すれ違う思い
クロードへの贈り物をどうするか決めてから、早二日。
その日の天気は少し、曇っていた。しかし洗濯物を干す分にはなんら問題ない、そんな天気である。風が少し強めに吹いており、むしろ洗濯物が早く乾きそうだった。
そんな天気の中、ジレットは外でジャパジャパと洗濯物を洗う。その表情は少し曇っていた。現にジレットは、洗いながら物思いにふけっている。
(最近なんだか……クロード様に避けられている気がする)
合間合間で気になる点はあった。しかしそれが顕著になったのは、本当に最近のことである。贈り物を決めた日から、クロードはなんとなくジレットとの距離を置いていた。
(何か粗相をしたというわけでもないみたいし……とても不安だわ)
ジレットは、自分がクロードに対して何か不快なことをしてしまったのではないかと思い、落ち込む。しかしそういうわけでもないのだから、なおさらわけが分からなかった。
(役に立ちたいのに。こういうときに限って、何もできない)
ジレットは、クロードの力になりたいのだ。そのためならばなんだってする。非常食になりたいという思考も、そこからきていた。できることならば悩みを聞きたいが、今までそこまで押したことがない。彼女はどうしたら良いか分からず、戸惑っていた。
本当に、クロードの糧になることでしか役に立てないのかもしれない。
その考えに至り、しょんぼりと沈み込む。珍しく、手が止まってしまった。しかしすぐに切り替えたジレットは首を横に振り、決意する。
「よし。今日の夜、クロード様にお聞きしよう!」
なぜ避けるのか。また、何か力になれないか。
今まで嫌われることを恐れ口を閉ざしてきたが、今回ばかりはそうもいかない。もしいらないのであれば、早々に出て行こうではないか。
(クロード様とは離れたくないけれど。でも、それをクロード様が望むのであれば)
もし嫌われてしまったのであれば、食べてくれということすらおこがましいであろう。
そう考えただけで、胸元辺りがきゅうっと痛む。ジレットは唇を噛み締めた。
クロードに必要とされていないのであれば、死んでしまおう。そう、ジレットは考えていた。もともとクロードに拾われた命だ。彼に必要とされなくなったのであれば、そこら辺で朽ちるのが定めだったというだけである。
ジレットは自身の両頬を叩いて気合を入れた。そして仕事を再開する。
そういうときほど時間は早く進むもので、気づけば夜になっていた。
ジレットはクロードと向かい合わせの状態で座りながら、深呼吸をする。
(大丈夫大丈夫……落ち着いて、わたし)
挙動不審すぎて食事どころではない。
されど覚悟を決めたジレットは大きく息を吸い込み、言葉を吐き出した。
「クロード様。すこし、お話よろしいですか?」
「……どうした、ジレット。君がそんなことを言うなど、珍しい」
「はい。あの、とても言いにくいことなのですが。……わたしは何か、クロード様のお気に障ることをしてしまいましたか……?」
意を決して意見する。するとクロードはすこし固まった後、首をかしげた。
「……どういうことだ?」
「えっと、その……最近、避けられているように感じまして」
そう言うと、クロードがわずかに瞠目した。彼はフォークを置き、手で顔を隠す。そして呻くように言う。
「……いつ辺りから、気づいた?」
「顕著だと、そう感じ始めたのは、二日前辺りからです」
「そう、か」
クロードは無言で頭を抱え出す。どうやら、心当たりがあるらしい。
ジレットはそれをハラハラした心地で見守っていた。
するとクロードが口を開く。
「すまない。ジレットが悪いわけじゃないんだ。すべての問題は、わたしにある」
「です、が」
「本当にすまない……すこし、時間をくれないだろうか?」
クロードにそう頼まれてしまえば、ジレットは黙り込むしかない。しかし今回は少し違った。胸の奥からふつふつと、何かが湧き出してきたのだ。
その感情が怒りということを、ジレットは知らない。しかしなんとなく、不愉快であることだけは分かった。
(どうしてクロード様は、全部おひとりで抱え込んでしまわれるのだろう)
そばにいられればそれで良い。少し前まではそう思っていた。されど今はそれだけでなく、痛みや悩みを分けて欲しいと思う。それすらしてもらえない今の状態が、悔しくてたまらなかった。
そんな感情を抱くことすらおこがましいと、今でも思う。自分に、そんな感情を抱く権利などないということも、知っている。
