自覚し始めた感情
ジレットが街に出ていた際。
クロードの家にはまた、アシルがやってきていた。
クロードはその際ちょうど、研究用の部屋で薬を調合していた。そのためアシルのほうをちらりとも見ず、黙々と作業をこなしている。
「やっほークロード」
「……お前、性懲りもなく来るな」
「そりゃあね。だってそろそろ、夜会も始まるし」
にっこりと、アシルが笑みを浮かべる。クロードはハーブを中に入れそれを解きながら、呆れた顔を浮かべた。
「夜会には参加しないと言っているだろう」
「良いじゃん良いじゃん。そう堅苦しいこと言わないでよ。僕たち吸血鬼じゃん」
「お前、自分で自分を貶しているぞそれは」
クロードはくるくると中身を棒でかき混ぜる。アシルはそれを見て「何を作ってるの?」と聞いてきた。クロードは短く「どこぞのお姫様がご所望している塗り薬だ」と言う。その言葉を聞きアシルは申し訳なさそうな顔をして「ごめん……」と謝った。
まったくである。兄なのだから、妹の管理くらいしっかりしてくれ。そう、クロードは思う。
しかしアシルはすぐにいつも通りの顔をすると、ポンッと手を叩く。
「そうだ! うちの妹も喜ぶだろうし、ジレットちゃんと一緒に参加したら良いんじゃないかな!!」
「……なぜそうなる」
クロードは怪訝な顔をした。あの女とジレットを合わせたら、ろくなことにならない。その選択肢だけは絶対にありえないとさえ思った。
アシルの妹は、クロードにあれやこれやと注文をつけ、美容品を作れと言ってきた張本人である。王族というやつは本当に、ろくでもない者たちばかりだ。
そんな感情を抱きつつも、クロードの手元が狂うことはない。彼はできたものを器に移してから、やっとアシルを見た。
「彼女には近づくなと言っているだろうが」
「えー。今日すれ違っちゃったけど」
「……は?」
クロードは思わず声をあげた。どうやらもう、すでに出会っているらしい。一方的な出会いだったが、彼の機嫌はみるみる悪くなっていく。
それを知りながらも、アシルはテーブルに腰掛けふんふんと鼻歌を歌い出した。
「前にも見たことあったけどさーほんと綺麗になったね、ジレットちゃん。ここ最近はなんていうか、すごくキラキラしているよ」
「……お前は本当に変人だな」
クロードは、心の中で悪態をついた。
お前になど言われなくとも、知っている、と。
拾ったときのジレットは、ほとんど肉がついておらずとても貧相な見目をしていた。ボロ布のような朝の服を着て、足枷と手枷をつけられて。とてもみすぼらしかったのを、今も覚えている。
しかしどこで覚えてきたのか。彼女はクロードとともに過ごしていくうちに、みるみる美しくなっていったのである。
子どものように感じていた娘を、目で追うようになったのはいつからだっただろうか。
目が離せないというのを、「ジレットがまだ子どもだから」「守らなければならない存在から」と言い訳をし出したのは、いつだっただろうか。
自分の胸の内に湧き上がった感情。クロードはそれを、知らないふりをしていた。
しかしそこをつついてくるというのだから、この吸血鬼は本当にタチが悪い。むしろ楽しんでいる。その確信が、クロードにはあった。
クロードはできた薬品が固まったのを確認してから、蓋を閉めて紙袋に入れる。それをアシルに投げ渡した。彼はそれを難なく受け止める。
「お前の妹のなのだから、持って帰れ」
「はいはい。了解ー」
されど話を変える気はないらしい。
アシルは研究部屋から出て行くクロードの後ろについて歩いた。
「あ、そだ。ジレットちゃん最近、雑貨屋さんに入っていくのをよく見るんだよね。もしかして良い人でもできたのかな? だから綺麗になったのかなーどう思う、クロード?」
「…………それならばそれで、良いんじゃないか? ジレットは人間なのだから」
クロードが吐き捨てるようにそう言うと、アシルが思い切り頭を叩いてきた。
