第三王子、悪役を演ずる
魔術大国ミストラルの第三王子にして吸血鬼、アシル。
彼の眼の前には今、ひとりの女性が佇んでいた。
ジレット。
こうして実際に顔を合わせるのは初めてだったが、アシルは彼女のことを何度か見かけたことがある。
しかし直に顔を合わせ、内心口笛を吹いた。
なるほど。これは美しい。貴族令嬢と言われても納得できてしまうほどの美貌だ。そう思ったのである。
健康的ながらも色白の肌に、美しくたゆたう亜麻色の長髪。体の線も細くしなやかで、全体的に小柄なためか庇護欲が湧いた。
何より目を引くのは、その瞳である。紫水晶を彷彿とさせる瞳はキラキラと輝いており、一瞬で目を奪われた。
思わず触れてしまいたくなるほどの容姿である。
目の下に隈があるが、それすらも引き立ててしまうとは。
クロードが離せなくなるのも分かるね。
二年前とはまるで違うその様子を見て、アシルは内心感心していた。クロードは隠そうとしていたが、彼はジレットの姿を何度も目にしている。時を重ねるごとに美しさが増していく彼女の姿を、興味深く眺めていたのである。
いったいどれほどの努力を積み重ねてきたのやら。
努力してきたのは絶対に、クロードのためなんだろうなぁ。
アシルにはなんとなく、それが分かった。実際の理由までは分からないが、クロードのための行動であることくらいは分かる。
ジレットの目線の先にはいつも、クロードがいたのだから。
しかし当の本人は気づいていないというのだから、タチが悪い。いや、両者どっこいどっこいだ。自身の胸に抱かれた感情が、恋愛感情だということを分かっていないのだから。
されど登場の仕方が悪かったのか、はたまた別の理由からなのか。ジレットから漂うのは、不信感だった。
まさか変人認定されていたとは思うまい。
アシルは困ったように笑った。そして周囲に視線をやる。
うん。姿くらましの魔術は効いてるみたいだね。
アシルはジレットと自分自身に、姿くらましの魔術をかけていた。それをかけると、周囲から認知されなくなるのだ。相応の力を持つ魔術師でなければ、見破られるようなことはないのである。
効果がちゃんと出てきることを確認したアシルは、まず仲良くなるところから始めようと思い自己紹介を始めた。
「えーっと。あ、そうだ。自己紹介しないとね。僕はアシル。クロードとは昔からの友人だよ」
「……アシル、さま」
「うん、そう。僕も彼と同じ生き物だから」
言葉の裏に「自分は吸血鬼だ」ということをひそませてやれば、ジレットはすぐに気づいた。その証拠に、ハッとした表情を浮かべている。
どうやら頭も回るらしい。
ひとつひとつの反応を楽しみながら、アシルはジレットの言葉を待った。
「……もしかしてクロード様がおっしゃっていた「変なやつ」というのは、アシル様のことなのでしょうか?」
「……んん? ちょっと待って? あいつ本当にそれを伝えたのかよ!?」
しかし出てきたのは予想に反した問いかけであった。さすがのアシルも驚き、つっこんでしまう。
事前に説明をされていたが、まさか本当だったとは。
アシルは勢い良く首を横に振った。
「僕は変じゃないよ? え、ひどくない!?」
「……クロード様に、変なやつに会うかもしれないから気をつけろと言われました。そしてアシル様は、白昼堂々街に出歩いています。それは、変です。……お誘いしていただいたところ大変恐縮なのですが、わたし行けません。申し訳ございません」
「いや、そっちに視線が向くなんてすごいね! 頭すごくいいよ! でも待って待って。なんか僕が告白して振られてるみたいなシチュエーションになってる! 違うからね!?」
どうやらジレットは、昼間に平然とした顔をして出歩くという点を注視し、アシルのことを変だと思ったようだ。その認識はある意味正しいため、なんとも言えない。日の下歩く吸血鬼という存在を知らない場合だが。
しかしシチュエーションが気に入らない。アシルは別に、愛の告白をしたわけではないのだ。
何度も否定したが、ジレットの認識は変わらなかったようだ。警戒心をむき出しにしている。
どうやら振り出しに戻ってしまったらしい。
アシルはため息をもらした。どうしたものかと頭を回してはみるものの、正直に話したほうが良さそうだ。
調子が狂うなーと思いつつも、アシルは口を開いた。
「今クロード、部屋に引きこもっているんだよね?」
「……どうしてそれを知っているのですか」
「いや、ジレットちゃんの様子と時々使いに出してる眷属から話聞けば、わかるさ。……まぁ、あいつとは長い付き合いだから。四百年くらい前にもあったんだよね、そういうこと」
そういうと、ジレットが興味を示す。
食いついた。
そう思い、アシルはたたみかけることにした。
「前のときはほんとひどくてさ。一年くらい引きこもってた。その後十年くらいは、不規則な生活が続いたかなぁ」
「……そん、なに」
「うん。あいつ食事も摂ってないだろうし、となるとそろそろまずいんだよね。だから手助けをしようと思って。そのためには、ジレットちゃんの協力が不可欠なんだ」
その言葉はどれも事実だ。吸血鬼は、吸血鬼としての食事を摂らない期間が二週間続けば本格的に飢え始める。そして暴れ始めるのだ。
クロードほどの吸血鬼がそれを起こせば大変なことになるので、できることなら避けたいのである。
そして今のクロードにとって一番大切なものは、ジレットだ。アシルの作戦にジレットが乗ってくれれば、必ず成功することだろう。
まったくもって世話の焼ける友人だと思う。本当に繊細すぎる、優しい吸血鬼だとも。
少しの間思考を過去に飛ばしていたアシルに向けて、ジレットは恐る恐るといった様子で口を開いた。
「……信じていいのですか?」
「もちろん。僕これでも、クロードに殴られる覚悟で君に声をかけたし」
「そうなのですか」
「うん。かなり怖い。ただこれくらいしないと、あいつ向き合わないからさ」
ジレットはしばらく黙っていた。しかしどうにも決心がつかないらしい。そりゃあそうだ。むしろこれくらいの警戒心がないと困る。
アシルはそれを確かめ満足した。
「まぁそんなこと言っても、信じてもらえなさそうなので」
「……え?」
一瞬で距離を詰めてきたアシルに、ジレットは目を見開いて驚きを示す。
そんなジレットの目元に手を当てたアシルは、そっとつぶやいた。
「おやすみ。……乱暴になっちゃってごめんね?」
その一言で発動したのは、催眠魔術だ。ジレットの体がゆっくりとかしいでいく。どうやらクロードは、攻撃系の魔術に対する対応はしていたが、それ以外はなかったらしい。
うまくいったことに、アシルは少なからず安堵した。
アシルはジレットの華奢な体を楽々と受け止め、ふう、と息を吐き出した。
「ほんと僕って、お人好しだよね」
ジレットを抱き上げ、向かうは城。
そんな目立つ光景にもかかわらず、周りが気づくことはない。魔術が働いているからだ。
鼻歌交じりに道の真ん中を突き進むアシルは、肩をすくめこうつぶやいた。
「出てこいよ、クロード。じゃないとジレットちゃん、返さないからな」
空がだんだんと暮れていくのを眺めつつ、アシルは楽しげに微笑んだ。
――それから数刻経ち、空が黄昏色に染まった頃。
クロードの屋敷に、「ジレットちゃんは預かった。返して欲しければお前の嫌いな礼服着て、夜会の招待状を持って城に来い! どれか忘れたら城から追い出すからな」と書かれた、果たし状のような手紙が届けられた。




