吸血鬼たちの食事処
多くの人々が眠りにつく。そんな闇の時間。
しかしそれは、闇を好む種族にとって最も活動する時間であった。
クロードも、そのひとりである。
彼は体を事実上闇に溶け込ませ、街にあるとある店にやってきた。
そこは、夜でなければ開店しない店である。かと言って大人の社交場のような場所ではない。
吸血鬼のための、食事処である。
そこに扉はない。外観だけなら、ただの倉庫のような場所である。
しかしそんなことなど障害にならない吸血鬼は、するりと中に入る。クロードも同様に入った。
突如現れた吸血鬼に、周りは驚くことなく自分の好きなように食事を摂ったり娯楽にいそしんでいたりした。
中はまるで、どこぞの城のような風貌であった。天井には煌びやかなシャンデリアが吊り下がり、それを置いた部屋がいくつか存在する。外観とはまるで異なる大きさをした空間は、暇な魔術師たちが編み出した技術だった。
クロードはそれを見て呆れる。相変わらず鬱陶しい。
中には食事処だけでなくダンスホールや賭場、ベッドが備え付けられた個室があり、一日中ゆっくりできるようになっていた。時間が有り余っているため、彼らはこのようにして暇をつぶす。
やはり気は合わなそうだな、と思いつつ、クロードは食事処目指して突き進んだ。
クロードの存在を知っている者は少なからずいて、彼の登場を驚いていた。しかし当の本人は不機嫌をあらわにしているため、格下は近づくことすらままならない。
そうして周りを遠ざけながら、クロードは食事処に着いた。
内装はとてもクラシカルで、古時計が置かれている。ここで食事を摂っているのは皆静かな面々で、同席した者とささやかなおしゃべりを楽しみながらグラスを傾けていた。
彼は空いている席に着く。二人掛けの席だ。すると、目の前に憎らしい顔があった。
「やあ、クロード」
「お前、うざいな」
アシルだ。彼は満面の笑みを浮かべて手を振っている。何かと絡んでくる男に、クロードは辟易していた。だからあまりきたくなかったのだ。
今日も今日とてつっけんどんとした態度を取るクロードに、アシルは不満を口にする。
「ひどい。君が寂しそうだったから、わざわざ相席したのに!」
「誰も頼んでいない。別の席にしろ」
「えーやだー。僕ひとりでご飯食べるの嫌い」
「お前本当に面倒臭いな。というかお前は王族なのだから、こんなところに来なくとも血ぐらい飲めるだろう。専用の奴隷も買っているのだろうし」
「まぁ美味しいんだけどね。ここのほうが品数豊富だから、飽きがこないんだよねぇ」
それを聞き、クロードはわざとらしくため息をこぼした。そんなやり取りをしていると、店員がメニューを持ってくる。
中には人間の顔のイラストと健康状態、出身地、年齢などの個人情報が綴られていた。
この国は吸血鬼で溢れている。しかしその吸血鬼たちが無差別に人を襲い食事をすれば、秩序が乱れてしまう。
吸血鬼がそんな秩序を守るのかとよく言われるが、彼らは意外とそういった決まりごとに縛られるのが好きである。それは彼らにとって生きることが娯楽であり、ルールはそれを楽しむためのものだという認識が強いからだ。
それを解消するためにできたのが、この場所だった。
ここでは買い取った奴隷たちの血を定期的に抜き取り、それを保持の魔術がかけられた瓶に詰めて食事として提供している。それで賃金を払っているというのだから、そこらへんの娼館に入るよりかは経済的ならしい。
されど質にはうるさいため、奴隷の管理は徹底しているのだという。
もう少し金を払えば、奴隷の首筋から吸血することもできた。牙を立てなければ食事ではないという者もいるのである。そちらへの配慮も行き届いていた。
顔のイラストが記載されているのは、意外と顔で決める者もいるからである。
クロードはそれらのメニュー表を眺め、ため息をもらした。そして適当な女の血を選び、店員を呼ぶ。女の血のほうが、幾らか味がマシだからである。
そんな中でもアシルは、マイペースだ。
「ねーねークロード。飲み比べとかしてみない?」
「しない」
「ノリが悪いなー。あ、僕この片面にいる人間の血を一杯ずつね」
「……暴食か何かか」
そうぼやきつつも、クロードは注文を済ませる。
そして再度ため息をもらした。
そんなクロードを、アシルは残念そうに見つめる。
