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わたしは吸血鬼様の非常食  作者: しきみ彰
第一部 メイドは主人を敬愛する
16/45

水を求めて前に進む

 そしてジレットの朝は、いつも通り始まる。


 目覚めてから着替えて、一階の空気の入れ替えをし、その間に庭の手入れや畑仕事を済ませ、朝食を作り――そう、それは、いつも通りに。


 一連の動作をすべて終え、一日が終わるのである。


 ジレットの朝は、いつも通り続く。


 目覚めてから着替えて、一階の空気の入れ替えをし、その間に庭の手入れや畑仕事を済ませ、朝食を作り――


 ジレットは食卓につき、ぼんやりと前を見た。向かい側には、ジレットの前にあるものとまったく同じ料理が置かれている。されどそこに、いて欲しい存在はいなかった。


「…………クロード様が、いない」


 いつもならいるはずのクロードは、ジレットの目の前にはいない。


 クロードが部屋に引きこもってから早五日。しかしジレットにはその五日が、とても重たくのしかかってきた。彼女にとってその五日は、ひどく空虚だったのである。


 クロードのために生きていたような人生だった。

 だからだろうか。彼の姿を見ることができないというだけで、ジレットはとても不安になる。不安で不安でたまらなくて、それをおさえつけるためだけに必死で「いつも通り」を装った。

 でないと、気が狂ってしまいそうだったのだ。


(大丈夫、大丈夫……クロード様は、必ず、出てきてくださる)


 そう何度も自己暗示を繰り返し、ジレットは震える体をおさえつけた。夜は怖くて怖くてたまらず、やっと寝れても悪夢ばかり見る。それでも、何も考えずにいられるならと仕事だけは欠かさずおこなっていた。


 止まってしまうとどうにも、うたた寝をしてしまう。先日など庭の手入れをしているにもかかわらず、うつらうつらと船を漕いでしまった。


 そのとき見た夢は、クロードとともに夜茶を飲んでいたときの、ひどく幸せなもので。

 胸の内にぽうっと、光が灯る気がした。

 しかしクロードは、ジレットひとりを庭に残し夜闇の森へと姿を消してしまう。


 そこまで見てからハッと目を覚ませば、頬に涙が伝っていた。

 ジレットは顔を拭いながら、何度も何度も繰り返す。


「大丈夫、大丈夫……クロード様は、必ず、出てきてくださる……」


 そんなことを呪文のように唱え続ける日々だった。


 クロードが出てこないため、予定してはいなかったが街に赴いたこともある。エマに会い、髪紐作りを教えてもらうためだ。


 ジレットと顔を合わせたエマの第一声は、『ジレット、何かあった?』だった。


『顔色悪いけど、何かあったの? あたしでよければ話聞くよ?』


 エマにそう言われたが、ジレットはうっすらと微笑むだけで何も言わなかった。クロードのことを、誰かに話したくなかったのだ。たとえそれが友人のエマであったとしても、言ってはいけないことだと思っていた。


