人である。
(た、たしか、アシル様とおっしゃったはず……)
ジレットはそこでようやく、今までのこと、そして自分の身に何が起きたのかを悟った。
(そうだ、わたし、アシル様にお会いしてお話しして、それから……)
それから、どうしたのか。おそらく魔術で眠らされ、運ばれたのだろう。
となると、ここはどこだ。
ジレットはソファに腰掛け、拳を握り締めた。
(どこだか分からないけれどとりあえず、ここから出なくては……)
そして、クロードのもとに帰るのだ。
警戒心をあらわにするジレットに、アシルは肩をすくめて苦笑する。
「そんな威嚇しないでよ。一から説明するからさ」
アシルはそう言うと優雅に立ち上がり、仰々しく頭をさげる。
「改めまして。この国の第三王子にして二千年の時を生きる吸血鬼、アシルだよ。そしてここは城の中だ。客間って言ったらいいのかな」
「……第三、王子。城……?」
アシルから発せられた言葉は、ジレットには馴染みのない単語だった。
(この方が第三王子……? この国の未来が心配だわ……)
それに吸血鬼という単語も信じられない。彼は日の下でも飄々と佇んでいたからである。
しかしそれと同時に、信じざるえない部分もあった。
シャンデリアもソファも。そして調度品も。ジレットが見たことも触れたこともないような、高級品だったからである。それくらいの価値は、見ただけで分かった。
ゆえになおさら、警戒してしまうのだ。
するとアシルはソファに座り直し、にこりと笑う。
「信じられないって顔してるけど、今はあとね。僕は別に、嘘なんて言ってないから」
ジレットが押し黙るのを見て、クロードはなおも話を続ける。彼は指を一本立てた。
「まず、君の疑問を解消しておこうか。僕は、いや、僕たち王族はみんな、日の下歩く吸血鬼っていう特別な吸血鬼なんだ。日の下歩く吸血鬼はその名の通り、日の下でも魔力を消耗することなく歩ける特殊な存在でね」
そう言うと、アシルは自身の目元を手で隠した。そして直ぐに離す。ジレットはその目を見て息をのんだ。
真紅。
血の色をそのまま集めたかのような瞳が、そこにあったのである。それは間違いなく、吸血鬼のみにしか出せない証拠だ。
アシルは直ぐに、目の色を戻した。
そこまで告げてから、彼は指を二本立て。
「で、ふたつ目。なぜここに連れてこられたのか。それは簡単だ。ジレットちゃんに、今日おこなわれる夜会に参加してもらうためだよ」
「……や、かい?」
聞き慣れない単語に、ジレットの頭は混乱した。
(夜会って、貴族の方々が参加する夜会のことよね……?)
そこにジレットが参加するなど、場違いにもほどがある。彼女は勢い良く首を横に振った。
「そんなものには出れません」
「残念だけど、拒否権はないんだな〜」
「……っ。理不尽です」
「うん、そうだね。その点は謝るよ。でもそれくらいしないと、クロードは出てこないからさ」
ジレットがアシルの横暴さに唇を噛み締めたとき、クロードの名前が出てきた。ジレットは目を見開きアシルを見る。
彼はなんとも言えない、複雑な表情を浮かべていた。
「クロードは君に、多くのことを話していない。その中には、僕たち吸血鬼のことが多くあるんだ。君はクロードから、王族は皆吸血鬼で、貴族の多くが吸血鬼であるってことを聞いているかい?」
「……ありません」
「じゃあクロードが、四百年前まで侯爵位を賜っていたことは? あいつの職業が、最上級魔術師だってことも?」
「……知りません。わたしも、無理に聞こうと、思わなかったので……」
「そっかぁ。だろうねぇ……あいつ、変なところで頑固だから」
困ったもんだねぇ。
そう笑いながら、アシルは話を続けた。
「別に隠すことは悪くない。でもクロードの場合、それは逃げからきてる。君という存在がいる今、あいつはいい加減過去と向き合うべきなんだ」
「……過去?」
「うん、そう。そこき、あいつが君を避けるようになった理由がある。僕がそれを、君に伝えることはないけどね」
アシルは「そういうことは本人の口から聞きたいでしょ?」とウィンクしながら言った。やっていることはおちゃらけているが、言っていることは正しい。そのため、ジレットは頷く。