クロードは頭を押さえ立ち止まる。そして眉をひそめて後ろを向いた。
そこには、怒り顔のアシルがいる。
「君さぁ……もう少し、自分の気持ちに素直になったほうが良いと思うよ?」
「なんの話だ」
「そこだよそこ。え、何。自覚ないの。そんなわけないでしょう。もうちょい素直に生きなよ良い加減さぁ」
「……彼女はあくまで、メイドだ。それで良いんだ」
口に出してから、その言葉が自分に言い聞かせるために吐いたものだと気づいた。
思わず舌打ちをする。どうにも、調子が悪い。ジレットに対しても、アシルに対しても。いつも通りの行動が取れないのだ。
自分の感情くらい、自覚している。
ジレットに特別な感情を抱き始めていることを、クロードは分かっていた。その上で口をつぐんでいるのだ。ジレットとて、クロードから好意をもらっても喜ばないであろう。
クロードとジレットはあくまで、主従関係なのだから。
アシルは深く深く、ため息をもらした。
「君は良い加減、前に進んだほうが良いと思うよ? あの日のことをいつまでも引きずっていたって、何も変わらない。……そんなこと、ジレットちゃんだって望まないだろう?」
「……なぜそこで、ジレットの名が出る」
クロードは意味が分からず、眉をひそめるばかりだった。この男の言うことは、時々わけの分からないことを言う。
しかしアシルは頭をかきながら、やれやれと首を横に振った。
「あのさぁ、クロード。ジレットちゃんのことあんだけ見てるのに、気づかないわけ? いつだってクロードのためにって動いてるような子でしょ。彼女」
「確かにそれは認めるが……それとこれとがどう関係する?」
「……うん、いいや。なんかこう、自覚しない限り無理っぽそう」
なんだ、どういうことだ。そう、クロードは思う。
しかしアシルはそれっきり何も言わなかった。むしろ変な笑みを浮かべている。
クロードは思わずたじろいだ。
「……なんだ、その笑みは」
「えー? かわいい笑顔でしょー?」
「お前はかわいいと言われて嬉しいのか?」
「もちろん。褒め言葉ならなんでも嬉しいよ!」
「はいはい分かった分かった」
これ以上アシルと会話をしていても、先ほどの問いは答えてもらえそうにない。
クロードは踵を返した。まだやることがあるのだ。ジレットが戻ってくる前にやりたい。彼は、ジレットが夕食を作る音を聞くのが好きだった。
しかしアシルがクロードの手を掴み、何かを無理矢理握らせてくる。見ればそれは、手紙だった。いや、これは招待状である。封蝋にはくっきりと、王家の紋様が押されていた。
これは間違い無く、夜会の招待状だ。
押し付けがましいアシルに辟易していると、彼は意味深な笑みを浮かべる。
「持っておいたほうが良いと思うよ?」
「……待て。お前、何をするつもりだ」
「う、ふ、ふー。何をすると思う?」
「あくどいことだろうな」
「あくどくことなんかじゃないよ! 友人を思っての行動だよ!!」
「怪しすぎるからやめろ。迷惑だ」
クロードは今度こそ、アシルに背を向けた。王族の者たちと関わると、ろくなことにならないからだ。
王族はどの吸血鬼よりも娯楽を好むため、さらっとした顔でとんでもないことをやってのける場合が多い。クロードはだいたいその被害者である。
彼は後ろで手をひらひらと振るアシルに違和感を覚えながらも、自室に戻った。
招待状を執務机に放り投げ、ため息を漏らす。
「あいつ、何をする気だ……」
嫌な予感しかしない。そしてその嫌な予感は、十中八九当たるというから面倒臭い。対策を講じようと考えても、予想だにしない方向から攻めてくるから、王族は嫌いなのだ。
クロードは一瞬招待状を燃やそうかと考えたのだが、アシルの口ぶりを思い出しやめる。
「頼むから、ジレットを巻き込むことだけはやめてくれよ……」
そんなどうにもならない願いを口にし、クロードはチェアに腰掛け残りの仕事を終わらせ始めた。