だが彼女は今、とても怒っていた。ゆえにたがが外れ、胸の内に浮かんだ言葉をありのまま吐き出してしまう。
「わたしはそれほどまでに、頼りないのでしょうか」
「……え?」
クロードが顔を上げ、ジレットを見る。その表情はとても驚いていた。
その顔を見ても、ジレットの怒りはおさまらない。むしろ火に油を注いだ。
感情に任せ、ジレットは胸の内を明かしていく。
「わたしがお嫌いなのであれば、そうとはっきり言ってください。嫌いだから避けるのだと言ってください。そう言われたのであれば、わたしはクロード様のもとから去らせていただきますので」
ジレットは自分の胸元、ちょうどネックレストップがある位置に手を当てて、なおも続けた。
「ですがもし違うと言うのでしたら、わたしに話しはくださいませんか? それとも、わたしでは力不足でしょうか。頼りにはならないのでしょうか」
「っ! いや、違う! そんなことはない!!」
クロードは、思わずといった様子で否定した。瞬間不謹慎なことに、ジレットの心中が安堵に染まる。ズキズキと胸を刺激していた痛みが、嘘のように引いていくのが分かった。
ジレットは微笑む。
「わたしの命は、クロード様に繋ぎ止めていただいたものです。わたしの幸福は、クロード様がくださったのです。最大級の恩をいただきました。わたしはそれをできる限り、お返ししたいのです。そして出来ることならば、死ぬまでお側にいたい。……そう、思います」
ジレットの言葉は、最後にいくにつれて尻すぼみになっていく。
彼女は初めて本音を口にしたことを、後悔し始めていたのだ。ずっと胸の内で秘めておくべきだったはずの言葉。言ったジレット自身はすっきりしたが、それを受け取ったクロードはきっと、「恩着せがましい」と思っていることだろう。
(ああ……! 今思えばわたし、なんていうことを……!!)
自分自身がとんでもないことを言ってしまったことを、今更ながら恥じる。しかし一度出してしまった言葉は戻らないのだ。ここまで言ってしまったのであれば、あとはクロードの返答を待つだけである。
ジレットがドキドキしている中、クロードはしばらく無言であった。しかしその瞳はどこか不安定で、ゆらゆらと揺れている。
そして彼は表情を大きく歪めた後、瞼を固く結んだ。
「すまない。しばらくの間、ひとりにさせて、ほしい」
「……え?」
「頭を整理させたいんだ。でないと、君に説明できない。向き合うこともできない。だから、ひとりになりたい」
ジレットは絶句した。先ほどとは一変、おろおろと首を横に振る。
「そ、それは、どのくらいなのでしょうか……えっと、お食事とか、そういうのは……っ」
「わたしにも、どれくらい必要なのか分からない。自室にこもっている間は、食事もいらない。……本当にすまない、ジレット」
まだ、君に向き合うことができないんだ。
そう、クロードに言われた。
ジレットはそれを聞き、混乱する頭をなんとか整理する。
(クロード様は、ひとりに、なりたい)
それゆえに、誰とも会わず部屋に引きこもっていたいのだと。そう言っていた。
食事などもいらないと言っているのだから、本当にひとりになりたいのだと思う。
(でもそれはつまり、頭が整理されたら、またわたしとお話ししてくださる、ということで)
そばにいられるのであれば、どんな苦しみだって耐えられる。ジレットはそう考えた。
それにクロードは、ジレットを嫌っていたわけじゃなかったのだ。それを知れたというだけで、彼女としては十二分な収穫である。
(そう、だから……だい、じょうぶ)
無理矢理自分を納得させたジレットは、こくりと頷いた。
「わかり、ました。しばらくお部屋にも近づきませんし、お食事も用意しません」
「……本当にすまない」
「いいえ。わたしは、嫌われていないと知れただけでとても幸せなのです」
「……ジレット、君、は……っ」
ジレットがふにゃりと笑いながらそう言うと、クロードはつらそうな顔をした。テーブルの上に置いてある握り拳が、ぷるぷると震えている。
クロードは瞼をきつく閉じると、意を決したように立ち上がった。そしてジレットを見ることなく、その場から立ち去った。
ぽつねんと食卓に残されたジレットは、すっかり冷めてしまった料理に口をつける。
「……冷たい」
ジレットの寂しげな声が、閑散とした部屋に響いて、消えた。