「わたしは、クロード様の口から色々なことを聞きたいです」
「うん。だよね。でもクロードは、そこらへんが分かってないからさ。なんでもかんでも背負い込むから、他人に打ち明けたりしないんだ。傷つけたくない、嫌われたくない。そんな気持ちがあるんだろうね」
「そうなのですか……?」
「うん、そう。だから逃げてるんだよ」
「……それならば、わたしもクロード様と同じでした」
ジレットには、アシルの言ったことが痛いほどよく分かった。
誰だって、好かれている人には嫌われたくないのだ。だから何も聞かなかったり、一歩引いたりする。
でも。
(でもそれじゃあ何も解決しないって学んだ)
言葉を交わさねば、分からないことは多々あるのである。そのためには、相手に嫌われる覚悟で、相手のためを思った言葉を紡ぐのも必要なのである。
アシルはその言葉を聞き、微笑んだ。
「うん。だからこそ、君にはクロードを救える力がある」
「……そんなたいそうなものはありませんよ」
「いや、あるんだなーこれが。あいつそろそろ、血相変えて城に乗り込んでくると思うよ。ここ嫌いなのにね」
アシルがケラケラと笑う。そんな彼を見たジレットは「この方は色々な意味で、苦労してそう」だと思った。飄々とした態度や笑顔に騙されがちだが、とても情に厚く真面目な吸血鬼なのではないだろうか。でなければクロードのために、労力を割いたりしないはずだ。
そう思っていたところで、アシルが晴れやかな笑顔を浮かべた。
「いやぁ、本当に最近暇だったから、君たちみたいなの見てると本当に楽しいよ! やっぱり長生きしてると、刺激が足りなくなるからね。刺激を求めて生きてないと、吸血鬼なんてやってらんないよね! そして僕は、宣言通りクロードを道連れにできて、とても、嬉しい!!」
「……アシル様はとても、残念な方なのですね」
「どうして!?」
「言い換えます。とても、変な方です」
「あんまり内容変わってないよ!?」
ジレットはアシルに、生ぬるい眼差しを送る。彼はそれに納得がいかないといった顔をしていたが、どうやら諦めたようだ。
なぜ諦めたのかとジレットは思っていたが、その理由は直ぐに分かることになる。
アシルは叫んだ。
「とりあえず時間ないから……みんな、入ってきて!! ジレットちゃんを美しく飾り付けてくれ!」
『承りました、殿下』
「…………へっ?」
隣りの部屋から現れたのは、何人ものメイドだった。皆一様に、紺のワンピースと白のエプロンドレスを着、ぴっちりと髪をまとめている。
彼女たちはずらりと並ぶと、アシルに向かって深々と頭をさげた。
どうやら本当に、第三王子だったらしい。
しかしそんなことよりも気になるのは、彼女たちがジレットに向ける視線が、まるで獲物を狙うかのようであったためである。
(な、何かしら……怖いわ)
ジレットが密かに恐れおののいているのも知らず、クロードは片手を上げて口の端を持ち上げる。
「彼女たちは、昔っから僕に仕えてくれている優秀なメイドだよ。吸血鬼的な言い方をするなら、眷属かな。すごく優秀だから、安心して?」
「……え。え、え?」
「殿下のご命令ですので、失礼させていただきます。ジレット様」
「ひゃ!?」
メイドのひとりがジレットをやすやすと横抱きにし、隣りの部屋へと連れ込んだ。
アシルが「じゃあね〜」と手のひらを振るのがチラリと見える。
隣りの部屋には、多くの衣装や装飾品が揃えられていた。ドレッサーの前には化粧品もある。おとぎ話でしか聞いたことがないほどきらびやかなそれに、ジレットはたじろいだ。されどそれと同時に悲鳴をあげる。
ジレットは、メイドたちの手によって素っ裸にされたのだ。
メイドたちは満面の笑みを浮かべつつ、ジレットを羽交い締めにする。
「ジレット様。ご安心ください。平民出身など誰も思わないほど、美しくして差し上げますので。時間がありませんので、無理矢理ですが失礼させていただきますね」
ジレットは、バスルームに放り込まれた。
――そうして、メイドたちによる戦いは始まったのである。