 だってクロードは、吸血鬼なのだから。


 普段ならば絶対に言わない自信があるが、そのときばかりはうっかりこぼしてしまいそうだった。ジレットの心はそれほどまでに、衰弱していたのである。


 頑なに口をつぐむジレットに、エマは何も聞かなかった。ただ普段通りとても明るく、ジレットに接してくれたのである。


 昨日はとても可愛らしいお客様が来た、とか。

 近くに美味しいパン屋さんがある、とか。

 そんな、他愛もない話だ。


 しかしそれは今のジレットにとって、救いそのものだったのである。

 髪紐を編むという作業もかなり集中するため、気晴らしにはちょうど良かった。


 ――ジレットはエマに教えてもらった髪紐作りを、今日もおこなっている。


 なんだかんだ言って、熱中できることがあるというのは良かった。余計なことを考えずに済むからである。


 調子に乗ったジレットは一番出来が良いものをクロードに渡そうと、一日に何本も作っていた。やはり慣れというのもあるのか、日が経つにつれて上手くなっていく。

 彼女は出来が良い二本を布で包み、ポケットの中に入れて大事に大事に持ち歩いていた。


 しかしその日の彼女は、クロードのために髪紐を編んでいたわけではない。エマのために編んでいたのである。

 雑貨屋で他の色も買っていたジレットは、オレンジ色の髪紐を編み終えた後立ち上がった。街に行くのである。


 友人になってくれたしるしとして。また、髪紐の作り方を教えてくれたお礼として。ジレットはそれを、エマに渡そうと考えていた。

 手早く支度を済ませたジレットは、昼頃屋敷を出た。


 一度振り返ってはみたものの、諦める。


 クロードはまだ、出てこない。


 ジレットはその事実を忘れるためだけに、森の中を全速力で駆け抜けた。


 考えるな考えるな考えるな。

 嫌な考えはすべて捨てろ。


 道中はただひたすら、それだけを自分に向けて言い続けた。

 すべてから逃げるようにエマのいる雑貨屋に入れば、鈴が甲高い音を立てて響く。

 息を切らしながら入ってきた友人に、エマはとても驚いていた。


「ジレット、どうしたの!?」

「あ、の、そ、の……」

「あ、うん、分かった。落ち着こう。そうだ、裏に入ろう?」


 ジレットは言葉を紡ぐことすらできず、こくこくと頷く。

 彼女はエマに支えられながら、リビングのチェアに座らされた。


 水に入ったコップを置かれ、ジレットは無言でそれをあおる。やっとしゃべれるようになった。

 人心地ついたジレットを、エマは呆れた様子で見下ろしていた。


「本当にもう、何してるの」

「……ごめんなさい」

「まぁ良いけどさ。少し落ち着いた?」

「……うん。ありがとう、エマ」


 ジレットが力なく笑うと、エマは困った顔をする。

 そんな友人が何か口を開く前に、ジレットは包んでおいたそれを渡した。


「エマ。これ、良かったら」

「……これって」

「うん、髪紐。まだまだだけど……エマにはいつも、お世話になってるから」


 エマは包み紙を開き、目を見開いた。

 オレンジ色の髪紐。

 何も言えずにいるエマに、ジレットは気恥ずかしそうに告げる。


「エマに似合うだろうなって思って……あ、本当に無理に付けなくていいのよ?

 でもエマの髪長いし、まとめるにはちょうどいいかなって……」

「――もう! ジレット可愛すぎ!!」

「ひゃ!?」


 もじもじと恥ずかしそうにするジレットを見て堪えきれなくなったのか、エマが勢い良く抱きつく。

 そして髪の毛がぐしゃぐしゃになることすら厭わず、頭を撫で始めた。


「もー! こんなに可愛い子をこんな悲しい顔させてるのはどこの誰よ!! 男だったら承知しないんだからー!!」

「え、エマっ、くるしっ」

「そしてこんな天使に好かれているっていう事実も、本当に羨ましいいい!! だから余計に許せない、許さないんだからぁ!!」

「エマ、髪、髪が……っ」


 もみくちゃにされ、ジレットの頭はパニックだ。

 エマは気が済むまで撫でくり回すと、ジレットの頬を軽くつまみ伸ばす。それをしたときの顔は、少し怒っていた。


「……こんなにも素敵なあたしの友だちに、悲しい顔させるなんて。ほんと、許さないんだから」


 ジレットはむくれた顔をするエマに、目を丸くする。

 彼女はすぐに手を離すと、ジレットの髪を整えながらポツリポツリと話を始めた。


「ジレットが一体どんなことで悩んでるかなんて、あたしには分からない。でも、本当につらくなったらいつだってうちにおいで。ジレットはひとりじゃないんだから」

「……エマ」

「ジレットがそんなに悲しい顔してるってことは、それだけ大事なんでしょう? なら、絶対に離しちゃダメだよ」

「……うん、そうね。わたし、離さないわ」


 ジレットはクロードの顔を思い浮かべ、こくりと頷く。するとエマが顔に手を当てた。

 そして「もうやだこの子天使すぎる……」という嘆きをあらわにしている。

 ジレットは意味が分からず首をかしげた。

 しかしエマは瞬時に表情を切り替えると、棚の上に置いてある袋をジレットに渡す。


「これ、ジレットのワンピースね。今母さんいないけど、渡しとく」

「あ、ありがとう……」

「母さんに今度会ったら、そう言ってあげて。喜ぶから」


 もちろんそのときは、ワンピースを着て来てね?

 そう言われ、ジレットは笑みを浮かべる。


「分かったわ」


 ジレットはワンピースの入った袋を抱き締め、立ち上がった。

 エマから後押しをもらったのだ。こんなところでへこたれてなどいられない。そう思ったのである。


(そうよ。一回くらい拒絶されたくらいで、へこたれてなんていられないわ……!)


 いらないと言われない限り、何度だって突撃してやろうではないか。

 むしろ、今まで触れ合いが少なすぎたのである。これからもクロードと暮らすならば、もっとちゃんと話し合い様々なことを知らなくてはならないだろう。


 そうと心を決めたジレットの行動は、とても早かった。

 彼女は拳を握り締め、頷く。


「エマ、ありがとう! 元気出たわ!」

「うんうん! 元気なジレットが一番可愛い!」

「エマだって可愛いわ」

「何この子さらっと……!」

「……え、えっと、またね……?」


 悶えるエマを置いて、ジレットは雑貨屋を後にした。

 もらったワンピースを抱き締め家路に着こうとしたジレット。だがそのとき、後ろから誰かに呼び止められる。


「君が、ジレットちゃん?」

「……は、い?」


 ジレットは後ろを振り返る。

 そこには。


 誰もが注目するほど美しい、白皙の美男子がいた。


 黒い髪。月のような金色こんじきの瞳。

 まるで夜の闇そのものであるかのような男は、見た目とは裏腹なほど人懐っこい表情を浮かべ、片手を振る。


「ちょっとそこで、お茶してかない?」


 そう言い、男は人差し指を立てて場所を指し示す。ジレットはその先に視線をずらした。そして目を見開く。


 そこにあったのは、白亜の城であった。ジレットはそれを確認してから思う。


 あ、この人変だわ。


 男に対するジレットの第二印象は、彼からすれば大変不本意なものとなった。

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