「クロードってさー食事に重きを置かないよね」
「飲まなきゃ死ぬから飲んでいるだけだ。美味しいと感じたことはない」
「そこが、変人って言われる一番の理由だってこと、そろそろ気づいたほうがいいと思うよ?」
クロードはそれを聞き、さらに機嫌を悪くした。
そんなこと、クロード自身が一番よく知っているのだ。しかし美味しいと感じないのだから、仕方がない。
そう。クロードは吸血鬼としては稀なことに、吸血行為に魅力を感じない吸血鬼だったのだ。
もちろん、血を飲まなければ死ぬし、耐えがたい飢えを味わう。されど味と言えば鉄臭く、進んで飲みたいものではなかった。
そんな症状に悩まされるようになったのも、四百年前の出来事が原因である。
アシルは困った顔をした。
「まあ、こればっかりは仕方ないしねえ……」
アシルは、クロードの身に起きた出来事を知っていた。そのためそんなことを言う。それが腹立たしくて、クロードは口を開いた。
「別に、どうでもいい」
四百年前まで感じていた甘露のような味など、とうの昔に忘れた。
クロードはそれを暗に吐き出し、頬杖をつく。
「……それで、なんの用だ」
「君毎回それだね!? 一応友人でしょ? 友人に会いに来るのに、理由なんて必要ないからね!?」
「誰と誰が友人なんだ」
「君と僕が!!」
「あり得ないな」
「辛辣!!」
そんな会話をしていると、頼んでいたものが運ばれてくる。それは赤ワインのようにグラスに注がれていた。
クロードは置かれたそれを、ちみちみと飲み始めた。
ああ、まずい。
しかし飲まないと死ぬし余計に苦しいというのだから、困ったものだ。ただ薬湯と同じようなものだと自己暗示し飲めば、グラス一杯くらいは飲めるのである。この分量で、大体五日ほど保つ。
クロードの目の前では、アシルが美味しそうに飲み比べをしていた。
彼は血の味に舌鼓を打ちながら、口を開く。
「というよりさ、クロード最近こっちに来るようになったよね。前まではそこらへんの賊を蹴散らすついでとかで、血を飲んでたのに」
「……それがどうした」
「いや、ジレットちゃんのためかなーって思って」
ジレットの名前を呼んだアシルに、クロードは内心舌打ちをする。名前だけは出さないように気を遣っていたのに、自力で調べ出したようだ。
「何が言いたい」
「いやだってさ。そこらへんの盗賊探すとなると、少し時間かかるでしょ? でも最近は、朝には必ずいるみたいだし。絶対にジレットちゃんのためだよね」
「……お前、彼女にちょっかいをかけていないだろうな?」
クロードは話を逸らすという目的も兼ねて、そんなことを言った。するとアシルは輝かしい笑顔を浮かべる。血を飲んでいるせいか、若干悦に入っていた。
「ふっふっふー。どうしよっかなーちょっかい出しちゃおっかなー。あ、もちろん食べたりしないよ?」
「当たり前だふざけるな」
クロードは嘆息する。どうやら、ジレットにあのネックレスを渡したのは正解だったようだ。
ネックレスのチャームには石が使われており、その石は魔術との結合が良い。そのためクロードは、何かあったときは居場所が分かるようにという思いを込めて、魔術を編んだのである。
ジレットの身に危険が迫れば、結界も形成できる特別仕様でもある。
そしてそれをしようと思った理由は言わずもがな、目の前で鼻歌を歌うこの吸血鬼であった。
「いやだってさーあのクロードがだよ? 大事に大事にしてるお姫様なんだよ? 少しくらいお近づきになりたいって思うよね〜」
「彼女には一応、お前のことも話した」
「え、ほんと!?」
「変なやつだと言っておいた。絡まれるかもしれないから気をつけろ、とも」
「あいっかわらず僕の扱いひどすぎない!? それともなに、それがクロードの愛なの、そうなのっ!?」
「気持ち悪いことを言うな」
クロードは苦々しい顔をしながら、残っていた血をあおる。そしてテーブルに金を置くと立ち上がった。ふわりと、足元が霧化する。
「え、ちょっと待とう? まだ話は終わってないからね!?」
「うるさい。帰る」
クロードはそう言い残し、影に溶け込んだ。
そしてまた夜闇の中に身を委ねる。
少しずつ見えてくる屋敷。
そこで明日も過ごせるであろう平和な生活を想像し、彼は人知れず笑みを漏らした。




